2011年12月5日月曜日

12月5日

 ぐらんこんとろるつーめーじゃたん。
 おお、今は、ついに、デヴィッド・ボウイ聴くようになってもた。
 ちょっと、「ロック」聴き始めたりして、オレの「ロック」の知識ちゅうものが、1985年あたりで止まっていることに気がついて愕然としているところである。

 中学に入った1971年あたりから、岡崎友紀〜カーペンターズ〜ビートルズ〜キンクス、T.Rex、パリスやエドガー・ウィンターグループときてレッド・ツェッペリン、すぐにヤードバーズ聴き始め、以降パンクが出てくるまでは70年代のほとんどは「60年代」を聴くのに、費やし、80年代に入ったら、ニューエイジステッパーズとクラッシュ経由で、ジャマイカの音楽という深い深い落とし穴に文字通りずぼずぼっとハマりまくり、弘田三枝子とジャックスと一部のヒップホップを除いては以降20年、ずーっとジャマイカの音楽ばっか聴いていた。ジャマイカの音楽の奥底深く埋没しとったわけだが(もちろん、その「奥底」ちゅうとこは、めちゃくちゃ気持ちエエ)、今世紀になって、地元ローカル女性レゲエバンドが渡辺マリ「東京ドドンパ娘」をこれ以上できるかというぐあいに、下手糞にカヴァーしてたのを聴いて、胸がキュンキュンしてしもうて、「消すに消せない火」がついてしもうた。一瞬、ボーカルのおんなのこに胸キュンしたのかと思ったが、ルックス的にそれは無理とわかったのが幸いだった。

 で、歌謡曲が数カ月毎に「リズム」を変えまくっていためちゃくちゃな頃の音楽を聴いているうちに、ついに大原麗子とルビーズの「ピーコック・ベイビー」というスサマジイ曲にぶちあたり、大原麗子の調子外しまくっりながらもノリまくった声に一発でヤラれてしもうて、歌謡曲聴きまくり、今日に至るというわけである。もちろん、ジャマイカの低音欠乏症になる時もあり、その時はスナオにジャマイカの音を聴いた・・・・・ちゅうか、なんちゅうか、歌詞が日本語かどうかだけで、実は歌謡曲もジャマイカの音楽も、区別できなくなっていたのであーる。

 ロックの場合は、聴いていた昔、つくづく、思ったが、音楽そのものよりも、それに付随する「情報」が過多すぎて、シンドイことが多く、それも歌謡曲のように、ちょっと低迷してたが、ダイエットして美容整形してイメージチェンジしたら、また人気が出た、とかという微笑ましいエピソードちゅうもんじゃなく、音楽的にあれやこれやエトセトラエトセトラの「音楽評論」「音楽評論」した情報が多く、アホな俺は、「たんなるカス曲にしか聞こえないけど、実は聞く人が聴いたらきっとエエんだろう」とレッド・ツェッペリンのサードとかビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」、退屈しまくりながら、聞きながら思ったものである。楽器弾けるヤツは楽器弾けるヤツ的難解なこと云うし、今でも、アマゾンのユーザーレビューで見かけるがチャートでトップだった、なんとか賞を取った、誰それがプロデュースした、誰それがギターで参加している、何百万枚売れた、エリック・クラプトンが影響受けた、坂本龍一が褒めてた村上春樹が聴いてた、インド人もビックリ、エトセトラエトセトラ・・・・3回聴いて、クソやったら、なにがどうであろうが、クソやろう、というオレの音楽の聴き方が通用しない世界みたいなのである。
歌謡曲やレゲエ(まあ、レゲエでもボブ・マーレイ系統は除く)では通用するのが、「ロック」だけ、ちゃうんであーる。実はロックは権威の音楽なのであーる。

 

じすいずめーじゃたんとぅぐらんこんとろる

 ・・といえば、やっぱ、デヴィッド・ボウイの「Space Oddity」だぜ!・・・ダサさがカッチョいい!

 

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