風が冷たくなってきた。
久々に吉野家で昼。ちゅうのは、母校の中学校付近の二号線沿いに吉野家ができたのだ。もちろん、クルマじゃないと不便なところだ。なんか、どんどん、須磨も郊外化して、クルマなしだと不便なところになってしまった。まあ、クルマあれば、便利になったのだが。 吉野家といえば、思い出すことがある。もう、今となっては珍しくはないのだが、まだ、コンビニというものが無かった頃の話だ。
当時オレは東京は調布、つつじヶ丘というとこに住んどった。ばりばりの関東ローム層の上にあることを除けば、ええとこだったが、帰りが夜10時過ぎになると、食いもの屋が閉まってしまい、スーパーも閉まってしまい、喰うものに途端に困ることになる。で、どうしても、甲州街道沿いにあった吉野家になるのだが、さすがに、ほぼ毎日だと飽きてしもていた。
さて、配属された途端、高松やら北海道やらへ長期出張でしかも徹夜連続というモードが一年以上も続くということになってしまった。
まあ、ここでも、早速、食いものに困ったというか、毎日、働いている場所に出前を頼むのだが、夕食と夜食が「ほか弁」ばっかという羽目になってしまった。
ただ、食いもんについては、ガマンすることができんタイプだ。ちょうど、コンビを組むことになった一年上の先輩も、好き嫌いなく、豪快に喰うタイプだったので、良かった。なにせ、都内私立大学のバリバリの体育会出身だ。オレの体重の倍(1.8倍ぐらいか)だが、喰う量は同じという、食いもんに関しては最高のコンビだったと思う。
1食につき、弁当を二個喰うパターンだ。二人して、競あうようにして、二つ頼むほか弁の、いろんなパターンを試したものだ。最初は、チキン南蛮と幕の内とか唐揚げ弁当とカレー弁当とかの、組み合わせだったが、ついに究極の組み合わせ、「ノリ弁をおかずにノリ弁を喰う」 という大技を完成させ、長期出張を見事乗り切ったものである(但し、食の部分だけ)。
さて、そうした徹夜仕事も一段落して、渋谷に戻ってしばらくしてのこと。
久々にその先輩と昼飯を食うことになった。
どうして吉野家になったのか、わからん。
オレは云うたように、もう飽きてたものの、先輩の顔たてる感じで。
入って、まあ、どうせ、先輩のことだ、大二つとか特大とかかなあ、と期待してみていると、フツーに「並」を頼んだ。並の牛丼だけだ。食欲無いんか、とちょっと気にしたが、所詮他人だ、オレは大にして、玉子やら漬けもんとか味噌汁も頼んだ。
並の牛丼が来る。
そっからは、オレは、今もありありと映像で思い出すことができる・・・ちゅうても、今では全然珍しくない光景だが。ただ、オレは育ちが良い。小学校の頃は休日は不二家のお子様ランチの生活である。
牛丼を取った先輩はすぐ喰うでもなく、ゆっくり、箸で牛丼のまんなかあたりを掘り始めたのだ。
そして、おもむろに近くにあった紅ショウガをたぐり寄せると、トグルに紅ショウガをはさみ、どさっ、どさっ、どさっと・・・最初は掘った中央部、そこが埋まっても、何度も何度も、紅ショウガを牛丼に運び始め、ついには、牛丼の牛肉部分が見えなくなるほど盛始めたのであーる。なおも、むしろ、丁寧といっていいほど、その作業は続き、紅ショウガがこぼれんばかりになった時、ちょっと動作を止めた。そいで、体を伸ばし、隣の紅ショウガの壺をたぐりよせ、またも、同じ行為を始めた。最初の紅ショウガのケースは空になったのだ。
そいで、まさに、こぼれないのが不思議なほど紅ショウガで山盛り状態になり、そっから彼は、ようやく、箸を取り、こんどは、またも盛った紅ショウガをこぼさないように、彼特有の細心さを持って、丼内をかき回し、紅ショウガと牛丼を「和えた」。
そっから、がーっといつもながらのほれぼれするような喰いっぷりで、あっというまに、ご飯一粒、紅ショウガ一切れも残らない状態になり、まあ、いつものように、満腹感で満足しきった顔になった。悔しいことに、この先輩は正直で、マズいもん喰ったあと、この顔はしない。
このパターンは今は別にどーってことない光景だろうが(昼食時混んだ時、一人は必ずやっている)、オレには、ショックであった。
敗北感、といってもいい。
なーんの工夫もせず、出されたものを出されたまま喰って、そいで「飽きた、飽きた」とか云っていたオレがいかに 矮小な存在か、思い知らされた気分であった。
早速、翌日から、オレも真似して、紅ショウガ牛丼にして喰うと、なるほど、旨かった。もちろん、紅ショウガの量は先輩の量に比べば、ごくごく少量だが。
あと、吉野家で、ビールを瓶毎5本お持ち帰りする(今は禁止)友人とかはおったし、とか、牛丼頼まず、生玉子だけ、それも4つ頼み、それをあっという間に、一気飲みして、30秒ほどで出て行ったオッサンとか(これは今はエエのか悪いのかは知らん)おったが、その程度。この時の、喰うことの意義そのものを問われたショックにはかなわない。
つゆだく、やらいろんなパターンで頼めるようになる昔々のお話でした。