昨日、いつものように須磨寺へ散歩に行くと、盆踊り大会やってて、須磨旧市街地の全ガキが集まったかの賑わい。
生和太鼓入りの「東京音頭」がかかって、とても嬉しかったです。広場の裏は山で囲まれていて、前は大池、オレは犬連れだったので、池の対岸で聞いたのだが、音的に凄く広がりが出て良かった良かった。山から吹く風が池の水面をちょっと波立ててたりして。
休みの間、ブログの整理をしようと思てたが、 夏バテでアホになっているらしく、うまくいかんかった。
前、一度紹介したと思うが、ほんま、この前、1965年のサンレモ 音楽祭での伊東ゆかりに匹敵するほど嬉しかったのは、日本初のプログレバンド四人囃子と、弘田三枝子の組み合わせの「空と雲」。75年のFMラジオからの録音らしいが、奇跡の組み合わせである。
四人囃子は、ファーストだけ、めちゃくちゃ好きで、その中でも、「空と雲」が一番好きだったーいや、「おまつり」が一番でその次に好きかも、まあそれはどーだってえーことだが、まあ、それもどーだってええことだ。
2008年8月17日日曜日
奇跡の組み合わせ
2008年8月13日水曜日
幻の「ローズ・マリー」と「ブルーシューズ」のダンスバトル
お盆。
オリンピックボイコットしとる上、スワローズがスワローズが・・・だったので、この前に引き続き、宝田明主演1968年の「100発100中 黄金の眼」、佐藤允がやっているオーディオコメンタリーの方にして、観る。
オーディオコメンタリー、いろいろわからなかったことがわかって面白い。おお、最初の主題曲、スキャットがやたらカッコ良かったが、あれを唄っているのが、なんと、あの久美かおり !(曲名ゴールデン・アイ 作曲佐藤勝作詞谷川俊太郎)。出演していないから、意外だった。
久美かおりの「ゴールデン・アイ」、オレが一時期バカみたいに聴いていた「髪がゆれている」とか「レナウンのCM ワンサカ娘」並みに、めちゃめちゃ、カッコ良い。「ゴールデン・アイ」では声はかすれたような低音が、おとなおとなしていて、かなりセクシーで素晴らしいの一言に尽きる。彼女、アイドルっぽい曲は、苦手だったのではないだろうか。
YouTubeにあげてみたいが、モロに東宝、ナベプロとメジャーどころ刺激しまくる気がして、そいだけの根性ない。それよりもなによりも、YouTubeに上げるまでの動画作るまで、膨大な時間がかかることだし。誰か、オレ以外の数奇者に期待。
NHK、朝の連ドラ「瞳」だが、急展開ばっかで、ついにとうとう、伝説のダンサーが鰹節売りになってしもたがな。それはそれで下町っぽいエピソードでエエのだが、オレが期待していた、「ローズマリー」と「ブルーシューズ」のバトルはあれ以来、なんどもチャンスがあったのに、無く、ローズマリーは解散、ブルーシューズも改心して大阪へ帰ってしもた。ブルーシューズ、だいたい、チーパスともバトルしてもええ展開だったのに、あっさり改心してどないすんねん!!!「せ、責任者でてこーい!(故人生幸郎師匠の口ぶりで)」。
「Wild Style」より好きな(好きだった)「Beat Street」のダンスバトル。ひょっとしたら、この程度のダンス、「瞳」が終わった後ちょこっと出てダンスしている連中より下手なんだろうが、ずっと、「自由」を感じてしまう。もちろん、黎明期と円熟しまくって糜爛状態にある今と比べたらアカンのだろうが、ひょっとしたら、日本人(というか汎エイベックス系の人々)、ヒッポホップ、受験勉強よろしく偏差値あげること目当てで「勉強」してしもたんでは?まあ、今や何の関わりもないからエエけんど。
2008年8月12日火曜日
「100発100中 黄金の眼」より沢知美「モッカラ・ゴーゴー」12th August 2008
"100発100中/100発100中 黄金の眼(ツインパック)" (宝田明, 佐藤允)
おばんでやんす。
沢知美の動画、YouTubeにアップした 。
宝田明主演の東宝映画「百発百中・黄金の眼」
ワケのわからん言葉で歌っているが、さすがは昭和43年の映画、これぞ、昭和元禄ハレンチの象徴みたいに、次から次へと衣装がかわってカッコいい。
この映画の主題曲の方もジャジーで(この単語、生まれて初めて使った)カッコいいスキャットがグッとくるのだが、下手したら、同じく出演している前田美波里の方かもしれず、確認中。
この映画、映画マニヤの人はどうかしらんが、だいたい、
前田美波里・
沢知美
という当時のハクい女優ツートップ体勢でほぼ、でずっぱりで、アクションシーンはあるわ、場面場面で衣装は変わるわ、オレなんかは大喜びである(昭和43年当時、フツー、世の中には、菅井きんさんや三崎千恵子さんの若いころみたいなおねえさま方たちであふれていたのであーる、今のように研ナオコレベルや山田花子レベルのおんなのこがうじゃうじゃしとるしあわせな時代ではないのであーる)
沢知美、過去、CDの感想文書いたことがあるが、女優や11PMのカヴァーガールしてたことぐらいしかわからん。googleったが、詳しい経歴わからず(出演映画はわかる沢知美 (サワトモミ))、また、CDもひっくりかえしてみたが、詳しい経歴等載っていない。
CDは映画の翌年、昭和44年(1969年)なのだが、上の動画のような、ぱっとした明るさなど微塵もなく、しっとりとした大人の薫りが濃厚で、たった1年で、進化というか変化の大きさに、昭和40年代の時代のスピードちゅうもんをひしひしと感じるわけである。
"人の気も知らないで" (沢知美)
2008年8月8日金曜日
YouTube - タモリ 赤塚不二夫さんへ 弔辞
合掌。
「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほ んのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代 は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになか った作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑い の世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことを やっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっき り覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出 来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わ りに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにい ろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな 決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き 合いが始まりました。
しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん 騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語 ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあな たに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っ ています。そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り 込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あな たがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もあ りました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々 あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言 葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な 笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこ ちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼ れ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』と また高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かして いったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れるこ とです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は 前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなた は見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした 何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しい ことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山 の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、 一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつ き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞 で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグな のかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんで した。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉 親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらな かったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今 お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうござ いました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義 」
[From YouTube - タモリ 赤塚不二夫さんへ 弔辞]
これでいいのだ。
2008年8月6日水曜日
伊東ゆかり「恋する瞳(L'amore ha i tuoi occhi)」 Sanremo 1965
まあ、この四月ようやっと、震災以来えんえん続いてた工事が終わり、千守の交差点から、月見山までクルマで一本で行けるようになりました。この道が通じるまでは、駅周辺やオレの家からクルマで月見山に行こうとしたら、狭い路地をくねくね曲がって行くか、海浜公園まで行ってからいかなアカンかったんで、須磨のチベット、と云われていた(もちろんウソです)のだが、これであっという間に着くようになりました。ちゅうことで、早速、友人から教えてもろたGoogle Mapのストリートビューちゅうのから。
大きな地図で見る
このところ、暑すぎるせいか、ちょっとマンガづいていて、「20世紀少年」(全22巻)、「21世紀少年」(上・下)も読んだのだが、これは、まあ、長すぎるし、終わり方がなあ。
浦沢直樹ちゅう人は、泣かせのテクニックが天才的なのだろうが、あまりにも、いたるところで多用しすぎて、読み終わったら、もう、べとべと。ウルトラセブン「モンマルトルの使者」から「海のトリトン」「サイボーグ009」やらの最後で、吃驚仰天した正義と悪のネガポジ逆転の大技が出るかと思たが、出なかった。そこんとこ、過去の作品で多用されすぎた技だから、避けたのだろうが、こういうとこは、型どおりの月並みでもええとオレなんかは思う。1960年生まれ(学年は一年下)なら、まあ、しゃあないか。結局は、謎解きと友情と愛と涙の感動巨編、ちゅうところか。
ちゅうことで、やっぱ、音楽のブログです。
今日は夕方雨がふったので、いつもの暑さよりマシで、ヘッドフォンかけて聴くと耳の中が汗で蒸れることもないし。
以前、YouTubeで映画「愛するあした」(作詞安井かずみ作曲東海林修)で伊東ゆかりが唄っているシーンを見つけたのでここではっておいたら、コメントをいただき、ひさびさに聞きかえすと、また、はまってもたんで、調子に乗って、オレが伊東ゆかりの中で一番好きな曲、「恋する瞳」(1965年 作詩:Vito Pallavicini・G.Kramer・訳詞:あらかわひろし 作曲:Vito Pallavicini・G.Kramer)はないかと思ったが、見つからんかった。ところが、何故かイタ公の動画のあれやこれや出てきてなんじゃ、と思って、ハッと気がついた。「恋する瞳」は1965年、イタリアのサンレモ音楽祭で賞を貰てたのである。1965 sanremoで検索したら・・・・。
あるとは、思わなかった。
もう、涙、涙、涙である。伊東ゆかり、和服で全曲イタリア語で歌ってカッコええ。
Bruno Filippiniちゅう人も唄っている。
どっちもエエけど、やっぱ、伊東ゆかりの方が好き。「愛するあした」のほうも。
2008年8月4日月曜日
7点
かねがね、野球ちゅうもんは、幼年から青年期にかけて、体力と精神力の育成のためのもんであり、大の大人が夢中になったりするもんじゃないと思てた。あんなもんに夢中になるような輩は、どこか、精神的に大人になりきれていない。ぶっちゃけ、どこか、欠陥があるに決まっている。たかだが贔屓のチームが優勝した程度のことで、暴動に近い騒動になり、しまいめには、レミングの大群よろしく一斉に道頓堀川に飛び込んだりするのを思い出していただければ、納得がいくのではないだろうか。
その昔、「ピーターパンコンプレックス」というのが流行したが、あれの条件にプロ野球好きな連中は全部あてはまっとる。オレは生まれてこのかた、ずっと精神の鍛錬に励み、成長してきたから、実は、プロ野球にはさほど興味がないのであーる。今まで、大人になりきれない連中と話をあわせるために、ここで、あたかも、東京ヤクルトスワローズファンであるかのようにふるまってきた。わははは。オレのような熟成された人間が、まさか、あんなもんに夢中になるわけないではないか! 騙していたわけでない。方便として、まあ、いわば、つきあいの潤滑油がわりなのである。ただ、勝った負けたで、ムカついたり、腹が立ったり、情けなく思ったりしたことがないのであーる。だから、そうしたフリをするのが今まで苦痛ですらあった。
だから、今夜は全然腹も立っていない。いや、むしろ、信長の怒りに触れ寺事焼き殺される時、快川和尚が放ったとされる「心頭滅却すれば火も亦涼し」の言葉をこの年になり、初めて、理解した・・・いや、理解するための入り口にようやく立てたような気がする。あと、「油断大敵」「一寸先は闇」「七連打憎んでピッチャーを憎まず」「死球憎んでピッチャーを憎まず」「八回裏に5点差ひっくりかえされたことを憎んで、チームを憎まず」とか実生活でよく使われる教訓も、ほんわかとだが、その言葉の意味がわかったような気がする。人生、今後も成長していきたいもんである。
セントラル・リーグ公式戦 2008/08/04(月)
▼広 島-ヤクルト 13回戦 (ヤクルト7勝5敗1分、呉、18:00、12619人)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
ヤクルト 0 2 1 0 2 3 2 0 1 11
広 島 2 0 1 2 0 0 0 7 X 12
【投手】
(ヤ)伊藤、松井、五十嵐、吉川、松岡、押本、林昌勇-福川
(広)大竹、青木高、岸本、梅津、シュルツ、横山、永川-石原【責任投手】
(勝)横山35試合5勝3S
(S)永川34試合4勝1敗20S
(敗)押本47試合4勝3敗1S【本塁打】
(ヤ)ガイエル11号2ラン(5回、青木高)
(広)【戦評】
[From プロ野球 - 野球 - SANSPO.COM]
広島が八回に大逆転。死球を挟み7連打とスクイズで7点を奪って、一気に5点差をひっくり返した。広島は今季最多の20安打でヤクルト戦の連敗を5で止めた。ヤクルトは八回に登板した6人目の押本が6失点と誤算だった。
しかし、まあ、オレも未熟である。なんぼ心頭滅却しても火はやっぱし熱くて、やっぱ、涙が出てくる・
2008年7月31日木曜日
浦沢直樹 PLUTO―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より
都賀川というから、ピンと来なかったが、なんのことはない、大学時代慣れ親しんだ「大石川」なのである。
オレも須磨の川の近所に住んでたことあるが、今回ほどではないが、はーるの小川がそよそよ行くよ状態からあっというまに濁流状態になり氾濫したりするのを何度もみてきた。自然、ちゅうのは、怖いのである。水と親しむ、とかキレイ事も大事だが。合掌。
浦沢直樹「PLUTO」読む。第6巻が最新で昨日出たんで。第一巻から一挙に。
読むなり、涙腺がゆるゆるになってしもぅた。まあ、ワシら世代にとっては、鉄腕アトムというのは特別なのだ。
もちろん、「鉄腕アトム 地上最大のロボットより」とあるが、リメイクというか、そもそも、パンツ一丁で暴れ回り飛び回りおまけにケツから機関銃が出てくるのがトレードマークのアトムなのに、フツーに服きたまんま飛んでしまう。もうここまで変えてしまうと、基本設定だけを借りたまったく別の作品としかいいようがない。それでも、だ。やっぱ、胸がわくわくしてしまう。物心つく前から、絵本代わりに雑誌「少年」を読んでたオレ だからしゃあない。
読んでて気がついたことは、擬人法ならず、「擬現実法」とういか「擬現在法」、実際に起きたことをフィクションに見立てて、どんどん進めていくので、その術中にまんまとはまると、途中で読むのをやんぴできなくぐらい面白さを堪能できる。ただ、逆に現実のイメージがせっかく構築したフィクションを台無しにしてしまうこともあるのである。
たとえば、「憎しみの連鎖」とか、イラク派兵の時、筑紫哲也がしきりに云うとったセリフやんけとシラケたり、とか、お茶の水博士が気配りのおっさん(鈴木健二)に似とるとか、イラクのフセイン前大統領なんか、そっくりというより、そのまんま、登場したりして、興ざめたりするが、いや、まあ、そういうところに差しかかったら、肘を伸ばして、遠ざけて読めばエエのだろうが。
どうせ、一夜漬けみたいにして読んだのだから、感想文はこのくらいにしとく。いかなる形態であろうが、今の今、アトムのあたらしいのが読めること以上のしあわせなことはない。
ただ、単行本の場合後ろに解説がのっているのだが、
1951年生まれの村上知彦のヤツは殺意を覚えるほどの違和感さを感じたし、夏目房之助(1950年生まれ)はさすがと思う一方、致命的なずれを感じ、逆に、オレと同じ1958年生まれの山田五郎のは、読んでて、なんども腕を組みうんうんと頷いたもんである。 西原理恵子のは、まったくそのとおりと思う。確かにロボット書くの下手・・・いやいやいや。
このオレが感じた解説書いた人とのあれやこれやは、幼少時、アトムがええもんのままで大人になってアトムから離れた人と幼少時正義の味方の象徴だったアトムがいきなり狂って暴れまくりメチャクチャしてしまうのに遭遇してかなりのショックを受けてアトムに一度は幻滅してしまった人との差かもしれん。
オレより後の世代になると、どっかの時点で、プリウスのCMに出てくるようなアトムのイメージオンリーになってしまう。
1960年生まれの浦沢直樹はどうなのだろう?
最後に元に戻って浦沢直樹「Pluto」への注文、「今からでも遅くない、ウランちゃんをパンツ一丁にさせてくれぃ」
"PLUTO (1)" (浦沢 直樹, 手塚 治虫, 手塚 真)
"PLUTO (2) ビッグコミックス" (浦沢 直樹, 手塚 治虫)
"PLUTO (3) ビッグコミック" (浦沢 直樹, 手塚 治虫, 手塚 真)
"PLUTO 4 ―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (4)" (浦沢 直樹, 手塚 治虫, 手塚 真)
"PLUTO 5―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (5) (ビッグコミックス)" (浦沢 直樹, 手塚 治虫)
"PLUTO 6―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (6) (ビッグコミックス)" (浦沢 直樹)
2008年7月28日月曜日
そうか、九条も三の倍数
とうとう、NHK朝の連ドラ「瞳」、ブルーシューズがまたも突然なんの脈略もなく行きなり殴り込んできて、オモシロくなってきた。大阪のチームのクセにどなしても東京予選に出る、ちゅう強引さ・・・エエのぅ。あと、こてこてのスポ根の定石エピソード、伝説のチームの片割れがどうのこうのというのも、エエ。
まあ、スワローズ、オレが「もう応援すんのやんぴ」と思うと、何故か勝ちよる。勝ちよる・・・と思ったらアカンな。「勝たせていただいた」と感謝の気持ち持たな。ホンマ、タイガースはええチームや。
で、どうせまた負けると思ったんで、野球観ないでその時間久々にマンガを読む。
かわぐちかいじ「メドゥーサ」全12巻、ブックオフの105円コーナーで買いそろえてあったんである。
12巻一挙に読む。オレの数少ない特技にマンガを読む速度がメチャクチャ速いというのがあるのだが、泣くも涙、小学校時代、買うことにしていたマガジンと散髪屋で読むことにしていたキング以外の全マンガ週刊誌を書店ハシゴしながら立ち読みして訓練し習得したのであるが。榊龍男と榊陽子は大物政治家である榊龍太郎を父親に持つ兄妹。龍男は父親の後を継いで政治家となり、陽子は大学紛争過激派から革命戦士になるストーリー。
[From メドゥーサ (漫画) - Wikipedia]
60年代終わりの学生運動華やかかりし時から始まるすごいラブストーリーで、ラブストーリーとしてはいい話である。 あと、当時、「挫折」せず、そのまま、自分の理想を押し通したらヤツがおったとしたら、どういう風に今なっているか、という感じで面白く読めた。
ただ、典型的なファム・ファタールな主人公がどうしても田中真紀子やら帰ってきた頃の重信房子とかとイメージがだぶってしまい、終わりあたり当然彼女らと年齢的に近い筈なのにけっこうエエ女をキープしたままの主人公につい今の田中真紀子やらかぶせて、興ざめしたりしたもんだが、オレが未だに人生幸郎師匠だからである。
せっかく、主人公たちの世代、ワシら世代とは異なり、問題意識が高いんだから、自分の属している政治組織を拡大しようやら(いまだにオルグ・・・!)或いは憲法九条を何が何でも信仰する、とか縛り付けんと、そういうもんから、自由になって、もういっぺん、ホンマの敵をちゃんと探して、ちゃんと見極め、そいつらと今度は勝てる闘争して欲しいもんである。
どんなカシコな人でいろんな著作等で感銘うけたりしても、ホンマ、憲法九条に関して語ったり喋ったりすると、途端に「世界のナベアツ」状態になるから、まあ、それはそれでオモロイが。
確かに「九条」も三の倍数であるが。
9条どうでしょう
内田 樹
2008年7月27日日曜日
悲しいこと
個人的に昼間、非常に悲しいことがあったので、 実は今日だけじゃない、昨日も一昨日も三日連続して悲しいことがあったのだ。
どれほど悲しいかというと、下記の商品買うて、噛み砕きたいほど悲しかった。腹が立ったのではない、あくまでも、悲しかったの。
このところ、ずっと野球ネタばっかやけど、まあ、これできっぱり、本来の音楽のブログに戻れるかもしれん。
2008年7月25日金曜日
ナンギやのぅ・・・
まあ、プロ野球というのは、つくづくナンギなものやと思う。今日の讀賣ヤクルト戦は、関東人に関西弁で最も重要な用語「ナンギ」を説明するに最もふさわしい試合でした。
ほんまに、ナンギやのぅ・・後がどうしても続かないので、今日はここまで。
(註・当ブログは関西在住のアンチ讀賣アンチ阪神アンチ中日の東京ヤクルトスワローズファンによって運営されております)
2-0の八回一死一、三塁。カウント1-2からの4球目、田中のスクイズを巨人バッテリーに読まれて外された場面を振り返り、「サインを出すタイミングが悪かった。流れが変わってしまった」
[From ヤクルト、サヨナラ負けで勝率5割復帰ならず - 野球 - SANSPO.COM
フツーに打たせてたら・・・ナンギやのぅ・・・。
ヤクルトは九回、守護神・林昌勇がつかまり逆転サヨナラ負け。5割復帰はならなかった。
[From ヤクルト、サヨナラ負けで勝率5割復帰ならず - 野球 - SANSPO.COM]
林が押さえると思たのに・・・ナンギやのぅ。