寒い。3月。
昼は、駅前のデンマーク人のやってるホットドック、喰う。やたら、凝りまくったホットドックばっかで、迷っていると、デンマーク人、「おいしいホットドック、どれか、聞きなさーい」というので、「おいしいの、どれ」ちゅうて、選んで喰った。まあ、おいしかった。しかし、バカな会話である。
引っ越ししたら、入り浸ることになるんだろうか。数年前まで、須磨駅構内にSUBWAYがあったのに・・・。まあ、いろんな味が入り混じったホットドック喰いながら、改めて、メニュー見てたら、サンドイッチの方に、シュリンプなんちゃらがあったんで、今度、それを喰ってみよう。まあ、通いつめたら、オレの気に入るヤツを一緒に作れるかもしれん。
さて、ジャマイカの音楽の歴史、またも、昨日から、ついに、スレンテン誕生のあれやこれやが、ツイートされ、つい、興奮する。いや、興奮を思い出した。
ロカビリーにもグループ・サウンズにもサマー・オブ・ラブにもパンクにも間に合わなかった。でも、スレンテンには間に合った(ただし、10ヶ月遅れ、それも、モンテゴベイの観光ホテルのディスコでのことであるが)のだ。
まあ、こっから先は、不愉快に思われる方がおられると思うが、許して。このブログは、本も音楽も映画も、エモーショナルにしか書けない人物がやってます。
そして、もう、おそらく、この先、いくらジャマイカの音楽聴き続けても、この興奮は二度と味わえないって気がついてしもたからなあ。でも、そのことに気がつくまで、10年はかかったけど。ブジュやニンジャマンがどれほどスゴいDJであっても、時代は変えない。でも、つい求めてしまう。だから、いつも、裏切られる。
オレはカッコいいDJのパーフェクトなプレイも、最高級に気持ちいい歌声を聴きたいんじゃなかった。その程度の感動なんかいらない。
一瞬で、一挙に、それまでオレの中で大きな位置を占めていた存在を、葬り去ってしまう、あの感覚である。あの興奮である。
そして、同時に、このオレですら、ひょっとしたら、スーパースタァになれるのではないかという高揚感(注、オレが現実にそう思ったわけではなく、喩え)。
実際、スレンテンによって、どんだけの、シンガー、DJが、生まれてきただろう、いや、生まれてきたというより、わさわさ湧いてきたというのが正しい。
ベテランも新人も素人もみんな平等。チャンスなんか待ってられない、他人を押しのけても、ヤル。
そういうパワーだ。スレンテンの誕生により、そういうパワーで満ち溢れた。楽しかったなあ。ワサワサ感、ごちゃごちゃ感、グイグイ感・・・老人の繰り言。
あと、テナー・ソーの死もショックだった。はじめてかな。よみうりランドかでやったライブに出てて、終わったら、会場のそこいらうろちょろしてて、声かけて、握手たのんだら、白い歯キラっとさせて、両手で握りしめてくれたよ。イイ奴そうだった。
それが、約一年後だぜ、死体で発見されたのは(オレはNYのハドソン川に浮いてた、と記憶したが、テキサス州だそうだ)。
ジャマイカのミュージッシャンは、よく突然、死んじゃうことが多い。でも、自然死が少ない自殺も少ないということを知識としては知っていたが、生まれてはじめて実感した。
まあ、オレは、ハマってばっかだけど、最近の方々は、古いジャマイカの音楽聴いて、鳥肌立ててばかりおるけど、そういうジャンルやなかった筈。
やっぱ、聴く方は「ひょっとしたら、これで、時代が変わってしまうかもしれない」緊張感、「そこいらの連中みんなひきずりこんだるぜ」緊張感を、心の片隅にでも置いておいて欲しいもんです。正直、それ、どっからも、感じられへん。内輪受け、仲間内でのヘゲモニーしか、狙っていないような気がしてしょうがない。
以上、けっして、真に受けたら、あきまへん。
けど、フツーの人を、引きずり込むパワーは、アイドルやタレントとか声優のおんなのこに、完全に負けとると、思いまーす。ちょっとは、マネしたら、ええねん。マス対コアでいうたら、AKBはコアやで。コアでマスや。コアだけやったら、確実に、負ける。