2007年8月23日木曜日
八月二十三日
2007年8月22日水曜日
八月二十二日
佐賀北、すごかったねぇ。満塁ホームランは伝染する、という昨日とかアホなことを考えてみたが、佐賀北にもうつってしもた。鳥インフルエンザが豚に感染したようなこっちゃ。感染力が強いみたいですなあ。
昨日はちょっとエキサイトしてしもて、ここへ書くんはしょってしもたが、You Tubeで山口百恵みとった。
そいで、あらため思ったわけだが、エエ女やんけ。
オレの場合、中学の頃、ラジオで、森昌子「せんせい」、聴いた瞬間、阿久悠とその一派の歌謡曲マジックにかかって、もう、好きとか嫌いとかわからんまま、妙に耳に残り、授業中も「それはせんせーぃ」とか口ずさむありさま。
こりゃ、いかん、ということで、シングル買いに行って、オレがイメージした森昌子と、ジャケットで初めて遭遇する森昌子のじっさいとの、あまりのギャップに、ギャフンとなり、強烈なトラウマとなり、同時に売り出された桜田淳子も山口百恵も「森昌子」に似ているような気がして、つまり、ぶっちゃけ、花の中三トリオはブスばっか、という先入観を持ってしもたわけだ。このあたり以前も書いたと思うが、まあ(念のため、くれぐれも。もし実生活でかの三人風ルックスおったら、じぇんじぇんオーケーですよ。ハードル地面すれすれ男ですから)。
まあ、そういう、こと。
で、昨日はYou Tubeで百恵ばっか聴いとったが、今はもう、ええわ、ちゅう状態になっとる。なんやかんや云うて、一生懸命歌っていんやろけど、基本的に無表情やろ、山口百恵。オレとしては、やっぱ、スケベな歌は思いクソスケベに歌う(たとえば、です)タイプの歌手が好きなんや。
70年代の歌謡曲って、もう、なんか、ヒットさせるシステムが確立してしもたんか、くりかえして聴くと、計算づくの演出があざとく、感じてしまうんや。
ちゅうことで、60年代末期、全員ミニスカだけが売りだった女性グループサウンズ、ピンキー・チックスと、大映とかでエグイ色気を発散させとった安田道代が、「抑制」とっぱらって、思いクソ歌っている下のようなヤツにやっぱ、戻ってしまうのであーる。当時の映画からのシーンらしいが、このシーンだけ目当てでも、DVD出たら買ってしまいそう。ここで聴かれる、邦生ばりのキェーちゅう声山口百恵には百万年かかっても無理だろう。
2007年8月21日火曜日
もう、こんなん、シャレですまへんわ
一部の球団で、満塁ホームラン打たれ病という悪質の病気が流行っています。気をつけましょう。
今、最先端の研究から、予防策の一つとして、打たれそうならもう、危険球にしちゃうというのがありますが、そういうのは、野球がガラの悪くなりますから、オススメできません。勝てばええ、というのは、あきまへん。 ・・・とか、もう、こんなん、シャレですまへんわ。
「ああいうことを許していたら、野球にならない」とヤクルト・古田監督は感情ムキ出しで怒った。7点リードをひっくり返されたことではなく、二回に武内がジャンから頭部に投球を受けた場面だ。5点を失い、さらにボークの判定に不満の色を示した後の危険投球だ。打席の武内は「周りには(ボールになった)1球目から狙われてる…といわれたけど…」と困惑気味。同監督は「ボクは故意だと思う。(ボークと判定した)審判に対してやっている」とやり場のない怒りをぶちまけた。 [FromSANSPO.COM > ニュース速報]
久々に古田がええこと云うとるのも喜ばしいことであるが。 実際、感じ悪かった。まあ、その感じの悪さも明日の関西のスポーツ各紙では、満塁ホームランとかで7点差をひっくり返したこと、とかで埋め尽くされて、例の脳みそ全く使わず書いたような、ばんばんじゃーいようやったようやっったモードで、見事隠蔽され、無かったことにされてしまうだろう。
そいじゃあんまりだから、オレも魂を悪魔に売る。たった今から、大嫌いな球団だが仕方ない、巨人と中日と横浜、応援する。
2007年8月20日月曜日
三島由紀夫に捧ぐ
またも、模様替えしてみる。・・・が。このBloggerで用意されているテンプレートをちょこっといじっただけなのだが、バカみたいに時間がかかる。
三島由紀夫の文化防衛論読んだ。
これは、本のタイトルの論文は、読んだんがオレだから例によって例の如く、なにかようワケわからんが、そのあとに載っている、学生たちとの討論とかが、オモロイ。
それこそ、当時は60年代後半、激動の時代。
本は大学紛争まっただなか、チェコでは自由化運動である「プラハの春」がソ連軍の侵攻を呼び、フランスでは5月革命がド・ゴールにうまいことまるめこまれ、ベトナム戦争は世界各地に反戦運動を呼び、中国では文化大革命とかで紅衛兵が暴れる・・・エトセトラエトセトラの60年代後半まっただなか、三島由紀夫が単身、大学に乗り込んで、サヨクじゃない根性のある左翼思想かぶれ暴れまくってた当時の学生たちとの討論会だ(後ろに年表が載っていて、当時の世界での出来事見ているだけでも、興奮してくる)。
そいで、あとがきの後ろの「果たして得ていない約束・・・私の中の二十五年」というエッセイというか論文というか短い文章がのっている。でも、こっちはわかりやすい。涙が出た。
圧巻は、
「日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口もきく気にもなれなくなっている」
という、有名な一節であろう。
1970年の11月のあの事件、何であんなことしたんだ、って、みんな謎だ謎だ、ちゅうとるが、これほどわかりやすいことばで、自らちゃんと書いていたんである。
同時に、今の今まで、まったく、一字一句変わることなくウチの国をあらわしてしてしまうのが、悲しい。
三島由紀夫があの事件を起こした1970年の時点なら、まだ、なんとかできたかもしれないが、もう、今じゃ、その修正は遅すぎるんだろう。いや、遅くないかも知れないかもしれない、ようわからん。
ホンマ、ケッタイな国に生まれてしもたもんである。
要するに、ウチの国のケッタイさの理由は、簡単、上の世代から下の世代への伝承が機能しなくなってるだけなのである。新しいもんが古いもんより必ず良ければ、文化がどーのこーの云わんでもエエやろが、そうじゃないからなぁ。どんどん、金ばっか増えて、考えへんで新しいもんに飛びついていくだけから、どんどん、ちゃらちゃらしたアホになるわなあ。
釜が崎や山谷とか・・・失礼、今は安全らしいから、どこぞの国のスラム街を、ミニスカでノーパンで歩いているようなちゃらちゃらしたおんなのこが、六十何年か、今まで襲われなかったから、と云って、ミニスカでノーパンだからこそ、襲われないことにはならないのに、そう無理矢理信じ込んで、これからも、絶対、ミニスカでノーパンだけは変えませんよ、ちゅう国で、ほんまどこまでいけるんやろか。
そいで、そのおんなのこは、パープーでアホやらから、時代が進めば、どんどんちゃらちゃらしよるわけや。
もちろん、ボディガードかなんかしらんが、ケンカが強そうなだけで、ワガママで少々ノータリンの大男の後ろをひたすら、ついて歩くわけだが。
オレなりにこの本から、無理矢理三島由紀夫の云いたいことを引き出すと、「ミニスカでノーパンでちゃらちゃらしたおんなのこ」じゃなくて、パンツを、いや、「フンドシ一丁」か?、でええから、おとこ」でボディガードなしで、ひとりで歩け、ちゅうことかもしれん。
もちろん、男やから云うて、いろんな趣味の人がおるから、安全ではないけど、その時は、ケンカしなさい、ちゅうことなんやろな(フェミニストに怒られるか・・いや、三島由紀夫ファンにも、ウヨクの人にも怒られるか)。
ノーパンならそうそうケンカなんかでけへんが、パンツないしはフンドシはいた瞬間でまわりとケンカができる状態になるわけだが。
2007年8月19日日曜日
八月十九日
夏もそろそろ、後半。夕方は雷雨。久々に涼しい風が吹いてきましたわ。
この夏猛暑でしたが、ずーーーーーーーーっと寒い寒いチームがございまして。今日はもう氷点下。
満塁サヨナラホームラン・・・。
この満塁サヨナラホームランに大喜びしとる人たちもおられると思うと、世の中、矛盾だらけだと思います。政治ではアベを応援してたが、野球選手のアベには、もう、これから、なにがあっても、あっても口きいてやらん。
昨日は友人のご家族に不幸があり、お通夜へ行ってきた。礼服のズボン、縮んでしまったようで、ウェストがキツく・・キツくどころではなく、ジッパーも全部締まらないようになってしもた。不思議な縮み方で、縦方向には縮んで無く・・・アホらしくなったんで、やめるが、正直、オレのウェスト5年前より6センチも増えてしもたがな。はっきりいって、腹が出ました(正直者!)。
ということで、今宵はこれにて、筆をおきたいと思います・・・満塁サヨナラホームラン・・ああ。
2007年8月17日金曜日
八月十七日
2007年8月15日水曜日
八月十五日
2007年8月13日月曜日
八月十三日
「日本映画史100年」 四方田犬彦と「邦画の昭和史」 長谷部日出雄
今日は本の感想文。
「日本映画史100年」 四方田犬彦著
新書で日本映画100年をざっとではなく、かなり詳細に解説してある。すごい情報量である。ただ、やっぱ、それだけの情報量をまとめるので、イデオロギーっぽいのを使っているんで、70年代あたりのオレのキライなATGやら独立プロの作品、やたら、持ち上げているあたり、香ばしい。あと、日本映画を形容するのに、ほら、ブニュエルとかパゾリーニとか持ち出したりする。こういう感覚自体古くさいということがわかって書いているんか、無意識のうちに、やはり、こうした古い文体に頼ってしまっているのか。
それはしゃあないとして、日活のところに入ると「率直にいってわたしは、この瞬間のために、本書のこれまでの部分を執筆してきた気がしている」と、おおおおおっ、と思わせておいて、2ページほどで終わってしまう。うーん。
「邦画の昭和史」 長谷部日出雄
こっちは、「スターで選ぶDVD」と副題、帯の惹句が「失われたかっこよさを求めて」
という割り切り方がいい。
こっちの方が、当然上記の本より、明快、わかりやすい。そして、若々しいのである。
四方田犬彦は5つ年上の1953年(昭和28年)生まれ、そして長部日出雄は25年上の1934年の昭和9年生まれである。
本の性格そのものが違うんで、同列で比較するんは、良くないが、ともかく、映画産業そのものが落ち目で、他になんぼでもオモロイことがある中、何らかの理屈付けをせな、わざわざ映画館に足を運べない世代と、映画が全盛で、そこいらに映画館がフツーにあって、しかも映画館がほぼ満員ちゅう時代において、映画そのものがごくごく自然にカラダの中に入ってしまっている世代との差を感じた。
まあ、オレとしては、映画はキレイ姉ちゃんが出てて、音楽が良かったら、そいで、エエ、ちゅう程度ですよって。
日本映画史100年
邦画の昭和史―スターで選ぶDVD100本