プレイヤー、カートリッジ、変換ソフトとしてのGarageBand、と、つかいものになってきたので、どんどん、アナログレコードをiTunesに変換しようと思ったのだが、プレイヤーでそのまま聴いたら、満足してしまって、変換するのがめんどくさくなって、そのまま、レコードどんどん聴いている。CDで買い直したものもあるのだが、やっぱ、レコードで聴くと、多少、音が悪くても、そのままのカタチですんなり耳に入るような気がする。
あと、久々にYouTubeに倍賞千恵子の「結婚します」をあげる。映画の主題歌で短いのだが、この時代特有の「幸福感」に充ち満ちた曲である。この曲、 由紀さおりも歌っていて、2枚組のベストでも聴くことができる。由紀さおりの方も、ツッコミ入れる余地がないぐらい、「至福感」に充ち満ちていて好きである。
また須磨の「新しい方の町」で、変な事件が起きている。ケンカがこじれただけなのに、死者を出している。きょうびのワルは、いわゆる「半殺し」すら、できないのである。
朝、なんとはなしにテレビ観てたら、余貴美子がヨコハマを案内するという番組してて、ぼんやり観てたら、何故か松蔭町の「ケンタウロス」のボスのところへ行き、ケンタウロスの連中の間では「マリア」と呼ばれていたというエピソードが出て、思わず、電撃が背中を走る。オレはこれでも、生粋のヨコハマ生まれなのだが、生後二週間しかいなかったため、このような、ヨコハマのヨコハマヨコハマしたエピソードに接すると、胸がきゅーーーーんんとなって、「あはああん」(伊勢佐木町ブルースのヤツね_と、青江三奈風ため息がでてしまう。オレは思うのだが、ヨコハマほど下手したら江戸時代の美意識がそのまま残っている町はないのではないか、と思う。京都なんかより、ある意味「古風」なのだ。
余貴美子さんの年齢調べたらオレより2コ上。しかも、オレがファンな范文雀のいとこという。ハマのマリアのエピソード後、余貴美子さんがめちゃくちゃエエ女に見えてしまう。この年になってもミーハーなのである。こうなったら、御厨さと美読み返そうと思って、Amazonで「ケンタウロスの伝説」しらべたら、中古にぼったくりのプライスタグがくっつけてある。本棚ひっくり返して探す・・・となるとまた一日仕事になるし。
しかし、なぜか、めちゃくちゃ悔しい。生後二週間のオレはなんで家出してそのままヨコハマにいつかなかったのだろう。オレも「ハマのスポック」でも良かったから、「二つ名」が欲しかった。まあ、須磨で毎夏、水着のおねえさん達に囲まれていた幼児期というのも捨て難いものがあるが。