2007年8月15日水曜日

八月十五日

 八月十五日。敗戦記念日。  今日でオレはお盆休み終了。明日は大文字なのだが。  スワローズ、バカ勝ち。横浜には悪いことした。    昨日は、渋滞を避けながら、六甲山へ、ひさびさに行く。下界より温度が低くて快適。まあ、あたりまえだが。

2007年8月13日月曜日

八月十三日

 晴れ。  さすがに、須磨の湾岸部はクルマと人でいっぱいである・・・ということが、わかりきっているのに、クルマで出かけ、出かけたと云っても、タコライス喰いに新長田へ行っただけなのだが、帰り渋滞でひどい目に当然のことながら、あう。  ガソリン入れたら、ハイオクで152円という高さ。タコライスと沖縄そばに島とうがらしをぶっかけ喰ったため、汗だく。おかげで、夏風邪が治った。    月曜日なんで、今日はプロ野球がなく、心静かに、フツーにフレンドパークを見て、フツーにチャンネルNECOで「雑居時代」見終わって、パソコン立ち上げたら、BSでザ・ピーナッツの歌伝説の再放送やっているとの、メールを頂いており、慌てて、最後の方、見る。ジュリー(沢田研二のことですよ)作曲の「東京の女」、あらためて、エエ曲やなあと思う。曲の完成度うんぬんはともかく、ひとり歌って、ひとりスキャットというパターン。フツーの月曜日じゃなく、やはりお盆の特別な日であることを実感した次第である。  ピーナッツの番組、ちょびっとしか見れなかったんで、悔し紛れにYou Tube探してたら、こういうのが見つかった。  You Keep Me Hunging Onの邦題が「恋はおしまい」とは。金井克子すごいなあ。

「日本映画史100年」 四方田犬彦と「邦画の昭和史」 長谷部日出雄

 今日は本の感想文。
 
 「日本映画史100年」 四方田犬彦著
  新書で日本映画100年をざっとではなく、かなり詳細に解説してある。すごい情報量である。ただ、やっぱ、それだけの情報量をまとめるので、イデオロギーっぽいのを使っているんで、70年代あたりのオレのキライなATGやら独立プロの作品、やたら、持ち上げているあたり、香ばしい。あと、日本映画を形容するのに、ほら、ブニュエルとかパゾリーニとか持ち出したりする。こういう感覚自体古くさいということがわかって書いているんか、無意識のうちに、やはり、こうした古い文体に頼ってしまっているのか。

 それはしゃあないとして、日活のところに入ると「率直にいってわたしは、この瞬間のために、本書のこれまでの部分を執筆してきた気がしている」と、おおおおおっ、と思わせておいて、2ページほどで終わってしまう。うーん。
 
 「邦画の昭和史」 長谷部日出雄 
 こっちは、「スターで選ぶDVD」と副題、帯の惹句が「失われたかっこよさを求めて」
 という割り切り方がいい。
 こっちの方が、当然上記の本より、明快、わかりやすい。そして、若々しいのである。


 四方田犬彦は5つ年上の1953年(昭和28年)生まれ、そして長部日出雄は25年上の1934年の昭和9年生まれである。
 
 本の性格そのものが違うんで、同列で比較するんは、良くないが、ともかく、映画産業そのものが落ち目で、他になんぼでもオモロイことがある中、何らかの理屈付けをせな、わざわざ映画館に足を運べない世代と、映画が全盛で、そこいらに映画館がフツーにあって、しかも映画館がほぼ満員ちゅう時代において、映画そのものがごくごく自然にカラダの中に入ってしまっている世代との差を感じた。

 まあ、オレとしては、映画はキレイ姉ちゃんが出てて、音楽が良かったら、そいで、エエ、ちゅう程度ですよって。


 

日本映画史100年
 
  
 
 

邦画の昭和史―スターで選ぶDVD100本

2007年8月12日日曜日

DVD三昧

 お盆に突入。  スワローズ、またも、勝負弱く、終盤逆転負け。今年のオフはみんなして、寺にこもって精神力鍛えなアカンわ。  夏風邪ひいてしもたがな。  ちゅうことで、一昨日と昨日にかけ、松本大洋原作の「鉄コン筋クリート」、「野獣死すべし」(ただし、松田優作のではなく、1959年の仲代達矢のヤツ)とかみる。「鉄コン筋クリート」、宝町の風景(ウソの昭和+ウソの東南アジア)がすばらしく、また、凝りすぎてるんで、肝心のストーリーに集中でけん。それに、最後あたりのあれはもう、スターウォーズでもうイヤというほどやったテーマ、それをえんえんやるんで、退屈してしもたがな。  それはそうと、とんとマンガとか読んでいないのだが、松本大洋って、いつのまにか、大友克洋みたいな扱いになってもたんやな。この勢いで、「花男」もアニメ化してほしいもんです。  で、はっと気がついたが、このアニメしんどかったんは、マンガでの松本大洋の背景って思いクソ手を抜いてあったりしてそれがよかったんやけど、今度のアニメはその逆に背景に力入れすぎとるから、その違和感か?    「野獣死すべし」は松田優作のとは違って、原作そのままではないが、まあ忠実。1959年ちゅうことは、すでに石原裕次郎によって「不良」がアップデートされており、さしもの伊達邦彦も「映画」の中では、大人しくみえてしもた。ホルモンバカ食いするシーンとか入れとかな。あと、白川由美と団令子の役が逆だったらなあ。  今は、たけしの「ソナチネ」みて、「ブラザー」みているんだが、もうすぐ、終わ・・・った。  両方とも、退屈もてあまして、大の大人が仲良く、しょうもないことして遊んでるシーンがええ。    

2007年8月10日金曜日

八月十日

 快晴。暑い。
 やっぱ、ブログのタイトルちゅうたら、梶芽衣子に決まっとる・・・のだが、うーん。

 もう、スワローズはスワローズはスワローズは・・・・。おもわず、ジャックスの「堕天使ロック」歌ってしもた。もう、こないなったら、ころがっていけ、くずれていけ、おちるとこまで、おちていけ、の気分だ。
 さあ、みんなで東京音頭を踊ろう。


 

 昼飯時、ディリースポーツ、見てたら、やっぱ、神懸かりになってきとる。


デイリースポーツonline


「伝統の一戦」第3ラウンドは延長十二回引き分けに終わった。最後は阪神・藤川球児投手(27)が2回無失点。七回以降、JFKがG打線の前に立ちはだかり、3人で6回0封に抑え込んだ。またも岡田彰布監督(49)が予言した通りの展開。1点を争う緊迫した戦いとなった


 とくにここの部分だ。


 またも岡田彰布監督(49)が予言した通りの展開。1点を争う緊迫した戦いとなった。


 ネットで出ている記事では、この程度で抑えてあるが、紙面では一面1/4は岡田監督がいかにこの讀賣3連戦を予言しまくって的中させたか、力説し絶賛してあった。裏の二面では江夏が、野球の素晴らしさを熱っぽく語っていた。

 試合は単に引き分けで、勝ったわけでないのに、紙面では、引き分け=負けではない=勝ちと一緒、と強引な論理展開が昨日の試合において、記者ファン選手監督全員に、暗黙のウチに行われているらしく、もちろん、そんなことがわからない東京ヤクルトスワローズファンのオレは、読んでて非常に孤独になったものだ。ボークを出して日本記録を出したジャンだけが、極めてユーモラスに揶揄されている程度、後は、絶賛絶賛絶賛である。

 イヤな傾向である。
 今夜も勝ったし、ますます、こうした、超自然的な何かに言及した記事が増えると思う。




 岡田監督も今は細木数子程度の予言を的中させているだけだが、そのうち、どんどんスピリチャルの領域に入って、江原啓之並みに、絶頂期の江夏や村山を今のピッチャーの誰やらに憑依させたり、、1985年や2003年2005年・・下手したら1964年の試合を今に蘇らせるようになるかもしれん。
 
 東京ヤクルトスワローズファンのオレが推測するに、おそらく、3位に入ってプレーオフ制して優勝、ということがもう、ファン、球団、選手、メディア内でもう暗黙の了解事項になっているような気がする。いや、3位に入って・・・はこういうテンション時の阪神ファンの頭には、今までの経験から云うて、余計かもしれない。そんなまどろっこしいこと考えへん。ということは、ペナント1位、そのままセ・リーグ優勝、ひいては日本一が既に了解されているのかもしれん。

 これは、悪口でも何でもなく、オレがアンチタイガースやから、こういうこと書いとるわけでも、ない。
 
 それが証拠に上の記事は、下のようなテンションを遙か頭上3万メートル上空に保ったまま、しめられているんである。


デイリースポーツonline


試合後の通路に、この夜も無数の汗の滴を落とした。いばらの道も、笑顔で歩くと心に決めている。気力一瞬-。たとえ体が疲れても、心があるのだ。猛虎を支えようとする心に、限界はないのだ。




・・・老婆心ながら、ひとこと。なんやかんやいうて、体が一番ですよ。

2007年8月9日木曜日

八月九日

 八月九日。個人的にはあまり好きな日ではない。明日はもっと好きではないが。  暑い。  昼間、頭がぽーっとして、半熱中症状態。今日は午後が休みなので、久々に日本海のひとつでもぶんぶん飛ばしていったろか、と思ってクルマ走らせているうちに、暑さのため、頭がぼーっとしてきたんで、途中挫折して、結局、三宮東のMANYOちゅう古本屋行く。    ちょっと前まで、いかにも古本屋的な値段がついていたが、夏のせいか、それとも、ブックオフ現象なのか、100円の本いっぱいあって、しかも、中には三冊100円とか、あるんだが、結局何も買わずに出る。  しかし、日本古典体系という、それこそ、図書館にあるような本まで、100円コーナーにあり、食指が喉からよだれ垂らして伸びたが、今までの経験から云うと、こういう江戸時代やらの原文のヤツは、有名な書名にひかれ、つい買いすぎるのはエエが、古文モロなんで、一冊読むのに数ヶ月かかり、しかも、数ヶ月もかけたら、物語のすじとかわすれてしもて、読み終えたとて、「いったいどういう話だったんだろう?」となり、残りは面倒くさくなり、そのまま、どっかへいってしまうのだ(といいつつ、今、滝沢馬琴の椿説弓張月上下巻210円をケチったことを猛烈に後悔・・また行けばええか)。  マンガも考えたが、こっちは三冊100円のコーナー、物色してみたものの、全巻そろっているのがなく、断念する  しかし、夏休みからなのか、それとも、それに関係なくそうなのか、延々立ち読みしとる青少年おっさんおばはんらが多かった。  そいで、ビルを出て、三宮駅東、高架下の「十番」で冷麺を食う。立ち食いではないが、吉野家形式の店。もちろん、韓国風冷麺、味は新長田とかにあるちゃんとした店に及ぶべき点は無いが、唯一、ここは、キムチ取り放題が、嬉しい。しかし、暑さのため、食欲ないせいか、キムチバカ食いとはいかなかった。    明日ぐらい、新長田で、ばーんと焼き肉でも思う存分食うことを決心する。やっぱ、冷麺は食後に喰うもんや。  またもや、スワローズ大敗。まあ、こういう負け方はあきらめが早いうちについて、ええ。1点ぐらいリードしてて、後半、追いつかれ、そのまま、ずるずる、ちゅう最近のパターンよりずっとエエ。負けてもええねん。負けても・・・ウソじゃ。ばかもん!ヨコハマごときに、こんな負け方許さんぞ、勝て、勝つんだ、スワローズ!

2007年8月8日水曜日

小山ルミとヴィッキーの「マイ・スウィート・ロード」


 小山ルミの三枚のCDも来て、感想文かいたろ、と思てたが、よう考えたら、アルバム単位にあれやこれや書くんは苦手で、それを三枚も無理や。
 そうこうしとるうちに、ヴィッキー(ギリシャ人のくせにフランスで「恋は水色」大ヒットさせた歌手)のベスト盤も来た。

 そいで、小山ルミの「小山ルミ ビートルズを歌う」(1973年発売)というビートルズの曲を全部日本歌詞(山上路夫作詞)で歌っているアルバムの最後が、「マイ・スウィート・ロード」や。もちろん、厳密に言えば、ビートルズじゃなく、ジョージ・ハリソンがソロとして出したアルバム(1971年)からの曲だが、オレの大好きな曲やねん。


 ヴィッキーの方(いつのか書いてないが、71−73年あたりだろう?)にも「マイ・スウィート・ロード」が入っとる、それも日本語詩やねん。
 こりゃ、オモロイ、ちゅうわけで、ジョージ・ハリソンのヤツあわせて、3曲かわるがわる聴いとるわけや。

 小山ルミ、1973年ともなると、なんか、メチャクチャ、歌がうまくなっとる。声がすごく伸びるようになったのか、声を張り上げて無理矢理音符に合わせるという強引さがなくなり、すんなり、聴ける。このきれいなギターの音が特長な曲に、ぽこっと、はまりきっとる。
 ヴィッキーの方は声がなにせ、透明感あふれる曲「恋はみずいろ」で一発当てた歌手だ。ちょっと日本語歌詞故のたどたどしさはあっても、透明感の中にほどよく感情を入れた声。

 どっちも、ええ。

 
 
 もとのジョージ・ハリソンの方、ちゅうたら、知っとる人は知っとるやろけど(You Tubeでは、http://jp.youtube.com/watch?v=95LFNe3Uw-w
)、ジョージがインドに傾倒しまくってた時、えー、ややこしいから、引用すると



マイ・スウィート・ロード - Wikipedia



 
歌詞は当時ヒンドゥー教に大きく傾倒していた彼の神への信仰心を歌ったもので、楽曲は同じようなフレーズを繰り返す構成となっている。ハリスンのバージョンは同年の11月23日に自身のアルバム『オール・シングス・マスト・パス』からの先行シングルとしてアメリカで発売され、1971年1月にかけて世界各国でシングル発売された。


 マイ・スウィート・ロードちゅうんは、ハリ・クリシュナちゅうヒンズー教の神さん賛歌やねん(途中、コーラスの中に、ヴィシュヌやらいろんなヒンズー教の神々も登場するが)。上の絵がそうらしいんや。http://ja.wikipedia.org/wiki/クリシュナ

 歌詞の方は、呆れるぐらい、シンプル。
 
「My sweet lord
 Hm, my lord
 Hm, my lord

 I really want to see you
 Really want to be with you
 Really want to see you lord
 But it takes so long, my lord」

 の繰り返し。ほんま、インドに凝るのも、考えもんで、あらためて歌詞みて、この頃のジョージ・ハリソン、大丈夫かいな、と他人事ながら、心配になってくる。



 小山ルミの歌詞の方は、ヒンズー教に凝ることもなく、思い切り意訳してあり、フツーのラブ・ソングというか結婚式ん時の二人の誓いみたいな歌詞。

「マイ・スウィート・ロード
 あなたと私は
 生まれた時に 結ばれるのと
 決められてたの 愛の神によって

 (2番略)

 マイ・スウィート・ロード
 あなたと私は
 いたわりあって 傷つけあわずに
 生きてゆくのよ
 肌を寄せ合い愛の長い道を」

(1973年 訳詞千家和也)
 
 lordとroad取り違えているような気がせんでもしないでもないが、小さい問題だ。
 ただ、さいしょの「あなた」と「わたし」ちゅうんは、かなり、歌にのっていないというか、語感にかなり違和感がある。
 
 ヴィッキーの方の訳詞が誰かはCDのライナー裏ジャケくまなく探したが記載無し。JASRACで調べたら、星加ルミ子の名前があった。
 星加ルミ子の訳詞かどうか、はっきりしないまま、引用するが、こっちは、こういう感じ。
 
 「愛をなくし 生きることさえ
 あきらめていた 私だけど 
 神よ マイ・スウィート・ロード」(一部引用)

 
 さすがに、こっちも、失恋して、神に頼るちゅう話になっている。
 「神」がハリ・クリシュナとも、フツーにキリスト教の神さんでももちろん、ワシらの八百万の神々さんとでも取れる内容。しかも、神さんを頼みとする内容で、元の歌詞からさほど、離れていない。
 
 まあ、ちゅうことで、歌詞というか訳詞だけでも、これだけ、オモロイことが見つかるわけで、この頃の歌謡曲の太っ腹ぶりには感心するのであーる。

 ・・・しかし、構想2週間。




ビートルズを歌う-小山ルミ



恋はみずいろ~ヴィッキー・ベスト・セレクション-ヴィッキー




オール・シングス・マスト・パス ~ニュー・センチュリー・エディション~

2007年8月7日火曜日

八月七日

 例によって例のごとく、1点差で負ける。もう、なんか、1点差をつけられたら、なんか途端にプレッシャーに押しつぶされてる感じ。スワローズ、朝青龍みたいに、「神経衰弱」なんかもしれん。  SANSPO.COM > ヤクルト-横 浜 8回戦  今日はハーバー行ったり、Macいじってたりした。      

2007年8月5日日曜日

八月五日

模様替えしてみたが、簡単に模様替えがでけるんで、もうバシバシ模様替えするつもり。

 いやあ、今日日のブログちゅうんは、数年前から比べたら、もう、スゴいわ。21世紀やのぅ。
 左に動画とかでける。懐かしい「どんぶり5656」での、中島らもと竹中直人の強烈な勝負。

 スワローズ、今日みたいな大敗は、むしろ、アキラメがついて、よろしい・・・。わかった、もう腹を括ったよ。最下位さえならんかったら、良しとする。
 
 しかし、ワケのわからん時代になってもた。

 朝青龍については、ケガで休場してサッカーしとったんで、「けしからん」ということになって、半端じゃなく、叩かれていたが、朝青龍「神経衰弱、抑うつ」診断 親方は「辛抱も必要」 | エキサイトニュース、まあ、額面どおり受け取るべきじゃないが、ちょっとイジメ過ぎだったかも。前の農相といい、確かに本人が悪いんだが、あるところから、その人を明確に破壊してしまおうという容赦ないイジメがえんえんエスカレートしてしまうような気がする。
 
 そうかとおもえば、光市の事件のように、凶悪きわまりない犯人に対しては、何故か、大弁護団による、殺人犯でも悪くは無いんや、ちゅうワケのわからん弁護。強引に、死刑はおろか、無罪まで勝ち取ろうかという、あきらかに、被害者・犯人を度外視して、裁判での勝ち負けだけの、歪んだ「人権」裁判。
 裁判による死刑(体制による殺人と彼らは主張する)には、イチャモンつけるのに、マスコミによる私的なリンチでは見て見ぬフリ。まちがってござる。

 100%自分が安全な位置にいることを確認して、つまり、リスク0にしといて、「責め」るから、こういうことになるんだろう。
 
 今日は下におまけ、あり。

祝「恐怖のショック療法」再発売

ちょっと音楽、この前、iTmsで、ジェファーソン・エアプレインのBark買ってしもたり、ちょっと、気分はワナビーアメ公状態。


 だからではないが、アマゾン、久々にチェックしてたら、長らく廃盤になっておった、エドガー・ウィンター・グループの「恐怖のショック療法」(Shock-Treatment)がカップリングで、再発されていた。
 素直にうれシー。
 


They-Only-Night&Shock-Treatment

 中学生の頃つまり、70年代前半、ちゅうのは、ロックのブランド化みたいなのが激しく、ロックにも「名盤」というのが出そろった時期でもあった。

 聴いてエエのを聴くのではなく、誰かがエエというのを聴く風潮が最も高く、オレみたいに、オールマン・ブラザーズやバンドはふぬけたようにしか、聞こえず、ピンク・フロイドは単に退屈、キングクリムゾンはしんどい、イエスをは眠たくなり、ディープ・パープルは長い曲がしんどい、ジョン・レノンは小野洋子にたぶらかされたか脳内花畑ソング連発でさほどジョン・レノン信奉者でなかったんで、うんざりするだけだった。

 「シャキッとした短いの聴きたい・・」と思ってたオレに取っては、そうした音を出すグループを見つけるのはずいぶん、苦労したもんだった。

 そんなオレが、1974年に出された「恐怖のショック療法」というおバカな邦題のこのアルバムはまさに、オレが聴きたい音のオンパレード。ポップでミーハーで、気持ちいい音のオンパレード、もう、狂喜乱舞して、擦り切れんばかりに、聴きまくったものである。


以前再発されたヤツはプレミアついていて、今現在12000円ほど。・・・高すぎるわ。

 

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