一昨日だったっけ、東大安田講堂の例の事件の番組があり、前半だけ、見た。
カラーの実写映像がかなり残っていたみたいで驚いた。この手のヤツはたいていはモノクロだった。
これだけ残っているなら、変にドラマとかワケのわからん現職国会議員など当事者たちの過去美化くりごと挿入するより、当時の映像だけで再構築して、ドキュメンタリーとしてやって欲しかった。
当時小学5年生だったオレ自身の感覚(どのチャンネルもこの実況えんえんやってた)では、全共闘と機動隊のガチのバトルだから「メッチャ、オモロそうなことやってるな」であり、前も書いたと思うが、東大を丸ごと会場に使った、大がかりな戦争ごっこ以上でも以下でもない気がする。まあ、当時のおおかたは、この戦争ごっこ、弱い方の全共闘側を応援していたし、オレもそうだった。
学生運動ほどの騒ぎちゅうと、ワシら世代では、それは暴走族となるわけであるが、かたや、大学生、かたやヤンキー、でも、心は同じだと思う。騒ぎたかったのである、大暴れしたかったのである、広い場所で。相手はできるだけ強い方がエエ。
ひとつ違うとすれば、大学生たちはズルいから、自分たちは「正義」でありたかった。だから、ワケのわからん屁理屈をイデオロギーの力借りて、自分たちを正当化する理論を構築した(ただ、当事者以外は理解不能)。
後世になると、その部分がやたら、誇張されてしまうから、余計ワケがわからんようになって、あたかも、スゴく意味のあるような出来事のように語られるのであるが、「オモロかった」「燃えたでぇ」「でも、ボロ負けやったわ」だけで充分なのである。
後の大学生が大人しくなったのは、何故か? 政治意識云々の問題じゃなく、単に、大学紛争するよりもっともっとオモロイことができるようになったから、なのだ。ちょっと安全に走ったかもしれんが。
もし、当時の学生運動の意味とか意義だとか、見いだすことができるというなら、ワシら世代から吹き荒れた暴走族のヤンキーの兄ちゃんからも意味とか意義とか見いだしてあげないと、ヤンキーの兄ちゃん姉ちゃんがあまりにもかわいそうというものである。
あんだけ、国の金を使って遊べたことを感謝するべきと、オレなんか、は思うのだが・・・。
学生運動は暴走族に優るとこなし、みな空なり、である。
合掌。人は獣にまさるところがない。すべてのものは空だからである。
[From 口語訳聖書]