弘田三枝子(リンク先はwiki)ファンである。まあ、オレの音楽の嗜好は弘田三枝子に始まり弘田三枝子に終わると云ってもいいぐらいの存在であるからして、しゃあない。
もちろん、「ヴァケーション」、1962年のこのとんでもない曲は、瞬く間にこの世を席巻し、当時辺境須磨で4歳児していたオレをも巻き込み、 デタラメにまっしゅぽてとを湖で踊ろう、と、叫ばせておったわけだ。今から想像するには不可能ぐらいスゴいヒットであったそうである。当時弘田三枝子は15才か16才。
最近も、ステージでは、必ずといっていいほど唄われていたりする。
仕方ない、みんな、弘田三枝子の「ヴァケーション」は大好きなのだ。コニー・フランシスがオリジナルのこの曲は、けしてリズム感溢れる曲ではない。それを弘田三枝子は、凄まじい当時の力で、もうなにか、別のスゴい曲に変えてしまった。クルマに例えると、曲そのものが軽自動車並の足回りとすると、当時の彼女の声、リズム感、ノリはまさに7.0LのV8エンジン 並の馬力とトルクなのだから、その走りのじゃじゃ馬ぶりが知れよう。
しかし、彼女にしてみれば、どうなのだろう? オレなんかに例えると、高校時代の夏休みに作った工作を今も作らされ、高校時代に作ったものと比較され、同じようにできていないとか、あれやこれや云われるみたいで、少し複雑である。まあ、それでも、プロであるから、彼女は求められたら、唄うし歌い続けるのであろう。
1990年に自主製作として作られたこのアルバムも、 全17曲中、13曲、彼女自身のヒット曲のカヴァーで占められている。オレのようなファンは、表現力の豊かさとか、「加点」ポイントを置いて聴くものだから、いい。ただ、残念なことに、びっくらこいた!、曲そのものを自分の中に取り込みたい!!とかの感動は、おきない。だって、それは、しょうがないのである。もう、既に、「取り込んでしまっている」曲ばかりだからだ。
である。であるのだが。
弘田三枝子は天才なのである。
並の歌手が、年を経て全盛期を過ぎて、ファンである聴き手の「懐かしさ」に つけこんで、作ったアルバムじゃないのである。
弘田三枝子は天才なのである。
このアルバムの最後の曲は、オリジナルである「雪色のサンバ」(ボーナストラックで「思い出して」「別離」「雪色のサンバ(ポルトガル語版)」 の三曲が加わる)。
「雪色のサンバ」!
ど派手で仰々しいイントロが始まり、やがてリズムセクションがサンバのリズムを刻み始め、そして、弘田三枝子の歌が聞こえてきた瞬間、「雪色のサンバ」に、もう、完膚なまで叩きのめされた。そして、彼女の声がぐいっと伸びてきて、オレを耳から歌の世界に引きずり込む。久々の快感である。いつの時代の弘田三枝子ではない、まったく新しくなった、まさに1990年型、ブラン・ニュー、弘田三枝子なのだ。
こな雪、男と女とかの日本語、パラレルワールド、モノクロームとかタペストリーの外来語、そして英語歌詞部分に「白い雪がふりつむ」加えたかなりぎくしゃくな、しかも、歌詞カードみただけでは理解しにくい歌詞(事実、歌詞カードだけ読むとなんのことかさっぱりわからん)を、まるで「川の流れのように」スムーズに唄い、しかも、曲がすすむにつれ、情景を伴った、豊かな世界が次から次へと現れてくるのである。実際、ボーナストラックの方の「雪色のサンバ」はポルトガル語版であるが、言葉はワケがわからんが、ほんま、何か世界が広がるのである。
びっくらこいた!
曲そのものを自分に取り込みたい、と思った。
即、一曲リピートして、何度も何度も聞きかえした。
この曲の直前、「私のベイビー」までは、それなりに、リラックスして、むしろ細部のいろんな唄い方の相違を楽しみながら聴いていたのだ。不埒にも、「昔はどすんとパンチ効かせたとこ、こんな風に処理してるんだな」とか思い上がった感想すら抱いたりした。
すべては、伏線だったのだ!!
今(1990年時点)の彼女の声にぴったりした曲を歌った時の、能力全開状態のスゴさに、圧倒された。いや、彼女の能力を超えた「何か」がそれに加わって、とてつもない曲になってしまっているのである。かててくわえて、彼女のキャリアすべてがその上にのっかかってくるのだから、聴き手のこっちとしては、うろ、が来るほどである。
アルバムのこの曲に入るまでの自曲のカヴァーは、まるで、この曲をイキナリ聴いて、聴き手が、あまりにもびっくりしないようにの布石であったのか、とも思えるほどである。知っている曲を次から次へと歌ってくれたことで、大分、馴らされた。実際、最初にこの曲を聴いたら、多分、オレのキャパシティを越えてしまったであろう。
まあ、このアルバム、ライナーを弘田三枝子ファンの「炎立つ」の高橋克彦氏が入魂のあれやこれやが書かれており、そのことも書きたいこと(高橋克彦氏は「別離」を35年で6000回も風呂で唄ったそうである。負けてられん!)あったのだが、今日はここまで。
しかし、オレはいつになったら、弘田三枝子のことをみんなのように「ミコちゃん」と云えるようになるのだろうか??
ともかく、弘田三枝子は今までの歌手の誰にも譬えられる存在ではない。時代時代、全く異なるジャンルの音楽にチャレンジして、それをモノにしとるのであーる。