あいかわらず、暑い。
奇跡がおきた。
あの東京ヤクルトスワローズがついに5割復帰である。信じられん。シンジラレナイ。今、どこぞのアッラーでもジーザス・クライストでもその他のどんな神様でもええから、「この5割復帰は、ワシのおかげじゃ、感謝せぃ、ワシを拝めたたえ信ぜよ、壺買え」ちゅうたら、本気で全財産なげうって、入信するであろう。が、まあ、そういう天の声は聞こえなかったので、しゃあないわな。仏壇に拝んどこ。
アホなことはそのくらいにして、借金19からの1966年の阪神タイガース以来というから、44年ぶりの快挙らしい。もちろん、今から19連敗する可能性もあるわけだから、予断は許されないが、まあ。今は、優勝よりも、ウレシイかもしれん。
「最近のJ-POPの歌詞」
[From HMV渋谷店 閉店について|眼鏡な日々]
同じ空の下にいすぎ 夢を夢で終わらせなさ過ぎ 眠れぬ夜多すぎ 寂しい夜迎えすぎ 不器用な俺だけどお前のこと守りすぎ 何かがわかるような気がしすぎ 移りゆく街並みを眺めすぎ つないだ手離さなすぎ 光が挿す方へ行き過ぎ 君がいれば他に何もいらなすぎ
まさに、最近の曲のウソ臭さをいいあてている。「光が挿す方へ行き過ぎ」ちゅうのは・・・若いもんは、あえて「闇」に飛び込んでイカンかい。闇の深さわからんもんに、光の明るさはわからんぞ、あほ・・・と説教したい。
HMVの渋谷店は、開店した頃あたりに良く行ったものである。ヤヤコシイ理由はない。タワーレコードより勤め先から近かったからである。覚えているのはジャネット・ケイの「ラヴィング・ユー」と遠藤賢司の史上最長寿のロックンローラーあたりか。
あんましにもCD買わなくなったんで、このところ、意識して、CD買うようにしている。ちゅうても、月に一万円ぐらいであるが。
近田春夫とハルヲフォンのライブ、買ったら、わりと良かったので、オリジナルの3つも再発が出てたので、買った。まあ、こういう、大昔に聞きあきたヤツをまた、買い直すというのは、ええんかいな、と思ったりするが、まあ。
そいで、まあ、当時のロックのカッコええとこ取りした感じの曲が多い、1枚目と2枚目、通して聴いてみて、「あ、もう、こういう音アカンようになってもた」と思ったわけである。もちろん、「秘密のハイウェイ」やら大好きだった曲は、これからも、大好きであり続けるだろうが。
3枚目の「電撃的東京」は、 当時は凄かった。アルバム12曲中、11曲が歌謡曲のカヴァーなのであり、当時、ぶったまげたものである。しかも、ありとあらゆる歌謡曲はカヴァーした瞬間、そのまま、ロックになっちょる、ちゅうスゴイスゴイことをしでかしたアルバムなのである。まさに、「パンク」である。
もちろん、「当時」を残念ながらつけないとあかん。歌謡曲はダサくしょうもないしょうもないもんやという当時のナウなヤングの共通認識があってこそである。そして、今のオレは、あたりまえだが、「歌謡曲」のカッコよさにハマりまくりの状態である。であるから、むしろ、「中途半端にカッコつけてるカヴァー」にしか聞こえないのである。これほど、哀しいことが、あるだろうか。たとえば、当時、オレは、ハルヲフォンの「きりきり舞い」聴いてから、オリジナルの山本リンダを聴いたら、山本リンダが、ダサくぶよぶよに聴こえたのであるが、それが、今や逆転してしもてるわけである。
ちゅうことで、ハルヲフォンの「きりきり舞い」からオリジナルの山本リンダの「きりきり舞い」聴きまくり、ついでに、今、iTunes Music Storeでみつけた、山本リンダの「涙の太陽」のバターとミルクと卵で捏ねくり回したようなカヴァーに感動し、アルバムごと買ってしもうたところである。
1. きりきり舞い
2. 狙いうち
3. じんじんさせて
4. 狂わせたいの
5. 燃えつきそう
6. ぎらぎら燃えて
7. どうにも とまらない
8. 個人授業
9. ちぎれた愛
10. ルイジアナ・ママ
11. 甘い十字架
12. 涙の太陽
13. ダイアナ
14. ある愛
15. 追憶 (+Plus)
16. ひと夏の経験 (+Plus)
17. グッド・バイ・マイ・ラブ (+Plus)
18. 激しい恋 (+Plus)
19. 私は泣いています (+Plus)
20. 花とみつばち (+Plus)
7曲目まではおなじみの山本リンダのヒット曲が並んでいるが、そのあとのカヴァー集がスゴイ。当時の山本リンダは、お色気過剰という生やさしいもんじゃなく、「襲ってくる」獣性過多な邪悪なオーラを放ちまくっており、アイドル系のちょっとした憧れとかを肉欲に変えてしもて、スゴイことになっている。
お得の巻き舌を駆使した「ルイジアナ・ママ」や、珍しいレゲエ調「ダイアナ」とかは、青山ミチのヴァージョンに匹敵するハマり具合の「涙の太陽」とかは、まともなカヴァーなのだが。
フィンガー5の「個人授業」が持っていた、小学生の先生への爽やかな憧れは、山本リンダが唄った瞬間、ずばり「タイトスカートの女教師モノ」の淫靡な淫靡な世界である(まあ、聞き手の品性というものも多少ありますが)。
山口百恵の思いつめた緊張感バシバシの「ひと夏の体験」、この思春期を唄った曲を「うわきぐせはなおらないのよ」(「きりきり舞い」歌詞より)の山本リンダにカヴァーさせること自体、不道徳の極みである。熟しきった山本リンダが「あなたに 女の子のいちばん大切なものを あげるわ」と低い声で歌うのである。「愛する人に捧げるために守ってきたもの」をくれる、というのだ。セーラー服を着た山本リンダが像を結んだ瞬間、トンデモナイイメージが広がってくるわけである(まあ、聞き手の品性というものも多少ありますが)。でも、噂を信じたらアカン、ほんまは、山本リンダは山口百恵よりずっと、「うぶ」やったのかも(「どうにもとまらない」より)。
郷ひろみ筒美京平の名曲『花とみつばち」 はリンダは抑えた甘い声で歌っており、びしっと決まっている。ただし、花は花でも、食虫植物がミツバチを狙っている緊張感は、絶えず、感じさせるから、たいしたものである(まあ、聞き手の品性というものも多少ありますが)。
まあ、こうした芸当ができるのも、かなりの歌唱力と一連のかなりインパクトのあるヒット曲によるパブリックなイメージを持っているから、であり、スゴイことなのである。ジュリーのカヴァーや「グッバイマイラブ」などは、かなり聴かせる出来になってます。
ちゅうことで、『電撃的東京」のカヴァーのおもしろさよりも、山本リンダがカヴァーして元歌の持つ世界観を破壊しまくるラジカルさが、今はおもろうて(多分、やがて、哀しき・・・となるのであろうが)ね。