最近、ここの更新、週一レベルになってきた。
歌謡曲の感想文書くブログなのだが、プロ野球にいかに頼っていたか、わかるというものである。
CDとか一頃ほどではないが、そこそこ買っているのであるが、それよりもDVDを観ることが多くなっているので、どうも調子が狂ってしまった。
映画の感想文書くのに必要な脳味噌の部分と、音楽の感想文書く脳味噌とは違うな。脳味噌に端子つっこんで、調べたわけでないので、どっちがどうかわからん。まあ、NHKが「ためしてガッテン」やらで、いつかやってくれるだろう。どっくに、やったのかもしれんが。
ただ、一つだけ云えるのは、音楽バカみたいに聴いていると調子が良く、映画は見終わったら、どっと疲れる。まあ、そういうことである。
なんか、もう春ですなあ。
昨日は、久々に洗車とワックス掛けをした。軽自動車じゃない方。月曜日、車検なので、どうせワケのわからんコーティングとか勝手にしてくれるので、別に今しなくてもいいのだが、
この前したのは、いつのことだろう。秋頃かもしれん。ひさびさだったせいか、ふらふらになってもた。
まあ、当たり前だが、ぴかぴかになった。
しかし、屋外駐車ゆえ、すぐに、今、クルマの頭上の樹上で、サカリを迎えている鳥の糞だらけにすぐなってしまうのだが。
で、今日は三木や三田あたりを軽く走らせたのだが、弘田三枝子の「あなたがいなくても」にハマる。まあ、オレにとりジャックスと弘田三枝子ちゅうのは、聴いたら最後、ハマってしもて、同じ曲何度もリピートしてしまう。
ノリノリの和製R&Bというか和製モータウンサウンドで「あなたがいなくても、わたしは生きていく」 ちゅうゴキゲンな歌だ。下に例によってYouTubeから引用してあるので、まあ、気が向いたら一度聴いてみてほしいもんである。
これが、ダイエット後整形後の弘田三枝子の復活作で、すさまじいほどヒットした、どシリアスな「人形の家」のシングルではB面というのだから、 オレなんかは嬉しくなってしまうわけである。
もちろん「人形の家」は名曲中の名曲だし、もちろんオレも好きな曲だし、弘田三枝子ならではオイシいとこを歌にぶち込まれているし、だいたい彼女が整形したのも、ダイエットしたのも、この曲のイメージにあわせるため、とオレなんかは思っているほどである(事実はそうじゃないかもしれんが、オレはそう信じとる)。
それでも、でも、だ。でも、 人形の家出す寸前までは、「渚の天使」や「可愛い嘘」やらノリノリのゴキゲンな、そしてどっちかというとオレの好きな弘田三枝子を120%全開の曲がずらーーーっと並んでるのである。そして、シングル「人形の家」のB面も「あなたがいなくても」もホンマ、凄いノリである。
もしも、「人形の家」がヒットしなかったら・・・。やめておこう。
2009年2月15日日曜日
弘田三枝子の「人形の家」と「あなたがいなくても」
2009年2月9日月曜日
フツーの日記
おお、今年は、風邪をひかないですみそうである。これというのも、昼飯に、讃岐うどんにネギてんこ盛りにして喰っているおかげと思う。実際、この前、動物園のチンパンジーが風邪予防の為ネギばっか喰わされているニュースを見た。
オレがネギをチンパンジー並に大量に喰えるのも、ひとり暮らししとるとき、うどんや納豆の薬味としてだけでも、ネギ一把買うもんだから、余って仕方なく、水栽培すりゃ腐らし、冷蔵庫に入れても忘れて腐らす、常温で保存しても腐らす、で、オレという人間も腐ってしもた。しかも、東京で細ネギはJALで九州から空輸されてくるやつしかなく、それが、当時も200円とぼったくり価格、それを薬味として先っぽの3センチほど喰うだけ、あまりにもあんまりである。ある日、ええいっとばかり全部刻んでうどんにぶっこんで喰ったら、意外と旨かったんで、爾来、ネギは買ったら全部刻んで、その日の内に消費するというパターンを確立したのである。
人生塞翁が馬、ちゅうが、この前ハードディスクが安かったんで買ったって書いた。
で、暇なとき、あれやこれやしてたら、昔の外付けハードディクスがワケのわからん症状に。ホンマにいかれたんなら、まあ、アキラメがつくのだが、コピーしとると途中で止まり、いっぺん電源切ってまた入れると、再び何もなかったようにキチンとマウントする・・・というのだ。もちろん、完璧にコピーできたワケじゃないから、それを消去して再び、コピーしなおすのであるが、うまいこといったり、いかなかったりするから始末に悪い。まあ、外付けがこういう症状起こすのは、やがては逝ってしまうちゅうことだから、「こりゃ、今のウチにダマシダマシでも、全部コピーしとかなアカン」と思うから、数ギガコピーしては途中で止まり、ファインダー強制終了して、外付けの電源切って入れては、再びコピーし直すという、うまいこといったらオーケー、アカンかったら、同じ作業の繰り返し、と、まるで、賽の河原で石を積んでは鬼に蹴散らされる、ガキのような行為をえんえんとしとったわけだ。まあ、おかげでなんとか、外付けのハードディスクの中身はコピーし終わったが、なんのことはない、せっかく買った内臓ハードディクスの空き容量がほぼいっぱいになってもた。
2009年2月1日日曜日
ハードディスク追加
ソフマップ久々に行ったら、1TBのハードディスクがなんとまあ、8,000円切っていたんで、つい・・・・(バルク品、シーゲートのWDなんちゃらちゅうやつ)。
まあ、なんちゅうか、本中華、こうまで安いともう、笑ってしまうしかなく、かといって、オレのiTunesライブラリ放り込んだところで、まだまだえんえんに余っとるワケで。
ちゅうことで、ハードディスク入れ替え作業をしこしこやっています。もうここまで安いとDVDとか丸ごと入れてもざっと1TB/4.7GBで200枚以上は入ってしまうワケで。
さて、広大ななーんもない荒野を前にどなしよか、と。。
。
2009年1月25日日曜日
ザ・ピーナッツの「白い恋人たち」
昨日は久々にタワーレコードに行って、あれやこれや。ジャックス40周年記念ボックス(LEGEND 40周年記念ボックス" (ジャックス))、買ってしもうたがな。高かったし、ほとんどの音源持っているのだが。そいでも、やっぱ、「新鮮」であった。
オレの音楽嗜好は、ジャックスに始まりジャックスに終わる・・・このところのオレの昭和歌謡のめり込み現象は、明らかにジャックスっぽいものをカルトGSやら60年代の昭和歌謡の中に発見してきたからだと思う。ま、そんなことはどーでもえーが。
今日の朝はすごく寒かった。雪がうっすらつもっていた。冬ですなぁ。
この前、由紀さおりの「夜明けのスキャット」という彼女のファーストアルバムの再発のこと書いたが、あのアルバムに入っていた「白い恋人たち」にまたはまってしもて、オリジナルのサントラとか伊集加代のスキャットもんとか、いろいろ聴いているうちに、またもトンデモ無いもん見つけてしもた。
まあ、原曲は知っている人は知っとるだろうが、1968年フランスで行われた冬季オリンピック記録映画のメインテーマ曲、これを、さすがフランス人やのぉ、「男と女」のクロード・ルーシェ監督がやっとる。DVD買う気になったが、日本盤はとっくに廃盤、例によって、中古はスゴい高くなっている。 例によってYouTubeにあったオリジナル。
で、iTunesのオレの中にザ・ピーナッツの「白い恋人たち」があった。日本のシャンソンというコンピに入っていたのであるが、聴いたことすら忘れていた。で、聴いた。吃驚仰天した。
なんと日本語歌詞付きなのだ。
はかなく消えた きのうの夢の
あとに残るは ただ冷たい涙ばかり
あなたのいないうつろな夜は 死んだみたいな心
ひとりぼっちの虚しい朝は 生きることがつらい
過ぎていくのね 恋の月日も 炎は燃えて白い灰になってしまう
ひとりぼっちの虚しい朝は 生きることがつらい
過ぎていくのね 恋の月日も 炎は燃えて白い灰になってしまう
けれど二人は命の限り忘れはしない 愛しあったあのしあわせ
(作曲:Francis Lai訳詞 永田文夫・・・ただオレの聞き取りのため、不正確のことがあります)
この歌詞、どう解釈しても、まあ、別れた恋人に対するあれやこれやで、原詩も訳詞通りとするなら、わざと冬季オリンピックの記録映画にこういうの持ってくるとは、まあ、おフランスらしい。まあ、どうせフランス語なんかわからんし。
さて、ザ・ピーナッツというとてつもない実力を持ったお姉さん方にかかると、この日本語歌詞は、途端にリアリティを持ち始め、フランシス・レイのサントラで抱いていたイメージが、今、聴くたんびにこの日本語歌詞の世界へ次から次へと更新されていくワケである。不思議な感覚?、不思議な快感である。
まあ、40年間、耳タコになるぐらい、ボーリング場喫茶店その他のBGMや何気なくつけたラジオ等で、数え切れないぐらい聴いたこの「白い恋人たち」だが、どんどん、新鮮なってきこえていくわけであーる。
「白い恋人たち」の映画の中古DVD,とても高いし、頼みのアメリカ盤すら廃盤みたいな状況、しかし、手に入れたら、このテーマがかかる場面、全部、ザ・ピーナッツの日本語歌詞版に変えて 、観たい、そんな気がしている(ちなみにオレは映画そのものは観たことがありません)。
ザ・ピーナッツの「白い恋人たち」の入ったアルバム、おお、四月にアルバムが再発になるみたいである。
"華麗なるフランシス・レイ・サウンド!~ザ・ピーナッツ最新映画主題歌を歌う" (ザ・ピーナッツ)
おお!ザ・ピーナッツの「白い恋人たち」こと書いている方がおられた!・・・世の中ひろい、わかってる人はわかってらっしゃるもんである。例によってオレのあさはかぶりに自己嫌悪、しもた、書く前に見つけておけばよかった。ザ・ピーナッツ・レコード随想 白い恋人たち
2009年1月21日水曜日
引き続き戸川純
アメリカ新大統領就任式。地平線の彼方まで人で埋まっている光景を見て、つくづく、まあ、アメリカ人、ちゅうのは、ほんまにしゃあないやっちゃらやなぁ・・・と思った今日この頃です。そんな期待しても・・・と思うのだが、なんか、アメリカの小泉純一郎かいな。バブル崩壊中に出てきたところがそっくり。うちの国でも、あれほどアメリカの悪口言うてた人が、少年のような目をして「期待できそうな気がする」とかなんとかして云うてるし・・・。
ベトナム戦争始めたのも、太平洋戦争おっぱじめたのも、民主党政権下やったことを忘れないようにしとこうと思いました。
前回、戸川純のこと書いた。今日、ラジオつけたら、いきなり、レイダーマーンがかかって、びっくり仰天。いきなり、巻き舌を巻きまくって声張り上げて「レィダーマン!」やもんな。痛快痛快。
ホンマ、歌謡曲のカヴァーをど歌謡曲のフォーマットで歌謡曲歌謡曲して歌い上げたアルバム、欲しかった。いや、欲しい。もちろん、下のアルバムがあることはあるのだが、もっともっと。
"昭和享年" (戸川純)いちおう、アマゾン調べたらこういうベストが出てた。・・・定額給付金が出て、伊東ゆかりボックス買って、お金が余ったら買おうっと。
"TOGAWA LEGEND SELF SELECT BESTRARE 1979-2008" (戸川純, 戸川純とヤプーズ, 戸川純ユニット, ゲルニカ, ヤプーズ, 東口トルエンズ, 仙波清彦とはにわオールスターズ, Lion Merry, 梵鉾, ハルメンズ)
2009年1月18日日曜日
戸川純
震災から、あれま、もう14年になるわけか。うーん。合掌。そうか、派遣村がウソくさかったのは、震災でもないのに・・・やめとこう。人間生きとったらなんとでもなる。なんとでもなる。
NHKの大河、すごい。なにせ、コテコテの大技、連発。
前週は5才のガキを吹雪の中、えんえん歩かせるという反則スレスレの技、涙のるつぼちゅうやつですわ。わ、今週は今週で、今や少女マンガでも使わないであろう、A BOY Meets A GIRLの定番(まあ、慌て者の女子が、遅刻しそうになって廊下を走って、男の子とぶつかって、ひっくり返って、ケンカするちゅうパターンね)だが、そこは、NHK,何せ、群衆の中、馬を暴走させたのだから、さすがである。どうせ、史実なんか、あってないようなもの、どんどん、オモロイ番組にして欲しいものである。
それにひきかえ、朝の連ドラの方は・・・養老院のババア、とうとう殺してしまいよった。こっちは、どうせ、芸能界で人気がでまくった二人をまた、前のフォークグループに戻すためとはいえ、話のもって行き方が強引すぎて、後味が悪すぎるわ。
YouTubeでまたも、あれやこれや観ているうちに戸川純見つけてしまい、2時間にわたりYouTubeやiTuensで観まくり聴きまくる。
やっぱ、異常に巧い歌手ということを再確認する。やっぱ、ニューウェーブ末期ということで、直球勝負できんかったのがしんどかったんかもしれん。なんか、マルコム・マクラーレンが寄せ集めでセックスピストルズでっちあげたら、中にジョニー・ロットンが混じっていたみたいな感じ。今、フツーにディナーショーやっててもおかしくない歌手なんである。
蘇州夜曲
アカシアの雨がやむとき
さよならを教えて
2009年1月16日金曜日
随想
一昨日だったっけ、東大安田講堂の例の事件の番組があり、前半だけ、見た。
カラーの実写映像がかなり残っていたみたいで驚いた。この手のヤツはたいていはモノクロだった。
これだけ残っているなら、変にドラマとかワケのわからん現職国会議員など当事者たちの過去美化くりごと挿入するより、当時の映像だけで再構築して、ドキュメンタリーとしてやって欲しかった。
当時小学5年生だったオレ自身の感覚(どのチャンネルもこの実況えんえんやってた)では、全共闘と機動隊のガチのバトルだから「メッチャ、オモロそうなことやってるな」であり、前も書いたと思うが、東大を丸ごと会場に使った、大がかりな戦争ごっこ以上でも以下でもない気がする。まあ、当時のおおかたは、この戦争ごっこ、弱い方の全共闘側を応援していたし、オレもそうだった。
学生運動ほどの騒ぎちゅうと、ワシら世代では、それは暴走族となるわけであるが、かたや、大学生、かたやヤンキー、でも、心は同じだと思う。騒ぎたかったのである、大暴れしたかったのである、広い場所で。相手はできるだけ強い方がエエ。
ひとつ違うとすれば、大学生たちはズルいから、自分たちは「正義」でありたかった。だから、ワケのわからん屁理屈をイデオロギーの力借りて、自分たちを正当化する理論を構築した(ただ、当事者以外は理解不能)。
後世になると、その部分がやたら、誇張されてしまうから、余計ワケがわからんようになって、あたかも、スゴく意味のあるような出来事のように語られるのであるが、「オモロかった」「燃えたでぇ」「でも、ボロ負けやったわ」だけで充分なのである。
後の大学生が大人しくなったのは、何故か? 政治意識云々の問題じゃなく、単に、大学紛争するよりもっともっとオモロイことができるようになったから、なのだ。ちょっと安全に走ったかもしれんが。
もし、当時の学生運動の意味とか意義だとか、見いだすことができるというなら、ワシら世代から吹き荒れた暴走族のヤンキーの兄ちゃんからも意味とか意義とか見いだしてあげないと、ヤンキーの兄ちゃん姉ちゃんがあまりにもかわいそうというものである。
あんだけ、国の金を使って遊べたことを感謝するべきと、オレなんか、は思うのだが・・・。
学生運動は暴走族に優るとこなし、みな空なり、である。
合掌。人は獣にまさるところがない。すべてのものは空だからである。
[From 口語訳聖書]
2009年1月14日水曜日
小島麻由美の「あの娘の彼」
しつこいようだが、昨日に引き続き、またも小島麻由美ネタ。
今日、あらためて小島麻由美聴いているのであるが、遙か昔、店の中でかかっていて、そのままCDをひったくるようにしてレジに駆け込んだのは、「あの娘の彼」が入っているシングルだったような気がしてたら、今調べたらこの「真夏の海」のB面(CDだから裏表ないけど、まあ、便宜的に)だった。持っていない。
でも、下のアルバムあったから、そっちかぁ。当時のオレは今より金持ちであったんだろうな(1995年のデビュー「結婚相談所」から1999年の「ふうせん」までの8枚のシングルA面B面16曲に新録4曲入ったヤツで、どれもこれも、ローファイなやさしい音でエエ)。
"Me And My Monkey On the Moon" (小島麻由美)
「あの娘の彼」、YouTubeにないみたいなので、またもJASRAC気にしながら、歌詞を全文引用するのだが、歌詞の面白さを書きたいわけだ、仕方ない。歌詞全部は以下の通りになる
あの娘のことは好きだけど、あの娘の彼は嫌いなの。 あの娘はこのことに気付いてない。 彼のことしか みてないからね。あの娘は出来事すべて何から何まで報告する。
あの娘は あのことに気付いてない。
彼のことしか みてないからね。あの娘のことは好きだけど、あの娘の彼は嫌いなの。
あの娘は 私の話さえ 右から左へ 通り過ぎる。あの娘のことは好きだから、いつでも仲良くしたいけど
あの娘は そのことに気付いてない。
彼のことしか みてないからね。あの娘のことは好きだけど、あの娘の彼が嫌いなの。
(「あの娘の彼」1996年 作詞作曲小島麻由美あの娘の彼 小島麻由美 歌詞情報 - goo 音楽
あの娘は このことに気付いてない。
彼のことしか みてないからね。
彼のことしか みてないからね....
)
まあ、内容は女子同士のあれやこれやで、少女同士の仲良しこよし状態に片一方彼氏ができて、女同士の友情が壊れそうになっとる状態なんであろう、と推測される(断言はできない)。
まあ、ワシらおっさんはこれまでの人生の中で、この手の、女子同士のあれやこれやに下手に手を出して、地獄を見た経験一度や二度や三度や四度や五度や六度や・・・もっと経験ある人もおるだろうし、いや日常茶飯事となっている人もおるかもしれん。 同情に堪えないがまあ、試練と思ってこれからもがんばって生きてください・・・と・・・話が逸れてしまった。
歌詞に戻るが、何故かこの名曲、YouTubeにはない。でしゃあないから歌詞全部引用したんだが。
「あのこ」と「あのこと」「このこ」と「このこと」という風に、文中韻踏み、というか、あのこのことがあのことでかれのこと、あのことの部分が「そのこと」、「このこと」と変化しつつも「のこと」だけが循環、それも分の途中で循環していくという、ワケのわからんオモシロさがあったわけだ。
昭和歌謡スキャット評論家のオレとしては、あのこのことがあのことでかれのこと、の部分、だばだばだば、とか、しゅびどぅびば、とかのスキャットっぽく聞こえてしまうのであるが、スゴいことにこの歌詞そのものがスキャットなのかもしれん、そうじゃないかもしれん、ようわからん。
曲自体もウッドベースのど低音から入り、どことなく怨み節的雰囲気があり、曲の終わりも「彼のことしか みてないからね.」の永遠リピートさせつつも、突如突然終わり、その後の多分男には永遠には理解できない、仲良しこよし女子同士特有の凄まじい怒りを想像させ、恐怖におののくばかりである。
ここで、なんどもこぼしているように、近頃、もう殆ど新興宗教の勧誘ソングみたいなウソくさい前向き善人ソング、ポジティブ押しつけソングお母さん感謝ソングやら生まれた時初めて流した涙がどうのこうのとかいう感動押し売り系歌詞とか、千の風がとかの意味不明だけど意味ありげな歌が氾濫しとるが、心があらわれる思いである。
2009年1月13日火曜日
小島麻由美を聴きかえしたりして・・・
昼は、今年初めて、讃岐うどんの店行って、「おろし醤油冷たいの大」注文し、例によってネギをてんこ盛りして、醤油ぶっかけて喰う。久々の旨さにシビれる。
ガスファンヒーター焚いてもダウン着用(ちなみにケータイも圏外の時がある)せなあかんという自室なので、また、寒くなるそうで、困る。
年末、iTunesのライブラリ整理してたら、小島麻由美とかがいっぱいあったんで、 聴いてみると、一時期、めちゃっくちゃ凝ってたこと思い出し、ああ、懐かしいと思った。今や、弘田三枝子や伊東ゆかりなんかよりずっとずっと懐かしく感じるわけで、かなり、オレの時制観念が狂ってきてると思った。確かに、紅白でSMAP聴いて古くさく思ったりしとる。
で、小島麻由美(wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/小島麻由美 ホームページ http://www.kojimamayumi.com/ )、多分、どこぞのCD屋とかでたまたま聴いて、めっちゃくちゃ気に入ったわけであるが、最初はへたれ気味で脱力しつつも、胸キュン度が高いとこが気に入ったのだが、なんか、音がどんどん、低音重視の、レゲエっぽくカッコ良くなったんで、あーもうあかんわ、ついていけへん、と思て、ますます昭和歌謡にのめり込んでいったわけであるが、すごく惜しい気がしたものである。レゲエっぽい音、聞き飽きてきた頃やもんな。
まあ、しかし、やっぱ、「恋の極楽特急」とか「セシルカットブルース」の胸キュン度は当時の中年男すら年甲斐もなく、手を出させるもんだったわけで、それはそれでスゴい人だと思う。しかし、ハイファイよりローファイやで。
「恋の極楽特急」
「結婚相談所」
「セシルカットブルース」
「先生のお気に入り」おお、これは当時のヤツだな。
「愛しのキッズ」やっぱ、ええのぅ。
2009年1月12日月曜日
asahi.com(朝日新聞社):給付金に反対63% 内閣支持19%
日本人、ちゅうのはいつからこんなに、ええカッコしぃが増えたのか、理解に苦しむ。徳政一揆やら米騒動の根性はいまいずこ、ちゅうもんや。給付金に反対63%・・・わかった、わかった、給付金いらん人、オレに回せ!、オレが有効に使ったるから。
目玉政策のはずの定額給付金に対し、多くの国民が拒否感を抱いていることが示され、低支持率にあえぐ麻生内閣はさらに苦境に追い込まれた。「配った方がよい」は自民支持層でも48%にとどまり、「やめた方がよい」が43%いた。
[From asahi.com(朝日新聞社):給付金に反対63% 内閣支持19% 朝日新聞世論調査 - 政治]
しかし、くれる、というもの、なんで、いらん、とか云うのか、とりあえず、もうとったらええやないけ。人間素直に行かな。