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まさに、「女は生きるために泣く」。
ちゅうことで、東宝映画「コント五十五号 世紀の大弱点」(昭和43年1968年)より、三浦恭子「女は生きるために泣く」((作词なかにし礼,作曲鈴木邦彦,编曲クニ河内)、ヒラリー・クリントンに捧げます(選挙違反とかになるかな?)。
またも、莫大な時間かけて作って、You Tubeにかなり前に上げたもんだが、何故か、サイズが広がってしもているんで、直そうと思たが、まあ、ええわ、ちゅうことで。
かっこいいオルガンにファズをじぃじぃ云わしたギターがからみつく、捨てられた女の哀情を、歌詞の作り出す世界をせせら笑うようにどーだっていい感じでのびのび唄う。いいねぇ! 表情は極力抑え、視線だけがどんどん妖しく光を放ち始める三浦恭子の色っぽさ、クール!うーん、たまりまへんなぁ。
いなせ、ってこういうことを云うんだろうか?
唄った後も、映画ではけっこう重要な役を演じます。
三浦恭子だけど、もちろん、リアルタイムの記憶とか全くない。んで、
調べたら、中国語のページになぜか、あって、1947年東京生まれで、日劇ダンシングチームのダンサーだったらしい。
三浦恭子 - 騷音館伴・大中華お色気国
1964年17〓〓加入日劇ダンシングチーム(NDT),与西川純代、近江ツヤ子、川本芳子及桜井節子等人同期。〓然从1965年起能登上宣〓册的封面,但此〓〓〓正〓第二黄金期,老一〓的上條美佐保和藤井輝子等依旧活〓,后〓森田敏子、内田繁子及西川三知代等日〓出彩,〓〓之必要性〓得格外迫切。1967年9月在〓〓演出“秋のおどり”上与川本芳子一同演唱了《Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band》,受到〓大〓迎。因此被東芝看中,于1968年9月〓表了〓女〓曲《女は生きるために泣く》。
週刊プレイボーイ1969年2.4号ではこんな感じらしい。別人みたいな感じ。

三浦恭子「女は生きるために泣く」、オレが初めて聴いたのは、何故か、キューティポップ東芝エディションの中で。
キューティやないけど、カッコ良すぎるんで、許す。
当然、廃盤ですが。
"PINK LIPSTICK" (オムニバス, 鍵山珠里, 恵とも子, 奥村チヨ, 緑魔子, 槙みちる, ザ・パピーズ, 越路吹雪, 山内賢, キューティ・Q, 星乃ひとみ)