2010年8月6日金曜日

In Memory Of マイキー・ドレッド

 8月6日。黙祷。
 クソ暑い。風呂上りの今、もう脳みそがふわふわ浮遊しとる。東京ヤクルトスワローズも16点取ってしまうという、四月あたりの極貧打が、まるでウソみたいの勝ち方するもんだから、幸福感も加わって、ふわふわ。
 しゃあないので、マイキー・ドレッド(Mikey Dread)のぶっとい低音のダブと早口のネズミ声による浮遊感でこのふわふわ感を増強しようと1982年に出て当時クルマで聴きまくってた「S.W.A.L.K」(Sealed With A Long Kissの略らしい)を聴く。 ネット調べたら、2008年の3月に亡くなっていた。最近レゲエから遠ざかっとったから、たまに気合いれると、先日のシュガー・マイノットといい、いつのまにか、大好きだった人が亡くなっておるのに気づく。
 
 

マイキー・ドレッド (Mikey Dread) としてよく知られるマイケル・ジョージ・キャンベル(Michael George Campbell、1954年6月4日 - 2008年3月15日[1])はジャマイカ出身の歌手、プロデューサー、DJ。ジャマイカで初めてレゲエだけを流すラジオ番組『ドレッド・アット・ザ・コントロールズ』を企画し、DJを担当した。[2]。(中略)イギリス時代 [編集] キャンベルの音楽はイギリスのパンク・ロックバンド、ザ・クラッシュに注目され、彼らのプロデュースのためイギリスに招聘されることになる[4][5]。最初はこの異邦人を疑っていたが、キャンベルはシングル「バンクロバー」のプロデュースを通じてすぐにバンドと打ち解け[6][7]、1980年のアルバム『サンディニスタ!』では数曲のボーカルを担当した[8]。キャンベルはクラッシュに帯同してイギリス、ヨーロッパ、アメリカツアーを巡り、新たなファンも獲得していった[8]。

[From マイキー・ドレッド - Wikipedia]

 極東のど田舎国に住むオレは、マイキー・ドレッドがクラッシュの「サンディニスタ」に参加していたので、そっから、ジャマイカの音楽への興味が怒涛のように募っていったわけである。ちなみに上の伝説のラジオ番組「ドレッド・アッツ・ザ・コントロールズ」の語感があんましにもカッコよかったので、サイト名マネしてたこともある。

 享年53歳、合掌。

 CDも今はあんまし手に入らないようになっているみたいだが、iTunes Music Storeではほとんど網羅されているみたいなので。まあ、

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