しまったことをしてしまった。影浦ゆんちゃんの久々のショールーム登場を見逃してしまった。ああ・・。
このところ、坂井麻美さんの配信、深夜の分、ベッドに入って観ることにしているので、ほぼ、毎日Showroom行ってたし、スワローズの勝利を確認してからは、今日はとくに、Paletの配信があって、星集めとか、したりしてたのに・・まあ、間の悪さはオレの特性でもあるから。
でも、これを機に、本格的に、影浦由佳さんのShowroom配信の目がでてきた、と思えば、吉兆。末吉はワシらのもんでもある。
先月買った、The Pop Groupの「For How Much Longer」の再発盤、聴く。
感想は・・。単なるノイズの洪水に、焦り、絶望、やりきれなさ、を感じたこともある。さすがに、前回のCD化ん時(We Are Timeとのダブルインワン)時より、音が鮮明で、細かいとこまで、聴けるけど、その分、音の塊感が減り、圧倒されてしまうことが少なくなった、と感じる。やっぱ、どうしたって、今、これを聴くには、今という時代が大きな邪魔しよる。当時だって、混沌としてたし、今だって、混沌としている。でも、悲しいことに、「懐メロ」、でしか聴こえない。音量をいくら上げても、あのパワーはもう感じられない。
そして、このアルバムをまた手に入れたのは、単に、いつ廃盤になって、手に入らなくなるという恐れ、と、日本盤のおまけのポスターが欲しい、いう情けなさだけ。そして、今、このアルバムを聴いているのは、せっかく、買ったから、というだけ。
それはそうと、パブリック・イメージ・リミテッドも再結成してコンサート・ツアーしているらしいやないか。
みんなそろそろ、老後に備えなアカン。まあ、そういう意味では、大きな意味を持つ再発では、ある。世界中の紛争やらなんやらより、自分の老後が大事。We are timeの頃は、終わって今は、We were Time.
One Out of Manyも、ボーナストラックで入れたらよかったのに(ハッとしたが、どんどん、ネガティブなこと書きまくってる・・・たしかに、このアルバム、そういうパワーは残っているぞ)。
大量のノイズやリディムから、パワー、ビンビンの「絶望感」みたいなの感じたのは、ポップ・グループが初めて。スゴいグループではある。ユーミンやら山下達郎やら大滝詠一ばっか聴いてた頃だから、かもしれんが。
2016年4月8日金曜日
2016年4月4日月曜日
4月4日
望月三起也氏亡くなる。画もストーリーもヨコハマ臭く、大好きだった。ゴールデン・カップスは音楽で、望月三起也はマンガで、横浜じゃない「ヨコハマ」を伝えていたと思う(作家ではもちろん、矢作俊彦なのだが、ちょっと、ほんと・・このところ・・・)。合掌。
ジャパッシュ、寝る前に読もう。
ようやっと、風邪も咳を残すだけとなった。ほぼ、2週間か、今年の風邪は・・と書いたところで、また、咳。うーん。プール行けないせいか、腹の周りがなんとなく、たっぷんたっぷんしてきてるような・・・。
AmazonのCDコーナー見てたら、また、こうゆうの、見つけてしまう。タイトルに「ナゲッツ」が入っている。今、vol.5まで出ていて6と7が今月後半に出るみたい。日本語の解説がついているみたい。60年代のワーナーレーベルにおったガールズグループばっか集めたやつみたい。欲しい。曲名とアーティスト名頼りに、AppleMusic探って、プレイリストに放り込んでいく、という手もあるが、日本語の解説がついていることは、お金に代えがたい魅力だ。まあ、そのうちに。

ハンキー・パンキー~ワーナー・ガール・グループ・ナゲッツ Vol.2
昨日は、「ウソの60年代っぽいサウンド」ばっか聴いて、後追いの「胸きゅん」サウンズに涙ぐんでいたりしたんで、今日は、いっちょう、本物、ど真ん中、直球ストレート。ど60年代、どブリティッシュ、どスウィンギング・ロンドン。ウソの60年代サウンドじゃなく、モノホンの60年代!!
で、英国のパイレコードのオムニバス、「Here Comes The Girls Again」を聴くことにする。ずいぶん前に手に入れていて、何度も聴きまくっていたんだが、感想文、ほんま、書きようがないのである。
でも、こういうブログを見つけた。白猫目さんのブログで紹介されている(http://blogs.yahoo.co.jp/oidon11jp/36781595.html)
詳しいあれやこれやは、そっちを参照させていただいて、ここでは、好き勝手に感想かける。

そいで、まあ、今日、アルバム通して聴いて、気になって、その後、特に聴きまくっていた4曲。ペイバードールズもベイカーツインズもマーゴ&ザ・マーヴェッツも、実はどういうグループかよく知らない。Googleで調べたら英語のサイトしかヒットしない。まあ、ルックス的にはたいしたことないかもしれんが、ミニスカでやってたんで、良しとする(何を良しとするか、自分でもようわからんが、ま、そういうものだ)
1. おねがいダーリンMove Over Darlin' (ザ・ペイパー・ドールズ)
04. ヒーズ・ノー・グッドHe's No Good (ザ・ベイカー・ツインズ)
13. ホェン・ラヴ・スリップス・アウェイ When Love Slips Away(マーゴ&ザ・マーヴェッツ)
14. サン・ホセへの道Do You Know The Way To San Jose (ザ・ペイパー・ドールズ)
「おねがいダーリン」。
ウィスパーボイスっぽく甘く始まる。女性コーラスが絶妙なタイミングに入ってくる。ため息とかも。
で、調べたら、デリス・デイがオリジナルで、ハリウッドの映画「女房は生きていた」の主題歌で、ほぼ、完全なカバー。キュートで、けだるく、最高。
ザ・ベイカー・ツインズのヒーズ・ノー・グッドも、大好き。胸きゅんどころか、胸が、引き攣る。ひきつるひきつる。これはオリジナルなのかな。彼は良くない、というか、彼はアカンわ、か、彼はワルなのか。歌い上げる感じで声を張り上げたりしているけど、
マーゴ&ザ・マーヴェッツホェン・ラヴ・スリップス・アウェイ When Love Slips Away。オリジナルはアメリカの、ディー・ディー・ワーウィックという女性歌手。ディオンヌ・ワーウィックの妹かお姉さんらしい。歌い上げる感じで、朗々としてる。けど、やっぱ、キューーーーーーーーーーーット!
「サンホセへの道」までやってる。これはオリジナル大好きで、何度も聴き直したけど、ペイバードールズの「サンホセへの道」も大好き。
なんで、しかし、オレは60年代だと、贔屓の引き倒しができて、70年代以降には、アラ探しばっかしてしまうんだろう。やっぱ、60年代が好きなだけだろうな。60年代なんで、好きかというとやっぱ、パワーが違うと思うねん。下手でもなんでも、パワーで押し切ったれ感があるような感じするねん。
ジャパッシュ、寝る前に読もう。
ようやっと、風邪も咳を残すだけとなった。ほぼ、2週間か、今年の風邪は・・と書いたところで、また、咳。うーん。プール行けないせいか、腹の周りがなんとなく、たっぷんたっぷんしてきてるような・・・。
AmazonのCDコーナー見てたら、また、こうゆうの、見つけてしまう。タイトルに「ナゲッツ」が入っている。今、vol.5まで出ていて6と7が今月後半に出るみたい。日本語の解説がついているみたい。60年代のワーナーレーベルにおったガールズグループばっか集めたやつみたい。欲しい。曲名とアーティスト名頼りに、AppleMusic探って、プレイリストに放り込んでいく、という手もあるが、日本語の解説がついていることは、お金に代えがたい魅力だ。まあ、そのうちに。
ハンキー・パンキー~ワーナー・ガール・グループ・ナゲッツ Vol.2
昨日は、「ウソの60年代っぽいサウンド」ばっか聴いて、後追いの「胸きゅん」サウンズに涙ぐんでいたりしたんで、今日は、いっちょう、本物、ど真ん中、直球ストレート。ど60年代、どブリティッシュ、どスウィンギング・ロンドン。ウソの60年代サウンドじゃなく、モノホンの60年代!!
で、英国のパイレコードのオムニバス、「Here Comes The Girls Again」を聴くことにする。ずいぶん前に手に入れていて、何度も聴きまくっていたんだが、感想文、ほんま、書きようがないのである。
でも、こういうブログを見つけた。白猫目さんのブログで紹介されている(http://blogs.yahoo.co.jp/oidon11jp/36781595.html)
詳しいあれやこれやは、そっちを参照させていただいて、ここでは、好き勝手に感想かける。
そいで、まあ、今日、アルバム通して聴いて、気になって、その後、特に聴きまくっていた4曲。ペイバードールズもベイカーツインズもマーゴ&ザ・マーヴェッツも、実はどういうグループかよく知らない。Googleで調べたら英語のサイトしかヒットしない。まあ、ルックス的にはたいしたことないかもしれんが、ミニスカでやってたんで、良しとする(何を良しとするか、自分でもようわからんが、ま、そういうものだ)
1. おねがいダーリンMove Over Darlin' (ザ・ペイパー・ドールズ)
04. ヒーズ・ノー・グッドHe's No Good (ザ・ベイカー・ツインズ)
13. ホェン・ラヴ・スリップス・アウェイ When Love Slips Away(マーゴ&ザ・マーヴェッツ)
14. サン・ホセへの道Do You Know The Way To San Jose (ザ・ペイパー・ドールズ)
「おねがいダーリン」。
ウィスパーボイスっぽく甘く始まる。女性コーラスが絶妙なタイミングに入ってくる。ため息とかも。
で、調べたら、デリス・デイがオリジナルで、ハリウッドの映画「女房は生きていた」の主題歌で、ほぼ、完全なカバー。キュートで、けだるく、最高。
ザ・ベイカー・ツインズのヒーズ・ノー・グッドも、大好き。胸きゅんどころか、胸が、引き攣る。ひきつるひきつる。これはオリジナルなのかな。彼は良くない、というか、彼はアカンわ、か、彼はワルなのか。歌い上げる感じで声を張り上げたりしているけど、
マーゴ&ザ・マーヴェッツホェン・ラヴ・スリップス・アウェイ When Love Slips Away。オリジナルはアメリカの、ディー・ディー・ワーウィックという女性歌手。ディオンヌ・ワーウィックの妹かお姉さんらしい。歌い上げる感じで、朗々としてる。けど、やっぱ、キューーーーーーーーーーーット!
「サンホセへの道」までやってる。これはオリジナル大好きで、何度も聴き直したけど、ペイバードールズの「サンホセへの道」も大好き。
なんで、しかし、オレは60年代だと、贔屓の引き倒しができて、70年代以降には、アラ探しばっかしてしまうんだろう。やっぱ、60年代が好きなだけだろうな。60年代なんで、好きかというとやっぱ、パワーが違うと思うねん。下手でもなんでも、パワーで押し切ったれ感があるような感じするねん。
2016年1月20日水曜日
1月20日
影浦由佳さんのTwitter投票よろしく。ページの下の方から、過去にさかのぼって、投票してね。01月26日 (火) 12:00まで。
マシェリバラエティ×レインボータウンFMパーソナリティ争奪オーディション 第6期
と、
マシェリバラエティ×レインボータウンFMパーソナリティ争奪オーディション 第6期。
寒い。まあ、今日はちょっとましになったが。風邪ひきまくる。咳はでまくる、はなは出まくる。ひき始めの時、プールサボったのがアカンかった。このところ、ひき始め、プール行って風邪なおしてた。もちろん、そのまま風邪がひどくなるというリスクは伴うが、実際、プール行かなくても昨日今日はほとんど一日中寝込んでいたんだから、結果は同じ。
このところ、SMAPがあれやこれや、あったんで、なぜか、ザ・キンクスの「ソープオペラ」聴き始めて何か書いたろと思っていたが、今日はさすがに、やんぴ。
1968年ザ・ミレニウムの「Begin」、だらーだらーっと聴く。風邪ひいている時には一番。
出した当時は、ヒットもせず、以来ず~~~っと黙殺、そのまま、忘れ去られていたが、90年代渋谷系が掘り起こしたという伝説(真偽はわからん)がある。
ソフトロック。
不肖オレなんか3年前、はじめて聴いて、その、まったり具合、だらりん感覚、両手をあげてあくびした時の背筋がちょびっとだけ伸びてるけど、やっぱり、起き抜けでからだ全体かったるい時の感覚(もちろん、5A.M.の曲の感想)、にびっくらこいたものである。アホみたいに繰り返して聴いた。
あと、「There is Nothing More To Say」という曲も、大好きだ。なんで、こんないい曲、気付かず生きていたのか、思ったものである。コーラス曲そのものの、淡々とした感じで始まって、ほどよくドラマチックに展開させ、また淡々に戻り、ドラマチック、ちょっと淡々というのがたまらない。
「There is Nothing More To Say」から、別れた恋人への云々と思い込んでいたが、じゃなくて、このアルバムを聴いてるリスナーに向けたもの、英語アホなので、「こんだけ、ワシらの曲、おまえら、聴いただろう、もう、ワシらは行かなアカンねん、もう云うことなーんもあらへんわ」ちゅうことなんだろうか?
しかし、There is something that you hear in so many of our songsから始まるサビの部分は、もうだいすき。
調べてみると、ブライアン・ウィルソンの名前が出てくるほど、このミレニウムも当時の録音技術のギリギリまで駆使してやったそうだが、オレは鈍感なので、音楽だけ聴いてる時はわかんなかった。まあ、どうだっていいこと。
音楽聴いてる時、たいていは、その音楽に集中しまくる方なので、こうして文章にする際、あれやこれや調べると、あれやこれやわかってオモロい。
まあ、このブログは、昭和歌謡のブログであるが、英国の昭和歌謡も米国の昭和歌謡もジャマイカの昭和歌謡もありありのありということで。つまり、全世界の音楽は実は昭和歌謡なのです(本気にしたらアカン)。
あと、AppleMusicにもあるんだが、リンクしてもジャケ写バシッとでないので、Amazon。

Begin The Millennium
マシェリバラエティ×レインボータウンFMパーソナリティ争奪オーディション 第6期
と、
マシェリバラエティ×レインボータウンFMパーソナリティ争奪オーディション 第6期。
寒い。まあ、今日はちょっとましになったが。風邪ひきまくる。咳はでまくる、はなは出まくる。ひき始めの時、プールサボったのがアカンかった。このところ、ひき始め、プール行って風邪なおしてた。もちろん、そのまま風邪がひどくなるというリスクは伴うが、実際、プール行かなくても昨日今日はほとんど一日中寝込んでいたんだから、結果は同じ。
このところ、SMAPがあれやこれや、あったんで、なぜか、ザ・キンクスの「ソープオペラ」聴き始めて何か書いたろと思っていたが、今日はさすがに、やんぴ。
1968年ザ・ミレニウムの「Begin」、だらーだらーっと聴く。風邪ひいている時には一番。
出した当時は、ヒットもせず、以来ず~~~っと黙殺、そのまま、忘れ去られていたが、90年代渋谷系が掘り起こしたという伝説(真偽はわからん)がある。
ソフトロック。
不肖オレなんか3年前、はじめて聴いて、その、まったり具合、だらりん感覚、両手をあげてあくびした時の背筋がちょびっとだけ伸びてるけど、やっぱり、起き抜けでからだ全体かったるい時の感覚(もちろん、5A.M.の曲の感想)、にびっくらこいたものである。アホみたいに繰り返して聴いた。
あと、「There is Nothing More To Say」という曲も、大好きだ。なんで、こんないい曲、気付かず生きていたのか、思ったものである。コーラス曲そのものの、淡々とした感じで始まって、ほどよくドラマチックに展開させ、また淡々に戻り、ドラマチック、ちょっと淡々というのがたまらない。
「There is Nothing More To Say」から、別れた恋人への云々と思い込んでいたが、じゃなくて、このアルバムを聴いてるリスナーに向けたもの、英語アホなので、「こんだけ、ワシらの曲、おまえら、聴いただろう、もう、ワシらは行かなアカンねん、もう云うことなーんもあらへんわ」ちゅうことなんだろうか?
しかし、There is something that you hear in so many of our songsから始まるサビの部分は、もうだいすき。
調べてみると、ブライアン・ウィルソンの名前が出てくるほど、このミレニウムも当時の録音技術のギリギリまで駆使してやったそうだが、オレは鈍感なので、音楽だけ聴いてる時はわかんなかった。まあ、どうだっていいこと。
音楽聴いてる時、たいていは、その音楽に集中しまくる方なので、こうして文章にする際、あれやこれや調べると、あれやこれやわかってオモロい。
まあ、このブログは、昭和歌謡のブログであるが、英国の昭和歌謡も米国の昭和歌謡もジャマイカの昭和歌謡もありありのありということで。つまり、全世界の音楽は実は昭和歌謡なのです(本気にしたらアカン)。
あと、AppleMusicにもあるんだが、リンクしてもジャケ写バシッとでないので、Amazon。
Begin The Millennium
2016年1月13日水曜日
2016年のスペース・オディッティ
Take your protein pills and put your helmet on
ふうん、MacのSafariで、Twitterリンクから、一票、その画面上の「PC版はこちらから」から、あれやこれや、辿って、一票、の計2票、iPadなら、同様に、iPadのSafariで2票、その上に、なんと、アプリの方のTwitterからも、そのリンクから一票、やはり同様にPC版はこちらから」から一票で計4票、MacとiPadあわせて、6票も、入れることができるというのですね。なんのことでしょうね。Ground Control to Major Tom。
Commencing countdown, engines on、Check ignition and may God's love be with you。
影浦由佳さんのTwitter投票よろしく。
マシェリバラエティ×レインボータウンFMパーソナリティ争奪オーディション 第6期
か、
マシェリバラエティ×レインボータウンFMパーソナリティ争奪オーディション 第6期。
Ten, Nine, Eight, Seven, Six, Five, Four, Three, Two, One, Liftoff。
iPhoneのMusic、音が出んようになって、iPhoneを復元せなアカンようになった。しかし、なんでだろう?
あー、ロックなんか、書きたくない。
デビッド・ボウイについて書く。もちろん、悪口である。
日本いや全世界を敵にまわすことになるかと思うが、よう考えたら、こんなもん誰も見てない読んでない。すくなくとも、NHKや朝日新聞とかの連中から、こっちにデビッド・ボウイを取り戻さないとあかんのです。
クラスの女の子に、頼むから、デビッド・ボウイ好きにならんといて、と複数から云われ家帰って、泣きながら、スペース・オディッティ聴いた中学生の夜。おかげで、たった一人、宇宙へ行って帰れなくなっちゃう孤独とみごとに中学のオレはシンクロすることに成功したのだ。
You've really made the grade And the papers want to know whose shirts you wear Now it's time to leave the capsule if you dare
ということで、スペース・オディッティ。デビッド・ボウイの1969年。2001年宇宙の旅の公開やら、1969年月着陸があったが、あたりまえで、後追いのオレはそんなもん関係なしにこの曲聴いた。
Though I'm past one hundred thousand miles I'm feeling very still。
まあ、なんちゅう、ダサいデビッド・ボウイであろう。歯並びも悪いし、痩せているというより、貧相で、しかも、サングラスが安っぽい。パチンコ屋とか雀荘とか競馬場競輪場に行けば、今でも、いそうな感じである。宇宙人らしき、これまた、美女というよりかなり微妙。にもかかわらず、女性にはさまれてる時のスケベそうな顔。この安っぽさ、大好きである。
And I think my spaceship knows which way to go
Tell my wife I love her very much she knows"
と、デビッド・ボウイの悪口ばっか書き並べ、あと、ヤンキー(グラムロックのこと)時代のぎたぎたでこてこてのデビッド・ボウイの動画でも探してたら、こんなのが見つけて、絶句。Your circuit's dead, there's something wrong。
2013年。なんや、ほんまもんの宇宙飛行士がほんまもんの宇宙船乗って、ほんまもんの宇宙で撮ったヤツらしい。せっかく、デビッド・ボウイさん(どうや?「さん」つける感性)への追悼記念で、アラ探ししまくろうと思ったのに。まさに、Planet Earth is blue(ところどころ、あかりが赤いけど)、そして、なにも、もう、オレにできることはない。涙まででてきた。もう、なにも、書けない。こんなことなら、ジーン・ジニーかレベルレベルでやったら、よかった。
トム少佐、聴こえますか?
ふうん、MacのSafariで、Twitterリンクから、一票、その画面上の「PC版はこちらから」から、あれやこれや、辿って、一票、の計2票、iPadなら、同様に、iPadのSafariで2票、その上に、なんと、アプリの方のTwitterからも、そのリンクから一票、やはり同様にPC版はこちらから」から一票で計4票、MacとiPadあわせて、6票も、入れることができるというのですね。なんのことでしょうね。Ground Control to Major Tom。
Commencing countdown, engines on、Check ignition and may God's love be with you。
影浦由佳さんのTwitter投票よろしく。
マシェリバラエティ×レインボータウンFMパーソナリティ争奪オーディション 第6期
か、
マシェリバラエティ×レインボータウンFMパーソナリティ争奪オーディション 第6期。
Ten, Nine, Eight, Seven, Six, Five, Four, Three, Two, One, Liftoff。
iPhoneのMusic、音が出んようになって、iPhoneを復元せなアカンようになった。しかし、なんでだろう?
あー、ロックなんか、書きたくない。
デビッド・ボウイについて書く。もちろん、悪口である。
日本いや全世界を敵にまわすことになるかと思うが、よう考えたら、こんなもん誰も見てない読んでない。すくなくとも、NHKや朝日新聞とかの連中から、こっちにデビッド・ボウイを取り戻さないとあかんのです。
クラスの女の子に、頼むから、デビッド・ボウイ好きにならんといて、と複数から云われ家帰って、泣きながら、スペース・オディッティ聴いた中学生の夜。おかげで、たった一人、宇宙へ行って帰れなくなっちゃう孤独とみごとに中学のオレはシンクロすることに成功したのだ。
You've really made the grade And the papers want to know whose shirts you wear Now it's time to leave the capsule if you dare
ということで、スペース・オディッティ。デビッド・ボウイの1969年。2001年宇宙の旅の公開やら、1969年月着陸があったが、あたりまえで、後追いのオレはそんなもん関係なしにこの曲聴いた。
Though I'm past one hundred thousand miles I'm feeling very still。
まあ、なんちゅう、ダサいデビッド・ボウイであろう。歯並びも悪いし、痩せているというより、貧相で、しかも、サングラスが安っぽい。パチンコ屋とか雀荘とか競馬場競輪場に行けば、今でも、いそうな感じである。宇宙人らしき、これまた、美女というよりかなり微妙。にもかかわらず、女性にはさまれてる時のスケベそうな顔。この安っぽさ、大好きである。
And I think my spaceship knows which way to go
Tell my wife I love her very much she knows"
と、デビッド・ボウイの悪口ばっか書き並べ、あと、ヤンキー(グラムロックのこと)時代のぎたぎたでこてこてのデビッド・ボウイの動画でも探してたら、こんなのが見つけて、絶句。Your circuit's dead, there's something wrong。
2013年。なんや、ほんまもんの宇宙飛行士がほんまもんの宇宙船乗って、ほんまもんの宇宙で撮ったヤツらしい。せっかく、デビッド・ボウイさん(どうや?「さん」つける感性)への追悼記念で、アラ探ししまくろうと思ったのに。まさに、Planet Earth is blue(ところどころ、あかりが赤いけど)、そして、なにも、もう、オレにできることはない。涙まででてきた。もう、なにも、書けない。こんなことなら、ジーン・ジニーかレベルレベルでやったら、よかった。
トム少佐、聴こえますか?
2015年12月26日土曜日
12月26日
あっというまに、年末。このところ、聴いている音楽。自分に対するメモ書きみたいなもんなので、スルッとするーしてください。
・ロッカーズ・ヴァイブレーション
1980(〜82)年頃。
クラッシュと組んで一挙に世界的に知名度を上げたラジオDJマイキー・ドレッドが自身のレーベルを立ち上げ、そっからのアルバム。有名無名のシンガーを集めて、自分の曲のリズムトラック(カラオケ)に歌をつけました、というアルバムだ。
ジャマイカの本流のリズムトラックと違うけど、録音はチャネル・ワン、キング・タビーズ、そしてアクエリアス、そして、演奏そのものは、ルーツ・ラディックスと、ど真ん中のど真ん中である。
馴染みが無いかもしれんが、OEMみたいなもんで、一度ハマったら、当時のジャマイカの音楽同様、何度でも聴き直せるタフネスは持っているし、時代を超えて楽しめる。
シンガーたちが、もう、すばらしいの一言に尽きる。
でも、今日は2つだけ。シュガー・マイノットも入ってて触れたいが、まあ。元のトラックに触れたかったけど、今、マイキー・ドレッドのカエル声、ちょっとなので、省略。
Forever Love (The Ovationz)
最近、こればっかり。いろんな曲聴いたあとでも、この曲にククッと集中できる。
Ovationzというコーラスグループ名義だが、詳細は不明。調べたら、ソウルグループが出てきたがもちろん、別であろう。
メインボーカルがほとんど歌ってるけど、そのシンガーの名前もわからんのが悔しい。
ピークで全開になることなく、抑制が効いた、
朝から晩までいっしょ、永遠に愛し続ける、という、かなり、キツ目のラブソングである。
Mr.DJ Earl Sixteen
これを本気で聴くと、つい涙ぐんでしまう曲。自分の曲をかけて、と、DJに切なく切なくお願いするんだが、そっからの、ジャマイカの音楽全体へのゆるぎない自信へ展開していく、堂々とした曲なのである。こういうとこ。
多分、日本人なら、自分の曲かけてもらわないと明日の飯にも困るような(歌詞にその要素一切ない)お涙頂戴の曲にしてしまうとこだが。こういうとこ。
この曲ともかなり長いつきあいになるが、最初聴いた時、このアール・シックスティーンというシンガーを知らず、レコード屋駆けずり回ったのを思い出す。
・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのローデッド
売れない売れない売れないバンドであった、末期ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1970年。ライブ盤聴くと、客席、閑古鳥が鳴きまくっている。当時は全然売れなかったのだが、ワシら世代以降が異常に高評価したため、各アルバム毎に「スーパー・デラックス・エディション」が出ている。CCRやグランド・ファンク・レイルロードより、おそらく、今では有名だ。人生とロックンロールバンドはわからないもんだな、ジーン!
スウィートジェーンの、イントロのふわふわキラキラ感夢見る感じから、ダミ声に近いルー・リードのヴォーカルが入り、ぐぐぐっと現実に引き戻される感じ、ここんとこが、ずっと、好きだ。
曲を聴いたら、全然、ルー・リード自信は、ジェーンのことを「Sweet」と思っていないのがわかる。
訳詞調べようとしたら、やはり、歌詞にある、ジャックのコルセットと、ジェーンのベストへの部分の解釈がみなさん違うのがおもしろい。
ロックンロール
これでもか、というふうに、ロックンロールとアット・オールの韻踏み合戦。これが好き。
5歳の癖に毎日退屈だったジェーンが、ラジオ聴いていて、たまたま、ニューヨークのロックンロールステーション合わせたら、すべてが、よくなった、というお話。やっぱ、5歳で、人生を退屈せなアカン。
・ロッカーズ・ヴァイブレーション
1980(〜82)年頃。
クラッシュと組んで一挙に世界的に知名度を上げたラジオDJマイキー・ドレッドが自身のレーベルを立ち上げ、そっからのアルバム。有名無名のシンガーを集めて、自分の曲のリズムトラック(カラオケ)に歌をつけました、というアルバムだ。
ジャマイカの本流のリズムトラックと違うけど、録音はチャネル・ワン、キング・タビーズ、そしてアクエリアス、そして、演奏そのものは、ルーツ・ラディックスと、ど真ん中のど真ん中である。
馴染みが無いかもしれんが、OEMみたいなもんで、一度ハマったら、当時のジャマイカの音楽同様、何度でも聴き直せるタフネスは持っているし、時代を超えて楽しめる。
シンガーたちが、もう、すばらしいの一言に尽きる。
でも、今日は2つだけ。シュガー・マイノットも入ってて触れたいが、まあ。元のトラックに触れたかったけど、今、マイキー・ドレッドのカエル声、ちょっとなので、省略。
Forever Love (The Ovationz)
最近、こればっかり。いろんな曲聴いたあとでも、この曲にククッと集中できる。
Ovationzというコーラスグループ名義だが、詳細は不明。調べたら、ソウルグループが出てきたがもちろん、別であろう。
メインボーカルがほとんど歌ってるけど、そのシンガーの名前もわからんのが悔しい。
ピークで全開になることなく、抑制が効いた、
朝から晩までいっしょ、永遠に愛し続ける、という、かなり、キツ目のラブソングである。
Mr.DJ Earl Sixteen
これを本気で聴くと、つい涙ぐんでしまう曲。自分の曲をかけて、と、DJに切なく切なくお願いするんだが、そっからの、ジャマイカの音楽全体へのゆるぎない自信へ展開していく、堂々とした曲なのである。こういうとこ。
多分、日本人なら、自分の曲かけてもらわないと明日の飯にも困るような(歌詞にその要素一切ない)お涙頂戴の曲にしてしまうとこだが。こういうとこ。
この曲ともかなり長いつきあいになるが、最初聴いた時、このアール・シックスティーンというシンガーを知らず、レコード屋駆けずり回ったのを思い出す。
・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのローデッド
売れない売れない売れないバンドであった、末期ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1970年。ライブ盤聴くと、客席、閑古鳥が鳴きまくっている。当時は全然売れなかったのだが、ワシら世代以降が異常に高評価したため、各アルバム毎に「スーパー・デラックス・エディション」が出ている。CCRやグランド・ファンク・レイルロードより、おそらく、今では有名だ。人生とロックンロールバンドはわからないもんだな、ジーン!
スウィートジェーンの、イントロのふわふわキラキラ感夢見る感じから、ダミ声に近いルー・リードのヴォーカルが入り、ぐぐぐっと現実に引き戻される感じ、ここんとこが、ずっと、好きだ。
曲を聴いたら、全然、ルー・リード自信は、ジェーンのことを「Sweet」と思っていないのがわかる。
訳詞調べようとしたら、やはり、歌詞にある、ジャックのコルセットと、ジェーンのベストへの部分の解釈がみなさん違うのがおもしろい。
ロックンロール
これでもか、というふうに、ロックンロールとアット・オールの韻踏み合戦。これが好き。
5歳の癖に毎日退屈だったジェーンが、ラジオ聴いていて、たまたま、ニューヨークのロックンロールステーション合わせたら、すべてが、よくなった、というお話。やっぱ、5歳で、人生を退屈せなアカン。
ヴォイトレなんぞ一度も受けたことない(受けてたらゴメン)ルー・リードの、低い声で喋るように歌い続ける、スタイルが好きか嫌いか、であろう。
また、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、書いてもた・・・。
また、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、書いてもた・・・。
2015年12月14日月曜日
12月14日
ジムのプールは定休日。
夕食後、AppleMusic探っていると、昨日、Amazonで長考した、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのローデッド45周年版(リンク先飛ぶとアップルストアの方に飛んでしまうが、AppleMusicに加入していたら大丈夫)が、あっさり、あった。
(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドについては、Wiki https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)
しょうがない。今日はこの話題せなしょうがない。あくまでも、「好きだった」過去形のグループである。
昨日書いたように、今、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド聴きたい気分じゃないし、聴く気もなかったが、せっかく、あったんだ、スウィート・ジェーンとロックンロールだけでもきいとこか、と思ったら、結局、えんえんと聴いてしまった。
実際、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバムとしては、バナナのニコとのファースト、タイトルがヴェルヴェット・アンダーグラウンドのヤツとか、White Light/White Heat等に比べると、ぐっと完成度も、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドらしさも、ぐっと落ちるアルバムなのだが、オレなんか、ちゃらけたイントロで始まる「Sweet Jane」と毎日が退屈につまらなく生きてたジーンがラジオのロックンロールステーションから流れるロックンロールで解放されていく感じが素敵なので、(ただ、ジェーンもジーンも「女」かどうかわからないのが、ルー・リードの歌詞の怖ろしいところだ)大好きなアルバムだったのである。
あと、わけのわからん歌詞ながら、しんみりした感じで始まって途中狂いまくる「New Age」も大好きだ(歌詞の世界まで、入って行くと、収拾つかなくなるんで、あっさりと)。
ちょっと前、「Fully」がついた「ローデッド」が出た。発売当初、クソつまらん「マーケティング」か、プロディーサーの意図か、シングルに収まるように、短縮したのか、ともかく、彼らを売りだそうとしたのかもしれんが、曲を弄ってしまったそうである。弄られる前の曲が入った、Full Lengs versionも、再び、リマスターが施され、2015バージョン、みたいなのだが、聴き比べたわけじゃない。
なにせ、CDが6枚組のボックスセット、おまけも、いっぱい、入っていて、昔のアルバムバージョンも、アルバムのもの全曲とそのモノラルのも、入っている、アウトテイクもいくつかあるし、それよりもなによりも、ライブ音源がたくさん入っていてうれしい。レコードで出た時は、3曲だけいい曲であとは捨て曲といったアルバムだったのに、45年経ると、6枚組、全96曲、全部聴き通すのに7時間以上かかる、壮大なアルバムになるから、ロックというのは、つくづくインチキ稼業、だと、思う。
マキシズカンサスシティのライブ、も、まるごと入っているみたいだし。なんか、フィラデルフィアでのライブも入っている。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのライブ音源は、オレは、アルバム音源より、好きである。録音が悪いものが多いけど、流しっぱなしにしても、気にならない。平気で聞き流せる。シスター・レイ、はさすがに、飛ばすけど。
マキシズカンサスシティ客とルー・リードの雑談が入っていて、リラックスした感じが好きだ。こっちの「ロンサムカーボーイ・ビル」はローデッドのアルバムのヤツより、好きだ。
昨日、Amazon価格では、CDボックスセット、輸入盤で7,000円以上するんで、見送ったけど、月980円で聴けるなら、もう。
ただ、ライナー的なものが一切ないので、こうした感想文書くのが書きづらいのってなんのって。
ロックはもう、飽き飽きしているし、だいたい、2年ぐらい平気で全く聴かない人間だ(PASSPO☆は除きますよ、もちろん)。
最近は、AppleMusicで、英国米国の60年代のバンドのヤツ、絶対にCDなら手を出さないようなB級の、よく聴くが、これは、英米の「グループ・サウンズ」として、聴いてる。楽しい、スカッとする。
夕食後、AppleMusic探っていると、昨日、Amazonで長考した、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのローデッド45周年版(リンク先飛ぶとアップルストアの方に飛んでしまうが、AppleMusicに加入していたら大丈夫)が、あっさり、あった。
(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドについては、Wiki https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)
しょうがない。今日はこの話題せなしょうがない。あくまでも、「好きだった」過去形のグループである。
昨日書いたように、今、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド聴きたい気分じゃないし、聴く気もなかったが、せっかく、あったんだ、スウィート・ジェーンとロックンロールだけでもきいとこか、と思ったら、結局、えんえんと聴いてしまった。
実際、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバムとしては、バナナのニコとのファースト、タイトルがヴェルヴェット・アンダーグラウンドのヤツとか、White Light/White Heat等に比べると、ぐっと完成度も、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドらしさも、ぐっと落ちるアルバムなのだが、オレなんか、ちゃらけたイントロで始まる「Sweet Jane」と毎日が退屈につまらなく生きてたジーンがラジオのロックンロールステーションから流れるロックンロールで解放されていく感じが素敵なので、(ただ、ジェーンもジーンも「女」かどうかわからないのが、ルー・リードの歌詞の怖ろしいところだ)大好きなアルバムだったのである。
あと、わけのわからん歌詞ながら、しんみりした感じで始まって途中狂いまくる「New Age」も大好きだ(歌詞の世界まで、入って行くと、収拾つかなくなるんで、あっさりと)。
ちょっと前、「Fully」がついた「ローデッド」が出た。発売当初、クソつまらん「マーケティング」か、プロディーサーの意図か、シングルに収まるように、短縮したのか、ともかく、彼らを売りだそうとしたのかもしれんが、曲を弄ってしまったそうである。弄られる前の曲が入った、Full Lengs versionも、再び、リマスターが施され、2015バージョン、みたいなのだが、聴き比べたわけじゃない。
なにせ、CDが6枚組のボックスセット、おまけも、いっぱい、入っていて、昔のアルバムバージョンも、アルバムのもの全曲とそのモノラルのも、入っている、アウトテイクもいくつかあるし、それよりもなによりも、ライブ音源がたくさん入っていてうれしい。レコードで出た時は、3曲だけいい曲であとは捨て曲といったアルバムだったのに、45年経ると、6枚組、全96曲、全部聴き通すのに7時間以上かかる、壮大なアルバムになるから、ロックというのは、つくづくインチキ稼業、だと、思う。
マキシズカンサスシティのライブ、も、まるごと入っているみたいだし。なんか、フィラデルフィアでのライブも入っている。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのライブ音源は、オレは、アルバム音源より、好きである。録音が悪いものが多いけど、流しっぱなしにしても、気にならない。平気で聞き流せる。シスター・レイ、はさすがに、飛ばすけど。
マキシズカンサスシティ客とルー・リードの雑談が入っていて、リラックスした感じが好きだ。こっちの「ロンサムカーボーイ・ビル」はローデッドのアルバムのヤツより、好きだ。
昨日、Amazon価格では、CDボックスセット、輸入盤で7,000円以上するんで、見送ったけど、月980円で聴けるなら、もう。
ただ、ライナー的なものが一切ないので、こうした感想文書くのが書きづらいのってなんのって。
ロックはもう、飽き飽きしているし、だいたい、2年ぐらい平気で全く聴かない人間だ(PASSPO☆は除きますよ、もちろん)。
最近は、AppleMusicで、英国米国の60年代のバンドのヤツ、絶対にCDなら手を出さないようなB級の、よく聴くが、これは、英米の「グループ・サウンズ」として、聴いてる。楽しい、スカッとする。
2014年12月28日日曜日
Only the intense can dance without moving
まあ、前回の補足。
10才の男児にとって、ジュリー、というか、ザ・タイガースの出現は、これは、もう、とんでもなく、センエーショナルなことだったんだ。
オレにとってのザ・タイガースの出現とは、テレビでの、「君だけに愛を」だった。
しかも、直前、ゴジラ映画の併映で、「加山雄三って、カッコいい・・・」とほんのり思っていた10才児童にとって、「君だけに愛を」は、その後の人生を変えるような、できごとであった。だいたい、100分かけて、一人の女性を、ギターで何曲も歌いながら、ようやっと、口説けたか口説けなかったか、それでも、微妙なレベルの加山雄三に対し、ザ・タイガースはわかりやすい。
ザ・タイガースは何百人何千人もの女性、それも若いもんばっか、をそもそも、観客に集めといて、登場するだけで、興奮状態に追い込み、「お~プリーズ」が始まったら、もっと、興奮するところをわざとピーのドラムスの合図があるまで、鎮めといて、いきなり、「君だけに」だ、ジュリーのヴォーカルで大爆発、しかも、たちが悪いことに、超興奮状態マキシマムにもってきて、ジュリーが観客の「誰か」を「君だけ」部分で指差すもんだから、指されたおんなのこ、おそらく、振り切れてしまって、おそらくおそらく失神ないしは発狂状態、他のおんなのこたちは、当然、次に「君だけ」の部分にジュリーに指差されることへの期待マキシマムでやはり、超興奮状態。ジュリーなんである。観客をコントロールしているのは。
最初から最後までず~~~っとぎゃあぎゃあ叫んでいるだけだったら、「あーバカだ」で終っていただろう。
沢田研二。どんだけ、モテんねん・・・こんなにモテる人間がこの世にいるわけである。
当時、トクヒラカズコというちんちくりんの子にフラれたばかりの10才男子学童のオレは、冷静に、思ったわけである。
加山雄三方式でトクヒラカズコにフラたオレは、もちろん、ジュリー方式をこれからの人生とることにした。一人のトクヒラカズコより、何千人何万人のカネムラキミコである。
そして、今思うと、非常に不幸なことであるが、少々当時からマキャベリストであったオレは、思った。
(オレもモテまくりたい・・・ジュリーになりたい・・)
男子児童の中では、「君だけに愛を」あたりまで、ザ・タイガースファンは多かったが、同級生の女子の多数が、沢田研二のマネをワシらがすることを、かなり暴力的な方法で禁じたんで(なんで、オレがジュリーのマネをすると怒ったのか、未だに謎である)、あっという間に、ザ・タイガースの人気は男子の中で落ち、おーままままのテンプターズ、マネしやすく女子ウケのいい、井上順、マチャアキを擁するザ・スパイダースに人気が流れていった(もちろん、レコードを買ったりするとか、みんな夢にも思わなかった)。
オレは、早くも地下に潜り、隠れザ・タイガースファンとなり、平気で「やっぱ、ジュリーは女のもんや、男はやっぱショーケンやのぅ」と腕を組み話したもんである。隠れキリシタンの気持ちもアンネ・フランクの気持ちも、ほんのすこしわかるのは、このためである。
ただ、学年が変わり、小5になった頃(1969)には、ダッシュ猛烈100ダッシュ、ゴッゴーゴーゴーの小川ローザ一択という情けない情けない状況になった。しゃあない。
しかし、告白するが、爾来この年になるまで、何度、人生の場面場面で、「ああ・・オレはなんで、ジュリーじゃないんだろう?」と思った・・いや、と希求したことであろうか?「ジュリーだったらなぁ」オレはジュリーじゃないからだ。
ただ、最近の沢田研二さんを見て、スタイル、いやいやいや取り消します、単なる体重では勝ててるんかもしれん、とほんのり、思ったりする。
しかし、申し訳ない。昔話がやたら長い長いこの老人(もう、認めて生きるもんね)のブログ、なんちゅうことか、The Pop Groupの新しいアルバムが出るらしいし(なんか、ウソであって欲しいデマであってほしい)、それ前に、Cabinet of Curiosities、という当時の音源いろんなところから集めたヤツが出た。
歌詞はもうほとんどわからんし、ほんのり、あ、昔の過激派みたいなことゆうてはる・・程度。今だとさすがに、古臭いのである。
1980年当時も今も、歌詞がうっすらわかる状態だが、音が大好き。
もう、めちゃくちゃやればやるほど、過激な歌詞を叫べば叫ぶほど、古臭い歌詞なのに、なにやら、深い深い絶望、を感じるんで、大好きなんである。日本のサヨクやリベラルが大キライなのは、そこまで、絶望しきっていないからだ。つまり、本気じゃないからだ。だから、吐き気がするようなキレイ事で誤魔化そうとする。大キライだ。
このアルバムに入っている方の「Colour Blind」、ライブ音源だが、「We Are Time」に入っているヤツより、いい。上のジュリーのことを書いている時、ずっと繰り返して聴いていた。
「Only the intense can dance without moving」という、部分、「君だけに愛を」のジュリーが指差す部分と同じ・・いや、ムリが過ぎるか、似たような感慨を感じる。
今日は今年一年のお世話になった感謝をこめて、強引にザ・タイガースとザ・ポップ・グループをつなげてみました。

Cabinet of Curiosities
10才の男児にとって、ジュリー、というか、ザ・タイガースの出現は、これは、もう、とんでもなく、センエーショナルなことだったんだ。
オレにとってのザ・タイガースの出現とは、テレビでの、「君だけに愛を」だった。
しかも、直前、ゴジラ映画の併映で、「加山雄三って、カッコいい・・・」とほんのり思っていた10才児童にとって、「君だけに愛を」は、その後の人生を変えるような、できごとであった。だいたい、100分かけて、一人の女性を、ギターで何曲も歌いながら、ようやっと、口説けたか口説けなかったか、それでも、微妙なレベルの加山雄三に対し、ザ・タイガースはわかりやすい。
ザ・タイガースは何百人何千人もの女性、それも若いもんばっか、をそもそも、観客に集めといて、登場するだけで、興奮状態に追い込み、「お~プリーズ」が始まったら、もっと、興奮するところをわざとピーのドラムスの合図があるまで、鎮めといて、いきなり、「君だけに」だ、ジュリーのヴォーカルで大爆発、しかも、たちが悪いことに、超興奮状態マキシマムにもってきて、ジュリーが観客の「誰か」を「君だけ」部分で指差すもんだから、指されたおんなのこ、おそらく、振り切れてしまって、おそらくおそらく失神ないしは発狂状態、他のおんなのこたちは、当然、次に「君だけ」の部分にジュリーに指差されることへの期待マキシマムでやはり、超興奮状態。ジュリーなんである。観客をコントロールしているのは。
最初から最後までず~~~っとぎゃあぎゃあ叫んでいるだけだったら、「あーバカだ」で終っていただろう。
沢田研二。どんだけ、モテんねん・・・こんなにモテる人間がこの世にいるわけである。
当時、トクヒラカズコというちんちくりんの子にフラれたばかりの10才男子学童のオレは、冷静に、思ったわけである。
加山雄三方式でトクヒラカズコにフラたオレは、もちろん、ジュリー方式をこれからの人生とることにした。一人のトクヒラカズコより、何千人何万人のカネムラキミコである。
そして、今思うと、非常に不幸なことであるが、少々当時からマキャベリストであったオレは、思った。
(オレもモテまくりたい・・・ジュリーになりたい・・)
男子児童の中では、「君だけに愛を」あたりまで、ザ・タイガースファンは多かったが、同級生の女子の多数が、沢田研二のマネをワシらがすることを、かなり暴力的な方法で禁じたんで(なんで、オレがジュリーのマネをすると怒ったのか、未だに謎である)、あっという間に、ザ・タイガースの人気は男子の中で落ち、おーままままのテンプターズ、マネしやすく女子ウケのいい、井上順、マチャアキを擁するザ・スパイダースに人気が流れていった(もちろん、レコードを買ったりするとか、みんな夢にも思わなかった)。
オレは、早くも地下に潜り、隠れザ・タイガースファンとなり、平気で「やっぱ、ジュリーは女のもんや、男はやっぱショーケンやのぅ」と腕を組み話したもんである。隠れキリシタンの気持ちもアンネ・フランクの気持ちも、ほんのすこしわかるのは、このためである。
ただ、学年が変わり、小5になった頃(1969)には、ダッシュ猛烈100ダッシュ、ゴッゴーゴーゴーの小川ローザ一択という情けない情けない状況になった。しゃあない。
しかし、告白するが、爾来この年になるまで、何度、人生の場面場面で、「ああ・・オレはなんで、ジュリーじゃないんだろう?」と思った・・いや、と希求したことであろうか?「ジュリーだったらなぁ」オレはジュリーじゃないからだ。
ただ、最近の沢田研二さんを見て、スタイル、いやいやいや取り消します、単なる体重では勝ててるんかもしれん、とほんのり、思ったりする。
しかし、申し訳ない。昔話がやたら長い長いこの老人(もう、認めて生きるもんね)のブログ、なんちゅうことか、The Pop Groupの新しいアルバムが出るらしいし(なんか、ウソであって欲しいデマであってほしい)、それ前に、Cabinet of Curiosities、という当時の音源いろんなところから集めたヤツが出た。
歌詞はもうほとんどわからんし、ほんのり、あ、昔の過激派みたいなことゆうてはる・・程度。今だとさすがに、古臭いのである。
1980年当時も今も、歌詞がうっすらわかる状態だが、音が大好き。
もう、めちゃくちゃやればやるほど、過激な歌詞を叫べば叫ぶほど、古臭い歌詞なのに、なにやら、深い深い絶望、を感じるんで、大好きなんである。日本のサヨクやリベラルが大キライなのは、そこまで、絶望しきっていないからだ。つまり、本気じゃないからだ。だから、吐き気がするようなキレイ事で誤魔化そうとする。大キライだ。
このアルバムに入っている方の「Colour Blind」、ライブ音源だが、「We Are Time」に入っているヤツより、いい。上のジュリーのことを書いている時、ずっと繰り返して聴いていた。
「Only the intense can dance without moving」という、部分、「君だけに愛を」のジュリーが指差す部分と同じ・・いや、ムリが過ぎるか、似たような感慨を感じる。
今日は今年一年のお世話になった感謝をこめて、強引にザ・タイガースとザ・ポップ・グループをつなげてみました。
Cabinet of Curiosities
2014年12月26日金曜日
2014年12月26日
「・・・となかまたち」って・・。政治なんかより、みんなで楽しく森にピクニック行くとか、もっともっと楽しいこと探した方が早いような・・。
ボディ・シャンプー使い始めたら、とたんに、乾燥肌になって、痒い痒い。牛乳石鹸やバスボンの石鹸等フツーの安い石鹸に戻したら、乾燥肌が治った(あくまでも、個人の感想です)。
スポーツクラブのプール、時間帯によっては、お子達のスクールがプール全部占有して入れないから、調子が狂う。夕食喰った後なら、いいのだろうが。県民プール、併用すること本気で考える。まあ、3ヶ月で1万円程度だし。実は、県民プールの「銭湯」感が恋しいだけかもしれん。
しかし、PASSPO☆、どんだけ、エエ曲が埋まっているんだ?
YouTubeで、「Break Out」(<iframe frameborder="0" height="360" src="https://youtube.com/embed/RlSEYsEenLo?si=icGkTP-cPG3lLYT6" style="background-image: url(https://i.ytimg.com/vi/RlSEYsEenLo/hqdefault.jpg);" width="480"></iframe>)という曲みつけ、カッコいいわ、ロックだわ、それが、どうも、メジャーデビュー前のヤツみたいで、早速、Amazonで古いアルバム手配した。
Pock☆Star〜Love Diary〜Tap My Toe〜くちゃLOVE、Wanted,Tap My Toeと、まあ、順当にハマり、「サクラ小町(<iframe width="480" height="270" src="https://youtube.com/embed/M_lTETi_xZQ?si=woIKUTUiRZjfZ9Jq" frameborder="0"></iframe>)」、歌詞を誤解し、「ヒラヒラ舞う桜 肩に止まった」の「肩に止まった」を「形見となった」と聞き違え、次の「ハラハラ泪が決意になったらサヨナラの場所もはじまりと呼べるの」と、桜が散ると、それを「恋の形見」とするか・・・う~ん、恋とは死ぬこととみつけたり・・「葉隠」しとるなぁ、と思ってた。何度繰り返して聴いても、そう聴こえてしまうから、しゃあない。歌詞カード見て気がついたぐらい。もちろん、「肩に止まった」でも、いい歌詞なことには変わりない。
もうひとつ、音楽ネタ。
更新間が開いているが、実は何度も書いては消して、結局は下書きのまんまにしとる。めちゃくちゃ書きにくいのである。
このところ、音楽がらみの本を読んだりしているんだが、その本の感想文とその本が対象としている音楽とのあまりにも乖離が激しく、もう、ここで書きにくいのってなんのって。PASSPO☆のみたいに今好きな音楽のこと、なら、なんぼでも書けるんだが。
書きにくい=読みにくい
だから、以下、めちゃくちゃ、読みにくいが、まあ、自己責任でよみたい人だけ読んでくれ・・・。
たとえば、ひと月前、「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた」という本を読んだ。どう読んでも、これ、何度読んでも、「音楽」としてのザ・タイガースの数々をバカにしていると思えず、ためしに、手持ちのザ・タイガース音源すべて、手持ちじゃ足りないんで、5枚組ボックスまで、聴いてみたら、いい曲ばっか、多少退屈な曲はあっても、棄て曲なしのすばらしい曲ばっかだった。
そうなんである。
ザ・タイガースの曲はどれもすばらしいのである(具体的に一曲一曲、すばらしさを書きたいところだが、それやると収拾がつかなくなる)。
「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた」という本もそうだが、一般的に、同時代の欧米のロックを「高度」なもの、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズは、ルックスで人気が出たミーハーバンド、作詞作曲者が「歌謡曲」畑の人だから、「ロックじゃない」、当時の、学生運動やらを、崇高なもん、「カウンターカルチャー」の王道、として、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズは商業主義の「体制的」な音楽、チャラチャラしたもん、とされている。特にザ・タイガースは、当時、芸能界で「帝国」と呼ばれていたナベプロ所属だっただけに、飼い犬みたいに見られている。
これ、ウソじゃないのか?
GS以降の「日本のロック」ちゅうんは、要は、フツーの人たちに聴いていもらうこと、を切り捨て、売れることを拒否し、作詞作曲はいくらメンバー自身のものとはいえ、当時の欧米ロックの猿マネを忠実にしただけに過ぎないじゃないか。猿マネができるだけ、演奏が上手くなったのは、まあ、認める。
はっぴいえんどが猿マネの過程で、欧米ロックにはあわないとされた「日本語」をたまたまうまく潜り込まさたことを、猿マネの「日本のロック」にとって大きな成果としたところで、猿マネには変わりない。
ロックでも歌謡曲でもない、まったく日本には新しい音楽、つまり、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズの音楽が、大多数の若い女性、そこには、女子小学生から中学生も含む、大多数の若い女性を熱狂させ絶叫させ号泣させ、時には失神させた事実の前では、屁みたいなもんではないか。
だいたい、ザ・タイガースのコンサート行くだけで、停学退学、良くても、ほんまモンのスケ番グループにカツアゲされるわボコられるわ、である。テメエの大学バリケード封鎖して角棒で騒いで、機動隊に手厚く優しく(天安門を思い出せ)に阻止されるんとは、リスクが違う。
そもそも、菅直人以外なーんも後に残さなかった学生運動と比べ、ザ・タイガースが提示した「男性アイドルグループ」のビジネスモデルは、今いるジャニーズ系のグループまで、連綿と受け継がれているではないか?
また、当時、10才の男子ながらザ・タイガースのリアルタイムのファンとして、云わせてもらうが、当時、ザ・タイガースほど、強烈に猛烈に、嫌われ、バカにされ、厭われ、忌み嫌われ、妬まれたグループは他にいなかった。これをウソだったとはいわせない。
NHK,文部省、教育委員会、学校関係者、大人全部は当然のことながら、男子は高校生中学生小学生まで、ザ・タイガースへの嫉妬のあまり、ミーハーだバカだアホだイモだ、と虚仮にし、ザ・タイガース以外のグループサウンズ、いや、ザ・タイガースのメンバー自身も、演奏が下手、ロックじゃない、所詮ナベプロ、サイケロックじゃない、と「ザ・タイガース」をバカにしてた。
なあ、猛烈に好かれると同時に猛烈に嫌われる音楽、これを「ロック」と云わないなら、オレは「ロックなんか大キライだ。ザ・タイガースと寺内タケシを無視して、なにが、ロックか?
・・・ああ、書きにくかった。
まあ、そもそも、レゲエばっか聴いている人間が今さら、「ロック嫌いや」、云うてもなぁ的文章ですわ。
ジャマイカは同じ島国ながら、日本でグループサウンズが流行っている時、ロックステディという音楽が流行ってて、それをうまい具合に、世界的に通用する「レゲエ」へ持っていった時、おそらく、ジャマイカの誰一人として、「ロックステディはジミヘンやクリームやジェファーソン・エアプレインじゃない」とか云って、ロックステディを壊そうとはしなかった。逆にロックステディを愛し尽くして、変化させた。そこが日本の音楽にと、ちがう。
日本の敵はおのれ自身にあり、葉隠ですなぁ。
ボディ・シャンプー使い始めたら、とたんに、乾燥肌になって、痒い痒い。牛乳石鹸やバスボンの石鹸等フツーの安い石鹸に戻したら、乾燥肌が治った(あくまでも、個人の感想です)。
スポーツクラブのプール、時間帯によっては、お子達のスクールがプール全部占有して入れないから、調子が狂う。夕食喰った後なら、いいのだろうが。県民プール、併用すること本気で考える。まあ、3ヶ月で1万円程度だし。実は、県民プールの「銭湯」感が恋しいだけかもしれん。
しかし、PASSPO☆、どんだけ、エエ曲が埋まっているんだ?
YouTubeで、「Break Out」(<iframe frameborder="0" height="360" src="https://youtube.com/embed/RlSEYsEenLo?si=icGkTP-cPG3lLYT6" style="background-image: url(https://i.ytimg.com/vi/RlSEYsEenLo/hqdefault.jpg);" width="480"></iframe>)という曲みつけ、カッコいいわ、ロックだわ、それが、どうも、メジャーデビュー前のヤツみたいで、早速、Amazonで古いアルバム手配した。
Pock☆Star〜Love Diary〜Tap My Toe〜くちゃLOVE、Wanted,Tap My Toeと、まあ、順当にハマり、「サクラ小町(<iframe width="480" height="270" src="https://youtube.com/embed/M_lTETi_xZQ?si=woIKUTUiRZjfZ9Jq" frameborder="0"></iframe>)」、歌詞を誤解し、「ヒラヒラ舞う桜 肩に止まった」の「肩に止まった」を「形見となった」と聞き違え、次の「ハラハラ泪が決意になったらサヨナラの場所もはじまりと呼べるの」と、桜が散ると、それを「恋の形見」とするか・・・う~ん、恋とは死ぬこととみつけたり・・「葉隠」しとるなぁ、と思ってた。何度繰り返して聴いても、そう聴こえてしまうから、しゃあない。歌詞カード見て気がついたぐらい。もちろん、「肩に止まった」でも、いい歌詞なことには変わりない。
もうひとつ、音楽ネタ。
更新間が開いているが、実は何度も書いては消して、結局は下書きのまんまにしとる。めちゃくちゃ書きにくいのである。
このところ、音楽がらみの本を読んだりしているんだが、その本の感想文とその本が対象としている音楽とのあまりにも乖離が激しく、もう、ここで書きにくいのってなんのって。PASSPO☆のみたいに今好きな音楽のこと、なら、なんぼでも書けるんだが。
書きにくい=読みにくい
だから、以下、めちゃくちゃ、読みにくいが、まあ、自己責任でよみたい人だけ読んでくれ・・・。
たとえば、ひと月前、「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた」という本を読んだ。どう読んでも、これ、何度読んでも、「音楽」としてのザ・タイガースの数々をバカにしていると思えず、ためしに、手持ちのザ・タイガース音源すべて、手持ちじゃ足りないんで、5枚組ボックスまで、聴いてみたら、いい曲ばっか、多少退屈な曲はあっても、棄て曲なしのすばらしい曲ばっかだった。
そうなんである。
ザ・タイガースの曲はどれもすばらしいのである(具体的に一曲一曲、すばらしさを書きたいところだが、それやると収拾がつかなくなる)。
「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた」という本もそうだが、一般的に、同時代の欧米のロックを「高度」なもの、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズは、ルックスで人気が出たミーハーバンド、作詞作曲者が「歌謡曲」畑の人だから、「ロックじゃない」、当時の、学生運動やらを、崇高なもん、「カウンターカルチャー」の王道、として、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズは商業主義の「体制的」な音楽、チャラチャラしたもん、とされている。特にザ・タイガースは、当時、芸能界で「帝国」と呼ばれていたナベプロ所属だっただけに、飼い犬みたいに見られている。
これ、ウソじゃないのか?
GS以降の「日本のロック」ちゅうんは、要は、フツーの人たちに聴いていもらうこと、を切り捨て、売れることを拒否し、作詞作曲はいくらメンバー自身のものとはいえ、当時の欧米ロックの猿マネを忠実にしただけに過ぎないじゃないか。猿マネができるだけ、演奏が上手くなったのは、まあ、認める。
はっぴいえんどが猿マネの過程で、欧米ロックにはあわないとされた「日本語」をたまたまうまく潜り込まさたことを、猿マネの「日本のロック」にとって大きな成果としたところで、猿マネには変わりない。
ロックでも歌謡曲でもない、まったく日本には新しい音楽、つまり、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズの音楽が、大多数の若い女性、そこには、女子小学生から中学生も含む、大多数の若い女性を熱狂させ絶叫させ号泣させ、時には失神させた事実の前では、屁みたいなもんではないか。
だいたい、ザ・タイガースのコンサート行くだけで、停学退学、良くても、ほんまモンのスケ番グループにカツアゲされるわボコられるわ、である。テメエの大学バリケード封鎖して角棒で騒いで、機動隊に手厚く優しく(天安門を思い出せ)に阻止されるんとは、リスクが違う。
そもそも、菅直人以外なーんも後に残さなかった学生運動と比べ、ザ・タイガースが提示した「男性アイドルグループ」のビジネスモデルは、今いるジャニーズ系のグループまで、連綿と受け継がれているではないか?
また、当時、10才の男子ながらザ・タイガースのリアルタイムのファンとして、云わせてもらうが、当時、ザ・タイガースほど、強烈に猛烈に、嫌われ、バカにされ、厭われ、忌み嫌われ、妬まれたグループは他にいなかった。これをウソだったとはいわせない。
NHK,文部省、教育委員会、学校関係者、大人全部は当然のことながら、男子は高校生中学生小学生まで、ザ・タイガースへの嫉妬のあまり、ミーハーだバカだアホだイモだ、と虚仮にし、ザ・タイガース以外のグループサウンズ、いや、ザ・タイガースのメンバー自身も、演奏が下手、ロックじゃない、所詮ナベプロ、サイケロックじゃない、と「ザ・タイガース」をバカにしてた。
なあ、猛烈に好かれると同時に猛烈に嫌われる音楽、これを「ロック」と云わないなら、オレは「ロックなんか大キライだ。ザ・タイガースと寺内タケシを無視して、なにが、ロックか?
・・・ああ、書きにくかった。
まあ、そもそも、レゲエばっか聴いている人間が今さら、「ロック嫌いや」、云うてもなぁ的文章ですわ。
ジャマイカは同じ島国ながら、日本でグループサウンズが流行っている時、ロックステディという音楽が流行ってて、それをうまい具合に、世界的に通用する「レゲエ」へ持っていった時、おそらく、ジャマイカの誰一人として、「ロックステディはジミヘンやクリームやジェファーソン・エアプレインじゃない」とか云って、ロックステディを壊そうとはしなかった。逆にロックステディを愛し尽くして、変化させた。そこが日本の音楽にと、ちがう。
日本の敵はおのれ自身にあり、葉隠ですなぁ。
2014年11月22日土曜日
さらば青春の光・・感想文のためのレジュメだけ
ほくろ取りの手術、耳鼻科の都合で、2週間延期となった。
映画「さらば青春の光」の感想書こうとしたんだが、収拾がつかなくなって、ここ、更新でけんようになってもたがな。
だいたい「最初のシーンはラストシーンの続き」というのを音声解説で監督が云っていたのが運の尽き、「ラストシーンで死んじゃった」と信じ込んでいた数十年前の感想、当然変わってくるわけで、それをふまえた感想文書いてみようと思ったワケだ。
ということで、何度も見返すことになったんだが、気がついたこと、なんでもかんでも、アウトラインプロセッサに抜き出していったら、手に負えなくなってしまった。
今年はモッズファッション、よっしゃ、今年の防寒着、M-51にしよう、と買いにったら、N-3B、それもアルファのリメイク、かつ、日本人サイズ、買ってしまう有様(でも、安くてめちゃくちゃ温い)。
まあ、なんで、「さらば青春の光」観返そうと思ったかというと、「ロックの歴史-講談社現代新書-中山-康樹」読んだ時、ザ・バンドやデラニー&ボニーやたら褒めてあったんで、ツタヤで借りて聴いたら、聴くうちにもやもや、イライラして来て、なぜか、「さらば青春の光」のオープニング、ザ・フーThe Real Meバックにロンドンの裏通りをランブレッタで疾走するシーンを無性に見たくなったからだ。

さらば青春の光
いつ終わるかわからんので、一応、以下、未完のまま、できたところまで、で。
ぼちぼちと埋めていくかもしれんが、そのままほったらかし、かもしれん。
(クルマで夜、窓開けて、The Real Me~PASSPO☆の「WANTED!!」と聴くと、めちゃくちゃ気持ちいい)
映画「さらば青春の光」の感想書こうとしたんだが、収拾がつかなくなって、ここ、更新でけんようになってもたがな。
だいたい「最初のシーンはラストシーンの続き」というのを音声解説で監督が云っていたのが運の尽き、「ラストシーンで死んじゃった」と信じ込んでいた数十年前の感想、当然変わってくるわけで、それをふまえた感想文書いてみようと思ったワケだ。
ということで、何度も見返すことになったんだが、気がついたこと、なんでもかんでも、アウトラインプロセッサに抜き出していったら、手に負えなくなってしまった。
今年はモッズファッション、よっしゃ、今年の防寒着、M-51にしよう、と買いにったら、N-3B、それもアルファのリメイク、かつ、日本人サイズ、買ってしまう有様(でも、安くてめちゃくちゃ温い)。
まあ、なんで、「さらば青春の光」観返そうと思ったかというと、「ロックの歴史-講談社現代新書-中山-康樹」読んだ時、ザ・バンドやデラニー&ボニーやたら褒めてあったんで、ツタヤで借りて聴いたら、聴くうちにもやもや、イライラして来て、なぜか、「さらば青春の光」のオープニング、ザ・フーThe Real Meバックにロンドンの裏通りをランブレッタで疾走するシーンを無性に見たくなったからだ。
さらば青春の光
いつ終わるかわからんので、一応、以下、未完のまま、できたところまで、で。
ぼちぼちと埋めていくかもしれんが、そのままほったらかし、かもしれん。
(クルマで夜、窓開けて、The Real Me~PASSPO☆の「WANTED!!」と聴くと、めちゃくちゃ気持ちいい)
- 映画概要
- 1979年英国映画
- ザ・フー「Quadropenia 四重人格」
- 監督 フランク・ロダム
- 主演 ジミー(James Micael Cooper) フィル・ダニエルズ
- ヒロイン ステフ レスリー・アッシュ
- 性悪尻軽女と思うが、やっぱエエ女・・・。
- ポリスのスティング
- スクーター乗れなかったらしい
- モンキー トーヤ・ウィルコックス
- トーヤ・ウィルコックスって、King Crimsonのロバート・フィリップの奥さんとちゃうんか?
- 映画
- 青春映画として
- 展開
- 日活映画「狂った果実」1956との類似性
- ラストシーンの続きがファーストシーンちゅうんはコレでしょ?
- 海、それも海原の表現コダワリ過ぎなとこも
- 尻軽女に翻弄されるとこも
- 日活映画「八月の濡れた砂」との類似性
- 海だけか・・。
- 音楽映画として
- モッズ映画として
- ファッション
- スクーター
- ランブレッタとヴェスパ
- 嗜好
- パンク〜ニューウェーブ期に作られた映画として
- 低予算映画として
- ロンドンのコックニー訛り映画として、卑語猥語放送禁止用語連発映画として
- ロンドン・ブライトン観光案内映画として
- アンフェタミン薬物中毒者映画として
- 音楽
- オープニング
- Real me
- 小ディスコ 箱バン
- Hi - Heel Sneakers オリジナルはトミー・タッカー
- Dimples オリジナルはJohn Lee Hooker カヴァーではアニマルズ、
- ジミーの部屋
- Cut My Hair The Who
- 風呂屋
- ビー・バッパ・ルーラ ジーン・ビンセント
- You Really Got Me The Kinks
- パーティ
- Baby Love ダイアナ・ロスとシュープリームス
- Be My Baby
- 雨に消えた初恋カスケーズ
- マイ・ジェネレーション
- 川辺に佇みながら
- I'm One The Who
- いつもの溜まり場で
- Night Train James Brown
- スパイダーがロッカーズにボコボコにされている時、ディスコで
- Da Doo Ron Ron /The Crystals
- ジャマイカ人居留地
- Blazing Fire
- 疑問点
- ジミーの収入問題
- 会社で郵便配りしているだけなのに・・・
- 映画の舞台となる年
- 1964年
- ブライトンでのモッズ、ロッカーズの乱闘〜暴動
- 1965年
- 「マイ・ジェネレーション」ヒット
- モッズ
- なぜ、モッズは5(4)年後の1969年スキンヘッズとなったのか?
- モッズとヒッピー
- その後の「さらば青春の光」
- ジミーはモッズをやめれるのか?
- ジミーは堅気に戻って更生してしまうんだろうか
- 願わくば、英国最初のスキンヘッズとなって欲しい。
- 原作となったザ・フーのアルバム「Quadropenia」1973
- 同一点
- 異なる点
2014年10月25日土曜日
レーザー手術決定報告そして、クソ長い曲考察へのささやかな試み
ワシらヤング、それも、ナウなヤングはもうサッカーに夢中で、明治大正昭和戦前までのスポーツ、野球のことは小学校の頃、近所の老人から聴いたきりで、詳しくわからないんで、申し訳ないが、まだ、この季節、プロ野球をやっていて、ビックリしているところである。
なんか、ゴールデンタイムに、長々と中継してたんだが、あの縦縞のユニホームが映っていた・・・そんなこと、常識から考えてありえない、そんなこと、あってはならないことである、オレの幻想や白昼夢のたぐいだろうと、思う。きっと、そうに違いない・・・(最下位のチームのファンである、このぐらいの、イヤミぐらい書かせて欲しい)。
昨日は、PASSPO☆の神戸ライブに行けたら行くつもりであったが、手術前の検診と血液取りと予約があったんで、やんぴ。
鼻の内側に黒くない「ほくろ」ができ、それがこのところのプール通いで、なんか、徐々にデカくなってきて、しかも、鼻毛まで一丁前にその「ほくろ」にも生え、鼻で息をするたんび、ムズムズして気持ち悪い。外から見ると、常時、デカい鼻くそがついている感じで、困る。
女性はオレより年上の方々が多い、プールではあるが、チャンスは捨てているわけないし、せっかく、最近、プール行ったおかげで腰にくびれができたところだ、デカい鼻くそ常時くっつけている状態では恋の生まれるチャンスが0になってしまう。直しても、まあ、ゼロかもしれん、けど。
レーザー光線、ビーっとやって取るらしい。。
(オレのお世話になる皮膚科では、ほくろ取り一個5000円、ただ、デカいと11000円が相場らしい)
いやはや、ともかく、来月、まあ、生まれて初めての手術をすることになった。まあ、レーザー光線ウンウンかんぬんで、5分程度とのことであるが、手術は手術である。数年前、ICUで大手術をした友人がおり、爾来、合うたんびに、引け目というか、インフェリおリティ・コンプレックスを抱いて困っておったが、これで、オレもようやっと、サシで話ができるというもんである。彼は生死の境を彷徨ったのだが、オレの手術も同じ手術、5分間、生死の境、彷徨ったろうやんけ、臨死体験とやら、も味わってやろうではないか。なんでも、気の持ちよう、である(ただ、10年前、親知らずにできた虫歯のため、ほぼ失神状態のオレを3時間ほどかけて処置していただいた歯科のアレは手術じゃなかったのか?)。
今日は、ロック、60年代後半から70年代半ばにかけて、やたら、長い長い曲が流行ったんで、それを、例によって例の如し、こじつけで何か書こうとしてた。
この前、ハンブル・パイのフィルモアのライブのこと、書いた時、26分超えの「I Walk On Gilded Splinters」、数十年の時を経て聽き直そうとしたが、やっぱ、挫折し、しかも、むしょうに、腹がたった。オールマン・ブラザーズ・バンドも、フィルモア・イーストのライブで、23分超えの「Whipping Post」をはじめとして、In Memory Of Elizabeth Reed、You Don't Love Meとか10分超えぞろぞろ・・・あと、今年はじめて、最後まで聴き通すことができました、ヴェルヴェッツのシスター・レイやら・・なんでなんだろう?と思ったわけである。
長い曲、それも、10分超えの「やたら長い曲」、こういうの最初にやったんは、アイアン・バタフライの「In A Gadda Da Vida」が嚆矢という話を聴いたことがあるが、クリームかもしれん。ブルースは構造上、なんぼでも、えんえんと長く長くできるとも、聴いたことがある。
まあ、これらのことは「裏」を取ったワケでもなく、今思いついたこと書いているだけだから、真に受けたら、アカン。
当時は、シングルからLPへの移行期で、LP、3分間の曲。せっせこせっせこ作曲作詞して、せっせこせっせこ練習して、で埋めるより、一発どーんと26分の曲だと、LP片面ばーんと埋まるわけで、それが本音としか思えない。
アーティストと自分を勘違いした連中がドラッグやりすぎて、終わるに終われないようになったとしか、思えない。
まあ、これが、オレの長いロックの曲聴いた「感想」なのだからしかたない。
まあ、どうだっていいことのように思えるが、クソ長い曲こそがオレがロック嫌いになった原因の一つで、短い3分未満で完全燃焼するパンクが出た時、「これだぁぁぁぁぁぁ!!!!」と、ス~っと集中できたのは、長い曲のロックにいかにウンザリしていたか、ということである。
ヴェルヴェッツのSister Ray(但し途中まで)、クリームSpoonful(但し途中まで)、アイアン・バタフライIn A Gadda Da Vida (但し途中まで) オールマン・ブラザーズ・バンドの「You Don't Love Me」(但し途中まで)、ハンブル・パイの「I Walk On Gilded Splinters」聴きながら書いてたけど、ちゅうことで、PASSPO☆の「くちゃLove」聴こうっと。
なんか、ゴールデンタイムに、長々と中継してたんだが、あの縦縞のユニホームが映っていた・・・そんなこと、常識から考えてありえない、そんなこと、あってはならないことである、オレの幻想や白昼夢のたぐいだろうと、思う。きっと、そうに違いない・・・(最下位のチームのファンである、このぐらいの、イヤミぐらい書かせて欲しい)。
昨日は、PASSPO☆の神戸ライブに行けたら行くつもりであったが、手術前の検診と血液取りと予約があったんで、やんぴ。
鼻の内側に黒くない「ほくろ」ができ、それがこのところのプール通いで、なんか、徐々にデカくなってきて、しかも、鼻毛まで一丁前にその「ほくろ」にも生え、鼻で息をするたんび、ムズムズして気持ち悪い。外から見ると、常時、デカい鼻くそがついている感じで、困る。
女性はオレより年上の方々が多い、プールではあるが、チャンスは捨てているわけないし、せっかく、最近、プール行ったおかげで腰にくびれができたところだ、デカい鼻くそ常時くっつけている状態では恋の生まれるチャンスが0になってしまう。直しても、まあ、ゼロかもしれん、けど。
レーザー光線、ビーっとやって取るらしい。。
(オレのお世話になる皮膚科では、ほくろ取り一個5000円、ただ、デカいと11000円が相場らしい)
いやはや、ともかく、来月、まあ、生まれて初めての手術をすることになった。まあ、レーザー光線ウンウンかんぬんで、5分程度とのことであるが、手術は手術である。数年前、ICUで大手術をした友人がおり、爾来、合うたんびに、引け目というか、インフェリおリティ・コンプレックスを抱いて困っておったが、これで、オレもようやっと、サシで話ができるというもんである。彼は生死の境を彷徨ったのだが、オレの手術も同じ手術、5分間、生死の境、彷徨ったろうやんけ、臨死体験とやら、も味わってやろうではないか。なんでも、気の持ちよう、である(ただ、10年前、親知らずにできた虫歯のため、ほぼ失神状態のオレを3時間ほどかけて処置していただいた歯科のアレは手術じゃなかったのか?)。
今日は、ロック、60年代後半から70年代半ばにかけて、やたら、長い長い曲が流行ったんで、それを、例によって例の如し、こじつけで何か書こうとしてた。
この前、ハンブル・パイのフィルモアのライブのこと、書いた時、26分超えの「I Walk On Gilded Splinters」、数十年の時を経て聽き直そうとしたが、やっぱ、挫折し、しかも、むしょうに、腹がたった。オールマン・ブラザーズ・バンドも、フィルモア・イーストのライブで、23分超えの「Whipping Post」をはじめとして、In Memory Of Elizabeth Reed、You Don't Love Meとか10分超えぞろぞろ・・・あと、今年はじめて、最後まで聴き通すことができました、ヴェルヴェッツのシスター・レイやら・・なんでなんだろう?と思ったわけである。
長い曲、それも、10分超えの「やたら長い曲」、こういうの最初にやったんは、アイアン・バタフライの「In A Gadda Da Vida」が嚆矢という話を聴いたことがあるが、クリームかもしれん。ブルースは構造上、なんぼでも、えんえんと長く長くできるとも、聴いたことがある。
まあ、これらのことは「裏」を取ったワケでもなく、今思いついたこと書いているだけだから、真に受けたら、アカン。
当時は、シングルからLPへの移行期で、LP、3分間の曲。せっせこせっせこ作曲作詞して、せっせこせっせこ練習して、で埋めるより、一発どーんと26分の曲だと、LP片面ばーんと埋まるわけで、それが本音としか思えない。
アーティストと自分を勘違いした連中がドラッグやりすぎて、終わるに終われないようになったとしか、思えない。
まあ、これが、オレの長いロックの曲聴いた「感想」なのだからしかたない。
まあ、どうだっていいことのように思えるが、クソ長い曲こそがオレがロック嫌いになった原因の一つで、短い3分未満で完全燃焼するパンクが出た時、「これだぁぁぁぁぁぁ!!!!」と、ス~っと集中できたのは、長い曲のロックにいかにウンザリしていたか、ということである。
ヴェルヴェッツのSister Ray(但し途中まで)、クリームSpoonful(但し途中まで)、アイアン・バタフライIn A Gadda Da Vida (但し途中まで) オールマン・ブラザーズ・バンドの「You Don't Love Me」(但し途中まで)、ハンブル・パイの「I Walk On Gilded Splinters」聴きながら書いてたけど、ちゅうことで、PASSPO☆の「くちゃLove」聴こうっと。
2014年10月18日土曜日
平成26年10月18日
火山が噴火し、10月に台風、それもバカでかいやつ2週連続で来た年である。もう、何が起こっても、驚かない覚悟はできていた筈だったが、阪神タイガースが4連勝しよったがな。
プール、今日は、ちょっと遅目、20時ちょい前ぐらいに行ったのだが、ガラガラで泳ぎやすかった。まさか、この影響でないことを信じたい。
何度も云うが、火山が噴火し、10月に台風、それもバカでかいやつ2週連続で来た年である。日本シリーズでも、ひょっとしたらひょっとするかもしれん。
阪神タイガースさんが数日先の日本シリーズに夢中になっているのはいいけど、東京ヤクルトスワローズは、もう、来年というず~~~っと、はるか先の「未来」を見据えているのであーる(負け惜しみ)。
阪神タイガースさんが数日先の日本シリーズに夢中になっているのはいいけど、東京ヤクルトスワローズは、もう、来年というず~~~っと、はるか先の「未来」を見据えているのであーる(負け惜しみ)。
それはそうと、あの「ロックの歴史」という書物は、いまなお、オレにスゴい刺激を与えてくれている。要するに、もう、あの書では、触れられていなかったミュージッシャンを聴きたくなって、聴きたくなってしょうがなくなっている。
ハンブル・パイの後、マンフレッド・マンなんか、聴いてた。で、、「ロック」に疲れて、今、高田渡の「自転車に乗って」聴いているけど。
あの本に沿った「ロック」では無いけど、ロックはもうキライになった、このオレが、ロックを聴きたくなっている、そういう意味で非常に「ロックな歴史」と云える。
著者の狙いは、ひょっとしたら、ソコにあるんではないか、と思い始めた。
60年代後半から70年代前半にかけて、非常に大きな進歩を遂げ、今なお当時の音源のファンの多い「ハードロック」や「プログレッシブ・ロック」「グラム・ロック」を「ロックの歴史」では、完璧に無視したのは、これらのジャンルのロックが好きな読者を挑発するためなのかもしれん。
ただ、あの本読んで、「聴く人それぞれに、それぞれのロックが歴史があるんでっせ」というやさしさ、メッセージは、微塵も感じなかったけど。
ただ、あの本読んで、「聴く人それぞれに、それぞれのロックが歴史があるんでっせ」というやさしさ、メッセージは、微塵も感じなかったけど。
2014年10月16日木曜日
平成26年10月16日
ちゅうか、阪神タイガース、めちゃくちゃ強いやん。
火山が噴火し、10月に台風、それもバカでかいやつ2週連続で来た年である。もう、こうなったら、日本一になって欲しいものである。
まあ、このところ、PASSPO☆ばっか聴いている。
根岸愛と森詩織の声に惚れてしまったし、基本的に聴く曲聴く曲エエ曲ばっか。そいで、聴いている・・のはいいのだが、何せ、最近のロックちゅうもん、まったくわからんので、たとえば、2012年の『ぱすぽ☆エアライン3部作』、「Next Flight」(エエ曲や)は「ぱすぽ☆meets LAメタル」、「夏空HANABI」(エエ曲や)は「ぱすぽ☆meets Japanese PUNK」、「WING」(エエ曲や)は「ぱすぽ☆meets German METAL」というふうになっておるんはエエが、LAメタル、German METALというのがオレには?????となんである。
で、「ロックの歴史」という新書を読んだ。
オレがキライな「ロック」の方の歴史であった。ザ・バンドやデラニー&ボニーを聴いて退屈じゃなかった人の書いた「ロックの歴史」であった。しかも、70年代前半までの「ロックの歴史」、しかも、オレより6つも年上の方の書いた「ロックの歴史」、大したもんである。
この「ロックの歴史」読み終えて、ザ・バンドやボブ・ディランやデラニー&ボニーやデレク・アンド・ドミノスやジョージ・ハリソン三枚組聴きたくなったか、といえば、ぜんぜん、むしろ、もうこれからの人生、それらの音無しで生きていこうと決心したぐらい、で、ほとんどこの「ロックの歴史」では触れられなかったキンクスをむしょうに、聴きたくなった。やっぱ、大金持ちになってアメリカ行っていっぱいの ミュージッシャンのお友だちと一緒に、ドラッグにどっぷり浸かりながらチャラチャラロックして女房寝取られたり(ジョージ・ハリソンね)するよりも、やっぱ、そういうのは、夢見るだけにしといて、ロンドンは郊外高級住宅街マスウェルヒルに今はいるけど、生まれ育ったロンドン下町なまり(コックニーレベル)を捨てないで、ロックせなアカン(これがキンクスの名曲マスウェル・ヒルビリーズのホンマの意味だ、たぶん)。
ま、オレは、この「ロックの歴史」とやらの「裏」行ったろうやんけ、と決心した。みなさんは素直にこの「ロックの歴史」に出てくるミュージッシャンを崇拝し立派な人生を歩みなさい。
で、その後、スモール・フェセス聴きたくなり、そして、悪いことに、ハンブル・パイ聴きたくなった。
しかし、ハンブル・パイ唯一持っているレコードが1971年のフィルモアのライブ、すぐには聴けないんで、CDでも買ったれ、とAmazon見てたら、きょうび、そのライブの完全盤、4回分のコンサートまるまるが4枚組CDで出てたんで、せっかくだから、それにして、それ聴く。
甘かった・・・。
4枚組ということは、「I Walk On Gilded Splinters」が4回分、きっちり入っとるということで、じっさい、入っていた。
26分以上、もある曲である。
高校時代、ハンブル・パイのフィルモアのライブ聴きまくっていた時も実は、一度も聴き通したことがない。長い曲がキライになった契機の曲である。
今回も飛ばして後の曲聴いた。人間進歩なんかしない。
もちろん、当時の熱気むんむんが伝わってくるライブで、レイ・チャールズのカヴァーの2曲(4枚組だと、ハレルヤが4回、I Don't Need No Doctorは3回となります)は、似たような演奏であってカッコ良すぎて、カッコ良すぎて、痛快まるかじり、今なお、ほれぼれしてしまう。ハンブル・パイがオリジナルにこだわらず、R&Bのカヴァーをカッコ良くロックロックした音で全力疾走でやってくれていたらなぁ、と思うわけである(注I Walk On Gilded SplintersもDR.Johnのカヴァーである)。
あと、ついでにベスト盤みたいな、アンソロジー(Hot 'N' Nasty - The Anthology)ちゅうのも、聴いてみたら、1970年のサードアルバム(大地と海の歌)からの「Live With Me」 にハマる、ハマってハマって、もう、21回、聴いている。この程度の重さなら、オレでもなんとかなるんだけど・・・。
まあ、けっきょく、LAメタル、German METALもわからんかった。けど、ロックちゅうたら、ぐだぐだの歴史読んだりするよりも、ブログでぐだぐだ書くよりも、下の動画が すべて(しもた、今日書いた内容、小分けにしたら、5回分ぐらいになったような気がする、詰め込んでわかりにくいだけ)。
ぱすぽ☆ - Pock Star ×3 Live

ロックの歴史-講談社現代新書-中山-康樹

Performance-Rockin-Filmore-Humble-Pie

Hot 'N' Nasty - The Anthologyディフィニティヴ・コレクション-ハンブル・パイ
火山が噴火し、10月に台風、それもバカでかいやつ2週連続で来た年である。もう、こうなったら、日本一になって欲しいものである。
まあ、このところ、PASSPO☆ばっか聴いている。
根岸愛と森詩織の声に惚れてしまったし、基本的に聴く曲聴く曲エエ曲ばっか。そいで、聴いている・・のはいいのだが、何せ、最近のロックちゅうもん、まったくわからんので、たとえば、2012年の『ぱすぽ☆エアライン3部作』、「Next Flight」(エエ曲や)は「ぱすぽ☆meets LAメタル」、「夏空HANABI」(エエ曲や)は「ぱすぽ☆meets Japanese PUNK」、「WING」(エエ曲や)は「ぱすぽ☆meets German METAL」というふうになっておるんはエエが、LAメタル、German METALというのがオレには?????となんである。
で、「ロックの歴史」という新書を読んだ。
オレがキライな「ロック」の方の歴史であった。ザ・バンドやデラニー&ボニーを聴いて退屈じゃなかった人の書いた「ロックの歴史」であった。しかも、70年代前半までの「ロックの歴史」、しかも、オレより6つも年上の方の書いた「ロックの歴史」、大したもんである。
この「ロックの歴史」読み終えて、ザ・バンドやボブ・ディランやデラニー&ボニーやデレク・アンド・ドミノスやジョージ・ハリソン三枚組聴きたくなったか、といえば、ぜんぜん、むしろ、もうこれからの人生、それらの音無しで生きていこうと決心したぐらい、で、ほとんどこの「ロックの歴史」では触れられなかったキンクスをむしょうに、聴きたくなった。やっぱ、大金持ちになってアメリカ行っていっぱいの ミュージッシャンのお友だちと一緒に、ドラッグにどっぷり浸かりながらチャラチャラロックして女房寝取られたり(ジョージ・ハリソンね)するよりも、やっぱ、そういうのは、夢見るだけにしといて、ロンドンは郊外高級住宅街マスウェルヒルに今はいるけど、生まれ育ったロンドン下町なまり(コックニーレベル)を捨てないで、ロックせなアカン(これがキンクスの名曲マスウェル・ヒルビリーズのホンマの意味だ、たぶん)。
ま、オレは、この「ロックの歴史」とやらの「裏」行ったろうやんけ、と決心した。みなさんは素直にこの「ロックの歴史」に出てくるミュージッシャンを崇拝し立派な人生を歩みなさい。
で、その後、スモール・フェセス聴きたくなり、そして、悪いことに、ハンブル・パイ聴きたくなった。
しかし、ハンブル・パイ唯一持っているレコードが1971年のフィルモアのライブ、すぐには聴けないんで、CDでも買ったれ、とAmazon見てたら、きょうび、そのライブの完全盤、4回分のコンサートまるまるが4枚組CDで出てたんで、せっかくだから、それにして、それ聴く。
甘かった・・・。
4枚組ということは、「I Walk On Gilded Splinters」が4回分、きっちり入っとるということで、じっさい、入っていた。
26分以上、もある曲である。
高校時代、ハンブル・パイのフィルモアのライブ聴きまくっていた時も実は、一度も聴き通したことがない。長い曲がキライになった契機の曲である。
今回も飛ばして後の曲聴いた。人間進歩なんかしない。
もちろん、当時の熱気むんむんが伝わってくるライブで、レイ・チャールズのカヴァーの2曲(4枚組だと、ハレルヤが4回、I Don't Need No Doctorは3回となります)は、似たような演奏であってカッコ良すぎて、カッコ良すぎて、痛快まるかじり、今なお、ほれぼれしてしまう。ハンブル・パイがオリジナルにこだわらず、R&Bのカヴァーをカッコ良くロックロックした音で全力疾走でやってくれていたらなぁ、と思うわけである(注I Walk On Gilded SplintersもDR.Johnのカヴァーである)。
あと、ついでにベスト盤みたいな、アンソロジー(Hot 'N' Nasty - The Anthology)ちゅうのも、聴いてみたら、1970年のサードアルバム(大地と海の歌)からの「Live With Me」 にハマる、ハマってハマって、もう、21回、聴いている。この程度の重さなら、オレでもなんとかなるんだけど・・・。
まあ、けっきょく、LAメタル、German METALもわからんかった。けど、ロックちゅうたら、ぐだぐだの歴史読んだりするよりも、ブログでぐだぐだ書くよりも、下の動画が すべて(しもた、今日書いた内容、小分けにしたら、5回分ぐらいになったような気がする、詰め込んでわかりにくいだけ)。
ぱすぽ☆ - Pock Star ×3 Live
ロックの歴史-講談社現代新書-中山-康樹
Performance-Rockin-Filmore-Humble-Pie
Hot 'N' Nasty - The Anthologyディフィニティヴ・コレクション-ハンブル・パイ
2014年5月3日土曜日
ファーストクラスおよびフェラ・クティのコンプリートボックス
ひっひっふー。まあしかし。長い長いプロ野球シーズン、こういうこともあるもんだ。
相手のエースの涙目みて、なんか、東京ヤクルトスワローズ、非常に悪いことしたような罪悪感すら感じる試合であった。
サンテレビの広沢の解説、非常に不愉快になって、CSフジの方にチャンネル変えた矢先だったもんで。
まだまだ、チームとして勝利は、「夢じゃ・・・夢でござる夢でござるよ」の状態では依然あるけどね。
フジテレビの沢尻エリカ主演のファーストクラス、ちゅうドラマ観て、ほんま、なんで、こういうドラマ、とっとと作らんかったのか、と、つくづく思うわけだ。
どうみても、私生活では一番性悪な沢尻エリカをシンデレラばりのけなげな下積み女にした時点でもう勝ちである。
あと廻り佐々木希や菜々緒やらもう、オレのタイプばっかちゅうより、「非常にわかりやすい」美女揃えておってよかったよかった。
しかも、沢尻エリカ以外全員性悪女させて、トドメにたぶん、沢尻エリカになんとか私生活でも勝てる感じの田畑智子。
今夜なんか、たっぷり、沢尻エリカと佐々木希のツーショットが観れたのであーる。ほんまやったら立場逆やろ逆やろとツッコミ入れることも忘れ、思わず、イイね。イーねと横山剣が久々に憑依したもんである。
こういうフツーのおっさんなら、誰でも思いつくこと、今の今までやらん。テレビ業界何しとったんか、ちゅう話である。剛力彩芽やらおっさんには、非常にわかりにくい美女ちゅうことですわ。要は。
こういうフツーのおっさんなら、誰でも思いつくこと、今の今までやらん。テレビ業界何しとったんか、ちゅう話である。剛力彩芽やらおっさんには、非常にわかりにくい美女ちゅうことですわ。要は。
「お」フェラ・クティ(「お」は尊敬表現です)のCD26枚+DVD1枚の超弩級ボックスセット、2週間ほど前に届いて、ぼちぼち、聴いているが、このナイジェリアのえんえんだらだらの、スルメイカ・ミュージシャンの音楽、えんえんだらだら聴いてたら、60年代半ばからの英米ロックが何をしようとしてたかが、わかってしまった。そうか、そうだったのか。
60年代半ばからの英米ロックが青筋立てて、目を血走らせながら、或いは、「ラブアンドピース」を叫びながら、壁に向かって突進していった挙句、死者まで出したりした中(そういう意味で確かにロックは危険な音楽ではある)(しかも、この時点でロックはもう死んじゃってるわけだ)、「お」フェラ・クティ(「お」は尊敬表現です、念のため)やニューヨークサルサのファニア・オールスターズなんかは、最初から、その壁のないところから、始めちゃってるわけだ。ふん、ふん、なるほどなるほど~。
そういう中、日本は日本で「歌謡曲」というお得意のガラパゴス化に向かい、ジャマイカはジャマイカで・・・わからん、どうやっても、まだまだ、わからんわ・・・・。「お」フェラ・クティ(しつこいようですが、「お」は尊敬表現です、他意はありません)いっぱい聴けば聴くほど、なぜか、ジャマイカの音楽、いっぱい聴きたくなる、初夏の夜。
2014年4月6日日曜日
7回8回9回で13失点 で ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート(45周年記念スーパー・デラックス・エディション)
寒い、喉が痛くなった、プール行くの休んだ・・で、これ以外、今日は他になーんもありませんでした。だから、今日はぐっすりと眠れそうで良かったです。今日は他になーんもなかったので、「神宮での試合に限って、先に10点取った方が勝ちにしたサドンデス方式がエエんとちゃうか」、とか思ったりするわけありません。先発3人中継ぎ6人抑え1人計ピッチャーあと10人欲しいとか、も思ったりするわけありません。ましてや、むしゃくしゃした気分なんか、感じるわけがありません。
音楽ネタ(昨年10月から聴いた音楽、だいぶ感想たまっているんで、無理矢理にでも書いとこと思う)
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのセカンドのスーパー・デラックス・エディション
ホワイト・ライト-ホワイト・ヒート-45周年記念スーパー・デラックス・エディション-ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
ルー・リードが亡くなってずいぶんになる。
昨年末、「ええぃ!香典がわりじゃい!」とHMV(CD、最近は買い方によっては、Amazonで買うより安いことが多い)で、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストとセカンドの「スーパー・デラックス・エディション」を買った。
ファーストは6枚もCD入っているが、Nicoのアルバムやらが混ざっているし、そもそも、デラックス・エディション持っているし、そいでも、残り3枚のセッションやリハーサルと1966年のValleydale Ballroomで行われたライブが、入っているから、まあ。
問題はサード。1968年発表。世界史的にも若者にも象徴的な「年」である。
オレは唯一、苦手なアルバムであった。
その原因は、「シスター・レイ」ちゅうクソ長い曲が入っているからだ。
17分超えだぜ。
ヴォーカルも入っているが何いうとるか、ワカラン。
初めて聴いた(数十年前)時ですら、途中でヤンピして、以来この曲よけてアルバム聴いていた。
自慢じゃないが、人生、まだ、シスター・レイ、一度も最初から最後まで聴いたことなかったのであーる。
あとルー・リードの歌詞というのは、リサやらキャロラインや出てくるが、フツーに「女」と思ったらアカンわけで、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブみたいな方々のことで、つまり、人称代名詞三人称女性単数主格であるとこの「SHE」自体、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの歌詞の中では、女とは限らず、かと云って男とも限らない(両刀使い、というのも世の中にはおることを忘れたらアカン)ワケで油断できんのであーる。シスター・レイちゅうて「サウンド・オブ・ミュージック」に出てくるような修道女のレイねえさんと、思ったらえらいことになる。
「シスター・レイ」の訳詞(、http://barcarolle2009.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/sister-ray-5111.html)みると、案の定、エゲツないエゲツない世界を描いとるわけで、ともすれば、牛を引いて善光寺参りしかねないような善男善女の典型であるオレとしては、はなはだ、目をそむけなアカン世界なのだ。
そんな世界のどーだっていいこと、胸くそ悪くなることをえんえんと、殆どノイズにしか聴こえないくぐもった音の洪水の中、17分以上もやられたら、聴く方は迷惑この上ないわけである。
変な話、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは最初、「ソフトロック」として聴いた。ファーストの「日曜日の朝」「Femme Fatale」なんかは、もう、下手すれば、ボサノバアレンジされて、オシャレな女性歌手が洒落たジャズクラブでピアノ演奏で歌っていてもおかしくない。「日曜日の朝」もミレニアムの「5AM」も聴いて同じの気持ちよさじゃ、と思っていたし、今も思っている。
ちゅうわけで、以来ずーっっっっっっと、敬遠していたワケである。つまり、シスター・レイが始まったら飛ばして他の曲(まあ、このアルバムにはほとんどこの手の曲ばっかだが、そいでも、17分もない)聴いてたワケだ。
さて、このスーパー・デラックス・エディションの3枚目、Live at the Gymnasiumというライブ音源がオマケについているが、これのシスター・レイはエエ。心底、エエと思った。
気持ちいい。
それよりもなによりも、19分少々退屈せずに聴くことがでけた。
だって、12月末に買って、もう9回も聴いているんだぜ。それが何よりもの証拠。
約7,500円(昨年末HMVでの価格)の元は取れたと思った(今、Amazon価格ではこの3枚組約一万円だと、高すぎる)。数十年、聴けなかった曲を聴けるようになったんだから(もちろん、無意味極まりないが、そいでも・・)
まあ、ダブばっか聴いてたおかげ、と思った。
そいだけ。
このスーパー・デラックス・エディションの感想は。
以上。
(我ながら、昨日分と同様、ワケのわからん感想文だが、こういうのでも書いていかないと、勘が戻ってこないのであーる)
あと、The Gift はまだアカン。
音楽ネタ(昨年10月から聴いた音楽、だいぶ感想たまっているんで、無理矢理にでも書いとこと思う)
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのセカンドのスーパー・デラックス・エディション
ホワイト・ライト-ホワイト・ヒート-45周年記念スーパー・デラックス・エディション-ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
ルー・リードが亡くなってずいぶんになる。
昨年末、「ええぃ!香典がわりじゃい!」とHMV(CD、最近は買い方によっては、Amazonで買うより安いことが多い)で、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストとセカンドの「スーパー・デラックス・エディション」を買った。
ファーストは6枚もCD入っているが、Nicoのアルバムやらが混ざっているし、そもそも、デラックス・エディション持っているし、そいでも、残り3枚のセッションやリハーサルと1966年のValleydale Ballroomで行われたライブが、入っているから、まあ。
問題はサード。1968年発表。世界史的にも若者にも象徴的な「年」である。
オレは唯一、苦手なアルバムであった。
その原因は、「シスター・レイ」ちゅうクソ長い曲が入っているからだ。
17分超えだぜ。
ヴォーカルも入っているが何いうとるか、ワカラン。
初めて聴いた(数十年前)時ですら、途中でヤンピして、以来この曲よけてアルバム聴いていた。
自慢じゃないが、人生、まだ、シスター・レイ、一度も最初から最後まで聴いたことなかったのであーる。
あとルー・リードの歌詞というのは、リサやらキャロラインや出てくるが、フツーに「女」と思ったらアカンわけで、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブみたいな方々のことで、つまり、人称代名詞三人称女性単数主格であるとこの「SHE」自体、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの歌詞の中では、女とは限らず、かと云って男とも限らない(両刀使い、というのも世の中にはおることを忘れたらアカン)ワケで油断できんのであーる。シスター・レイちゅうて「サウンド・オブ・ミュージック」に出てくるような修道女のレイねえさんと、思ったらえらいことになる。
「シスター・レイ」の訳詞(、http://barcarolle2009.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/sister-ray-5111.html)みると、案の定、エゲツないエゲツない世界を描いとるわけで、ともすれば、牛を引いて善光寺参りしかねないような善男善女の典型であるオレとしては、はなはだ、目をそむけなアカン世界なのだ。
そんな世界のどーだっていいこと、胸くそ悪くなることをえんえんと、殆どノイズにしか聴こえないくぐもった音の洪水の中、17分以上もやられたら、聴く方は迷惑この上ないわけである。
変な話、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは最初、「ソフトロック」として聴いた。ファーストの「日曜日の朝」「Femme Fatale」なんかは、もう、下手すれば、ボサノバアレンジされて、オシャレな女性歌手が洒落たジャズクラブでピアノ演奏で歌っていてもおかしくない。「日曜日の朝」もミレニアムの「5AM」も聴いて同じの気持ちよさじゃ、と思っていたし、今も思っている。
ちゅうわけで、以来ずーっっっっっっと、敬遠していたワケである。つまり、シスター・レイが始まったら飛ばして他の曲(まあ、このアルバムにはほとんどこの手の曲ばっかだが、そいでも、17分もない)聴いてたワケだ。
さて、このスーパー・デラックス・エディションの3枚目、Live at the Gymnasiumというライブ音源がオマケについているが、これのシスター・レイはエエ。心底、エエと思った。
気持ちいい。
それよりもなによりも、19分少々退屈せずに聴くことがでけた。
だって、12月末に買って、もう9回も聴いているんだぜ。それが何よりもの証拠。
約7,500円(昨年末HMVでの価格)の元は取れたと思った(今、Amazon価格ではこの3枚組約一万円だと、高すぎる)。数十年、聴けなかった曲を聴けるようになったんだから(もちろん、無意味極まりないが、そいでも・・)
まあ、ダブばっか聴いてたおかげ、と思った。
そいだけ。
このスーパー・デラックス・エディションの感想は。
以上。
(我ながら、昨日分と同様、ワケのわからん感想文だが、こういうのでも書いていかないと、勘が戻ってこないのであーる)
あと、The Gift はまだアカン。
2012年11月24日土曜日
警告!THE B52’s逆襲
身長は違いますが、貴公と足の長さはほぼ一緒だった筈、ま、騙されたと思って、XLのパンツいっちょう履いみたら、もう、世界が変わって見えます、いや感じられます>お返事おくれてすみません。
朝日新聞、怨敵安倍晋三に、宿敵石原慎太郎と仇敵橋下徹が加わって、叩くのが大変なのか、ついに極右連呼。けっきょく、ソコだけなのね。
くそぅ。ようやっとWindows7インストールし終わったと思ったら、今頃になって、「ライセンス認証」の警告が出て、またパッケージ引っ張りだして、あのややこしいややこしいレジスト番号入力しても、別の警告出てアカン。確かに過去Mac Proにインストールしたやつ、新しいMac miniにインストールしたわけだから、アカンと言われればアカンわけで。もう一つDSP版、買うことにする。なんか、Windowsとは、3.1当時から、ホンマつくづく相性悪い。
「ガールズトーク ~十人のシスターたち~」での長谷川瑠美、さすがに凄い。虚空に響き渡る、高笑い。今時点、芸能界でこれだけ好感度もクソもかなぐり捨てて「高笑い」できる人材はおらんのではないか。しかも、「邪悪」な雰囲気すら漂わせ、時折背筋にゾクが走るほど「怖い」表情もしばしば。再デビュー最初のレギュラー、まだまだ、番組でのハマり具合が完璧とは云えんが、キャラは確定したみたいで、これからを思うと、ワクワクもん。
アイドリング!!!時代のあの有名な回(YouTubeの動画にリンクしたいが非公式なので、このあたりhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1024138935)、「小泉瑠美」だった頃の彼女が泣きながら放った一言。「そんな悪者なら、悪魔アイドルで行く」は単なる捨てゼリフではなかったのか、と憶測しまくる毎日です。
クソぉ。オレがフェデリコ・フェリーニだったらなあ。「世には怪奇な物語」のリメイク、長谷川瑠美を使うのだが。フェラーリでローマぶっ飛ばすテレンス・スタンプ役でもいいし、もちろん、最後の(映画のオチに関わるのでここまで)。
さて、音楽ネタ。ここは、歌謡曲の感想文書くブログなんです。ま、今回も日本の歌謡曲ではなく、広義の「歌謡曲」ですが。
このところ、オリジナルアルバム5枚を簡易包装して、格安で売っており、つい調子に乗って、ろくすっぽ聴きもせんのに、キャロル・キングやジェファーソン・スターシップの5枚組買って、やっぱりろくすっぽ聴きもせんで持て余してるアホがおるらしいが、まあ、オレのことであるのだが、B52’sの5枚組も2,000円しなかったので、買っておいた。
一枚目、二枚目はリアルタイムで聴き、聴いて聴いて、聴きまくり、ついに、聴くのもイヤにになるほど飽きてしまったので、まあ、後で聴きたくなることもあろう、と軽い気持ちで購入したのであるが、その「後で」が突然「今」来たわけである。

Original Album Series B-52's
まあ、一枚目のアルバムは「懐かしいな」程度と、思いきや、リアルタイムではピンと来なかった曲、「Hero Worship」にハマりまくり。これは、スージー&パンシーズやパティ・スミスやら当時の女性パンクヴォーカルの見事なオマージュになっているわけで、さすがに、CBGB出身のパンクバンド。
まあ、このアルバム最大ヒット曲「ロックロブスター」すら、男性ヴォーカルが途中、ジョニー・ロットンし始めるわけで(女性はヨーコ・小野しはじめる)パンク〜ニューウェーブでは「色物」扱いされて(というか、扱いされるように仕向けているわけであるが)も、またいろんな装飾が過剰で惑わされることもあるけど、やっぱ、基本、ノリはパンクちゅうとこがエエ。
まあ、オレのカーステ、低音が出ないので、B52’、こーゆーのが心地よく聴こえるのかもしれん。
3分間、聴きまくったら、きれいサッパリ、後には何にも残らない潔さ。気持ちエエ。
実際、パンクーニューウェーブのバンドとしては、オレは、下手したら、一番好きだったかもしれん。まあ、当時のオレにとり、クラッシュはマジメ過ぎ、ジャムはカッコつけ過ぎ、ダムドは汚すぎ、トーキング・ヘッズはカシコぶり過ぎ、ブロンディはセクシー過ぎ、ポップグループは絶望し過ぎ、ジョイ・ディヴィジョンは自殺し過ぎ、スロッビング・グリッスルは雑音過ぎ、テレビジョンはギター小僧が群がり過ぎ、そして、パティ・スミスは腋毛し過ぎたわけである。
ジョニー・ロットンとデヴィッド・バーンを足して2引いたようなヴォーカル、
単調なフレーズの繰り返しによる安っぽさ、わけのわからん、合いの手、
あんましハモっても美しくないけど、50年代のSF映画の電子音っぽいハーモニーは寸分違わず表現できる女性ヴォーカル二人
なんでもかんでも、それっぽく詰め込み、
ほぼ意味の無い歌詞(6060-842はトイレの落書書いてあった電話番号に電話する話である)、
・・・つまり、最強である。まあ、オレにとって、オレだけにとってだが。
そいで、リアルタイムでは、もうレゲエばっか聴いてたので、出たことも知らんかった、4枚目「Bouncing Off Satellites」。1986年か87年頃らしい。
こんなに気持ちいいアルバムだったのか、と、今頃実感(下のリンク先、単体アルバムでは新品は入手不能みたいだ、でも上のOriginal Album Series B-52's には入っているから、心配無用)。まあ、ダサいジャケットなこと!!!
Bouncing Off Satellites
末期のT.Rexっぽい8曲目のJuicy Jungleにハマったのをとっかかりに、今は、不思議に何となく、「空中を疾走している感」を見事に表現した「Detour Thru Your Mind」にどハマりである。
曲そのものはギターを使わないで高中正義やってるような、そいでいて、女性コーラスは、途中で突然ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」し始めるし、しかも、全体の印象はパンナム(注アメリカの航空会社、今は潰れた)の提供でやっている観光番組みたいなのである・・・何書いているのかわからんようになってもた、ここが限界ですわ。
まあ、例によって例のごとく、気がすむまで、音楽聞きながらワケのわからんこと書いた。Windows7のあれやこれやがちょっとは吹っ飛んだ。
最後に一つだけ。B52’s、今聴くと、めっちゃ、GSっぽいんですわ。
朝日新聞、怨敵安倍晋三に、宿敵石原慎太郎と仇敵橋下徹が加わって、叩くのが大変なのか、ついに極右連呼。けっきょく、ソコだけなのね。
くそぅ。ようやっとWindows7インストールし終わったと思ったら、今頃になって、「ライセンス認証」の警告が出て、またパッケージ引っ張りだして、あのややこしいややこしいレジスト番号入力しても、別の警告出てアカン。確かに過去Mac Proにインストールしたやつ、新しいMac miniにインストールしたわけだから、アカンと言われればアカンわけで。もう一つDSP版、買うことにする。なんか、Windowsとは、3.1当時から、ホンマつくづく相性悪い。
「ガールズトーク ~十人のシスターたち~」での長谷川瑠美、さすがに凄い。虚空に響き渡る、高笑い。今時点、芸能界でこれだけ好感度もクソもかなぐり捨てて「高笑い」できる人材はおらんのではないか。しかも、「邪悪」な雰囲気すら漂わせ、時折背筋にゾクが走るほど「怖い」表情もしばしば。再デビュー最初のレギュラー、まだまだ、番組でのハマり具合が完璧とは云えんが、キャラは確定したみたいで、これからを思うと、ワクワクもん。
アイドリング!!!時代のあの有名な回(YouTubeの動画にリンクしたいが非公式なので、このあたりhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1024138935)、「小泉瑠美」だった頃の彼女が泣きながら放った一言。「そんな悪者なら、悪魔アイドルで行く」は単なる捨てゼリフではなかったのか、と憶測しまくる毎日です。
クソぉ。オレがフェデリコ・フェリーニだったらなあ。「世には怪奇な物語」のリメイク、長谷川瑠美を使うのだが。フェラーリでローマぶっ飛ばすテレンス・スタンプ役でもいいし、もちろん、最後の(映画のオチに関わるのでここまで)。
さて、音楽ネタ。ここは、歌謡曲の感想文書くブログなんです。ま、今回も日本の歌謡曲ではなく、広義の「歌謡曲」ですが。
このところ、オリジナルアルバム5枚を簡易包装して、格安で売っており、つい調子に乗って、ろくすっぽ聴きもせんのに、キャロル・キングやジェファーソン・スターシップの5枚組買って、やっぱりろくすっぽ聴きもせんで持て余してるアホがおるらしいが、まあ、オレのことであるのだが、B52’sの5枚組も2,000円しなかったので、買っておいた。
一枚目、二枚目はリアルタイムで聴き、聴いて聴いて、聴きまくり、ついに、聴くのもイヤにになるほど飽きてしまったので、まあ、後で聴きたくなることもあろう、と軽い気持ちで購入したのであるが、その「後で」が突然「今」来たわけである。
Original Album Series B-52's
まあ、一枚目のアルバムは「懐かしいな」程度と、思いきや、リアルタイムではピンと来なかった曲、「Hero Worship」にハマりまくり。これは、スージー&パンシーズやパティ・スミスやら当時の女性パンクヴォーカルの見事なオマージュになっているわけで、さすがに、CBGB出身のパンクバンド。
まあ、このアルバム最大ヒット曲「ロックロブスター」すら、男性ヴォーカルが途中、ジョニー・ロットンし始めるわけで(女性はヨーコ・小野しはじめる)パンク〜ニューウェーブでは「色物」扱いされて(というか、扱いされるように仕向けているわけであるが)も、またいろんな装飾が過剰で惑わされることもあるけど、やっぱ、基本、ノリはパンクちゅうとこがエエ。
まあ、オレのカーステ、低音が出ないので、B52’、こーゆーのが心地よく聴こえるのかもしれん。
3分間、聴きまくったら、きれいサッパリ、後には何にも残らない潔さ。気持ちエエ。
実際、パンクーニューウェーブのバンドとしては、オレは、下手したら、一番好きだったかもしれん。まあ、当時のオレにとり、クラッシュはマジメ過ぎ、ジャムはカッコつけ過ぎ、ダムドは汚すぎ、トーキング・ヘッズはカシコぶり過ぎ、ブロンディはセクシー過ぎ、ポップグループは絶望し過ぎ、ジョイ・ディヴィジョンは自殺し過ぎ、スロッビング・グリッスルは雑音過ぎ、テレビジョンはギター小僧が群がり過ぎ、そして、パティ・スミスは腋毛し過ぎたわけである。
ジョニー・ロットンとデヴィッド・バーンを足して2引いたようなヴォーカル、
単調なフレーズの繰り返しによる安っぽさ、わけのわからん、合いの手、
あんましハモっても美しくないけど、50年代のSF映画の電子音っぽいハーモニーは寸分違わず表現できる女性ヴォーカル二人
なんでもかんでも、それっぽく詰め込み、
ほぼ意味の無い歌詞(6060-842はトイレの落書書いてあった電話番号に電話する話である)、
・・・つまり、最強である。まあ、オレにとって、オレだけにとってだが。
そいで、リアルタイムでは、もうレゲエばっか聴いてたので、出たことも知らんかった、4枚目「Bouncing Off Satellites」。1986年か87年頃らしい。
こんなに気持ちいいアルバムだったのか、と、今頃実感(下のリンク先、単体アルバムでは新品は入手不能みたいだ、でも上のOriginal Album Series B-52's には入っているから、心配無用)。まあ、ダサいジャケットなこと!!!
Bouncing Off Satellites
末期のT.Rexっぽい8曲目のJuicy Jungleにハマったのをとっかかりに、今は、不思議に何となく、「空中を疾走している感」を見事に表現した「Detour Thru Your Mind」にどハマりである。
曲そのものはギターを使わないで高中正義やってるような、そいでいて、女性コーラスは、途中で突然ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」し始めるし、しかも、全体の印象はパンナム(注アメリカの航空会社、今は潰れた)の提供でやっている観光番組みたいなのである・・・何書いているのかわからんようになってもた、ここが限界ですわ。
まあ、例によって例のごとく、気がすむまで、音楽聞きながらワケのわからんこと書いた。Windows7のあれやこれやがちょっとは吹っ飛んだ。
最後に一つだけ。B52’s、今聴くと、めっちゃ、GSっぽいんですわ。
2012年7月16日月曜日
Eric Burdon & War - Spill The Wine にハマる
スワローズ、ベイに負ける。あんだけ、ボロ負けした後なのに、ベイ、スワローズとやる時だけ、強いのは、なんで???
なんか、このところ、反原発デモが盛んなのだが、まあ、今も日米安全保障条約は有効だし、三里塚にはちゃんと成田国際空港があるのであーる。
最悪なのは、10年20年後、原発は今もある問題点何一つ解決しないまま、稼働中、殆どの人がほとぼりが冷め「我にかえり」フツーの生活に戻り、ただ、過激化した「反原発運動家」だけが、時折迷惑な「実力行使」で、電線切ったり、養殖したクラゲ原発近くの海でバラ撒いてるだけ。反原発バブルでちょっぴり議席を増やした旧サヨク政党が時折、国会で馴れ合いの議論するだけ、ちゅうことにはならんように。
なんで、「今」、「100%」「原発即時廃炉」なのか、わからんし、そのスローガンは原発より遥か危険な、しかも、60年以上運動している、原水爆の核兵器ですら、1%も全然達成できていないだろう?。

Retrospective
(今は2000円以上するが、1,000円以下の時もあったのだ )
アニマルズのベスト。Amazonでメチャクチャ安かったんで聴いてみた。エリック・バートン&アニマルズ時代の曲も入っている、ちゅうことで。ところが、最後に入っているEric Burdon & War - Spill The Wineにハマってしまう。なんと、カッチョええ曲であろう。フルートの入り方なんて、カッコ良すぎてかっこ良すぎて、困る。オルガンで始まるからか、最初なんか、マンフレッド・マンみたいやなぁ、と思ったのだが、エリック・バートンの抑えるとこは抑えて、爆発させるとこは爆発させるというメリハリの効いた唱法もカッコ良すぎ(まあ、レゲエ感想文の定型文「トリハダもの」を使いたくなかったら、単に「カッコ良い」の羅列になってもた)
アニマルズ、ちゅうのは、60年代初頭は、わざわざ言うまでない、「朝日のあたる家」や、むしろ尾藤イサオの日本語カヴァーの方が有名かもしれんが「悲しき願い」、などのヒットを持つビートルズやストーンズやキンクスなどと同様、バリバリのブリティッシュ・ロックグループなのだが、60年代半ばごろから、ケッタイなことする。
こともあろうに、何を思たか、エリック・バートンさん、サンフランシスコに拠点を移すのだ。当時のサンフランシスコちゅうたら、マリファナとLSDで脳みそトロトロになってついに脳内にお花が咲きまくってたヒッピーがわんさかいて、大騒ぎしていた頃である(自分の文章では巧く表現できんのに、以下ウィキペディアより引用)。
ところが、1970年頃、ウォー(エリック・バートンと離れてから大ブレイクするのだが)という黒人グループと組んで、アルバム出すのだが、オレは殆ど無知状態。ちょっと、手に入るアルバム聴いてみようと思う。
なんか、このところ、反原発デモが盛んなのだが、まあ、今も日米安全保障条約は有効だし、三里塚にはちゃんと成田国際空港があるのであーる。
最悪なのは、10年20年後、原発は今もある問題点何一つ解決しないまま、稼働中、殆どの人がほとぼりが冷め「我にかえり」フツーの生活に戻り、ただ、過激化した「反原発運動家」だけが、時折迷惑な「実力行使」で、電線切ったり、養殖したクラゲ原発近くの海でバラ撒いてるだけ。反原発バブルでちょっぴり議席を増やした旧サヨク政党が時折、国会で馴れ合いの議論するだけ、ちゅうことにはならんように。
なんで、「今」、「100%」「原発即時廃炉」なのか、わからんし、そのスローガンは原発より遥か危険な、しかも、60年以上運動している、原水爆の核兵器ですら、1%も全然達成できていないだろう?。
Retrospective
1. House Of The Rising Sun |
2. I'm Crying |
3. Baby Let Me Take You Home |
4. Gonna Send You Back To Walker |
5. Boom Boom |
6. Don't Let Me Be Misunderstood |
7. Bring It On Home To Me |
8. We Gotta Get Out Of This Place |
9. It's My Life |
10. Don't Bring Me Down |
11. See See Rider |
12. Inside - Looking Out |
13. Hey GYP |
14. Help Me Girl |
15. When I Was Young |
16. A Girl Named Sandoz |
17. San Franciscan Nights |
18. Monterey |
19. Anything |
20. Sky Pilot |
21. White Houses |
22. Spill The Wine |
(今は2000円以上するが、1,000円以下の時もあったのだ )
アニマルズのベスト。Amazonでメチャクチャ安かったんで聴いてみた。エリック・バートン&アニマルズ時代の曲も入っている、ちゅうことで。ところが、最後に入っているEric Burdon & War - Spill The Wineにハマってしまう。なんと、カッチョええ曲であろう。フルートの入り方なんて、カッコ良すぎてかっこ良すぎて、困る。オルガンで始まるからか、最初なんか、マンフレッド・マンみたいやなぁ、と思ったのだが、エリック・バートンの抑えるとこは抑えて、爆発させるとこは爆発させるというメリハリの効いた唱法もカッコ良すぎ(まあ、レゲエ感想文の定型文「トリハダもの」を使いたくなかったら、単に「カッコ良い」の羅列になってもた)
アニマルズ、ちゅうのは、60年代初頭は、わざわざ言うまでない、「朝日のあたる家」や、むしろ尾藤イサオの日本語カヴァーの方が有名かもしれんが「悲しき願い」、などのヒットを持つビートルズやストーンズやキンクスなどと同様、バリバリのブリティッシュ・ロックグループなのだが、60年代半ばごろから、ケッタイなことする。
こともあろうに、何を思たか、エリック・バートンさん、サンフランシスコに拠点を移すのだ。当時のサンフランシスコちゅうたら、マリファナとLSDで脳みそトロトロになってついに脳内にお花が咲きまくってたヒッピーがわんさかいて、大騒ぎしていた頃である(自分の文章では巧く表現できんのに、以下ウィキペディアより引用)。
1966年に解散した後、本拠地をサンフランシスコへ移し「エリック・バードン&ジ・アニマルズ」として再始動し、グレイトフル・デッド、ジェファーソンエアプレインなどとシスコ・サウンドと呼ばれるようになる。68年の曲「スカイ・パイロット」は、サイケ系の反戦歌と認識されている。
[From アニマルズ - Wikipedia]
ところが、1970年頃、ウォー(エリック・バートンと離れてから大ブレイクするのだが)という黒人グループと組んで、アルバム出すのだが、オレは殆ど無知状態。ちょっと、手に入るアルバム聴いてみようと思う。
2012年4月14日土曜日
ヤクルト・小川監督、捕手の中村に期待「うまくなってくれれば」 (スポーツナビ) - Yahoo!ニュース
さて、そろそろ、桜もちらほら散り始めた。
東京ヤクルトスワローズ、今日はようやっと大勝。勝ち負けより、中村悠平。
ヤクルト・小川監督、捕手の中村に期待「うまくなってくれれば」 (スポーツナビ) - Yahoo!ニュース: "東京ヤクルトは14日、広島に10対1と大勝した。先発の村中恭兵は8回1失点で今季初勝利を挙げた。 以下は小川淳司監督のコメント。 「(初回の得点は)エラー絡みからだったけど、最初に点が入るのと入らないのでは大きな違いがあるから。精神的に楽になった。打線もよくつながってくれたと思います。 (中村悠平について)真剣にやっている。これまでも真剣にやっていたけど、今までよりも(真剣さを強く)感じる。キャッチャーというのは自分で感じるしかない。(これを生かして)うまくなってくれれば。(2安打を放ったが?)1年目にファームで3割打ってるから。力強さはまだないけれど、タイミングの取り方やバットへの当て方はうまいですよ」 "
ケガに気をつけて、ガンバって欲しいものである。
思うのだが。欧米のCD、メチャクチャ安くなっているのではなかろうか。
と、いうより、「輸入盤」の「ボックス」が充実してきているというのか。
例えば、5枚組(3枚組のパターンもある)の「オリジナル・アルバム・クラシック」シリーズなど、日本のAmazonでさえ、2,000〜2,500円なのだ。
多いので、単なる検索結果で申し訳ないが、Amazonでのリンク貼っておく。
Amazon.co.jp: original album classics: ミュージックストア
オレなんか、英Amazonではもっと安かったので、この半年ほどかけて、モット・ザ・フープルやジェフ・ベックやルー・リード、トッド・ラングレン、ジェファーソン・エアプレインとか一部はCDやアナログで持ってるけど・・・というのや、モンキーズとかラヴィン・スプーンフルやらベスト盤で充分じゃ!と思ってたヤツとか、あと、嬉しかったのは、エルヴィス・プレスリー!!!。エルヴィス・プレスリーのヤツは最初のアルバム5枚とゴールデン・ベストばっか5枚のヤツを買ったが、ともかく、オリジナルアルバムのCDを順番に揃えることができ、ただただ、感動した。今はビートルズなんかより、エルヴィスの方が好きだし、よく聴いている・・・30年遅かった。ま、そんなことはどうでもエエ。
安さ、というのもあるが、やっぱ、あるミュージッシャンのある時期のアルバムが発表順に揃う、というのは、便利である。モット・ザ・フープルなんか、イアン・ハンターが抜けて残りカスになった時期のアルバムも入っていて、オモロい。もちろん、安いだけあって、ぺなぺなの紙ジャケットにCDが直に入れてあったり、マスタリングが古かったりするようであるが、そんなもん。
そいで、今回、あのマドンナも、簡易BOX出したみたいで、オリジナルアルバム11枚組(マドンナのCDで3,500円弱、というフザけた価格設定である。
オレはラッキ・スターやホリデーの頃、小林克也が「マドナ」とか英語で云うのに反抗して、マドンナマドンナ云うてたもんである。

Complete Studio Albums (1983-2008)
まあ、オレのように、ロックというか、欧米の音楽から遠ざかっていた人間、しかも、ひねくれていて、みんながエエというアルバムよりカスとされているアルバムになぜか、惹かれてしまうようなタイプ、しかも、貧乏人、にしてみたら、嬉しい状況では、ある。
東京ヤクルトスワローズ、今日はようやっと大勝。勝ち負けより、中村悠平。
ヤクルト・小川監督、捕手の中村に期待「うまくなってくれれば」 (スポーツナビ) - Yahoo!ニュース: "東京ヤクルトは14日、広島に10対1と大勝した。先発の村中恭兵は8回1失点で今季初勝利を挙げた。 以下は小川淳司監督のコメント。 「(初回の得点は)エラー絡みからだったけど、最初に点が入るのと入らないのでは大きな違いがあるから。精神的に楽になった。打線もよくつながってくれたと思います。 (中村悠平について)真剣にやっている。これまでも真剣にやっていたけど、今までよりも(真剣さを強く)感じる。キャッチャーというのは自分で感じるしかない。(これを生かして)うまくなってくれれば。(2安打を放ったが?)1年目にファームで3割打ってるから。力強さはまだないけれど、タイミングの取り方やバットへの当て方はうまいですよ」 "
ケガに気をつけて、ガンバって欲しいものである。
思うのだが。欧米のCD、メチャクチャ安くなっているのではなかろうか。
と、いうより、「輸入盤」の「ボックス」が充実してきているというのか。
例えば、5枚組(3枚組のパターンもある)の「オリジナル・アルバム・クラシック」シリーズなど、日本のAmazonでさえ、2,000〜2,500円なのだ。
多いので、単なる検索結果で申し訳ないが、Amazonでのリンク貼っておく。
Amazon.co.jp: original album classics: ミュージックストア
オレなんか、英Amazonではもっと安かったので、この半年ほどかけて、モット・ザ・フープルやジェフ・ベックやルー・リード、トッド・ラングレン、ジェファーソン・エアプレインとか一部はCDやアナログで持ってるけど・・・というのや、モンキーズとかラヴィン・スプーンフルやらベスト盤で充分じゃ!と思ってたヤツとか、あと、嬉しかったのは、エルヴィス・プレスリー!!!。エルヴィス・プレスリーのヤツは最初のアルバム5枚とゴールデン・ベストばっか5枚のヤツを買ったが、ともかく、オリジナルアルバムのCDを順番に揃えることができ、ただただ、感動した。今はビートルズなんかより、エルヴィスの方が好きだし、よく聴いている・・・30年遅かった。ま、そんなことはどうでもエエ。
安さ、というのもあるが、やっぱ、あるミュージッシャンのある時期のアルバムが発表順に揃う、というのは、便利である。モット・ザ・フープルなんか、イアン・ハンターが抜けて残りカスになった時期のアルバムも入っていて、オモロい。もちろん、安いだけあって、ぺなぺなの紙ジャケットにCDが直に入れてあったり、マスタリングが古かったりするようであるが、そんなもん。
そいで、今回、あのマドンナも、簡易BOX出したみたいで、オリジナルアルバム11枚組(マドンナのCDで3,500円弱、というフザけた価格設定である。
オレはラッキ・スターやホリデーの頃、小林克也が「マドナ」とか英語で云うのに反抗して、マドンナマドンナ云うてたもんである。

Complete Studio Albums (1983-2008)
まあ、オレのように、ロックというか、欧米の音楽から遠ざかっていた人間、しかも、ひねくれていて、みんながエエというアルバムよりカスとされているアルバムになぜか、惹かれてしまうようなタイプ、しかも、貧乏人、にしてみたら、嬉しい状況では、ある。
2012年2月3日金曜日
13thFloorElevatorsの「Monkey Island」
まあ、しかし、香山リカ問題だが。

今年は、ちゃんと斎戒沐浴正座して、70年代ロックとストーンズ聴くねん、そやから、60年代の音は、聴いたらあかん、聴いたらアカンあかん、と思いつつ、つい、13thFloorElevatorsの「Monkey Island」聴いてしまうと、もう、やはり予想どおりあかんことになってしもうて、60年代末期特有のだらしない音聴いていると、もう、どっぷり。
寅さん曰くところの「 角は一流のデパートは. 赤木屋、黒木屋、 白木屋さんで. 紅、白粉つけたお姉さんから. 下さい、頂戴でいただきますと. 五百が六百下らない」のが、(マーク・ボラン没落、パンク出現前の)70年代ロック、ちゅう感じ。
その点、13thFloorElevatorsは、ほんま、そこいらの路上で、オッサンが胡散臭さを振りまきながら、ゴザに並べて、一山なんぼで、売っている感じ。まあ、そういう音楽を英訳すると、「ガレージサウンド」となるわけだが。
この年になっても、尚こうした音に希求してしまうんは、タンバリン以外楽器が弾けない、半オクターブしか声が出ない人間の宿命だろうか?
上のアルバム10曲目に入っている「Monkey Island」にハマってしもうて、リピートにして流しっぱなし・・・という体たらくだ。
ジェファーソン・エアプレーンがグレース・リックのあの張りのあるド演歌ヴォイスでやれば今頃「ロック名曲百選」に入りそうな曲調(そういえば、ジェファーソンのGreasyHeartに似ている気がする)ながら、13thFloorElevatorsといえば、あの壺のひょこひょこ音を、それこそ、最初から最後まで、ひょこひょこ言わし何もかも台なしにしながら、やる気100%だけど根性0%のヴォーカルが高音出そうと無理しているうちに、やけくそになっていき、しまいめには、サルの鳴き声出し始めるとこなんか、実にエエ。
( ↓13thFloorElevatorsの1stでのひょこひょこ音の秘密)
「革命」を正々堂々と謳う大阪市長、本来ならばそういう人間を輩出すべき「革新勢力」「サヨク」が、自分の気に食わない性格で自分らの主張に合わないと見るや、今の大阪市長の程度の低いあら探しと的外れな問題点指摘、ムードだけでの拒否など足引っ張るだけしかできないことは、恥を知るべきだろう。橋下徹のやり方が気に食わないなら、橋下徹よりスゴい政治家を出せばいいだけのことに気がついてもいない。
いつから、こういう体たらくになってしまったのか?
速度が問題なのだ。
今年は、ちゃんと斎戒沐浴正座して、70年代ロックとストーンズ聴くねん、そやから、60年代の音は、聴いたらあかん、聴いたらアカンあかん、と思いつつ、つい、13thFloorElevatorsの「Monkey Island」聴いてしまうと、もう、やはり予想どおりあかんことになってしもうて、60年代末期特有のだらしない音聴いていると、もう、どっぷり。
寅さん曰くところの「 角は一流のデパートは. 赤木屋、黒木屋、 白木屋さんで. 紅、白粉つけたお姉さんから. 下さい、頂戴でいただきますと. 五百が六百下らない」のが、(マーク・ボラン没落、パンク出現前の)70年代ロック、ちゅう感じ。
その点、13thFloorElevatorsは、ほんま、そこいらの路上で、オッサンが胡散臭さを振りまきながら、ゴザに並べて、一山なんぼで、売っている感じ。まあ、そういう音楽を英訳すると、「ガレージサウンド」となるわけだが。
この年になっても、尚こうした音に希求してしまうんは、タンバリン以外楽器が弾けない、半オクターブしか声が出ない人間の宿命だろうか?
上のアルバム10曲目に入っている「Monkey Island」にハマってしもうて、リピートにして流しっぱなし・・・という体たらくだ。
ジェファーソン・エアプレーンがグレース・リックのあの張りのあるド演歌ヴォイスでやれば今頃「ロック名曲百選」に入りそうな曲調(そういえば、ジェファーソンのGreasyHeartに似ている気がする)ながら、13thFloorElevatorsといえば、あの壺のひょこひょこ音を、それこそ、最初から最後まで、ひょこひょこ言わし何もかも台なしにしながら、やる気100%だけど根性0%のヴォーカルが高音出そうと無理しているうちに、やけくそになっていき、しまいめには、サルの鳴き声出し始めるとこなんか、実にエエ。
( ↓13thFloorElevatorsの1stでのひょこひょこ音の秘密)
前アップしそこなった分↓にアップしといたから。
2012年1月30日月曜日
英Amazonより、注文分届く
英Amazonより、注文分届く。
しかし、英Amazon安すぎる。二十日に申し込んで、今日届いたのだが、ボックスセット買いまくり、デラックス・エディション買いまくりで、100ポンド行かなかった。
Get Yer Ya-Ya's OutのDVD,日本語字幕ついていて、ラッキー。
(今回は、デカイ箱に一緒に梱包されていたため、ケース割れ等のトラブルは無かったが、3枚程度だとたいてい、プラケース摺り傷がついていたり、ヒビが入っていたり、割れてたりする。オレは中身に問題無い限り気にしない方なので、クレームつけたことないが、商品交換する場合、10日×2の日数がかかるわけで、その点、気をつけていただきたい。また、商品によっては、日本のAmazonの方が安いし、当然のことながら、英AmazonでUS盤買う場合、割高なことが多い)
ま、ステマステマ(英Amazonでアフェリエイトってどうなるのだろう)。
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2012年1月29日日曜日
マーク・ボランを見放すほど、「大人」2012/01/29
さて、いつの間にか始まった「70年代ロックを聴く」シリーズであるが、今回はT.rex。T.レックスについては、あれやこれや、長々書きたいので、だらだら書くんで、ガマンしてくださいな。

ワシら貧乏中学生がひいひい言いながら、ビートルズのレコード買うか、カーペンターズのレコード買うか(それとも、映画の友買うか)悩んでいた頃、既に、T.レックスは全盛を迎えており、それが証拠に、サコという友人はビートルズ聴かんと、T.レックスばっか聴いておったものじゃよ。うほほほ。
サコの家行って、親の留守なことをいいこととして、デカイ音量で聴く、T.rexはカッチョ良かった。
不思議なことに、「おおっ!スゴいやんけ」と思い、必死のお願いをして、借りて家で聴くと、途端に、チンケな感じがして、アカンかった。ステレオの種類が違うのか、聴く音量が違うのか、オレの家庭環境がハイブロウ過ぎたのか、今となってはわからん。
ともかく、サコの家で聴くT.レックスは最高だった!
イギリスでの全部のシングル盤売り上げの6枚のうち一枚はT.レックスと云われた時代である。
ある日、学校の帰り、サコの家に寄ると、新しいT.レックスのアルバムがあった。青い目がギラギラするマーク・ボランの顔がジャケットだった。
聴かせてくれ、ちゅうと、サコの顔が曇った感じがした。そいでも、聴かせろ聴かせろと強引に聴くと、嫌な嫌な空気が流れた。(今確認すると、それは「SoundPit」という曲だった)
村の鎮守のカミサマ風のどう考えてもカッチョ悪い、古臭い美空ひばり主演の映画に出てきそうなイントロで、正直、もうどうしようもなくカッコ悪く思えたもんである。
サコを見ると、いつもは、「おそれおおくもかしこくも、T.Rex聴かしたるんじゃ、下郎」という風情なのが、もじもじ、オレの顔色伺うような素振りである。
「・・・なんか、日本来て、仮面ライダー観て作ったらしいわ」
「(昭和天皇陛下風に)あ、そう」
人生、「・・・・」で会話することはあんましないものだが、その時は、「ズィング・アローと朝焼けの仮面ライダー」のA面聴き終わるまで続いた。
マーク・ボラン凋落の原因について、今も、あれやこれや、云われているが、オレははっきり、この1974年の「ズィング・アローと朝焼けの仮面ライダー」の「SoundPit」のどうしようもないイントロと断言できる(当時はそう思ったのだが、今聴くとめっちゃイイ!)。
マーク・ボランともあろう人が日本来て、「仮面ライダー」ごときに感心してたら、困るのである。もう、ワシらの間ではとっくにとっくに、「仮面ライダー」は時代遅れになっとるのだ。小学生じゃあるまいし。せめて、森で魔法使いに会うレベルじゃないと。
恐竜の中で一番のティラノサウルス・レックスでT.Rexである。60年代ビートルズにとってグルーはインド人でよかったが、マーク・ボランになると、メタルなグルーじゃないとアカンわけで、好きになった相手はメインマン(男ですな)、そもそも、歌詞は英語なのでわけわからんのは、アホな中学生故しゃあないが、訳詞見ても、さっぱりワケがわからんので見ないでひたすら、聴く。T.レックスともあろうものが、よりによって「仮面ライダー」とは何事か、なのである。
若いころ、モッズが流行ればモッズの頂点になり、森で魔法使い会い弟子になり(実際は魔女と同棲してたそうである)、ヒッピーが流行る前から、ヒッピーで、デヴィッド・ボウイとはオカマ友だち(事実かどうかわからん)で、リンゴ・スターやエルトン・ジョンを子分のように扱うマーク・ボランが、日本来て「仮面ライダー」では、困るのである。
そして、カッコいいイントロ命のT.rexともあろうものが、よりによって「Sound Pit」のような美空ひばり主演の映画に出てきそうなイントロの曲作ってもろたら、ミュージック・ライフと東芝EMIのLPについてきたライナーがソースとは云え、ワシらの中で築き上げてきた「マーク・ボラン」のイメージが、足元から崩れていってしまう、ちゅうもんである。
まあ、ちゅうことで、当時のワシら・・というと、オレまで含まれるので、サコなどの日本のT.rex好きな中学生たちは、以降、T.Rexを見放した。多分、イギリスのガキ共(映画「ボーン・トゥ・ブギー」見ると、T.rexのファンちゅうたら、ほっぺがまだ赤いガキばっか)もそうだったのだろう。いや、そうだったに違いない。
以降、マーク・ボランは絵に描いたように落ち目になり、ワシらロック好きなガキは、芸術家気取りのジミー・ペイジやキース・エマーソンやピート・タウンゼントといったタックスヘイブンに住民票移している連中が、年に一度、もったいぶって作る、長い長い曲が数曲入っただけのアルバムを買わされ、期末テストの時とおんなじ顔して、辞書の代わりに、歌詞カードとライナー首っ引きで、「ロック」を聴くことになるのである。
オレは60年代ロックに走り、サコはギターをやり始めた。
以降、サコの家行っても、一緒にレコードを聴くということが無くなった。
この1974年の「ズィング・アローと朝焼けの仮面ライダー」の「SoundPit」のイントロはこのよう影響を与えたのである。
T.rexの突然の人気失墜は、巷間で云われているように、アメリカ進出に失敗したことでも、マーク・ボランが太ったことでもない。
この1974年の「ズィング・アローと朝焼けの仮面ライダー」の「SoundPit」のイントロに・・・・いや、違う。
そうだ、その時、ワシらはもう、「中学生」ではなかった。
「ズィング・アローと朝焼けの仮面ライダー」をサコの家で聴いた時、もう、「高校生」になっていた。
そう。もう、「ガキ」じゃなかったのだ、マーク・ボランをバカにできるほど、「大人」、になってしまっていたのだ。
もうウンザリするほど長いこと長いこと、死ぬまで、続く「大人」に・・・・。
(駐 オレはバラで買わず、下の5枚組を33ドル2400円ほどで米Amazonから買った}

ワシら貧乏中学生がひいひい言いながら、ビートルズのレコード買うか、カーペンターズのレコード買うか(それとも、映画の友買うか)悩んでいた頃、既に、T.レックスは全盛を迎えており、それが証拠に、サコという友人はビートルズ聴かんと、T.レックスばっか聴いておったものじゃよ。うほほほ。
サコの家行って、親の留守なことをいいこととして、デカイ音量で聴く、T.rexはカッチョ良かった。
不思議なことに、「おおっ!スゴいやんけ」と思い、必死のお願いをして、借りて家で聴くと、途端に、チンケな感じがして、アカンかった。ステレオの種類が違うのか、聴く音量が違うのか、オレの家庭環境がハイブロウ過ぎたのか、今となってはわからん。
ともかく、サコの家で聴くT.レックスは最高だった!
イギリスでの全部のシングル盤売り上げの6枚のうち一枚はT.レックスと云われた時代である。
ある日、学校の帰り、サコの家に寄ると、新しいT.レックスのアルバムがあった。青い目がギラギラするマーク・ボランの顔がジャケットだった。
聴かせてくれ、ちゅうと、サコの顔が曇った感じがした。そいでも、聴かせろ聴かせろと強引に聴くと、嫌な嫌な空気が流れた。(今確認すると、それは「SoundPit」という曲だった)
村の鎮守のカミサマ風のどう考えてもカッチョ悪い、古臭い美空ひばり主演の映画に出てきそうなイントロで、正直、もうどうしようもなくカッコ悪く思えたもんである。
サコを見ると、いつもは、「おそれおおくもかしこくも、T.Rex聴かしたるんじゃ、下郎」という風情なのが、もじもじ、オレの顔色伺うような素振りである。
「・・・なんか、日本来て、仮面ライダー観て作ったらしいわ」
「(昭和天皇陛下風に)あ、そう」
人生、「・・・・」で会話することはあんましないものだが、その時は、「ズィング・アローと朝焼けの仮面ライダー」のA面聴き終わるまで続いた。
マーク・ボラン凋落の原因について、今も、あれやこれや、云われているが、オレははっきり、この1974年の「ズィング・アローと朝焼けの仮面ライダー」の「SoundPit」のどうしようもないイントロと断言できる(当時はそう思ったのだが、今聴くとめっちゃイイ!)。
マーク・ボランともあろう人が日本来て、「仮面ライダー」ごときに感心してたら、困るのである。もう、ワシらの間ではとっくにとっくに、「仮面ライダー」は時代遅れになっとるのだ。小学生じゃあるまいし。せめて、森で魔法使いに会うレベルじゃないと。
恐竜の中で一番のティラノサウルス・レックスでT.Rexである。60年代ビートルズにとってグルーはインド人でよかったが、マーク・ボランになると、メタルなグルーじゃないとアカンわけで、好きになった相手はメインマン(男ですな)、そもそも、歌詞は英語なのでわけわからんのは、アホな中学生故しゃあないが、訳詞見ても、さっぱりワケがわからんので見ないでひたすら、聴く。T.レックスともあろうものが、よりによって「仮面ライダー」とは何事か、なのである。
若いころ、モッズが流行ればモッズの頂点になり、森で魔法使い会い弟子になり(実際は魔女と同棲してたそうである)、ヒッピーが流行る前から、ヒッピーで、デヴィッド・ボウイとはオカマ友だち(事実かどうかわからん)で、リンゴ・スターやエルトン・ジョンを子分のように扱うマーク・ボランが、日本来て「仮面ライダー」では、困るのである。
そして、カッコいいイントロ命のT.rexともあろうものが、よりによって「Sound Pit」のような美空ひばり主演の映画に出てきそうなイントロの曲作ってもろたら、ミュージック・ライフと東芝EMIのLPについてきたライナーがソースとは云え、ワシらの中で築き上げてきた「マーク・ボラン」のイメージが、足元から崩れていってしまう、ちゅうもんである。
まあ、ちゅうことで、当時のワシら・・というと、オレまで含まれるので、サコなどの日本のT.rex好きな中学生たちは、以降、T.Rexを見放した。多分、イギリスのガキ共(映画「ボーン・トゥ・ブギー」見ると、T.rexのファンちゅうたら、ほっぺがまだ赤いガキばっか)もそうだったのだろう。いや、そうだったに違いない。
以降、マーク・ボランは絵に描いたように落ち目になり、ワシらロック好きなガキは、芸術家気取りのジミー・ペイジやキース・エマーソンやピート・タウンゼントといったタックスヘイブンに住民票移している連中が、年に一度、もったいぶって作る、長い長い曲が数曲入っただけのアルバムを買わされ、期末テストの時とおんなじ顔して、辞書の代わりに、歌詞カードとライナー首っ引きで、「ロック」を聴くことになるのである。
オレは60年代ロックに走り、サコはギターをやり始めた。
以降、サコの家行っても、一緒にレコードを聴くということが無くなった。
この1974年の「ズィング・アローと朝焼けの仮面ライダー」の「SoundPit」のイントロはこのよう影響を与えたのである。
T.rexの突然の人気失墜は、巷間で云われているように、アメリカ進出に失敗したことでも、マーク・ボランが太ったことでもない。
この1974年の「ズィング・アローと朝焼けの仮面ライダー」の「SoundPit」のイントロに・・・・いや、違う。
そうだ、その時、ワシらはもう、「中学生」ではなかった。
「ズィング・アローと朝焼けの仮面ライダー」をサコの家で聴いた時、もう、「高校生」になっていた。
そう。もう、「ガキ」じゃなかったのだ、マーク・ボランをバカにできるほど、「大人」、になってしまっていたのだ。
もうウンザリするほど長いこと長いこと、死ぬまで、続く「大人」に・・・・。
(駐 オレはバラで買わず、下の5枚組を33ドル2400円ほどで米Amazonから買った}
Marc Bolan & T. Rex" (Marc Bolan & T. Rex)
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