2016年4月3日日曜日

4月3日

 近所の桜も満開。スワローズ、今日は負け。でも、原樹理が成長していっているのでよしとする。


 Amazonで、ザ・テンプターズのボックスセット、買おうかどうしようか、迷っているうちに、ついに、入荷待ち、つまり売り切れてしもうた。持っているアルバムと重複がかなりあっての、2万弱は、しんどい。あきらめがつき、すっきりした。中古で安くなったら、手に入れよ、プレミアムつくようなら、あきらめようっと。

 たしかに、春になっているんだろう。また、「音壁Japan」に入っている曲ばかり、聴いてしまう。ほんま、なんで、音楽聴くだけでこれだけ、罪悪感に似たもの感じないとアカンのか、と思う。本当に。何度か、もう、このアルバムについてはここで触れている。けど、今日も触れる。



音壁JAPAN

 このコンピレーション聴いていると、ほんとう、日本人の歴史以来、一番、アホでバカな世代は、実はゆとり世代じゃなくて、ワシら世代じゃないかという、思いを強くする。カモ世代というか、カモネギ世代というか、ちょっとしたコツさえ覚えれば、ナンボでも入れ食い状態で釣れる。
 その「ちょっとしたコツ」の音楽編は、きっと、このコンピレーションには、つまっているんじゃないか。

 じゃないと、このコンピレーション、17曲が入っているが、17曲ことごとく、涙ぐまんばかりに「いいなぁ」と思うわけがないのである。しかも、聴くうちに、悲しいあるいは、哀しい、恋愛体験の多かったオレですら、「ああ、あの頃はもう二度と戻ってこないんだなあ」と遠いウソのノスタルジーにかられながら、パステルカラーで、灰色に近い過去を塗りつぶし、美化した青春を懐かしもうと、する。バカである。

 フィル・スペクターという人がおって、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」とか、こうした音の出し方(モノーラルだった)で、胸きゅんの名曲をたくさん、作った。50年代終わりから60年代半ば頃まで。

 その音の出し方、どういう感じかというと、全部の楽器がほぼ同音量でドバーッと来る、それを「音の壁ウォール・オブ・サウンズ」と呼んだ。
 日本でも、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」は、ほぼ、リアルタイムでは、弘田三枝子(私のベイビー1963)麻生京子(あたしのベイビー1962)伊東ゆかり(ビー・マイ・ベイビー1964)とかが、漣健児の訳詞でカヴァーされている。他にもGSでは、ザ・スウィング・ウェスト、アウトキャストがカヴァーしているし、70年代には、辺見マリ、そして、大好きな、安西マリアのビー・マイ・ベイビーもある。



   こうした、いわば、カバーの系統とは、別に、ど真面目にフィル・スペクターサウンズに影響を受けつつも、あらたな、要素を加味して、和製ウォール・オブ・サウンズを作ったのが、大滝詠一(と、言い切ってしまう)。
 どうしようもなく「懐かしい」音なんだけど、けっして、古臭くない。胸きゅん、するけど、それは、かなりインチキってわかるんだけど、胸きゅんの深さに負けてしまう。ワシら世代は、その誘惑に抗することはできないのである。ウソでもいい、インチキでもいい、そして、音にハマるついでの駄賃に、歌詞の世界の価値観で、自分の記憶すら、書き換えてしまう。アホな世代。

 大滝詠一の「新しいウォール・オブ・サウンズ」で、あざとい作詞家松本隆に世界を作らせ、歌謡曲史上一番あざとい歌手松田聖子に「頬をつねってよ 夢じゃないのさって」と唄わせる。だいたい、松田聖子が「黙りこくってたら退屈な女の子だって言われそう」っていうんだろ? ダマサれんぞ、と抵抗を試みるも、聴いているうちに、ええ、ダマサれてあげます、いやダマサさせてください、状態になる。おみごと!「錆びついた線路を歩いたの あなたの上着にくるまって」で、とどめ。稲垣足穂ちょいと入れてるとこが、クサくてたまらんのだが、それすらも、吹き飛ぶ。
 1981年松田聖子「一千一秒物語」。下の動画は、別のバージョン。



 さて、さて、須藤薫の「つのる想い」に及んでは、その、あざとさ、の、鮮やかさに、「参った、参った、こりゃ一本取らましたなあ」感に陥ってしまう。作曲小西康陽。1989年という、かなり遅れたウォール・オブ・サウンズ。松本隆の情景描写で世界をオシャレなものにしていくんじゃなく、単に、一途に、「あなたに」想いをつのらせていく。それだけの歌詞なので、松本隆+松田聖子という、あざとさの権化のあとには、清涼感すら覚える。これ、50回以上も聴いているぞ。



つのる想い  須藤薫 投稿者 tyabasirasan 
 さて、あざとさでは、荒井由実(松任谷由実)も忘れてたらアカン。作詞作曲荒井由実「二人は片想い」。1976年。「夢で逢えたら」が1977だから、それより、早い。
 ポニーテールという売れないフォークグループ。鈴木慶一率いるムーンライダーズの妹分とかになってる。まあ、女性グループで、どうせ、ルックスたいしたことないグループだろう(と推測する)に、モテない女性唄わせたら世界一の荒井由実が曲をつける。「仲が良すぎて私達 一人の彼を愛してた わかった時は口惜しくて 口もきかずに帰ったの」・・ああ、女の友情ってせつないなあ、で、振った男に腹が立ってくる、だいたい、おんなのこのオーデコロンの銘柄指定するような野郎じゃあるめぇ・・・。最後ハッピイエンドでホッとしているオレがいる。恥ずかしい。

 
 1992年の、もう、オレなんかとおおおおおっくに、青春期をぬけて、清々したところ、ず~~~っと年上の杉真理は性懲りもなく「夏休みの宿題」みたいな、あざとい、あざとい曲作るもんだから、つい・・。
 「こっそり海に潜って 泣きべそかいてたなんて 世界一の寂しがり屋さん」「麦わら帽子かぶって ホット・ドッグかじっていると まるでふたりは幼なじみ」だぜ。ええ年したオッサン(杉真理)の分際で、ようこんな恥も外聞もなく、書けるわ・・・と思いつつも、「君をこんなに愛しているよ そうさ認めるよ本当さ 今まで会った誰よりもずっと」 のサビに至る頃には、涙ぐみながら、そうさ、認めるよ、本当さ、今まで聴いた曲より、ずっと、好きになってる・・・こんなん、反則やないか(ニコ動のリンクしかなかった)!!!

 
   上の世代の草刈り場というか。上の世代から、いいように搾取されまくっておるなあ。ワシら、アホの世代、「感性」のある部分、ちょっとでも責められると、イチコロやで。ウソで胸きゅん。

 少年時代は、講談社と円谷プロに貢げるだけ貢ぎ、思春期を迎えたら、ブルース・リーが流行ればカンフー、アイビーが流行ればアイビー、サーファーが流行ればサーファー、パンクが流行れば、パンク、テクノが流行ればテクノ、ツートンが流行ればツートン。青春期だけでもこいだけ、変移しているのである。それも、なんかの精神的なもんがあってじゃなく、周りを見て、ないしは、ポパイかホットドッグプレスを見て、である。もちろん、ヤンキーやモッズや50’sのオプションも用意されている。あと、なーんもせんでも、オタク(ヲタクじゃなく)の称号がデフォルトでついてくる、マ。マ。マイジェッ。ジェッ、ジェネレーション。


 ここまで、『音壁Japan」聴きながら書いたもんで、耳がさすがに疲れた。まだ、曲残っているけど、また次の春。
 ザ・フーの「マイ・ジェネレーション」聴きながら、寝ることにする。まあ、ホンマにアホなのは、オレだけかもしれんが、つい、オレの世代全部巻き込んだけど、それくらい、いいでしょ? 
    

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