2007年8月20日月曜日

三島由紀夫に捧ぐ

またも、模様替えしてみる。・・・が。このBloggerで用意されているテンプレートをちょこっといじっただけなのだが、バカみたいに時間がかかる。
 
 三島由紀夫の文化防衛論読んだ。

 これは、本のタイトルの論文は、読んだんがオレだから例によって例の如く、なにかようワケわからんが、そのあとに載っている、学生たちとの討論とかが、オモロイ。

 それこそ、当時は60年代後半、激動の時代。
 本は大学紛争まっただなか、チェコでは自由化運動である「プラハの春」がソ連軍の侵攻を呼び、フランスでは5月革命がド・ゴールにうまいことまるめこまれ、ベトナム戦争は世界各地に反戦運動を呼び、中国では文化大革命とかで紅衛兵が暴れる・・・エトセトラエトセトラの60年代後半まっただなか、三島由紀夫が単身、大学に乗り込んで、サヨクじゃない根性のある左翼思想かぶれ暴れまくってた当時の学生たちとの討論会だ(後ろに年表が載っていて、当時の世界での出来事見ているだけでも、興奮してくる)。
 
 そいで、あとがきの後ろの「果たして得ていない約束・・・私の中の二十五年」というエッセイというか論文というか短い文章がのっている。でも、こっちはわかりやすい。涙が出た。

 圧巻は、

「日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口もきく気にもなれなくなっている」
 
 という、有名な一節であろう。
 
 1970年の11月のあの事件、何であんなことしたんだ、って、みんな謎だ謎だ、ちゅうとるが、これほどわかりやすいことばで、自らちゃんと書いていたんである。

 同時に、今の今まで、まったく、一字一句変わることなくウチの国をあらわしてしてしまうのが、悲しい。

 三島由紀夫があの事件を起こした1970年の時点なら、まだ、なんとかできたかもしれないが、もう、今じゃ、その修正は遅すぎるんだろう。いや、遅くないかも知れないかもしれない、ようわからん。
 
 ホンマ、ケッタイな国に生まれてしもたもんである。

 要するに、ウチの国のケッタイさの理由は、簡単、上の世代から下の世代への伝承が機能しなくなってるだけなのである。新しいもんが古いもんより必ず良ければ、文化がどーのこーの云わんでもエエやろが、そうじゃないからなぁ。どんどん、金ばっか増えて、考えへんで新しいもんに飛びついていくだけから、どんどん、ちゃらちゃらしたアホになるわなあ。

 釜が崎や山谷とか・・・失礼、今は安全らしいから、どこぞの国のスラム街を、ミニスカでノーパンで歩いているようなちゃらちゃらしたおんなのこが、六十何年か、今まで襲われなかったから、と云って、ミニスカでノーパンだからこそ、襲われないことにはならないのに、そう無理矢理信じ込んで、これからも、絶対、ミニスカでノーパンだけは変えませんよ、ちゅう国で、ほんまどこまでいけるんやろか。
 
 そいで、そのおんなのこは、パープーでアホやらから、時代が進めば、どんどんちゃらちゃらしよるわけや。
 
 もちろん、ボディガードかなんかしらんが、ケンカが強そうなだけで、ワガママで少々ノータリンの大男の後ろをひたすら、ついて歩くわけだが。
 
 オレなりにこの本から、無理矢理三島由紀夫の云いたいことを引き出すと、「ミニスカでノーパンでちゃらちゃらしたおんなのこ」じゃなくて、パンツを、いや、「フンドシ一丁」か?、でええから、おとこ」でボディガードなしで、ひとりで歩け、ちゅうことかもしれん。
 
 もちろん、男やから云うて、いろんな趣味の人がおるから、安全ではないけど、その時は、ケンカしなさい、ちゅうことなんやろな(フェミニストに怒られるか・・いや、三島由紀夫ファンにも、ウヨクの人にも怒られるか)。

 ノーパンならそうそうケンカなんかでけへんが、パンツないしはフンドシはいた瞬間でまわりとケンカができる状態になるわけだが。




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