2010年7月8日木曜日

「心のサッカー」とは

 ドイツ負けよったがな。フランコに翻弄されまくったヒトラーを思い起こした・・・なんちゃって、いっぱしのこと、云うてみたかっただけ。オランダ戦は起きて後半だけは観たのだが、今度は中継時間起きれませんでしたわ。

 まあ、しかし、さすがにほとぼりもさめただろうから、今頃書くが、日本のサッカー、見事、「心のサッカー」をようやく確立したのは、驚いた。練習試合で負け続けアホやアホや罵られ、本番に望み、見事な勝利、「アホやアホや思てたけど、アホに教えられましたわ」、そいで、終わりが、PK失敗して泣きじゃくる駒野の肩を抱いて慰める松井ら。さめざめともらい泣きするワシら日本中の観客・・・パラグアイ戦はへまばかりしている感じだったが、このシーンで万事オーライ。日本中は感動で包まれたわけである。
 もちろん、これは藤山寛美全盛時代の「松竹新喜劇」のパターンである。よくぞ、この日本独自のパターンを日本のサッカーは数回のワールドカップで習得したものだと思う。
 前回なんか、なんぼ天才で屈指の選手か知らんが、終わるなり、ひとり、大の字に寝転んで、ひとりの世界に入りこんで、ため息ついたりしとったのから、誰も寄りつかず、まだ毛唐の目を気にしたワザトラシサ、ウソ臭さが感じられたもんだが、今度はごくごく自然、素直に見ているものから、感動を生み出した。
 これで、完全に日本のサッカーは洋物借り物サッカーを見事日本独自のカタカナで「サッカー」に書き換え、日本のものにしたといえよう。

 「勝ち」のストレートな喜び、だけじゃなく、「負け」もあれやこれやストーリーを作って楽しむ・・・日本のプロ野球での第一人者はなんといっても、阪神タイガースで、まあ、我らが東京ヤクルトスワローズもそれにあやかりたいが、何せ、1985年から2003年までという長きにわたって、その負けを楽しむ歴史があるわけである。
  今日も、打線好調向かうところ無しというチーム状態にもかかわらず、うちの「加藤」という3年間勝利無しの投手に「心の野球」をしていただき、見事勝利をプレゼントしてくれた。これから、「加藤」も一軍で頑張っていけるだろう。まさに「心の野球」ここにあり、である。感動をありがとう。

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