えらいことである!
あー負けや、と思てラジオ消したら勝っていた、どころの騒ぎではない。
ヴェテラン・レゲエ・シンガーのシュガー・マイノットが7月10日の午後10時頃、ジャマイカ・キングストンのウェスト・インディーズ大学病院にて死去した。享年54歳。死因はあきらかになっていないが、1年半ほど前から心臓病を患っており、今年5月には体調不良で入院していた。
マイノットは60年代末、アフリカン・ブラザーズのメンバーとして歌手活動をスタート。過去のリディムを再利用する手法にシンガーとしていち早く着目し、多くのヒット曲を輩出。70年代から80年代にかけてソロで絶大な人気を獲得した。また、自主レーベルのブラック・ルーツを設立し、ユース・プロモーションというサウンドシステムも運営するなど、プロデューサーとしても活躍。90年代以降も精力的な活動を続けていた。
謹んで故人のご冥福をお祈りいたします
[Fromレゲエ・シンガーの重鎮、SUGAR MINOTT死去 - OOPS!]
数日前、何故か、突然、レゲエが聴きたくなり、バカみたいにCD買い込んだ。虫の知らせ、というのではないだろうが、今日、来たCDをiTunesに移しながら、久々に、レゲエのサイトを巡っていると、シュガー・マイノットが亡くなった、というニュースにぶち当たった。
享年54才ということからわかるように、ちょうど、オレからしてみれば、年齢がちょびっと上で、1980年、日本で発売された「Good Thing Going」で、レゲエちゅうともすれば、遠い国の肌の色から文化まで何から何まで全然違う人たちが作り出す「ややこしい」音楽から、一挙に、「そこいらのあんちゃん」が作る、とても親しみやすい音楽、にまで、引きずり落としてくれたことは、何よりも僥倖であった。恥ずかしいことだが、ひょっとしたら、音楽というものが、「楽しいもん」やと初めて知ったのはこのアルバムかもしれん。タイトル曲のマイケル・ジャクソンのカヴァー曲のみならず、Make It With You、Now We KnowとかCan You Remember?とか、今も好きな曲いっぱい。大手RCAから出て大ヒットしたせいか、レゲエプロパーの方々には、小馬鹿にしとる向きも多いが、シンガーとして直球勝負した名盤である。ラブソングまともに歌えないヤツに、ジャマイカの現実や社会の矛盾なんか歌えるわけないじゃないか。

"Good Thing Going" (Sugar Minott)
そして、4年後の1984年、ニューヨークはワッキーズスタジオで作った音の、もう一つの「Good Thing Going」が入っているのが、「Wicked Ago Feel It」である。これで、オレの音の好みは決定したといえるだろう。地面を這いつくばるかのような、ど低音、対照的に自由気ままに飛び回るホーン、シュガーのヴォーカルは、あるときは、暗く、あるときは明るく、あるときは、ぶっきらぼうに、そして、その全ては音全体で聴いている人間を気持ちよくさせる、という一点に集中していく。

"Wicked Ago Feel It" (Sugar Minott)
他にもいっぱいアルバムや曲のこと書きたいが、それこそ収拾がつかなくなる。まあ、上の2枚が無かったら、多分、今もなお、音楽を聴いていなかったと思う。 今、ハマっている歌謡曲だって、この二枚(と、弘田三枝子のヴァケーション)で音楽そのものの楽しみ方を学習した結果、なのである。
以降、ともすれば、大量にリリースされるレゲエ関連のアルバムシングル群で、しかも、スゴいスピードで音が進化している状況で、さして、迷わなかったのは、 シュガー・マイノットという、いつも「先端」を走っていながらも、横向いて、ニカっと白い歯だして笑いかけてくれるアーティストがいたからだ。どんな時でも、一番新しいシュガー・マイノットはそこに「居て」、聴けば、「わかった」。まさに、I Came,I Saw,I Conquered。
また、レゲエ愛好家の常として、時代を遡って古いヤツを聴こうとしても、スタジオワンにもチャネルワンにもシュガー・マイノットはちゃんと、「居た」。 また、レゲエの旬の「音」がどんどんダンスホールになっていき、ついにジャミーズのスレンテンで革命的な変化を遂げても、シュガーは、いつも、先頭を走っていた。どころか、自身のレーベル、ユースプロモーションでテナー・ソーを初めとする若手を育成していたのだから、畏れ入る。
日本に来た時も、新宿ツバキハウスで、日本のディスコ用機材から、ど低音中心のジャマイカの音を出そうと、なんと、「モノラル接続」で乗り切って、DJやったとか、オレがある日、渋谷タワーレコードでジャマイカのレコード棚漁っていると、ふと、人の気配がして、ふりむくと、ニカッと白い歯だしたシュガーがいたりした(恥ずかしかったので、そのまま、気がつかないフリしたオレは小市民)。
まあ、多分、弘田三枝子と同じぐらい好きな人なので、最初は悲しかったが、今、こうして、あらためていろんな曲聴くと、不思議と亡くなった悲しさというものが、薄れてきている。彼の「旬」をオレは吸い尽くしているのだ。叩き込まれているのである。これからも、オレが生きている間、彼の音楽を聴くたんびに、その一番おいしいとこを味わい尽くせる自信みたいなものが、ある。
ジャマイカの音楽のみならず、音楽そのものの楽しさを教えてくれたリンカーン・バリントン・マイノット(aka シュガー・マイノット)氏の冥福を祈ります。 合掌。