でも、今日は、スワローズは試合が無く、心静かに夕べを過ごしました。よかったよかった。
日活アクションの謎に、松原智恵子の行動の不可解というのがあって、ずっと、悩み続けていた。
どうも、松原智恵子は「映画」に出演しているにもかかわらず、その「映画」の世界とは、別なところにいるのではないか、と思われるふしが多々あるのである。水木しげるに「テレビくん」という作品がある。テレビの中に入って、CMでやっているチョコレートを、食べちゃったりする、ひょっとしたら、松原智恵子は映画の中に入っちゃった、本当はそういう存在じゃないか、いや、もちろん、本気でそう考えてるのではないけど、そう考えた方がすんなり、オレの心のもやもやが解消されるのだ。
まあ、あれやこれや、具体的に挙げていくと、万万万が一、松原智恵子さんの目に触れると、嫌われるから、書かないけど、さすがに、小林信彦である。今日、寝っ転がって読み始めたところで、あの小林信彦氏もそう思っていたのかと、安心した。
「・・・ヒーローが悪と対決する時、ものごとを複雑化させるのは必ず、松原智恵子だ。あれがちょろちょろ出てきて、せっかく盛り上がった対決を盛り下げるのだ」 (「ドジリーヌ姫の優雅な冒険」文春文庫P.18)
そうなんですよ。盛り下げるために、なんで、出てくるのか?なんで、ややこしく(複雑化)させてくれるのか?
でね、もっともっと怖ろしいのは、そうしたストレスすら、松原智恵子の姿を観た瞬間、「そいでもエエ、松原智恵子、観れたら、そいでもエエんじゃ」となってしまうことである。ひょっとしたら、それがアクション映画であろうが、コメディであろうが、渡哲也の無頼シリーズであろうが、「女子学園悪い遊び」であろうが、全部、「松原智恵子主演のアイドル映画」にしてしまう力を持っているんじゃないだろうか。
脇役にもかかわらず、主役を(演技的に)食う、という表現があるが、松原智恵子は、映画ごと食ってるんじゃないか、いや日活アクションごと、いや、映画会社である日活そのものを・・・。
今日は、松原智恵子さんを、ディスっているのか、リスペクトしているのか、わからん文章にしてみました。ファンですよ。