映画監督 村川透 和製ハードボイルドを作った男
「映画監督 村川透(和製ハードボイルドを作った男)」読み終える。
ちゃんとした書評とか、わかりやすい感想文は、Amazonレビューや、その手の方のブログなりTwitter等探してくれ。オレはまともには書けない。
おもしろかった。ちゅうか、日活(アクション)の香りというか匂いというか、味というか、テイストというこか、なんちゅうのか、そういうもんをよくぞ、ず~~~っと、今の今まで、残しておいてくれたものだ。「さらばあぶない刑事」の監督である。
それに、かなり刺激的な本だった。
ドラマ版の「あぶない刑事」が始まってまだ、試行錯誤状態での、くだり、「村川(透)さんは日活の王道舛田(利雄)組で、長谷部(安春)さんは、鈴木清順派らしいからね」(P226)というのを読んだ時、ハッと気づき、ため息をついた。読み方、間違えていた・・・。
オレは、読み違えていた。
山形出身の村川が日活に入ったものの営業で、いっぺん退社してから、制作に入り直し、苦労して、助監督になり、苦労して、舛田利雄の助監督になり苦労して「トラ・トラ・トラ」でも苦労する、あーえらいな、オレにはマネはでけんな、やっぱ、関西人とはちがうわ、じゃ、アカンかった。村川透、エラいエラい、銅像建ててもらえ・・・。
浅はかだった。
日活の映画そのものを自らに叩き込んでいたのだ。
そうなんである。
オレの認識では、日活アクションは「紅の流れ星」を最後に60年代後半からは「ニューアクション」と変えたものの、1971年の日活ロマンポルノの登場を持って、「死」を迎えたものとばかり思っていた。だって、矢作俊彦がそう書いてたもーん。
いや、日活ロマンポルノ時代になっても、東映と寅さんが全盛になっても、スター・ウォーズが来ても、21世紀になっても、2015年になっても、連綿と、ず~~~っと、村川透監督作品に、日活アクションは生き続けていたのだ(と、考えてみることにする)。
修正。
(と、考えてみることにする)->かっこ取る
と、考えてみることにする ->みること、取る。
と、考える。
日活アクションは生き続けていたのだ、と考える。
「映画監督 村川透(和製ハードボイルドを作った男)」の、もう、感想文じゃない。
日活アクションの衰退については、いろいろ云われているが、ズバリ、「赤木圭一郎」の早すぎた死である。彼の死以降、日活アクションの担い手として、渡哲也がどうにか、という感じで、とてもじゃないが、赤木圭一郎の代わりにはならなかった。だから、ダメになった。いい俳優はもちろん、出た。高橋英樹も、いい。でも、日活アクションのスタア向きではなかった。
するてぇえと、だな、70年代に現れた「松田優作」に、「赤木圭一郎」を見た・・・というより、「赤木圭一郎」の死でぽっかり開いたポジションがようやく埋まった、と興奮した層はかなりあるのではないか。
ここまでは、もちろん、推理・・・いや妄想である。
するてぇえと、オレが、何をしないければならんかというと、遊戯三部作を、観直すこと、それも、70年代の「日活アクション」として、観直してみなければならないわけだ。
めちゃくちゃ、しんどい。だって、小林旭も石原裕次郎も赤木圭一郎を知ったのは、松田優作より、ず~~~っと後なのだ。
しかも、遊戯三部作なまじ、リアルタイム(もしくはヴィデオ化されてから)で見ているもんで、それを今更、「日活アクション」として観なければならない(と、しんどそうに書いているけど、実はへーっちゃら、好きな映画なんで、フツーに観直せばいいだけ、ちょっとだけ、日活アクション意識して、あ、あ、あ、あ)。あと角川の「蘇る金狼」と・・・あ、「野獣死すべし」は、面倒くさいから、観直さんとこ。リップバンウィンクル。
と感想文書く、つもりが、わけのわからんもんになってもた。
まあ、それだけ、この本がオレにとり刺激的だった、ということだ。
それに心配するな、ちゃんと、榎木兵衛氏、この本に登場している。
映画関係者にメッセージ、スカッとする映画、カッコいい映画、カッコいいアドリブが飛び交う映画、これからも、作ってくれ。そいだけでエエねん。