・・・前の都知事の方がよかったのに。確実に云えるのは、今の知事がやめたとして、次はもっともっともっと、ヒドいのが出てくるんだろうと思う。東京ヤクルトスワローズファンの人が知事になりますように。
あっという間に、真夏になってもた。
心静かに、プール行って泳ぎました。ガールフレンド(ただし、オレより10才以上歳上)の方が来ておられたので、一緒のコースで泳ぎました。
太平記2。もう、以下は未来のオレのためのメモみたいなもんである。読み進めるうちにどうせ、今読んでるとこなんか、ごっそり記憶が抜け落ちてしまうのは、わかりきったことだからだ。
実は、連休中に読みだしたのだが、数ページほどしか読めず、ひどかった。ひどかったのは、もちろん、オレだ。一ページほど読んだら、あまりの眠気で寝落ちし、目が覚めて、読み始めて、寝落ち。まさに、高校時代の古文の授業中の「オレ」だ(注、ず~~~っと寝てた)。
そいでも、ようやっと、ノリがわかってきて、すいすい読み始めてるが、あくまでも、ノリであって、古文読解力は高校時代のまんま、である。注釈と梗概のおかげ。
今、足利高氏がついに鎌倉幕府を裏切り、京都の北条方の南北六波羅探題を攻め、劣勢の北条方は一族郎党引き連れて六角佐々木氏頼りに近江まで、逃げるが、六角佐々木が裏切ったんじゃないか、と思って、北条方一族郎党400人ほどが、全部、自害してしもうたとこ。
鎌倉攻められた時も(もちろん、これから読む部分に入っている)全員自害してしまうはず。どうも、北条氏はあきらめが良すぎる。
で、だ。
神戸の湊川神社は好きだし、実は母方の祖先はどうも、南朝方だったみたい、ということもあり、当然、南朝びいきである。楠木正成公なんか、大好き。後醍醐天皇も、政治めちゃくちゃだが、まあ、好き。新田義貞が、なあ・・。
・・・・であったが、今近江で、京都の北条方が全員自害してしもうた。実は、光厳天皇やら上皇やら親王やら、こっちの一族郎党も、一緒に連れてこられてたの。
で、武力持った北条方が全員死んじゃったから、まわりは敵ばかり、もう、光厳天皇えらい、ことになっているわけである。
あっち側も、親王連れて来て大将にして、三種の神器取られたり、それよりもなによりも、京に帰らなあかんねんけど、まわりは、野伏ばかり・・・。
なんぼなんでも、あんまり、である。
オレの歴史的認識を変えることにする。
光厳天皇をひいきする。
だって、こっから、日本史上もっともわがままな天皇、後醍醐天皇が建武の親政はじめて、光厳天皇、冷や飯食わされ、そっから、また、尊氏が後醍醐天皇裏切り、南北朝の争乱。またも、担ぎあげられ、あれやこれやあって、ようやっと、落ち着いたな、と思ったら、足利側はワシらが担ぎ上げ立ったんだと恩着せがましいし、調子に乗ったアホな婆沙羅大名の土岐氏に、小馬鹿にされ、院となられて、「院?犬といっしょじゃ」と矢を射掛けられたりする。あとも、観応の擾乱やら南朝が一時的に京都を占拠したりするわけでしょう?
後醍醐天皇以下南朝側は、以降自天王暗殺まで、惨憺たるもんであるけど、まあ、後醍醐天皇があんだけ、好き勝手したら、まあ・・と思えるのである。光厳天皇は、ひょっとしたら、日本史上、もっとも、時代に翻弄され、ご苦労なされた方であらせられたのかもしれませんよ。
(注 敬語の観念のない神戸沿岸部で育ったのと、高校時代古文の授業サボったため、「最高敬語」がよくわからんので自分なりに書きました。ただし、いったん檄が飛べば、いち早く、菊水の旗の下に駆けつける所存です、まあ、檄は飛ばないし、湊川神社行ってもどうなるもんじゃないけど、そういう気持ち、気持ちが大事、スワローズもこのままズルズルしたら、アカン)