2015年11月22日日曜日

11月23日

 連休ということを忘れ、三宮。いつも停めている駐車場前に列が出来ていたので、花隈まで戻る。元町行くときいつも停める1時間100円のパーキングは当然、空いており、そこへ停めて南下して、元町駅の西側を経由し、元町通り。
 まあ、このあたりで、ふらふら、ひょいっと入った店で、ハズレは、まだ、ない。

途中、行列のできている店があり、みると、蕎麦屋。元町通りぷらぷら歩いて一周し、戻ると列もひいていたので、入る。せいろが860円。追加が640円。1,500円か。蕎麦作りに、凝り過ぎてるせいか、ちょっと高かった。でも、うまかった。

 てな、こと書いていたら、モーレツに腹が減ってきた。
 で、思い出すのは、妄想なのか、幻覚なのか、小学校の頃、ちょいとした超常現象の経験があるのである。

 小学校の頃、入院するほどの大病ではないが、フツーのご飯禁止になり、点滴だけで、一週間ほど、寝てばかりおったことがある。
 
 最初の頃は、あたりまえだが、病気なので、それどころじゃなかったが、治りはじめた後半は、もう、腹が減って腹が減って困った。なまじ、元気になっているもんだから、余計に、である。
 点滴でカロリーとか必要最小限の栄養はとっていた筈なのだが。そのうち、夜、あまり空腹で、よく目が覚めるようになった。

 目が覚めても、しょうがない、食いもんは、無い。後年、野坂昭如読んだら、そうか、ティーバッグほぐして紅茶の葉っぱ喰う、ちゅう手もあったと後悔している。枕元にお茶だけは用意されていたのである。節子・・・。

 腹が減って減ってしょがない。そのうちに、目を閉じた瞬間、恐るべきことに、喰ったものが、というか、ほぼ、映像となって、頭のなかに浮かんで、それが消えない。最初は旨いものだったり、好物なものだったんだが、何日か(といっても、2,3夜だろう)続くうちに、さすがに、妄想をすればするほど、食えるわけじゃないし、虚しいとガキのバカ頭でもわかったんだろう。パブロフの犬の逆バージョンだ。ついに、マズかったもんまで、頭に浮かびだした。

 バザーの時、近所の教会で喰った、明らかにメリケン粉入れすぎのこってりしたカレーライス、胡散臭いことで有名なうかいやの半分乾燥したような、ぱさぱさの寿司、匂いにつられ買い食いした、新装開店したばかりの串かつ屋で喰った中に火が通っていない串かつ、ワルガキ同士で勝手にいい加減に作った、生魚の生焼けの天ぷら等々。どれも、あまりのマズさに途中で喰うのをやめたものばかりである。

 そして、それらの食い物の、香り、温度、舌触り、当然、味まで、はっきりくっきり思い出した。

 そして、そして、そのマズいもんのマズさを、脳内で克明に再現しているにもかかわらず、腹は鳴り、口の中はツバでいっぱいになり、食欲が襲いかかってきて、「あー、あん時のあれ、喰ってたら、よかった」と猛烈に後悔しはじめていたのである。

 例えば、どうせ、バザーということで、料理作ったこともない女子高生あたりが適当に作った、クソまずいカレーも、飯の部分だけでも、じゃがいもの部分だけでも、喰っておけばよかったのに、いや、何を云うてる、あのカレー、カレーと思うからマズいわけで、カレー風味のメリケン粉溶かして熱したヤツ、と思えば、喰えないほどじゃなかっただろう、とか、意地汚くも、空想というか、その妄想の中で、ひどく後悔しはじめていたのである。
 
 以来、オレの人生では、多少マズいもんであっても、完食する、という特技を身につけたわけである。そいでも、食いもんが原因でオレはまだ、おなかをこわしたことがない。

 しかし、腹が減った。マズいもんでも、想像して、寝ようっと。

 

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