ちょっと、気が向いて、高麗橋あたりへ行ってみる。大昔の職場のビルがあったのだ。光陰矢のごとし、今は、駐車場になっていたりしていた。
まあ、なんの感傷も無いけどね。
この界隈、結構安くてウマい店があったので、思いだせるところ片っ端から、行ってみたのだが、ことごとく、今日はお休み。まあ、これが日曜日のビジネス街というものである。
しゃあないので、最近できたみたいなモスバーガー入った。なんか店の作りに覚えがあったので、よく考えてみると、多分、よくサボって入ったドトール跡だった。愛と青春のドトール。
せっかく新しいHD買ったから、MacOS Lion再インストールした。再インストール、というより、Lion自慢の「Time Machine」で新しいHDに復元した。7時間はかかると覚悟していたのだが、2時間ほどであっさり、終わった。
作業している間、レゲエ流していたら、Wesley Martinという人の「Whiplash」(むち打ち、という意味らしい)多分そのB面のアプセッターズ名義の低音強調したインストにハマる。オルガンの音がめちゃくちゃ気持ちよく、肩に入った力がすーーーーーと抜けていく。こんなエエ曲がまだまだ、眠っていると思うと空恐ろしくなる。
トロージャンから10年前出たComplete UK Upsetters Singles Collection 。その名の通り、英国で発売された「アプセター」レーベルの全部のシングル盤を単にA面B面発売順にならべたもの。全48曲。ボブ・マーレイが世界に飛び出す寸前の・・・えーいめんどうくさい、一番、リー・ペリーがリー・ペリーリー・ペリーしてた頃のいろんなアーティストのシングル盤が並べられている。ボブ・マーレイだと「キープ・オン・ムーヴィン」と「アフリカン・ハーブスマン」が入っている(書けば書くほどわけわからんようになるので、↓にウィキペディアより引用しとく)
1970年代初めには、ペリーはミキシングボードでの実験の数々がダブの創造をもたらしたプロデューサーの一人だった。1973年、ペリーは自宅の裏庭にブラック・アーク・スタジオを建設し、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ、ジュニア・バイルズ、ヘプトーンズ、マックス・ロメオといった有名なミュージシャンのプロデュースを自由に進めることができた。ブラック・アーク・スタジオでレコーディングされたすべては、かなりシンプルな録音機材が使用されていたにも関わらず、ペリーは巧妙にユニークな音楽を完成させた。ペリーは何年間もミキシング・デスクで作業し、レゲエの歴史の頂点として際立っている歌とアルバムを製作した。1978年には誤配線のためにスタジオは全焼
[From リー・ペリー - Wikipedia]
Complete UK Upsetters Singles Collection 4は、主に1972年と73年。ブラック・アーク前の曲となるのか。
この「Complete UK Upsetters Singles Collection」はトロージャンから出ていて、10年前に出て1〜3まで手に入れたのだが、4は最近手に入れたばかり。4が出てたこと知らんのである。
2枚組50曲×4=200曲。思うに、このシリーズが出たことによって、30年間リー・ペリーの「名盤」とされていた「SuperApe」や「Black Boad Jungle Dub」は名盤でもなんでもなくなったのではないか、と思う。
いきなり、エゲツない音満載のダブ盤聴くより、「歌」がA面、歌抜きのカラオケがB面に入っているシングル盤ベースで聴いた方が「ダブ」のことが自然によく理解できると思う。
例えば、フツーの演奏+歌、B面、ちょっとだけ低音強調のカラオケ、から、低音強調のカラオケ+歌、B面、もっともっと低音強調したりエコー入れたダブっぽいカラオケ、そして、ダブそのものに歌、B面、もっとめちゃくちゃなダブ・・・と進化するというか、エスカレートしていく過程がちょびっとはわかると思うのだ。
まあ、それでも、ただ、本来ならば、イヤな高音、イヤな低音、不快な音、ノイズが、ある曲に加わったり、演奏の一部分がそうした不快な音に変形させられることによって、かえって、めちゃくちゃ気持ちよく感じる、という「謎」は依然と残ったまま・・・。