小山ルミの三枚のCDも来て、感想文かいたろ、と思てたが、よう考えたら、アルバム単位にあれやこれや書くんは苦手で、それを三枚も無理や。
そうこうしとるうちに、ヴィッキー(ギリシャ人のくせにフランスで「恋は水色」大ヒットさせた歌手)のベスト盤も来た。
そいで、小山ルミの「小山ルミ ビートルズを歌う」(1973年発売)というビートルズの曲を全部日本歌詞(山上路夫作詞)で歌っているアルバムの最後が、「マイ・スウィート・ロード」や。もちろん、厳密に言えば、ビートルズじゃなく、ジョージ・ハリソンがソロとして出したアルバム(1971年)からの曲だが、オレの大好きな曲やねん。
ヴィッキーの方(いつのか書いてないが、71−73年あたりだろう?)にも「マイ・スウィート・ロード」が入っとる、それも日本語詩やねん。
こりゃ、オモロイ、ちゅうわけで、ジョージ・ハリソンのヤツあわせて、3曲かわるがわる聴いとるわけや。
小山ルミ、1973年ともなると、なんか、メチャクチャ、歌がうまくなっとる。声がすごく伸びるようになったのか、声を張り上げて無理矢理音符に合わせるという強引さがなくなり、すんなり、聴ける。このきれいなギターの音が特長な曲に、ぽこっと、はまりきっとる。
ヴィッキーの方は声がなにせ、透明感あふれる曲「恋はみずいろ」で一発当てた歌手だ。ちょっと日本語歌詞故のたどたどしさはあっても、透明感の中にほどよく感情を入れた声。
どっちも、ええ。
もとのジョージ・ハリソンの方、ちゅうたら、知っとる人は知っとるやろけど(You Tubeでは、http://jp.youtube.com/watch?v=95LFNe3Uw-w
)、ジョージがインドに傾倒しまくってた時、えー、ややこしいから、引用すると
マイ・スウィート・ロード - Wikipedia
歌詞は当時ヒンドゥー教に大きく傾倒していた彼の神への信仰心を歌ったもので、楽曲は同じようなフレーズを繰り返す構成となっている。ハリスンのバージョンは同年の11月23日に自身のアルバム『オール・シングス・マスト・パス』からの先行シングルとしてアメリカで発売され、1971年1月にかけて世界各国でシングル発売された。
マイ・スウィート・ロードちゅうんは、ハリ・クリシュナちゅうヒンズー教の神さん賛歌やねん(途中、コーラスの中に、ヴィシュヌやらいろんなヒンズー教の神々も登場するが)。上の絵がそうらしいんや。http://ja.wikipedia.org/wiki/クリシュナ
歌詞の方は、呆れるぐらい、シンプル。
「My sweet lord
Hm, my lord
Hm, my lord
I really want to see you
Really want to be with you
Really want to see you lord
But it takes so long, my lord」
の繰り返し。ほんま、インドに凝るのも、考えもんで、あらためて歌詞みて、この頃のジョージ・ハリソン、大丈夫かいな、と他人事ながら、心配になってくる。
小山ルミの歌詞の方は、ヒンズー教に凝ることもなく、思い切り意訳してあり、フツーのラブ・ソングというか結婚式ん時の二人の誓いみたいな歌詞。
「マイ・スウィート・ロード
あなたと私は
生まれた時に 結ばれるのと
決められてたの 愛の神によって
(2番略)
マイ・スウィート・ロード
あなたと私は
いたわりあって 傷つけあわずに
生きてゆくのよ
肌を寄せ合い愛の長い道を」
(1973年 訳詞千家和也)
lordとroad取り違えているような気がせんでもしないでもないが、小さい問題だ。
ただ、さいしょの「あなた」と「わたし」ちゅうんは、かなり、歌にのっていないというか、語感にかなり違和感がある。
ヴィッキーの方の訳詞が誰かはCDのライナー裏ジャケくまなく探したが記載無し。JASRACで調べたら、星加ルミ子の名前があった。
星加ルミ子の訳詞かどうか、はっきりしないまま、引用するが、こっちは、こういう感じ。
「愛をなくし 生きることさえ
あきらめていた 私だけど
神よ マイ・スウィート・ロード」(一部引用)
さすがに、こっちも、失恋して、神に頼るちゅう話になっている。
「神」がハリ・クリシュナとも、フツーにキリスト教の神さんでももちろん、ワシらの八百万の神々さんとでも取れる内容。しかも、神さんを頼みとする内容で、元の歌詞からさほど、離れていない。
まあ、ちゅうことで、歌詞というか訳詞だけでも、これだけ、オモロイことが見つかるわけで、この頃の歌謡曲の太っ腹ぶりには感心するのであーる。
・・・しかし、構想2週間。
ビートルズを歌う-小山ルミ
恋はみずいろ~ヴィッキー・ベスト・セレクション-ヴィッキー
オール・シングス・マスト・パス ~ニュー・センチュリー・エディション~