RURIKO、読む。
「小説」とある以上、「ノンフィクション」じゃないわけだが、まあ、事実にかなり基づいていると考えられる。林真理子、苦手な作家・・・ちゅうより、男が読むことを拒否している部分があったりするので他の本は読んだことはない。それでも、この本は、一気に読んだ。
のっけから、舞台は戦前、満州国の描写からはじまり、やがては、あの満映の甘粕正彦が登場し、4歳のルリ子を見た瞬間、父親に「女優にしなさい」と託宣するかのように言い放つのである。正直、林真理子、文章が大嫌いなのだが、このあたり、ツカミの力はスゴい。甘粕正彦・・・アナーキスト大杉栄を虐殺し、やがては満州国という国をでっちあげてしまう人物で、オレなんかは、ある種の想像力をひどくかき立てられる人物で、かの矢作俊彦氏がアマ★カス!なる小説を・・・まあ、どうでもええか。
浅丘ルリ子、やがて、終戦のドサクサが終わりあれやこれやで、15歳になって3000人の中からオーディションで、当時、再開したばかりの日活に入って、以降、子役から娘役へ、そして大人の女優になっていくわけである。これからは、びっくりするようなスタアたちとの恋愛が明らかにされるが、まあ、こういうところ、林真理子の林真理子、みたいなもんで、読んでいただくしかない。 オレは、「憎いあンちきしょう」(アマゾンへのリンク "憎いあンちくしょう" (蔵原惟繕))、猛烈に観返したくなった。そう、あの映画、かなりホンマモードだったのであーる。
以降、石坂浩二との結婚やら、昭和末期の石原裕次郎や美空ひばりの死を経て石坂浩二と離婚やらの現在に至るわけだが、何度となく美空ひばりとルリ子の電話での会話が挿入され、それが、ひばりのその時折の状況や、二人の別のタイプの「スタア」のタイプの違いを際立たせており、涙なくしては読めない部分もある。オレの美空ひばり観が変わった・・・つまり、美空ひばりがほんのちょっと好きになりかけている・・ほどである。いや、小林旭観も石原裕次郎観も変わってる・・・・・これぞ、おそらく林真理子の作家としての力であろう。
そやけど、まあ、不満を言えば、映画がアカンようになり日活をやめて以降も、テレビ、テレビで主演ができないようになると、演劇で成功、と時代や自分のライフサイクルの変化に見事に順応できたのが、なんでか、もうちょっと、深く・・・そしたら単行本一冊で終わらないか。
あと、この本を読んで、浅丘ルリ子像を確立させて、変に偶像化して神棚に納めて、柏手を打つような存在にするのは良くないと思う(注 そういうノリで書かれている)。
そうやって、昔の日活アクション見たら失望するのがオチである(芦川いづみの方がずっとカワイい時があった)。
ちゅうことで、本の感想はここで終わるが、浅丘ルリ子のこと、もうちょっと書きたいんで。
オレとしては、ようやっとチャンスを掴んだ小林旭を何度も流れさすらわせは何度も迎え、次の手が打てなかった太りかけの石原裕次郎に再び光を放たたせ、寡黙な渡哲也を饒舌に軽薄にし、そして、あの寅さんにプロポーズさせた(註 全部映画の話である)浅丘ルリ子。そっちのノリで70年代以降も乗り切って欲しかった。彼女の相手役を務めることで、多分、男のスタアが何人も生まれただろう。
かえすがえすも、60年代、ウチの国から「映画」という一つの産業が消滅してしまったことが悔やまれる。