脚!!!
なんちゅう、いい娘(むすめじゃなく、こ、ね)なんやろう!ツイッターの経緯をたどってもらうとわかるやろうけど、なんちゅう、いい娘(こ)なんやろう!オレがファンになるのもわかるやろ?な、な、な!
ゲーム「ヘルプ!!!恋が丘学園お助け部」( iPadのSafariでオレの場合、なぜかやっている)の、今、イベント「アピール大作戦梅雨入り編」やってるけど、前半103位後半も今のところ103位、で、まあ、絶望的だけど、地道に縁結びポイントと金の縁チケット集めて、もう根性でヴォイス実装されてる「屋内レジャー」日向菜々子(声 影浦由佳)は手に入れるつもり。Sレアのバレエ日向菜々子は、無理かも知れん・・・課金の誘惑があるが、課金したが最後、バレエ日向菜々子を引くまで、やりそうなので、思いとどまっている。
昭和歌謡のはなし。例によって例のごとく、ややこしいんで、そのつもりで、なお、当局は一切関知しない。
実は、1971年以降の歌謡曲になると、とたんに、興味を失ってしまう悪い癖があって、不思議なものである。
グループ・サウンズのムーブメントの後、グループ・サウンズの一部は、「ニュー・ロック」へ行き、たとえば、先々月、羅生門の「日本国憲法」、元ダイナマイツの瀬川洋の「ピエロ」とか聴いてみたのだが、ピンとこなかった。「村八分」にしても「頭脳警察」でも、そう。フラワーズの後身「フラワー・トラベリン・バンド」は高校ん時懲りた経験があるので、聴こうという気にすらならなない。数年前、CDになった、一群(スピード・グルー・シンキやら)も、そう。一度聴いて、そのまま、放ったらかしである。
なーんも、感じなかったんだから、しゃあない。
グループ・サウンズの場合、ヴォーカルに明らかに難があろうと、音がヘタれてようが、演奏がヘタであろうが、コーラスが突拍子もなくとも、曲そのものが退屈であったとて、いいところを見つけて、時には、かなり強引に贔屓の引き倒しして、無理矢理にでも、「感動」し「感激」し、テンション上げて「ハマる」んだけど、71年以降には、「あーやってるやってる」で終わってしまう。
なんでなんだろう? なぜかは、わからん。
ただ、60年代半ば以降のグループ・サウンズにしろ、その前のエレキブームにしろ、歌謡曲meetsエレキギター、歌謡曲meetsエレキギター+エフェクター、歌謡曲meets電気楽器、歌謡曲meets電子楽器、という要素があると思うのだ。
まだ、だれもわかんない時代。
60年代の間(1970年も60年代ね)まだ、試行錯誤。歌謡曲に、エレキギター入れたらどうなるか?、わからない、けど、やっちゃえ!感は、ビンビンに感じる。
70年代に入ると、そういう試行錯誤は、終わっちゃって、計算ができてしまった気がして、つまんなくなる。
70年代以降、もちろん、いい曲はいっぱいある。完成度は、60年代の比じゃないのだから。でも、試行錯誤をオモロがるオレみたいな人間には、退屈でしかないのである。
でも、それは、音楽的素養一切無く、「ハマる」以外褒め言葉を知らんオレじゃなくても、この世の中いっぱいいっぱいいっぱいカシコい人おる。
まあ、例によって、例のごとく、何書きたいか、わからん文章になってしもてる。
そうか、最初、沢田研二誕生日おめでとう文を書こうとしたんだっけ。ジュリーいっぱいいっぱいいっぱい曲があるけど、オレはやっぱ、「君だけに愛を」が一番、ちゅう人間やからなあ。ソロになってからは、ジュリーを演じるジュリーみたいになってたし。正直、まどろっこしかった。小学校時代「君だけに愛を」で観客のおんなのこ、指差すたんびに失神していった夢みたいな記憶があり(注、一人を指差すことはなく、失神しなかったらしいけど、オレにはそう見えた)、これがロックというならロック、男の夢というなら男の夢、と今に至るまで、それは変わらない。今すぐにでも、沢田研二になりたい。体重増やしてもエエ。6月25日、お誕生日おめでとうございます。