2007年8月31日金曜日
八月三十一日
2007年8月30日木曜日
岡崎友紀 DoYouRemenberMe
ちゅうんで、午後からの休み、寝てましたわ。そしたら、当然クソ暑い。クーラーつけると、風邪引いているもんで、気持ち悪くなる。こんなときは、そうだ、熱い風呂だと、過去の経験を思い出し、風呂に入ったら、立ちくらみ、そして、めまい、年だなあ。でも、どっと汗かいたんで、もう大丈夫でしょう。
こういうときに、元気の出るヤツと、You Tube探したら、岡崎友紀のDoYouRemenberMeが見つかった。
いつもみたいに、エンベッドでけへんので、リンク先 http://jp.youtube.com/watch?v=c7UmAu9QFY8
いつもながら、こういうのをYouTube で聴かせていただくことができて、しあわせ、である。
1980年の曲。You Tubeのやつもそのあたりなのか?
作詞安田かずみ作曲加藤和彦ちゅうある意味強烈な夫婦コンビ、80年代初頭どっと出たウソのフィフティーズ、当時ぼんぼん量産していた筈だ。
ホンマ最初聴いたときは、フィル・スペクターがマイナーなガールグループに作ったヤツのカヴァーと思ったぐらい、いわゆる「Wall of Sounds」の世界だ。それも当時、全盛期をはるかに過ぎた岡崎友紀に歌わせる。全盛期の岡崎友紀ちゅうと、実は「風に乗って」とかでA&Mサウンドの和製化に成功しとるんよ。
まあ、数年前リバイバルしたというか、なんでも、ドラマの主題歌で使われたみたいで、その時出たシングル買っておいてあったからいいようなもの"当然廃盤になっていて、他のCDとかでも聴きにくいんではないだろうか。
このマキシシングル、カラオケ込みの4曲入りだが、他の2曲、You make me happyやらストーンズのAs Tears goes Byやら入っていて、これもまたスバらしいわけよ。
それが、80年初頭やたら出た80年代風フィフティーズサウンドの典型みたいなウソくさい胸キュンサウンドだが、それが、わかっていても、もうだまされてもいいや!、と半ばヤケクソになっても、胸キュンしてしまう。
80年初頭のある時期、奇跡的にカヴァーをする時、本来のおいしいとこだけは変にさわらないで出すのが流行ったんはホンマ奇跡としかいいようがない。
後世、ずっとその時代時代にカヴァーは作られているんだが、どうも、ナウいことへのスケベ心が過大で、そっちへ色目ばっかつかうせいか、ロクなもんあまりないのだ。
このマキシシングルの元になった80年に出たアルバムの方の(こっちはアルバムの画像すらない)
ドゥー・ユー・リメンバー・ミー岡崎友紀
1. ドゥ・ユー・リメンバー・ミー
2. ウォッカ・ツイスト
3. ユー・メイク・ミー・ハッピー
4. アイドルを探せ
5. アズ・ティアーズ・ゴー・バイ
6. メランコリー・キャフェ
7. 雨の街
8. 恋のジャック&クィーン
9. さよならフォー・ユー
10. タキオン
もCDで復刻されておるんだが、既に廃盤、曲名みているだけで、よだれがでる。このアルバムに入っている「アイドルを探せ」は下のコンピで聴くことがでけるが、これも、オリジナルのおいしいとこに忠実で、オリジナルのシルヴィー・バルタンのほわほわほわしたあたりが残されていて、好感が持てるちゅうもんよ。
で、肝心の「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」 聴けるアルバムちゅうと、オレが調べた限り、下のコンピぐらいか。
"CITY POP ~WARNER MUSIC JAPAN edition"
おお、「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー 」やらたっぷり聴いたんで、風邪が治っている!死ぬかと思ったが、no music,no lifeちゅうけど、lifeって命のことだったんだね。
それはそうと、今、TSUTAYAで「奥さまは18才」のDVDがレンタルで出てたの思い出した。うーん、借りても、エエが借りたって、全部観る根性はないからなあ。どうしましょ?
ecto使ってみる
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2007年8月28日火曜日
八月二十八日
2007年8月27日月曜日
こりゃダメだ
asahi.com:水飲みすぎてキリンが死ぬ 酷暑も一因か 徳島の動物園 - 社会で、内閣改造。 これじゃ、アカン。 アカンちゅうんは、安倍内閣に持っていたある種の「幻想」がぶっこわれたしまったことにある。 まあ、最初のは、村山首相の震災時のいい訳「なにせ、初めてじゃけん」と一言云うてくれたら、ボロボロでもかまわなかった。 で、今度が勝負やと思てた。 ガッカリだぜ。 実は、本人は気がついていないが、たとえていうなら、八月十五日堂々と靖国参拝するような首相を期待していたんである。例によって例の如く、朝日を中心としたそのスジのメディアが大騒ぎ、おとなりの半島やら大陸部の国ではまたもやヒステリックな反日運動しよるだろう、それを堂々と論破する、そういう人物だと、思っていたんであーる。いや、期待していたんであーる。もちろん、それはオレだけではないだろう。 今回、そうした期待は単なる「幻想」ということがわかった。党内ですら、これほど、顔色伺っているんである。 まあ、朝日=讀賣=日経は、「幻想」とわかっていても、依然、追い落としの手をゆるめないだろう。組閣にあたって、身辺調査やったそうだが、メディアが本気になったら、なんぼでも、重箱の隅から、あれやこれや出てくるんじゃないか。 いつまで続くかわからんが、せめて、拉致問題だけは、いかなる手段を使ってもええから、スッキリさせてから、辞めてくれ。
徳島市渋野町の市立とくしま動物園の人気者だったキリンの「ウメノ」が死んだことがわかった。4歳7カ月の雌で、アフリカのサバンナ地帯を生息地とするマサイキリン。死因は消化器系統の機能障害で、暑さのために水分を取りすぎ、水に混ざった砂が胃に急激にたまったとみられる。酷暑による体力低下も一因とされ、関係者は予想もしなかった事態にショックを受けている。
2007年8月26日日曜日
八月二十六日
2007年8月24日金曜日
八月二十四日
2007年8月23日木曜日
八月二十三日
2007年8月22日水曜日
八月二十二日
佐賀北、すごかったねぇ。満塁ホームランは伝染する、という昨日とかアホなことを考えてみたが、佐賀北にもうつってしもた。鳥インフルエンザが豚に感染したようなこっちゃ。感染力が強いみたいですなあ。
昨日はちょっとエキサイトしてしもて、ここへ書くんはしょってしもたが、You Tubeで山口百恵みとった。
そいで、あらため思ったわけだが、エエ女やんけ。
オレの場合、中学の頃、ラジオで、森昌子「せんせい」、聴いた瞬間、阿久悠とその一派の歌謡曲マジックにかかって、もう、好きとか嫌いとかわからんまま、妙に耳に残り、授業中も「それはせんせーぃ」とか口ずさむありさま。
こりゃ、いかん、ということで、シングル買いに行って、オレがイメージした森昌子と、ジャケットで初めて遭遇する森昌子のじっさいとの、あまりのギャップに、ギャフンとなり、強烈なトラウマとなり、同時に売り出された桜田淳子も山口百恵も「森昌子」に似ているような気がして、つまり、ぶっちゃけ、花の中三トリオはブスばっか、という先入観を持ってしもたわけだ。このあたり以前も書いたと思うが、まあ(念のため、くれぐれも。もし実生活でかの三人風ルックスおったら、じぇんじぇんオーケーですよ。ハードル地面すれすれ男ですから)。
まあ、そういう、こと。
で、昨日はYou Tubeで百恵ばっか聴いとったが、今はもう、ええわ、ちゅう状態になっとる。なんやかんや云うて、一生懸命歌っていんやろけど、基本的に無表情やろ、山口百恵。オレとしては、やっぱ、スケベな歌は思いクソスケベに歌う(たとえば、です)タイプの歌手が好きなんや。
70年代の歌謡曲って、もう、なんか、ヒットさせるシステムが確立してしもたんか、くりかえして聴くと、計算づくの演出があざとく、感じてしまうんや。
ちゅうことで、60年代末期、全員ミニスカだけが売りだった女性グループサウンズ、ピンキー・チックスと、大映とかでエグイ色気を発散させとった安田道代が、「抑制」とっぱらって、思いクソ歌っている下のようなヤツにやっぱ、戻ってしまうのであーる。当時の映画からのシーンらしいが、このシーンだけ目当てでも、DVD出たら買ってしまいそう。ここで聴かれる、邦生ばりのキェーちゅう声山口百恵には百万年かかっても無理だろう。
2007年8月21日火曜日
もう、こんなん、シャレですまへんわ
一部の球団で、満塁ホームラン打たれ病という悪質の病気が流行っています。気をつけましょう。今、最先端の研究から、予防策の一つとして、打たれそうならもう、危険球にしちゃうというのがありますが、そういうのは、野球がガラの悪くなりますから、オススメできません。勝てばええ、というのは、あきまへん。 ・・・とか、もう、こんなん、シャレですまへんわ。
「ああいうことを許していたら、野球にならない」とヤクルト・古田監督は感情ムキ出しで怒った。7点リードをひっくり返されたことではなく、二回に武内がジャンから頭部に投球を受けた場面だ。5点を失い、さらにボークの判定に不満の色を示した後の危険投球だ。打席の武内は「周りには(ボールになった)1球目から狙われてる…といわれたけど…」と困惑気味。同監督は「ボクは故意だと思う。(ボークと判定した)審判に対してやっている」とやり場のない怒りをぶちまけた。 [FromSANSPO.COM > ニュース速報]
久々に古田がええこと云うとるのも喜ばしいことであるが。 実際、感じ悪かった。まあ、その感じの悪さも明日の関西のスポーツ各紙では、満塁ホームランとかで7点差をひっくり返したこと、とかで埋め尽くされて、例の脳みそ全く使わず書いたような、ばんばんじゃーいようやったようやっったモードで、見事隠蔽され、無かったことにされてしまうだろう。
そいじゃあんまりだから、オレも魂を悪魔に売る。たった今から、大嫌いな球団だが仕方ない、巨人と中日と横浜、応援する。
2007年8月20日月曜日
三島由紀夫に捧ぐ
またも、模様替えしてみる。・・・が。このBloggerで用意されているテンプレートをちょこっといじっただけなのだが、バカみたいに時間がかかる。
三島由紀夫の文化防衛論読んだ。
これは、本のタイトルの論文は、読んだんがオレだから例によって例の如く、なにかようワケわからんが、そのあとに載っている、学生たちとの討論とかが、オモロイ。
それこそ、当時は60年代後半、激動の時代。
本は大学紛争まっただなか、チェコでは自由化運動である「プラハの春」がソ連軍の侵攻を呼び、フランスでは5月革命がド・ゴールにうまいことまるめこまれ、ベトナム戦争は世界各地に反戦運動を呼び、中国では文化大革命とかで紅衛兵が暴れる・・・エトセトラエトセトラの60年代後半まっただなか、三島由紀夫が単身、大学に乗り込んで、サヨクじゃない根性のある左翼思想かぶれ暴れまくってた当時の学生たちとの討論会だ(後ろに年表が載っていて、当時の世界での出来事見ているだけでも、興奮してくる)。
そいで、あとがきの後ろの「果たして得ていない約束・・・私の中の二十五年」というエッセイというか論文というか短い文章がのっている。でも、こっちはわかりやすい。涙が出た。
圧巻は、
「日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口もきく気にもなれなくなっている」
という、有名な一節であろう。
1970年の11月のあの事件、何であんなことしたんだ、って、みんな謎だ謎だ、ちゅうとるが、これほどわかりやすいことばで、自らちゃんと書いていたんである。
同時に、今の今まで、まったく、一字一句変わることなくウチの国をあらわしてしてしまうのが、悲しい。
三島由紀夫があの事件を起こした1970年の時点なら、まだ、なんとかできたかもしれないが、もう、今じゃ、その修正は遅すぎるんだろう。いや、遅くないかも知れないかもしれない、ようわからん。
ホンマ、ケッタイな国に生まれてしもたもんである。
要するに、ウチの国のケッタイさの理由は、簡単、上の世代から下の世代への伝承が機能しなくなってるだけなのである。新しいもんが古いもんより必ず良ければ、文化がどーのこーの云わんでもエエやろが、そうじゃないからなぁ。どんどん、金ばっか増えて、考えへんで新しいもんに飛びついていくだけから、どんどん、ちゃらちゃらしたアホになるわなあ。
釜が崎や山谷とか・・・失礼、今は安全らしいから、どこぞの国のスラム街を、ミニスカでノーパンで歩いているようなちゃらちゃらしたおんなのこが、六十何年か、今まで襲われなかったから、と云って、ミニスカでノーパンだからこそ、襲われないことにはならないのに、そう無理矢理信じ込んで、これからも、絶対、ミニスカでノーパンだけは変えませんよ、ちゅう国で、ほんまどこまでいけるんやろか。
そいで、そのおんなのこは、パープーでアホやらから、時代が進めば、どんどんちゃらちゃらしよるわけや。
もちろん、ボディガードかなんかしらんが、ケンカが強そうなだけで、ワガママで少々ノータリンの大男の後ろをひたすら、ついて歩くわけだが。
オレなりにこの本から、無理矢理三島由紀夫の云いたいことを引き出すと、「ミニスカでノーパンでちゃらちゃらしたおんなのこ」じゃなくて、パンツを、いや、「フンドシ一丁」か?、でええから、おとこ」でボディガードなしで、ひとりで歩け、ちゅうことかもしれん。
もちろん、男やから云うて、いろんな趣味の人がおるから、安全ではないけど、その時は、ケンカしなさい、ちゅうことなんやろな(フェミニストに怒られるか・・いや、三島由紀夫ファンにも、ウヨクの人にも怒られるか)。
ノーパンならそうそうケンカなんかでけへんが、パンツないしはフンドシはいた瞬間でまわりとケンカができる状態になるわけだが。
2007年8月19日日曜日
八月十九日
夏もそろそろ、後半。夕方は雷雨。久々に涼しい風が吹いてきましたわ。
この夏猛暑でしたが、ずーーーーーーーーっと寒い寒いチームがございまして。今日はもう氷点下。
満塁サヨナラホームラン・・・。
この満塁サヨナラホームランに大喜びしとる人たちもおられると思うと、世の中、矛盾だらけだと思います。政治ではアベを応援してたが、野球選手のアベには、もう、これから、なにがあっても、あっても口きいてやらん。
昨日は友人のご家族に不幸があり、お通夜へ行ってきた。礼服のズボン、縮んでしまったようで、ウェストがキツく・・キツくどころではなく、ジッパーも全部締まらないようになってしもた。不思議な縮み方で、縦方向には縮んで無く・・・アホらしくなったんで、やめるが、正直、オレのウェスト5年前より6センチも増えてしもたがな。はっきりいって、腹が出ました(正直者!)。
ということで、今宵はこれにて、筆をおきたいと思います・・・満塁サヨナラホームラン・・ああ。
2007年8月17日金曜日
八月十七日
2007年8月15日水曜日
八月十五日
2007年8月13日月曜日
八月十三日
「日本映画史100年」 四方田犬彦と「邦画の昭和史」 長谷部日出雄
今日は本の感想文。
「日本映画史100年」 四方田犬彦著
新書で日本映画100年をざっとではなく、かなり詳細に解説してある。すごい情報量である。ただ、やっぱ、それだけの情報量をまとめるので、イデオロギーっぽいのを使っているんで、70年代あたりのオレのキライなATGやら独立プロの作品、やたら、持ち上げているあたり、香ばしい。あと、日本映画を形容するのに、ほら、ブニュエルとかパゾリーニとか持ち出したりする。こういう感覚自体古くさいということがわかって書いているんか、無意識のうちに、やはり、こうした古い文体に頼ってしまっているのか。
それはしゃあないとして、日活のところに入ると「率直にいってわたしは、この瞬間のために、本書のこれまでの部分を執筆してきた気がしている」と、おおおおおっ、と思わせておいて、2ページほどで終わってしまう。うーん。
「邦画の昭和史」 長谷部日出雄
こっちは、「スターで選ぶDVD」と副題、帯の惹句が「失われたかっこよさを求めて」
という割り切り方がいい。
こっちの方が、当然上記の本より、明快、わかりやすい。そして、若々しいのである。
四方田犬彦は5つ年上の1953年(昭和28年)生まれ、そして長部日出雄は25年上の1934年の昭和9年生まれである。
本の性格そのものが違うんで、同列で比較するんは、良くないが、ともかく、映画産業そのものが落ち目で、他になんぼでもオモロイことがある中、何らかの理屈付けをせな、わざわざ映画館に足を運べない世代と、映画が全盛で、そこいらに映画館がフツーにあって、しかも映画館がほぼ満員ちゅう時代において、映画そのものがごくごく自然にカラダの中に入ってしまっている世代との差を感じた。
まあ、オレとしては、映画はキレイ姉ちゃんが出てて、音楽が良かったら、そいで、エエ、ちゅう程度ですよって。
日本映画史100年
邦画の昭和史―スターで選ぶDVD100本
2007年8月12日日曜日
DVD三昧
2007年8月10日金曜日
八月十日
快晴。暑い。
やっぱ、ブログのタイトルちゅうたら、梶芽衣子に決まっとる・・・のだが、うーん。
もう、スワローズはスワローズはスワローズは・・・・。おもわず、ジャックスの「堕天使ロック」歌ってしもた。もう、こないなったら、ころがっていけ、くずれていけ、おちるとこまで、おちていけ、の気分だ。
さあ、みんなで東京音頭を踊ろう。
昼飯時、ディリースポーツ、見てたら、やっぱ、神懸かりになってきとる。
デイリースポーツonline
「伝統の一戦」第3ラウンドは延長十二回引き分けに終わった。最後は阪神・藤川球児投手(27)が2回無失点。七回以降、JFKがG打線の前に立ちはだかり、3人で6回0封に抑え込んだ。またも岡田彰布監督(49)が予言した通りの展開。1点を争う緊迫した戦いとなった
とくにここの部分だ。
またも岡田彰布監督(49)が予言した通りの展開。1点を争う緊迫した戦いとなった。
ネットで出ている記事では、この程度で抑えてあるが、紙面では一面1/4は岡田監督がいかにこの讀賣3連戦を予言しまくって的中させたか、力説し絶賛してあった。裏の二面では江夏が、野球の素晴らしさを熱っぽく語っていた。
試合は単に引き分けで、勝ったわけでないのに、紙面では、引き分け=負けではない=勝ちと一緒、と強引な論理展開が昨日の試合において、記者ファン選手監督全員に、暗黙のウチに行われているらしく、もちろん、そんなことがわからない東京ヤクルトスワローズファンのオレは、読んでて非常に孤独になったものだ。ボークを出して日本記録を出したジャンだけが、極めてユーモラスに揶揄されている程度、後は、絶賛絶賛絶賛である。
イヤな傾向である。
今夜も勝ったし、ますます、こうした、超自然的な何かに言及した記事が増えると思う。
岡田監督も今は細木数子程度の予言を的中させているだけだが、そのうち、どんどんスピリチャルの領域に入って、江原啓之並みに、絶頂期の江夏や村山を今のピッチャーの誰やらに憑依させたり、、1985年や2003年2005年・・下手したら1964年の試合を今に蘇らせるようになるかもしれん。
東京ヤクルトスワローズファンのオレが推測するに、おそらく、3位に入ってプレーオフ制して優勝、ということがもう、ファン、球団、選手、メディア内でもう暗黙の了解事項になっているような気がする。いや、3位に入って・・・はこういうテンション時の阪神ファンの頭には、今までの経験から云うて、余計かもしれない。そんなまどろっこしいこと考えへん。ということは、ペナント1位、そのままセ・リーグ優勝、ひいては日本一が既に了解されているのかもしれん。
これは、悪口でも何でもなく、オレがアンチタイガースやから、こういうこと書いとるわけでも、ない。
それが証拠に上の記事は、下のようなテンションを遙か頭上3万メートル上空に保ったまま、しめられているんである。
デイリースポーツonline
試合後の通路に、この夜も無数の汗の滴を落とした。いばらの道も、笑顔で歩くと心に決めている。気力一瞬-。たとえ体が疲れても、心があるのだ。猛虎を支えようとする心に、限界はないのだ。
・・・老婆心ながら、ひとこと。なんやかんやいうて、体が一番ですよ。
2007年8月9日木曜日
八月九日
2007年8月8日水曜日
小山ルミとヴィッキーの「マイ・スウィート・ロード」
小山ルミの三枚のCDも来て、感想文かいたろ、と思てたが、よう考えたら、アルバム単位にあれやこれや書くんは苦手で、それを三枚も無理や。
そうこうしとるうちに、ヴィッキー(ギリシャ人のくせにフランスで「恋は水色」大ヒットさせた歌手)のベスト盤も来た。
そいで、小山ルミの「小山ルミ ビートルズを歌う」(1973年発売)というビートルズの曲を全部日本歌詞(山上路夫作詞)で歌っているアルバムの最後が、「マイ・スウィート・ロード」や。もちろん、厳密に言えば、ビートルズじゃなく、ジョージ・ハリソンがソロとして出したアルバム(1971年)からの曲だが、オレの大好きな曲やねん。
ヴィッキーの方(いつのか書いてないが、71−73年あたりだろう?)にも「マイ・スウィート・ロード」が入っとる、それも日本語詩やねん。
こりゃ、オモロイ、ちゅうわけで、ジョージ・ハリソンのヤツあわせて、3曲かわるがわる聴いとるわけや。
小山ルミ、1973年ともなると、なんか、メチャクチャ、歌がうまくなっとる。声がすごく伸びるようになったのか、声を張り上げて無理矢理音符に合わせるという強引さがなくなり、すんなり、聴ける。このきれいなギターの音が特長な曲に、ぽこっと、はまりきっとる。
ヴィッキーの方は声がなにせ、透明感あふれる曲「恋はみずいろ」で一発当てた歌手だ。ちょっと日本語歌詞故のたどたどしさはあっても、透明感の中にほどよく感情を入れた声。
どっちも、ええ。
もとのジョージ・ハリソンの方、ちゅうたら、知っとる人は知っとるやろけど(You Tubeでは、http://jp.youtube.com/watch?v=95LFNe3Uw-w
)、ジョージがインドに傾倒しまくってた時、えー、ややこしいから、引用すると
マイ・スウィート・ロード - Wikipedia
歌詞は当時ヒンドゥー教に大きく傾倒していた彼の神への信仰心を歌ったもので、楽曲は同じようなフレーズを繰り返す構成となっている。ハリスンのバージョンは同年の11月23日に自身のアルバム『オール・シングス・マスト・パス』からの先行シングルとしてアメリカで発売され、1971年1月にかけて世界各国でシングル発売された。
マイ・スウィート・ロードちゅうんは、ハリ・クリシュナちゅうヒンズー教の神さん賛歌やねん(途中、コーラスの中に、ヴィシュヌやらいろんなヒンズー教の神々も登場するが)。上の絵がそうらしいんや。http://ja.wikipedia.org/wiki/クリシュナ
歌詞の方は、呆れるぐらい、シンプル。
「My sweet lord
Hm, my lord
Hm, my lord
I really want to see you
Really want to be with you
Really want to see you lord
But it takes so long, my lord」
の繰り返し。ほんま、インドに凝るのも、考えもんで、あらためて歌詞みて、この頃のジョージ・ハリソン、大丈夫かいな、と他人事ながら、心配になってくる。
小山ルミの歌詞の方は、ヒンズー教に凝ることもなく、思い切り意訳してあり、フツーのラブ・ソングというか結婚式ん時の二人の誓いみたいな歌詞。
「マイ・スウィート・ロード
あなたと私は
生まれた時に 結ばれるのと
決められてたの 愛の神によって
(2番略)
マイ・スウィート・ロード
あなたと私は
いたわりあって 傷つけあわずに
生きてゆくのよ
肌を寄せ合い愛の長い道を」
(1973年 訳詞千家和也)
lordとroad取り違えているような気がせんでもしないでもないが、小さい問題だ。
ただ、さいしょの「あなた」と「わたし」ちゅうんは、かなり、歌にのっていないというか、語感にかなり違和感がある。
ヴィッキーの方の訳詞が誰かはCDのライナー裏ジャケくまなく探したが記載無し。JASRACで調べたら、星加ルミ子の名前があった。
星加ルミ子の訳詞かどうか、はっきりしないまま、引用するが、こっちは、こういう感じ。
「愛をなくし 生きることさえ
あきらめていた 私だけど
神よ マイ・スウィート・ロード」(一部引用)
さすがに、こっちも、失恋して、神に頼るちゅう話になっている。
「神」がハリ・クリシュナとも、フツーにキリスト教の神さんでももちろん、ワシらの八百万の神々さんとでも取れる内容。しかも、神さんを頼みとする内容で、元の歌詞からさほど、離れていない。
まあ、ちゅうことで、歌詞というか訳詞だけでも、これだけ、オモロイことが見つかるわけで、この頃の歌謡曲の太っ腹ぶりには感心するのであーる。
・・・しかし、構想2週間。
ビートルズを歌う-小山ルミ
恋はみずいろ~ヴィッキー・ベスト・セレクション-ヴィッキー
オール・シングス・マスト・パス ~ニュー・センチュリー・エディション~
2007年8月7日火曜日
八月七日
2007年8月5日日曜日
八月五日
模様替えしてみたが、簡単に模様替えがでけるんで、もうバシバシ模様替えするつもり。
いやあ、今日日のブログちゅうんは、数年前から比べたら、もう、スゴいわ。21世紀やのぅ。
左に動画とかでける。懐かしい「どんぶり5656」での、中島らもと竹中直人の強烈な勝負。
スワローズ、今日みたいな大敗は、むしろ、アキラメがついて、よろしい・・・。わかった、もう腹を括ったよ。最下位さえならんかったら、良しとする。
しかし、ワケのわからん時代になってもた。
朝青龍については、ケガで休場してサッカーしとったんで、「けしからん」ということになって、半端じゃなく、叩かれていたが、朝青龍「神経衰弱、抑うつ」診断 親方は「辛抱も必要」 | エキサイトニュース、まあ、額面どおり受け取るべきじゃないが、ちょっとイジメ過ぎだったかも。前の農相といい、確かに本人が悪いんだが、あるところから、その人を明確に破壊してしまおうという容赦ないイジメがえんえんエスカレートしてしまうような気がする。
そうかとおもえば、光市の事件のように、凶悪きわまりない犯人に対しては、何故か、大弁護団による、殺人犯でも悪くは無いんや、ちゅうワケのわからん弁護。強引に、死刑はおろか、無罪まで勝ち取ろうかという、あきらかに、被害者・犯人を度外視して、裁判での勝ち負けだけの、歪んだ「人権」裁判。
裁判による死刑(体制による殺人と彼らは主張する)には、イチャモンつけるのに、マスコミによる私的なリンチでは見て見ぬフリ。まちがってござる。
100%自分が安全な位置にいることを確認して、つまり、リスク0にしといて、「責め」るから、こういうことになるんだろう。
今日は下におまけ、あり。
祝「恐怖のショック療法」再発売
ちょっと音楽、この前、iTmsで、ジェファーソン・エアプレインのBark買ってしもたり、ちょっと、気分はワナビーアメ公状態。
だからではないが、アマゾン、久々にチェックしてたら、長らく廃盤になっておった、エドガー・ウィンター・グループの「恐怖のショック療法」(Shock-Treatment)がカップリングで、再発されていた。
素直にうれシー。
They-Only-Night&Shock-Treatment
中学生の頃つまり、70年代前半、ちゅうのは、ロックのブランド化みたいなのが激しく、ロックにも「名盤」というのが出そろった時期でもあった。
聴いてエエのを聴くのではなく、誰かがエエというのを聴く風潮が最も高く、オレみたいに、オールマン・ブラザーズやバンドはふぬけたようにしか、聞こえず、ピンク・フロイドは単に退屈、キングクリムゾンはしんどい、イエスをは眠たくなり、ディープ・パープルは長い曲がしんどい、ジョン・レノンは小野洋子にたぶらかされたか脳内花畑ソング連発でさほどジョン・レノン信奉者でなかったんで、うんざりするだけだった。
「シャキッとした短いの聴きたい・・」と思ってたオレに取っては、そうした音を出すグループを見つけるのはずいぶん、苦労したもんだった。
そんなオレが、1974年に出された「恐怖のショック療法」というおバカな邦題のこのアルバムはまさに、オレが聴きたい音のオンパレード。ポップでミーハーで、気持ちいい音のオンパレード、もう、狂喜乱舞して、擦り切れんばかりに、聴きまくったものである。
以前再発されたヤツはプレミアついていて、今現在12000円ほど。・・・高すぎるわ。
2007年8月3日金曜日
細いナイフを光らせて、憎い男を待っていた
今日のNHKのプライム10は阿久悠(http://ja.wikipedia.org/wiki/阿久悠)。曲名は知らんし歌手が誰かも知らないが、曲や歌詞が強烈に残っている曲が多いのでびっくりする。
ひょっとしたら、60年代末期の激動期、一番、ウチの国で「革命的」変化が起き、しかも、成功したんは、歌謡曲ではなかったんか、と思ったりする。
阿久悠氏が亡くなって、実は、オレも大それたことに阿久悠について、書いたろと思たのだが、iTunesのオレのライブラリに、ジュリーのヤツはたった一曲「勝手にしやがれ」、ピンクレディも二曲あることはあるが、よりによって、「波乗りパイレーツのシングルB面」と「AMENIC-逆回転のシネマ」というどマイナーなありさま。石川さゆりや都はるみに至っては痕跡すらない。
まあ、ジュリーにしてもピンクレディにしても、歌謡曲全盛の70年代という時代、旬の歌手の旬の曲というものは、オレの好き嫌いなどお構いなしに、また、こちらが一度たりとも積極的に聴こうとしなくとも、ありとあらゆるところから、信じられない回数聴かされて、力づくで、中に入ってくるもんなのであり、今になっても、そのtoo much感はぬぐえていないんであーる。そやからなあ、ジュリーやらピンクレディとかあらためて聴き直すには・・
(以下のリンク先は全部、JASRACの曲データ)。
思わず、かべぎわに寝返り打って、着ては貰えぬセーターを寒さこらえてあみながら、どんな嘘をついてやろうかと考えとるわけだ。手を合わせてみつめるだけで、わかりあえたらいいんだけど。
愛というのじゃないけど、なにか、書きたいもんですな。
ざんげの値打ちもないけれど。スワローズ、勝てる試合はちゃんと勝とうキャンペーン実施中にもかかわらず、負け。