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2020年7月30日木曜日

令和2年7月30日

 




   スワローズ、勝つ。
 しかし、前前夜、20点取られて負けとるので、素直に喜べない(といいつつ、めちゃくちゃ嬉しい)。

 それよりなによりも、弘田三枝子が亡くなった(27日)。
 
 いろんな方々が、いろんな追悼文を書かれているが、悪いな、弘田三枝子の「好き度」で云えば、オレが一番である。誰にも負けない。

 ダラダラ書き始めると例によって例のごとく、オレの気の済むまでダラダラ書いてしまいそうなので、亡くなった時ぐらい、うまいことをバシッと書いて決めたい。

 でも、「好き」、とか、通り過ぎてるからなあ。あるいは、歌謡曲や演歌に与えた影響やらは、「影響与えたから、エラい!」とか大嫌いな価値観だしぃ、第一、ガラじゃないしぃ。歌唱力が「天才」とかの褒め言葉は、それこそ、彼女が15ん時から、言われているし、「ヴァケイション」での「パンチ」、「可愛い嘘」での甘ったるく甘ったるく甘える歌い方やら、好きな歌い方挙げていけば、それこそ、終わらなくなるし。小林信彦や大滝詠一小西康陽桑田佳祐やらが褒めてたとかは「権威臭」ぷんぷんしてるし、だいたい、誰が褒めようが賞を獲ろうが、「今」、聴いてなんも感じないようなら、何の意味もない(但し、小西康陽については、「ダーリンオブディスコティック」弘田三枝子バージョンで見事蘇らせてくれたので、感謝しています)。

 で。

 ちょうど、今、どハマリしている「とある」シリーズ(とある魔術の禁書目録、とある科学の超電磁砲、アニメ、ゲーム含む)の主人公上条当麻について、「ありとあらゆる魔術師にとっての基準点」という表現があった。

 

上条当麻 - Wikipedia: "「すべての魔術師たちの願いと怯えが集約したもの」。より正確には魔術業界の総力のうち99.9%を占めるほどの力を有する「魔神」たちの願いの集約である。魔術とは極めれば世界を自由に歪められる力だが、歪めてしまった後に起きるかもしれない弊害は予測できず、元に戻そうとしても歪んでしまった世界では元の形を思い出すことができないかもしれない。だが、その影響を一切受けないものがあるならば、それを元にして元の世界を思い出すことができるかもしれない。そんな世界のバックアップとも言うべき「基準点」"

 ・・・・・・却ってわかりにくくなってしもうた・・。

 そうなんである。弘田三枝子は、「基準点」なのである。
 音楽を聴く上での、「基準点」なのである。
 だから、どんなにたくさんの音楽聴いて飽き初めても、あるいは、どんなに同じ曲延々と繰り返して聴いても、オレの場合、「弘田三枝子」さえ、聴けば、そいで、ゴキゲンになれるのである。弘田三枝子以外にそんな、ミュージシャンはいない。

 だから、別のミュージシャンのどんな音楽でも、聴ける。
 だから、別のミュージシャンの同じ曲何度も何度も、繰り返しても、聴ける。

 イヤになったら、弘田三枝子がある!

 この心強さ!
 
 今回の、弘田三枝子亡くなるというニュースは、それはそれはショックであったが、でも、弘田三枝子の音楽は、何一つ、変わらず、そこにあるのであると思えば、不謹慎だが、ちょっと落ち着く。

 オレにとり、「基準点」と呼べるミュージシャンは、ずっとずっと、「弘田三枝子」だけ、なのだ。

 そして、これからも・・・。
 
 合掌。


 
 

2014年2月20日木曜日

弘田三枝子、「東京27時」 と、「the GROOVE ROOM suite: また恋におちてしまった~ダーリン・オブ・ディスコティック/Remixed by 小西康陽」

 真央真央真央!!!

 やったやったやったやったやったやったやったやったぁぁ(ジャンプ8つ分)。人生、やっぱ、浅田真央やでぇ。

 久々に音楽の感想文。

 さて、ごぞんじのとおり、オレは弘田三枝子が大好きである。
 ただ、唯一、聴いて、腹が猛烈に立ったアルバムがこれである。


東京27時

 1. 東京27時
2. レオのうた(readymade JBL mix)
3. VACATION(ESCAPE mix)
4. 可愛い嘘
5. 子供じゃないの(ye[,]ye[,] mix)
6. あなたがいなくても

 1999年、プロデューサーはあの小西康晴、リミックス盤である。
 いろんなへんてこな音あざとく入れまくってるわけだ。

 まあ、数年遅れて聴いたもんでリズムトラックが既に古くさくなっており、陳腐でかっこ悪くかっこ悪く聞こえてしまったこともある。でも、何が腹が立ったかというて、「可愛い嘘」(オリジナルは1968年筒美京平作曲橋本淳作詞)、「あなたがいなくても」(1969年「人形の家」B面  作詞:橋本淳/作曲編曲:川口真)というオレの大好きな大好きな曲を選曲していることである。

 筒美京平作曲なら有名なまだ、「うわさ」シリーズなら許せたろう、大ヒットした「人形の家」なら許せただろう、よりによって、オレが好きで好きで好きすぎて誰にも教えたくない「可愛い嘘」「あなたがいなくても」はないだろう。
 
 しかも、原曲の雰囲気も肝心の弘田三枝子の声も台無しにしとる方向の音作りである。

 まあ、「レオのうた」でよかった。「たまごの赤ちゃん」だったら、もう、許せないところだ。
 なんぼ、ピチカート・ファイヴで大儲けしたとはいえ、これはヒドいだろう。

小西康陽、なんちゅうことするのだ

 である。

 だいたい、東京住んでいる時思っていたが、東京の私学出身特有の、あの、鼻持ちならない、特有の、金持ちぶった、オシャレぶった、いやらしさ、すら思い出して、猛烈に腹が立ったわけである。

しかも、東京27時 バージョンの「可愛い嘘」、「あなたがいなくても」・・・めちゃくちゃエエんである。敗北感にうちめされる、とは、このことである。  そいで、風のうわさに、小西康陽のピチカート・ファイヴで弘田三枝子をフューチャーした曲がある、と聴き、まあ、気が進まないまま、冬の滝に打たれ修行するつもりで、ピチカート・ファイヴのアルバム、ブックオフとかで漁り始めた。あくまでも、冬の滝に打たれ修行するつもり、である。

 そいで、前感想文書いたと思うが、やっと、下のマキシシングルの一曲目、the GROOVE ROOM suite: また恋におちてしまった~ダーリン・オブ・ディスコティック/Remixed by 小西康陽の3分40秒からの弘田三枝子のダーリン・オブ・ディスコティックを見つけることができた。


REMIXIES 2000 [Single] ピチカート・ファイヴ







1the GROOVE ROOM;また恋におちてしまった|ダーリン・オブ・ディスコティック
2ローマ
3シェリーにくちづけ
4ワン・トゥ・スリー・フォー・ファイヴ・シックス・セヴン・エイト・ナイン・テン・バービー・ドールズ
5ダーリン・オブ・ディスコティック
6パーフェクト・ワールド
7ジョリ・バブリ・ラブリィ





 ここでの、弘田三枝子は久々の全開、フルスロットルでノリノリでゴキゲンである。重度のノイローゼ患者うつ病患者ですら、その長年覆いかぶさっていた暗く重いダランとしたものを一気に吹き飛ばすような、「弘田三枝子」の声そのものであったからだ。

 特に前半が野宮真貴のオシャレで思い切り気取った(注 悪口ではありません、褒めているのです)の「また恋におちてしまった」に殴りこみをかけるように、弘田三枝子の「ダーリン・オブ・ディスコティック」が始まった時には、まさに、オレの意識が異次元空間へワープをするかの如き感動があった。ノリまくった弘田三枝子の彼女特有のパンチ、パンチ、パンチの連続である。
 弘田三枝子はジャズに傾倒して以来抑えて抑えた唄い方が多かったもんだがら、久々に解放しまくった開放しまくった「無敵」の彼女を聴けることは爽快であった。

 弘田三枝子から弘田三枝子を引き出してしまうとは、嫉妬のあまり、やっぱり、腹が立つがしゃあない、

小西康陽・・・ありがとう
 である。







2011年5月15日日曜日

弘田三枝子のダーリン・オブ・ディスコティック

 毎日がバレンティン・デーてなもんで、ホンマ、頼りになります。横浜に3連勝して交流戦(スワローズ関連では主語を省略することがあります)。

 今だからこそ、こっそり告白するが、実は震災前あたりから、ピチカート・ファイブばっか聴いとった。あまりにもオレには似つかわしくない音楽なもんで、なんか、悪いことが起きないかと思っていたのだが・・・。謝って済む問題ではないが、一応、謝っておく。ごめんなさい。


 オレが音楽、かなり長い間聴いてこられた理由の一つに、たえず、音楽的な「仮想敵」をその時折時折に設定していたことがあると思う。変なクセだと思う。おそらく、そのようなクセは、パンクが出たての頃、風俗では「ヒッピー」、音楽ではヘヴィメタが「敵」と設定されていたことにあると思う。ジャマイカの音楽ばっか聴いてた頃、それはちょうど、「渋谷系」と呼ばれる、上っ面のオシャレ、軟弱・・ぶっちゃけ、東京私立高校東京私立高校した決して自分の手は汚さないでオイシイとこだけ持ってくようなふにゃけた感性そのもののような音楽が勃興しつつあったので、当然中年おっさんのオレの格好の「敵」になった。もちろん、「敵」ちゅうても、 小沢健二のコンサートにラジカセ持って乗り込んで、キング・タビーのダブ大音量で鳴らして邪魔するとかの過激な行動をとった、ということではない。単に遠ざけて生きていただけ。渋谷でも道玄坂界隈で働いて井の頭線のガード下で飲み深夜の円山町を通って帰宅する毎日だったので、大丈夫であったが。

 まあ、「敵」だった。「デトロイト・メタル・シティ」ほどではないかったにせよ。

 最近、何故か、ピチカート・ファイブの気の遠くなるようなアルバムを見かけるたんびに(ブックオフとか )手に入れ、聴いとった。
 10年、下手したら20年前の「音」である。リアルタイムで聴いたときの灰汁が見事とれてこともあるし、だいたい、オレ自身、このところ、樋口康雄a.k.a.ピコにぞっこんであり、それよりもなによりも、昭和歌謡のあまりにも太っ腹で節操のない音ばっか聴いてたせいもあり、耳が「汝の敵を愛せよ」的寛容さに満ちあふれていたことも見逃せない。

 かくして、10枚以上(ピチカート・ファイブはなぜか、大量にアルバムがある)集め、かたっぱしから聴いた。 野宮真貴の声はやっぱ好きになれないなあ、でも、「トゥイギー・トゥイギー~トゥイギー対ジェームズ・ポンド」みたいに、ハマればスゴいなあ、とか、ソニー時代の音の方が強いて言えば好きかなぁ、媚びまくった音だが、それを批判しようとしたら、ダサい、ちゅう戦略はやっぱ、スゴイなあ、とか・・・例によって例のごとく、小賢しいことを考えながら、聴き続けた。聴き続けたというより、「流していた」。

 そして、ついに。見つけた。
 いわゆる「オシャレな」音に野宮真貴のフツー極まりない退屈な声が「また恋に落ちた」とツラツラ続いていたので、油断していた。その瞬間、背筋がピーーーーーーんと伸び、伸びきって椅子から、ずり落ちた。


 弘田三枝子の声だ。
 しかも、最初からノりまくった弘田三枝子だ。
 かてて加えて、最初からノりまくった弘田三枝子がなおも、凶暴に暴れまくるのだ。 弘田三枝子のスゴさ、つまり、彼女の声がありとあらゆる音そのものを従え、とんでもないノりを次から次へと創りだしていくのだ。
 西暦2,000年の弘田三枝子だぜ!
 
 

 

 

"REMIXIES 2000" (ピチカート・ファイヴ)

1. the GROOVE ROOM:また恋におちてしまった~ダーリン・オブ・ディスコティック

 リミックス盤なので、9分以上ある曲だが、4分あたりから、弘田三枝子のダーリン・オブ・ディスコティックが始まるのだ。そいで、ズルしてそっからばっか聴いている。
 

6曲目の「パーフェクト・ワールド [A night at Organ b. MIX]/Remixed by Sunaga texperience」にも弘田三枝子がフューチャーされている。
 
  かくして、ピチカート・ファイブ病は終焉した。まあ、「仮想敵」とはいかないけど、まあ、「I Shot The Shelif」カバーしたエリック・クラプトン並か。

 (いつこんな曲出てたんだろう? アルバムで探したけど、見つからず、YouTubeでは次の2つ。最初のとはアレンジが違い、動画のある方が近い)
 


2010年8月19日木曜日

A Woman Am I

 スワローズ、快勝。

 お盆休み、15日は旧友だるまとんろう氏と日本海へ行って、岩ガキを喰ったのだが、帰り、どこぞの阿呆が舞鶴自動車道を「無料」にしたため、意味のない渋滞があり、バカみたいに時間がかかった。もちろん、篠山あたりで降りたら、下の道路はガラ空き。スイスイスーダラダッタスーイスイと宝塚まで行けた。オレは生まれて初めて、「政治」による実害を受けた。今さら解散総選挙せい、とはいわん、でも、誰かナントカ今のうち、ちゃんと政治ちゅうもん、幼稚園のレベルから教えたれよ。

 このところ、ちょいとした「野望」があり、まあ、おれにとっての「野望」つうても、国会に乗り込み、ルーピー鳩山と小沢だまして財産全部掠め取ったろう、とか、その手の野望ではなく、新しい、マック、いっちょう買うたろうかいな、ちゅう、ささやかなれど、オレにとっては経済面が主だがかなり、どでかい「野望」になる。


 今使っているMacを下取りに出さんとアカン。で、てはじめにハードディスクを整理・・というより、コピーしてデリートして、を500回ほど繰り返したのであるが、まあ、500GBのハードディスクを2つ空にした。空にしたのはいいが、熟慮の末、 いっちょう、購入資金の一部にしようと思って、再び、ディスクユーティリティの消去にある「セキュリティオプション」の「データをゼロ消去」それも、7回消去をやってしもた。バカみたいに時間がかかり、しかも、ハーディスク触ってみるとメチャクチャ熱くなっていた・・・・が、まあ、ほぼ一日(実際にはもっと少ない時間で終わっていたと思うが、24時間、放ったらかしにしてたため)、かけて終わった。外付けの「お立ち台」でやったので、別にMacで作業しても良かったのだが、前に述べたようにハードディスクが熱くなっていたので、そばに扇風機ぶんぶん回してたため、なーんもせんかった。で、もう一個はゼロ消去を七回繰り返すというのが、いかにアホで意味のない作業とわかったので、一回だけの消去にした。
 
 新しいMacの購入資金の一部になれば、と思い、ハードオフに持っていたら、500GBハードディスク一個800円という価格で引き取ってくれた(7月末頃の相場ね)。
 800円返すから、オレの人生返してくれぃ・・・まあ、しゃあない。荒ゴミの日に出して、ある日高架下で売られたりするよりはマシだ。と思ってた。しかるに、だるまとんろう氏がいうには、持っとって使ったら良かったと云われ、おっしゃるとおり、500GBのハードディスクちゅうと、DVD100枚程度の容量があるわけで・・・。

  ちゅうわけで、盆休み、すぐに下取り持って行けるように今のMacの環境にしようと思ってたが、めんどいので、なーんもしてまへん。
 まあ、神戸のソフマップに新しいMacPro、まだ、入荷していないみたいだし。

 今、聴いているのは、弘田三枝子「 A Woman Am I」という曲。ランダムでいろんな曲聴いていたら、カッコいいイントロやなあ、でも長いなぁ、とか思って聴いてたら、弘田三枝子のヴォーカルが出てきた瞬間、そっからはもう、どっぷり。12分30秒の長い曲で、とちゅう、ホルガー・チューカイっぽくなったり、アラブ風になったり、かなり激しい変化を見せるが、これらのノリを全て吸収して、最後はまったりとしたヴォーカルから弘田三枝子独自のノリでノリまくって終わる。下のアルバムは、ジャズライブとなっているが、「弘田三枝子」そのものがジャンルなのであると再確認した(と、ワケのわからんことをいうておく)。声や容姿は老化するかも知れんが、いつでもどんな音楽をやっても、そのたんびに、独自の「ノリ」を作り出す人は強い。

 このアルバムが50才の時か。負けたらアカンなぁ。
  


"MICO JAZZ LIVE IN KITAKYUSHU(ミコ・ジャズ・ライヴ・イン・北九州)" (弘田三枝子)

2009年3月16日月曜日

弘田三枝子 Mico Is Back 1990年

 

"MICO IS BACK" (弘田三枝子)

 弘田三枝子(リンク先はwiki)ファンである。まあ、オレの音楽の嗜好は弘田三枝子に始まり弘田三枝子に終わると云ってもいいぐらいの存在であるからして、しゃあない。


 もちろん、「ヴァケーション」、1962年のこのとんでもない曲は、瞬く間にこの世を席巻し、当時辺境須磨で4歳児していたオレをも巻き込み、 デタラメにまっしゅぽてとを湖で踊ろう、と、叫ばせておったわけだ。今から想像するには不可能ぐらいスゴいヒットであったそうである。当時弘田三枝子は15才か16才。

 最近も、ステージでは、必ずといっていいほど唄われていたりする。

 仕方ない、みんな、弘田三枝子の「ヴァケーション」は大好きなのだ。コニー・フランシスがオリジナルのこの曲は、けしてリズム感溢れる曲ではない。それを弘田三枝子は、凄まじい当時の力で、もうなにか、別のスゴい曲に変えてしまった。クルマに例えると、曲そのものが軽自動車並の足回りとすると、当時の彼女の声、リズム感、ノリはまさに7.0LのV8エンジン 並の馬力とトルクなのだから、その走りのじゃじゃ馬ぶりが知れよう。

 しかし、彼女にしてみれば、どうなのだろう? オレなんかに例えると、高校時代の夏休みに作った工作を今も作らされ、高校時代に作ったものと比較され、同じようにできていないとか、あれやこれや云われるみたいで、少し複雑である。まあ、それでも、プロであるから、彼女は求められたら、唄うし歌い続けるのであろう。

 1990年に自主製作として作られたこのアルバムも、 全17曲中、13曲、彼女自身のヒット曲のカヴァーで占められている。オレのようなファンは、表現力の豊かさとか、「加点」ポイントを置いて聴くものだから、いい。ただ、残念なことに、びっくらこいた!、曲そのものを自分の中に取り込みたい!!とかの感動は、おきない。だって、それは、しょうがないのである。もう、既に、「取り込んでしまっている」曲ばかりだからだ。

 である。であるのだが。
 弘田三枝子は天才なのである。

 並の歌手が、年を経て全盛期を過ぎて、ファンである聴き手の「懐かしさ」に つけこんで、作ったアルバムじゃないのである。
 
  弘田三枝子は天才なのである。

 
 このアルバムの最後の曲は、オリジナルである「雪色のサンバ」(ボーナストラックで「思い出して」「別離」「雪色のサンバ(ポルトガル語版)」 の三曲が加わる)。

 「雪色のサンバ」!
 
  ど派手で仰々しいイントロが始まり、やがてリズムセクションがサンバのリズムを刻み始め、そして、弘田三枝子の歌が聞こえてきた瞬間、「雪色のサンバ」に、もう、完膚なまで叩きのめされた。そして、彼女の声がぐいっと伸びてきて、オレを耳から歌の世界に引きずり込む。久々の快感である。いつの時代の弘田三枝子ではない、まったく新しくなった、まさに1990年型、ブラン・ニュー、弘田三枝子なのだ。
 

 こな雪、男と女とかの日本語、パラレルワールド、モノクロームとかタペストリーの外来語、そして英語歌詞部分に「白い雪がふりつむ」加えたかなりぎくしゃくな、しかも、歌詞カードみただけでは理解しにくい歌詞(事実、歌詞カードだけ読むとなんのことかさっぱりわからん)を、まるで「川の流れのように」スムーズに唄い、しかも、曲がすすむにつれ、情景を伴った、豊かな世界が次から次へと現れてくるのである。実際、ボーナストラックの方の「雪色のサンバ」はポルトガル語版であるが、言葉はワケがわからんが、ほんま、何か世界が広がるのである。

 びっくらこいた!

 曲そのものを自分に取り込みたい、と思った。

 即、一曲リピートして、何度も何度も聞きかえした。

 この曲の直前、「私のベイビー」までは、それなりに、リラックスして、むしろ細部のいろんな唄い方の相違を楽しみながら聴いていたのだ。不埒にも、「昔はどすんとパンチ効かせたとこ、こんな風に処理してるんだな」とか思い上がった感想すら抱いたりした。
 
 すべては、伏線だったのだ!!
 
 今(1990年時点)の彼女の声にぴったりした曲を歌った時の、能力全開状態のスゴさに、圧倒された。いや、彼女の能力を超えた「何か」がそれに加わって、とてつもない曲になってしまっているのである。かててくわえて、彼女のキャリアすべてがその上にのっかかってくるのだから、聴き手のこっちとしては、うろ、が来るほどである。

 アルバムのこの曲に入るまでの自曲のカヴァーは、まるで、この曲をイキナリ聴いて、聴き手が、あまりにもびっくりしないようにの布石であったのか、とも思えるほどである。知っている曲を次から次へと歌ってくれたことで、大分、馴らされた。実際、最初にこの曲を聴いたら、多分、オレのキャパシティを越えてしまったであろう。

 まあ、このアルバム、ライナーを弘田三枝子ファンの「炎立つ」の高橋克彦氏が入魂のあれやこれやが書かれており、そのことも書きたいこと(高橋克彦氏は「別離」を35年で6000回も風呂で唄ったそうである。負けてられん!)あったのだが、今日はここまで。

 しかし、オレはいつになったら、弘田三枝子のことをみんなのように「ミコちゃん」と云えるようになるのだろうか??
 ともかく、弘田三枝子は今までの歌手の誰にも譬えられる存在ではない。時代時代、全く異なるジャンルの音楽にチャレンジして、それをモノにしとるのであーる。

 

 

 

2009年2月15日日曜日

弘田三枝子の「人形の家」と「あなたがいなくても」

 最近、ここの更新、週一レベルになってきた。
 歌謡曲の感想文書くブログなのだが、プロ野球にいかに頼っていたか、わかるというものである。
 CDとか一頃ほどではないが、そこそこ買っているのであるが、それよりもDVDを観ることが多くなっているので、どうも調子が狂ってしまった。
 映画の感想文書くのに必要な脳味噌の部分と、音楽の感想文書く脳味噌とは違うな。脳味噌に端子つっこんで、調べたわけでないので、どっちがどうかわからん。まあ、NHKが「ためしてガッテン」やらで、いつかやってくれるだろう。どっくに、やったのかもしれんが。
 ただ、一つだけ云えるのは、音楽バカみたいに聴いていると調子が良く、映画は見終わったら、どっと疲れる。まあ、そういうことである。

 なんか、もう春ですなあ。

 昨日は、久々に洗車とワックス掛けをした。軽自動車じゃない方。月曜日、車検なので、どうせワケのわからんコーティングとか勝手にしてくれるので、別に今しなくてもいいのだが、

 この前したのは、いつのことだろう。秋頃かもしれん。ひさびさだったせいか、ふらふらになってもた。
 まあ、当たり前だが、ぴかぴかになった。

 しかし、屋外駐車ゆえ、すぐに、今、クルマの頭上の樹上で、サカリを迎えている鳥の糞だらけにすぐなってしまうのだが。

 で、今日は三木や三田あたりを軽く走らせたのだが、弘田三枝子の「あなたがいなくても」にハマる。まあ、オレにとりジャックスと弘田三枝子ちゅうのは、聴いたら最後、ハマってしもて、同じ曲何度もリピートしてしまう。

 ノリノリの和製R&Bというか和製モータウンサウンドで「あなたがいなくても、わたしは生きていく」 ちゅうゴキゲンな歌だ。下に例によってYouTubeから引用してあるので、まあ、気が向いたら一度聴いてみてほしいもんである。

 これが、ダイエット後整形後の弘田三枝子の復活作で、すさまじいほどヒットした、どシリアスな「人形の家」のシングルではB面というのだから、 オレなんかは嬉しくなってしまうわけである。

 もちろん「人形の家」は名曲中の名曲だし、もちろんオレも好きな曲だし、弘田三枝子ならではオイシいとこを歌にぶち込まれているし、だいたい彼女が整形したのも、ダイエットしたのも、この曲のイメージにあわせるため、とオレなんかは思っているほどである(事実はそうじゃないかもしれんが、オレはそう信じとる)。

 それでも、でも、だ。でも、 人形の家出す寸前までは、「渚の天使」や「可愛い嘘」やらノリノリのゴキゲンな、そしてどっちかというとオレの好きな弘田三枝子を120%全開の曲がずらーーーっと並んでるのである。そして、シングル「人形の家」のB面も「あなたがいなくても」もホンマ、凄いノリである。

 もしも、「人形の家」がヒットしなかったら・・・。やめておこう。



 


2008年8月17日日曜日

奇跡の組み合わせ

 昨日、いつものように須磨寺へ散歩に行くと、盆踊り大会やってて、須磨旧市街地の全ガキが集まったかの賑わい。
 生和太鼓入りの「東京音頭」がかかって、とても嬉しかったです。広場の裏は山で囲まれていて、前は大池、オレは犬連れだったので、池の対岸で聞いたのだが、音的に凄く広がりが出て良かった良かった。山から吹く風が池の水面をちょっと波立ててたりして。

 休みの間、ブログの整理をしようと思てたが、 夏バテでアホになっているらしく、うまくいかんかった。

   前、一度紹介したと思うが、ほんま、この前、1965年のサンレモ 音楽祭での伊東ゆかりに匹敵するほど嬉しかったのは、日本初のプログレバンド四人囃子と、弘田三枝子の組み合わせの「空と雲」。75年のFMラジオからの録音らしいが、奇跡の組み合わせである。

 四人囃子は、ファーストだけ、めちゃくちゃ好きで、その中でも、「空と雲」が一番好きだったーいや、「おまつり」が一番でその次に好きかも、まあそれはどーだってえーことだが、まあ、それもどーだってええことだ。

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