納税し、ごっそり何かを持って行かれた(まあ、「何か」もクソもお金ですけどね、少額ですが、まあ、言葉の綾)気分になり、その喪失感に身をしばらく、ゆだねていると、11月30日は、誰が決めたかしらんが、「いいお尻の日」で、主にグラビアアイドルの方々のそれはありがたいありがたいリツイートしたり♡したりしとると、水木しげる氏の訃報があらわれ、まあ、いわゆる大往生のようだし、御存知のとおり、もう既に霊界と冥界とこの世とサヨクの世界を行き来しまくったお方なので、とりあえず、心を無にし、合掌して、ふたたび、ちょっとTweet界を浮遊しとると、こうしたTweetにぶちあたり、ああ、水木しげる御大もジャマイカ行ったんかと、半ばお祭り状態になっている「お尻の日」が気になりながらも写真の記事を読んでいたら、突然、涙が頬を伝わっていくのを感じた。
写真では、ジャマイカにはじめて訪れた水木しげる氏が教会で「音」に触れた体験を語っていた。
https://twitter.com/raggawa/status/671238659895521280
「日本にない1段低い音、しかも、耳が落ちるくらいの大きい音ですよ」
すべて、である。
これが、すべて、だったんである。
「日本にない1段低い音、しかも、耳が落ちるくらいの大きい音ですよ」。そして、これを体験した人のすべてがそうであるように、ず~~~っと、そして、いつも、この音を、探し求めている。そうじゃない人もいるかもしれないが、そんな人とは、口きいてやんない。
ああ、オレはこの言葉が自分の中から探し出せないで、どれほど、たくさんの言葉を費やしてきただろう、400年も(注400年はレゲエ用語で長い間という意味)。どうだ?「耳が落ちる」んだぜ。
たしかに、日本にも、今や、たくさんのたくさんの、サウンドシステムがあり、そのいくつかは、確実に往年のジャマイカのサウンドシステムに優る気持ちいい低音を出すことができるだろう。でも、それは、日本で出す以上、やはり、どこまで行っても、日本だ。日本にある音なのである。
納税でごっそり持って行かれた心の「何か」が埋まった。お釣りが出るほど、この言葉で埋まった。
「日本にない1段低い音、しかも、耳が落ちるくらいの大きい音ですよ」。これからのオレの一生のどこかで、まるごと、パクって、誰かに云ってやるつもりだ。あらためて、水木しげる氏享年93。合掌。
こころは埋まったけど、預金口座のマイナスが埋まったわけじゃない。どないしよ。