ボディ・シャンプー使い始めたら、とたんに、乾燥肌になって、痒い痒い。牛乳石鹸やバスボンの石鹸等フツーの安い石鹸に戻したら、乾燥肌が治った(あくまでも、個人の感想です)。
スポーツクラブのプール、時間帯によっては、お子達のスクールがプール全部占有して入れないから、調子が狂う。夕食喰った後なら、いいのだろうが。県民プール、併用すること本気で考える。まあ、3ヶ月で1万円程度だし。実は、県民プールの「銭湯」感が恋しいだけかもしれん。
しかし、PASSPO☆、どんだけ、エエ曲が埋まっているんだ?
YouTubeで、「Break Out」(<iframe frameborder="0" height="360" src="https://youtube.com/embed/RlSEYsEenLo?si=icGkTP-cPG3lLYT6" style="background-image: url(https://i.ytimg.com/vi/RlSEYsEenLo/hqdefault.jpg);" width="480"></iframe>)という曲みつけ、カッコいいわ、ロックだわ、それが、どうも、メジャーデビュー前のヤツみたいで、早速、Amazonで古いアルバム手配した。
Pock☆Star〜Love Diary〜Tap My Toe〜くちゃLOVE、Wanted,Tap My Toeと、まあ、順当にハマり、「サクラ小町(<iframe width="480" height="270" src="https://youtube.com/embed/M_lTETi_xZQ?si=woIKUTUiRZjfZ9Jq" frameborder="0"></iframe>)」、歌詞を誤解し、「ヒラヒラ舞う桜 肩に止まった」の「肩に止まった」を「形見となった」と聞き違え、次の「ハラハラ泪が決意になったらサヨナラの場所もはじまりと呼べるの」と、桜が散ると、それを「恋の形見」とするか・・・う~ん、恋とは死ぬこととみつけたり・・「葉隠」しとるなぁ、と思ってた。何度繰り返して聴いても、そう聴こえてしまうから、しゃあない。歌詞カード見て気がついたぐらい。もちろん、「肩に止まった」でも、いい歌詞なことには変わりない。
もうひとつ、音楽ネタ。
更新間が開いているが、実は何度も書いては消して、結局は下書きのまんまにしとる。めちゃくちゃ書きにくいのである。
このところ、音楽がらみの本を読んだりしているんだが、その本の感想文とその本が対象としている音楽とのあまりにも乖離が激しく、もう、ここで書きにくいのってなんのって。PASSPO☆のみたいに今好きな音楽のこと、なら、なんぼでも書けるんだが。
書きにくい=読みにくい
だから、以下、めちゃくちゃ、読みにくいが、まあ、自己責任でよみたい人だけ読んでくれ・・・。
たとえば、ひと月前、「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた」という本を読んだ。どう読んでも、これ、何度読んでも、「音楽」としてのザ・タイガースの数々をバカにしていると思えず、ためしに、手持ちのザ・タイガース音源すべて、手持ちじゃ足りないんで、5枚組ボックスまで、聴いてみたら、いい曲ばっか、多少退屈な曲はあっても、棄て曲なしのすばらしい曲ばっかだった。
そうなんである。
ザ・タイガースの曲はどれもすばらしいのである(具体的に一曲一曲、すばらしさを書きたいところだが、それやると収拾がつかなくなる)。
「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた」という本もそうだが、一般的に、同時代の欧米のロックを「高度」なもの、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズは、ルックスで人気が出たミーハーバンド、作詞作曲者が「歌謡曲」畑の人だから、「ロックじゃない」、当時の、学生運動やらを、崇高なもん、「カウンターカルチャー」の王道、として、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズは商業主義の「体制的」な音楽、チャラチャラしたもん、とされている。特にザ・タイガースは、当時、芸能界で「帝国」と呼ばれていたナベプロ所属だっただけに、飼い犬みたいに見られている。
これ、ウソじゃないのか?
GS以降の「日本のロック」ちゅうんは、要は、フツーの人たちに聴いていもらうこと、を切り捨て、売れることを拒否し、作詞作曲はいくらメンバー自身のものとはいえ、当時の欧米ロックの猿マネを忠実にしただけに過ぎないじゃないか。猿マネができるだけ、演奏が上手くなったのは、まあ、認める。
はっぴいえんどが猿マネの過程で、欧米ロックにはあわないとされた「日本語」をたまたまうまく潜り込まさたことを、猿マネの「日本のロック」にとって大きな成果としたところで、猿マネには変わりない。
ロックでも歌謡曲でもない、まったく日本には新しい音楽、つまり、ザ・タイガースを始めとするグループサウンズの音楽が、大多数の若い女性、そこには、女子小学生から中学生も含む、大多数の若い女性を熱狂させ絶叫させ号泣させ、時には失神させた事実の前では、屁みたいなもんではないか。
だいたい、ザ・タイガースのコンサート行くだけで、停学退学、良くても、ほんまモンのスケ番グループにカツアゲされるわボコられるわ、である。テメエの大学バリケード封鎖して角棒で騒いで、機動隊に手厚く優しく(天安門を思い出せ)に阻止されるんとは、リスクが違う。
そもそも、菅直人以外なーんも後に残さなかった学生運動と比べ、ザ・タイガースが提示した「男性アイドルグループ」のビジネスモデルは、今いるジャニーズ系のグループまで、連綿と受け継がれているではないか?
また、当時、10才の男子ながらザ・タイガースのリアルタイムのファンとして、云わせてもらうが、当時、ザ・タイガースほど、強烈に猛烈に、嫌われ、バカにされ、厭われ、忌み嫌われ、妬まれたグループは他にいなかった。これをウソだったとはいわせない。
NHK,文部省、教育委員会、学校関係者、大人全部は当然のことながら、男子は高校生中学生小学生まで、ザ・タイガースへの嫉妬のあまり、ミーハーだバカだアホだイモだ、と虚仮にし、ザ・タイガース以外のグループサウンズ、いや、ザ・タイガースのメンバー自身も、演奏が下手、ロックじゃない、所詮ナベプロ、サイケロックじゃない、と「ザ・タイガース」をバカにしてた。
なあ、猛烈に好かれると同時に猛烈に嫌われる音楽、これを「ロック」と云わないなら、オレは「ロックなんか大キライだ。ザ・タイガースと寺内タケシを無視して、なにが、ロックか?
・・・ああ、書きにくかった。
まあ、そもそも、レゲエばっか聴いている人間が今さら、「ロック嫌いや」、云うてもなぁ的文章ですわ。
ジャマイカは同じ島国ながら、日本でグループサウンズが流行っている時、ロックステディという音楽が流行ってて、それをうまい具合に、世界的に通用する「レゲエ」へ持っていった時、おそらく、ジャマイカの誰一人として、「ロックステディはジミヘンやクリームやジェファーソン・エアプレインじゃない」とか云って、ロックステディを壊そうとはしなかった。逆にロックステディを愛し尽くして、変化させた。そこが日本の音楽にと、ちがう。
日本の敵はおのれ自身にあり、葉隠ですなぁ。