2011年5月15日日曜日

弘田三枝子のダーリン・オブ・ディスコティック

 毎日がバレンティン・デーてなもんで、ホンマ、頼りになります。横浜に3連勝して交流戦(スワローズ関連では主語を省略することがあります)。

 今だからこそ、こっそり告白するが、実は震災前あたりから、ピチカート・ファイブばっか聴いとった。あまりにもオレには似つかわしくない音楽なもんで、なんか、悪いことが起きないかと思っていたのだが・・・。謝って済む問題ではないが、一応、謝っておく。ごめんなさい。


 オレが音楽、かなり長い間聴いてこられた理由の一つに、たえず、音楽的な「仮想敵」をその時折時折に設定していたことがあると思う。変なクセだと思う。おそらく、そのようなクセは、パンクが出たての頃、風俗では「ヒッピー」、音楽ではヘヴィメタが「敵」と設定されていたことにあると思う。ジャマイカの音楽ばっか聴いてた頃、それはちょうど、「渋谷系」と呼ばれる、上っ面のオシャレ、軟弱・・ぶっちゃけ、東京私立高校東京私立高校した決して自分の手は汚さないでオイシイとこだけ持ってくようなふにゃけた感性そのもののような音楽が勃興しつつあったので、当然中年おっさんのオレの格好の「敵」になった。もちろん、「敵」ちゅうても、 小沢健二のコンサートにラジカセ持って乗り込んで、キング・タビーのダブ大音量で鳴らして邪魔するとかの過激な行動をとった、ということではない。単に遠ざけて生きていただけ。渋谷でも道玄坂界隈で働いて井の頭線のガード下で飲み深夜の円山町を通って帰宅する毎日だったので、大丈夫であったが。

 まあ、「敵」だった。「デトロイト・メタル・シティ」ほどではないかったにせよ。

 最近、何故か、ピチカート・ファイブの気の遠くなるようなアルバムを見かけるたんびに(ブックオフとか )手に入れ、聴いとった。
 10年、下手したら20年前の「音」である。リアルタイムで聴いたときの灰汁が見事とれてこともあるし、だいたい、オレ自身、このところ、樋口康雄a.k.a.ピコにぞっこんであり、それよりもなによりも、昭和歌謡のあまりにも太っ腹で節操のない音ばっか聴いてたせいもあり、耳が「汝の敵を愛せよ」的寛容さに満ちあふれていたことも見逃せない。

 かくして、10枚以上(ピチカート・ファイブはなぜか、大量にアルバムがある)集め、かたっぱしから聴いた。 野宮真貴の声はやっぱ好きになれないなあ、でも、「トゥイギー・トゥイギー~トゥイギー対ジェームズ・ポンド」みたいに、ハマればスゴいなあ、とか、ソニー時代の音の方が強いて言えば好きかなぁ、媚びまくった音だが、それを批判しようとしたら、ダサい、ちゅう戦略はやっぱ、スゴイなあ、とか・・・例によって例のごとく、小賢しいことを考えながら、聴き続けた。聴き続けたというより、「流していた」。

 そして、ついに。見つけた。
 いわゆる「オシャレな」音に野宮真貴のフツー極まりない退屈な声が「また恋に落ちた」とツラツラ続いていたので、油断していた。その瞬間、背筋がピーーーーーーんと伸び、伸びきって椅子から、ずり落ちた。


 弘田三枝子の声だ。
 しかも、最初からノりまくった弘田三枝子だ。
 かてて加えて、最初からノりまくった弘田三枝子がなおも、凶暴に暴れまくるのだ。 弘田三枝子のスゴさ、つまり、彼女の声がありとあらゆる音そのものを従え、とんでもないノりを次から次へと創りだしていくのだ。
 西暦2,000年の弘田三枝子だぜ!
 
 

 

 

"REMIXIES 2000" (ピチカート・ファイヴ)

1. the GROOVE ROOM:また恋におちてしまった~ダーリン・オブ・ディスコティック

 リミックス盤なので、9分以上ある曲だが、4分あたりから、弘田三枝子のダーリン・オブ・ディスコティックが始まるのだ。そいで、ズルしてそっからばっか聴いている。
 

6曲目の「パーフェクト・ワールド [A night at Organ b. MIX]/Remixed by Sunaga texperience」にも弘田三枝子がフューチャーされている。
 
  かくして、ピチカート・ファイブ病は終焉した。まあ、「仮想敵」とはいかないけど、まあ、「I Shot The Shelif」カバーしたエリック・クラプトン並か。

 (いつこんな曲出てたんだろう? アルバムで探したけど、見つからず、YouTubeでは次の2つ。最初のとはアレンジが違い、動画のある方が近い)
 


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