ちゅうても、まあ、寝る前読んで眠くなったら寝るパターンで一週間かけているけど。
この本は、文春の社長が今東光の話を引き出すという形式。
30年以上前の1972年に出たやつで、「日本史」も以降いろんな新事実が発見されたり、研究が進んだりと、古くなっても、当たり前なのだが、それでもなおかつ、オモロイ。
ちゅうのも、今東光は、天台の大僧正であり、中尊寺の貫主でもあったわけで、「そっち方面」の歴史観が非常に深い、あと今東光氏は知っている人は知っているだろうが、当然、どスケベで女好きで下品なわけで、「こちら方面」の歴史観も非常に深い。
・・・ちゅうわけで、このまさに「聖と俗」をほとんどごっちゃにしながら、また自身の交友関係とかもからめて、日本歴史を自由に語るわけだから、つまらんワケないのである。
(今東光のwikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/今東光
)
また、読んでいて、司馬遼太郎が同じ事書いてたら、「うん、なるほどなるほど」となるところ、同じ事を今東光がしゃべってたら、何故か、「そんなアホなことあるかい」とついつい思ってしまうのは、なんでなんだろう?
もちろん、なーんも考えていないでも「うん、なるほどなるほど」は思うことできるが、「そんなアホなことあるかい」は、何か考えていないと思わないんであーる。
「歴史」、ちゅうのは、やっぱ、「過去あった事実」でもなんでもなく、ある時点で、その時代の人が「あの時のあれ」は、こういうことにしときましょ、ちゅう「了解事項」に過ぎないことがわかるのである。
あと、今東光、歴史関係のこの手の本、もっと出してたら、司馬遼太郎をやたら持ち上げたりする変な風潮がそんなひどくなっていなかったろうに、と思うのである。坂本竜馬ばっか持ち上げられ、中岡慎太郎が殆ど忘れ去られてしまう、ようなケッタイなことには。