・・・。・・・・・・。・・・・人生・・・・何が辛いかと云うて、ひいきチームがサヨナラホームランで負けることほど、またそれが特に甲子園での試合となると、もう・・・、点々多いが、実際、点々しか出てこないのであーる。
ちゅうことで、最近ご無沙汰気味だった昭和歌謡の世界へ逃避する。
"Hotwax presents 歌謡曲名曲名盤ガイド 続・歌謡曲番外地 Queen of Japanese Pops vol.2" (シンコーミュージック)
前は小山ルミの表紙だったが、今回は、小畑ミキ。それだけでも、もうオレとしてはエラい!思ってしまう。
今回は、歌謡曲番外地としてわけられた9つの章の「キューティ」(アイドル系というか)と「異邦人」(欧陽菲菲やアグネス・ラムとかの外人)ということだそうである。最初の方は、かつて名オムニバス「60’sキューティポップコレクション」に出てきた1968年あたりの小畑ミキや泉アキやら歌手がぞろぞろ。シングル盤のジャケットと小さくだが当時のグラビアからの切り抜き、あとちょっとした説明がついている。もちろん、70年代や八十年代の「キューティ」が続くわけだが、オレとしては、栄光の昭和43年あたりのビート歌謡のネエちゃんたちがグっと来る。もちろん、70年代の五十嵐淳子(当時は五十嵐じゅん「阿寒に果つ」)とかもうめっちゃくっちゃ可愛いわけで、捨てがたいが、何せ、ある程度、記憶に残っていて、想像力がひろがろうにも記憶に邪魔されて伸びていかないのである。それが小畑ミキにしろマーガレットにしろ、泉アキにしろ、昭和43年あたりの、ほんのちょっぴり少年時代の記憶に残っているかいないかレベルになると、今、この本のちっこいアルバムジャケットみただけでも、「うわぁ、どんだけ、カワイかったんだろう!!」と限りなく妄想・・・もとえ、想像力が伸びていくのである。
岡崎友紀が出てきたとき、当時中学生になったばかりのオレは、ルックスをみて「遅かった・・」と思った。そして、彼女がクラスで熱狂的なファンを獲得するに至り、とオレは初めて疎外感を味わい、「世の中嘘ばっかりや」、世の中が信じられなくなった(くれぐれも云うときますが、あくまでも当時のアホだった頃の話、今は大好きでっせ)。そして、その1年後、その疑惑は森昌子の出現により、「失望」に変わる(くれぐれも云うときますが、あくまでも当時のアホだった頃の話、今は大好き・・・でもないけど、まあ)。失望のあまり、60年代に否1968年に戻りたいと思った。もちろん、「絶望」じゃない。まだ、ゴールデン・ハーフは健在だったし、岡崎友紀の番組、クラスの連中から浮かないために見てたら、純アリスとかが現れたりしたからや。
このあたり、ちょっと説明がいるかも知れない。いや、要らないが、まあ、聴け。
まあ、昭和43年、日本否世界中がある種強い熱狂状態の「躁」状態だったのが、翌昭和44年になると突然、ひどい「鬱」状態になり、70年になると、「躁」と「鬱」がそれぞれ商品化された状態で共存するようになり、翌71年からは、「躁」状態「鬱」状態を作っていた、「熱気」そのものが無くなってしまうのであるが。以降オレの感覚としては、「退化」していっている気がしている。まあ、退化ちゅうても、ホンマにカワイい子が芸能界から消えていく状態だが。
たとえが、わけわからんか?
ミニスカでエレキばりばりスポットライトぐるぐる元気いっぱい踊って唄っていたのが昭和43年、穴蔵みたいなところで、汚いGパンとTシャツでギター一本で貧乏くさくしかも暗い唄うなっているのが昭和44年。
もっとわかりやすく云えば、今日の試合、阪神タイガースファンの気分が昭和43年、東京ヤクルトスワローズファンの気分が昭和44年。
60年代後半ちゅうても、そいだけ、ちがうのであーる。昭和44年なんか、大キライだ(・・・って、何書こうとしてたんだっけ?)。
まあ、そういうことだ。