岡林と同棲生活を送った吉田日出子は、表現されているものと実生活に著しい乖離があり、偽善者と酷評。その後、岡林信康とは訣別している。また、日雇労働者の悲哀を歌った『山谷ブルース』は、岡林が山谷に長期滞在して作ったといわれるが、実際には一週間程度しか滞在していなかった。
[From 岡林信康 - Wikipedia]
2008年11月27日木曜日
ふたつを比較
2008年11月25日火曜日
由紀さおり「夜明けのスキャット」
金融恐慌がおきて、なんか、ガソリンが安くなり、ハイオクで130円ほどまで下がり、ホンマにエエことである。
昨日は久々にクルマで氷上郡あたりまで、バカ走り。おかげで沢山音楽が聴けました。
ようやっと、由紀さおりの「夜明けのスキャット」のアルバム手に入れた。9月頃、再発なったのだが、先週末ようやっと手に入れた。
しかし、東芝、偉い!紙ジャケットでちょっと高いがボーナストラック6曲も入っている。
少女時代から姉の安田祥子と共に本名の「章子」名義で童謡歌手として活躍。1965年にキングレコードから「ヒッチハイク娘」(安田章子名義)で歌手デビューを果たすも、まったくヒットせずしばらく停滞の時代に入るが、1969年再起をかけた「夜明けのスキャット」が当時の深夜番組でBGMとして使用されたことを機に大ヒットし、最終的には150万枚のミリオンセラーとなり、この年NHK紅白歌合戦にも初出場を果たす(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。由紀さおり - Wikipedia
まあ、「夜明けのスキャット」はスゴい歌謡曲で曲の大部分が「ルールールールー」とかのスキャットでできており、歌詞もかなり抽象的な、平たく云えば、なんのことか、ようわからんが、なにやら、雰囲気だけはわかるという非常に、ラジカルな曲なのである。
最初、このアルバムを通して聴いた時、曲の始まりが、ほとんど、ルルルルルーとかシュビデュビやらッパッパパヤパッとか、スキャットで始まっており、まあ、「夜明けのスキャット」のあまりのヒットで、もう何が何でも無理矢理、スキャット入れた感じがしたわけだ。
ところが、クルマの中であらためてちゃんと聴いたら、これがメチャクチャにいいのである。
特に、佐良直美の「私の好きなもの」(1967年永六輔作詞・いずみたく作曲)、倍賞千恵子の「結婚します」(1969年 松竹映画「結婚します」の主題曲 岩谷時子作詞いずみたく作曲)のカヴァーの出来が尋常でない。
たとえば、「結婚します」の導入部のスキャット、「ッパッパパヤパッ」など、ふわふわとした幸福感というのか、あまりにも手放しな安心感で、逆に不安になってくるほどだ。
「私の好きなもの」も佐良直美の方は、好きなものをむしろ淡々と羅列していって、最後に「あなたが一番すき」で締め、とても粋な感じがしたものだが、由紀さおりの方は、「あなたが一番すき」がメイン、もう有頂天、踊りまくるほど喜んでいる感じがする。
ボーナストラックに入っている「男と女」や「白い恋人たち」とかのスキャットの定番ソングでは逆に、由紀さおりのスキャットでは、包容力が過剰な感じがして、クドい感じがしてしまうのだが、「私の好きなもの」と「結婚します」とかの歌謡曲歌謡曲した曲での、スキャットによる幸福感の表現、というのは、ちょっと他では見あたらない。
アルバム、CD化どんどんして欲しいもんである。
02. 女ひとり
03. 男と女のスキャット
04. 私の好きなもの
05. 真昼のデイト
06. 結婚します
07. 天使のスキャット
08. 夜明けのうた
09. タ・ヤ・タン
10. 悲しきハミング
11. 青いスキャット
12. この恋を抱きしめたい
BONUS TRACK
13. バラのためいき
14. 恋心
15. 恋は水色
16. 知りたくないの
17. 白い恋人たち
18. 男と女
2008年11月20日木曜日
横浜ベイ・・・心中お察し申し上げます
まあ、年間48勝程度しかできないチームから、獲る、というのもなんだが、金本新井に続きこうゆう濃いキャラの人が入ると、もうなんか、野球のファンより、なにか「アニキ」関連が好きな特別なジャンルのファンを呼び込むような気がする。来季の甲子園がハッテンバ、とならないことを願うばかりである。
プロ野球は20日、フリーエージェント(FA)宣言した7選手と国内外チームとの交渉が解禁され、横浜からFA宣言した三浦大輔投手(34)は阪神との交渉に臨み、3年契約で総額9億円プラス出来高払いを提示された。三浦は「すごく評価していただき、ありがたかった」と前向きな姿勢を示した。(金額は推定)
[From 阪神、三浦に3年契約提示 FA宣言選手との交渉解禁 | エキサイトニュース]
てなイヤミいうとると、スワローズもなかなか悪よのぉ。福川とかキャッチャー育ってきてるような気がするんだが。
ヤクルトが相川獲り、新庄以来FA参戦 - 日刊スポーツ - Yahoo!スポーツ
ヤクルトが横浜からFA宣言した相川亮二捕手(32)の獲得に動くことになった。高田監督は秋季キャンプの愛媛・松山で「総合的に素晴らしく、うちのウイークポイントを埋める魅力ある捕手。手を挙げることになるでしょう」と明言した。
[From ヤクルトが相川獲り、新庄以来FA参戦 - 日刊スポーツ - Yahoo!スポーツ]
2008年11月18日火曜日
吉野家のひみつ
風が冷たくなってきた。
久々に吉野家で昼。ちゅうのは、母校の中学校付近の二号線沿いに吉野家ができたのだ。もちろん、クルマじゃないと不便なところだ。なんか、どんどん、須磨も郊外化して、クルマなしだと不便なところになってしまった。まあ、クルマあれば、便利になったのだが。 吉野家といえば、思い出すことがある。もう、今となっては珍しくはないのだが、まだ、コンビニというものが無かった頃の話だ。
当時オレは東京は調布、つつじヶ丘というとこに住んどった。ばりばりの関東ローム層の上にあることを除けば、ええとこだったが、帰りが夜10時過ぎになると、食いもの屋が閉まってしまい、スーパーも閉まってしまい、喰うものに途端に困ることになる。で、どうしても、甲州街道沿いにあった吉野家になるのだが、さすがに、ほぼ毎日だと飽きてしもていた。
さて、配属された途端、高松やら北海道やらへ長期出張でしかも徹夜連続というモードが一年以上も続くということになってしまった。
まあ、ここでも、早速、食いものに困ったというか、毎日、働いている場所に出前を頼むのだが、夕食と夜食が「ほか弁」ばっかという羽目になってしまった。
ただ、食いもんについては、ガマンすることができんタイプだ。ちょうど、コンビを組むことになった一年上の先輩も、好き嫌いなく、豪快に喰うタイプだったので、良かった。なにせ、都内私立大学のバリバリの体育会出身だ。オレの体重の倍(1.8倍ぐらいか)だが、喰う量は同じという、食いもんに関しては最高のコンビだったと思う。
1食につき、弁当を二個喰うパターンだ。二人して、競あうようにして、二つ頼むほか弁の、いろんなパターンを試したものだ。最初は、チキン南蛮と幕の内とか唐揚げ弁当とカレー弁当とかの、組み合わせだったが、ついに究極の組み合わせ、「ノリ弁をおかずにノリ弁を喰う」 という大技を完成させ、長期出張を見事乗り切ったものである(但し、食の部分だけ)。
さて、そうした徹夜仕事も一段落して、渋谷に戻ってしばらくしてのこと。
久々にその先輩と昼飯を食うことになった。
どうして吉野家になったのか、わからん。
オレは云うたように、もう飽きてたものの、先輩の顔たてる感じで。
入って、まあ、どうせ、先輩のことだ、大二つとか特大とかかなあ、と期待してみていると、フツーに「並」を頼んだ。並の牛丼だけだ。食欲無いんか、とちょっと気にしたが、所詮他人だ、オレは大にして、玉子やら漬けもんとか味噌汁も頼んだ。
並の牛丼が来る。
そっからは、オレは、今もありありと映像で思い出すことができる・・・ちゅうても、今では全然珍しくない光景だが。ただ、オレは育ちが良い。小学校の頃は休日は不二家のお子様ランチの生活である。
牛丼を取った先輩はすぐ喰うでもなく、ゆっくり、箸で牛丼のまんなかあたりを掘り始めたのだ。
そして、おもむろに近くにあった紅ショウガをたぐり寄せると、トグルに紅ショウガをはさみ、どさっ、どさっ、どさっと・・・最初は掘った中央部、そこが埋まっても、何度も何度も、紅ショウガを牛丼に運び始め、ついには、牛丼の牛肉部分が見えなくなるほど盛始めたのであーる。なおも、むしろ、丁寧といっていいほど、その作業は続き、紅ショウガがこぼれんばかりになった時、ちょっと動作を止めた。そいで、体を伸ばし、隣の紅ショウガの壺をたぐりよせ、またも、同じ行為を始めた。最初の紅ショウガのケースは空になったのだ。
そいで、まさに、こぼれないのが不思議なほど紅ショウガで山盛り状態になり、そっから彼は、ようやく、箸を取り、こんどは、またも盛った紅ショウガをこぼさないように、彼特有の細心さを持って、丼内をかき回し、紅ショウガと牛丼を「和えた」。
そっから、がーっといつもながらのほれぼれするような喰いっぷりで、あっというまに、ご飯一粒、紅ショウガ一切れも残らない状態になり、まあ、いつものように、満腹感で満足しきった顔になった。悔しいことに、この先輩は正直で、マズいもん喰ったあと、この顔はしない。
このパターンは今は別にどーってことない光景だろうが(昼食時混んだ時、一人は必ずやっている)、オレには、ショックであった。
敗北感、といってもいい。
なーんの工夫もせず、出されたものを出されたまま喰って、そいで「飽きた、飽きた」とか云っていたオレがいかに 矮小な存在か、思い知らされた気分であった。
早速、翌日から、オレも真似して、紅ショウガ牛丼にして喰うと、なるほど、旨かった。もちろん、紅ショウガの量は先輩の量に比べば、ごくごく少量だが。
あと、吉野家で、ビールを瓶毎5本お持ち帰りする(今は禁止)友人とかはおったし、とか、牛丼頼まず、生玉子だけ、それも4つ頼み、それをあっという間に、一気飲みして、30秒ほどで出て行ったオッサンとか(これは今はエエのか悪いのかは知らん)おったが、その程度。この時の、喰うことの意義そのものを問われたショックにはかなわない。
つゆだく、やらいろんなパターンで頼めるようになる昔々のお話でした。
2008年11月13日木曜日
印鑑登録証のひみつ
取得できる証明書 印鑑登録証明書住民票の写し住民票記載事項証明書発行手数料 1通250円利用者カード 住民基本台帳カード(住基カード)もしくは 印鑑登録証(券面の印鑑登録番号が10桁の磁気カードのもの)*いずれか1枚のみ登録できます。利用時間 平日・土曜 8時〜20時日曜・祝日 9時〜17時休止日 12月29日〜翌年1月3日、毎月第1日曜日電気設備等の点検日設置場所 JR住吉・六甲道・神戸・垂水、阪神電鉄三宮、神戸電鉄湊川・鈴蘭台・岡場、山陽電鉄板宿、市営地下鉄新長田・名谷・西神中央の各駅周辺及び神姫バス西神戸サティ前バス停付近(詳しい案内地図はこちら)神戸市くらしのガイド:届出・相談 これは便利になったもんじゃ。まあ、滅多と使わんが、垂水にも自動の発行所があるみたいで、今回みたい時には、もう須磨区役所行かんでもエエ。 しかし、住基カードいらんなぁ。
2008年11月12日水曜日
12,000円欲しいぞ
2008年11月9日日曜日
岡林信康に挫折する
2008年11月6日木曜日
オバマ新大統領に捧ぐ
2008年11月5日水曜日
松原智恵子が炸裂する「愛するあした」 ネタばれあり
オレと同年齢の詐欺師が5億円の詐欺でつかまったが、がっかりした。あまりにも手口が稚拙である。音楽的な詐欺の技はあれほど天才的であったのに。
われわれは、木村拓哉が15年もトップを走ることのできる時代に棲んでいるのであーる、まあ、しゃあない。
1969年の映画「愛するあした」は、製作は芸映社なのだが、それでもまた、ちゃんとオープニングにダイニチでもなく歴とした日活マークが出る日活映画でもあったのである。
今回は、そっち方面から、映画「愛するあした」について書きたい。
例によって例の如し、映画に関してはプアーな知識しか持っていないので、そのつもりで。
松原智恵子の映画として、落ち着いて、観ると、これは、松原智恵子が炸裂しまくった映画というのに気がついた。
役柄とはいえ、したい放題やりたい放題、その炸裂しまくった松原智恵子と互角に渡り合う伊東ゆかりもスゴい。まあ、この映画、この二人の掛け合いがオモシロい。
松原智恵子・・・。
日活時代の松原智恵子は実はスゴいのではないか、と思いつつあったわけだ。
そりゃ、初期は気軽に人質になったり して下着姿でぶら下げられペンキ塗られたりするが(多分鈴木清順が監督してたヤツ)、日活が落ち目になりニューアクションとかになってくると、役柄とはいえ、どうも、な んか、自らトラブルを呼び込み周りをトンデモ無いところへ持っていくというか、一人で映画丸ごとノリを変えるぐらい、スゴい女優じゃないか、と薄々思って たわけだ。ただ、主演の渡哲也やらが何やら背負っているもんだから、どうしても、そっちに眼をとられてしまう。
この映画、松原智恵子は、何やらを背負った渡哲也や石原裕次郎やらがいないんで、重しがとれ、しかも、彼女のフォローアップとしては最適な伊東ゆかりという逸材を得、まさにフルスロットルで「松原智恵子」しているのではないか。
「だいたい学園闘争はだな、日本帝国主義の大学の再編に対する闘いであると同時にだ、学園内にあらわれる矛盾に対する闘いであるんだよ・・それを賭してわれわれはいかに社会変革を」
和田浩治よりもっと大きな声だ。和田浩治、たじたじ、となる。
オレも思わず、自分が云われてるような気がして、背中がびゅんとなった。怖い。怖かった。
しかし、当時、のぼせたようになった
やがてオレは、長年の疑問がすーーーーーっと氷塊していく爽快さを味わった。
オレは納得した。60年代後半、日本、いや世界中の大学に吹き荒れた学園闘争は、松原智恵子のこの一言で終わったのだ!
東大安田講堂落城とかじゃない。松原智恵子のこの一言が終わらせたのだ!
矢作俊彦風オーバーに書いてしもたが、「日活映画」ちゅうのは、そういうもんであーる。
さて、映画での松原智恵子の行動を次に列挙してみた。
あらためて、もうあまりのスゴさにただただ驚嘆するばかりである。これが大映で若尾文子がやったら、愛想渦巻くドロドロのドラマになり、少なくとも三人は人死にが出て、イヤなイヤな後味で終わるんだろう。これで、あの爽やかなエンディングに持っていくのだから、スゴい。だいたい、加賀まりこ程度のワガママを「小悪魔」というなら、松原智恵子のは魔王ルシフェルに匹敵する。
・文通相手の、大富豪でプレイボーイという触れ込みの文通相手、日系ブラジル人の中山仁に会いに行くため、邪魔になるからというワケのわからん理由で、恋人和田浩治を親友伊東ゆかりに泊まりがけで預けてしまう
・なのに、中山仁とあった瞬間、ビビりまくるが、そのうち、どーでも良くなったのか、一緒にさんざんぱら遊び歩く。
・そのくせ、伊東ゆかりと預けた恋人和田浩治の仲がが気になるのか、突然、嫉妬の電話を伊東ゆかりにして困らせる
・さすがに鈍感ながらも、「預けられた」ことに気がついた和田浩治が怒ると、逆ギレ、たじたじとなった和田浩治が困って、何故か、いきなり、伊東ゆかりの孤児院松原智恵子+伊東ゆかりで学内コンサートを開くことを提案。まあ、はぐらかされているわけだが、何故か、快く了承する。
・快く了承した、その舌の根が乾かないうちに、伊東ゆかりに会い、学内コンサートに出るのが納得いかない、和田浩治に利用されているのではないか、とゴネはじめる。あまつさえ、和田浩治をボロクソ云うので、伊東ゆかりがたしなめると、またも逆ギレ、伊東ゆかりと和田浩治の関係を疑う
・コンサート直前になって、突然何を思ったか、タクシー飛ばして大富豪という日系ブラジル人中山仁に会いに行く。
・慌てた伊東ゆかりと和田浩治、追いかける。
・コンサート始まるも、当然松原智恵子と伊東ゆかり目当ての学生たちでもう会場は満員、孤児院のガキ共が「どじょっこだのふなっこだの」とか合唱したりして時間を持たすことになるが、やがてブーイングの嵐。
・ようやっと赤プリで中山仁に会った途端に、いきなり、寄付金寄こせ、とせびる、中山仁、驚いて、「実は貧乏な船員ですねん」とウソをつき、松原智恵子諦める
・赤プリの部屋に松原智恵子へ和田浩治と伊東ゆかりが加わり、ちょっとした騒ぎになるが、中山仁が松原智恵子が和田浩治をホンマは好きやということを云って、なんやらおかしな空気が漂う。
・松原智恵子ようやっと学内コンサートに戻り、何を思ったか、「あたし正直に言うわ」と悲壮な決意。
・そして、マイク取って、何を云うかと思いきや、「お金を取ってあたしたちのコンサート開く価値が、あたしたちにあるのか?」と観客に問いかける、観客、もちろん、彼女と伊東ゆかり目当てで来ているもんだから、もちろん、一同同意。
・松原智恵子なにやら納得した模様。
・そこまで云うなら何か唄ったり芸をするのかと思いきや、彼女はそれだけで、引っ込み、後は伊東ゆかりに任せ、伊東ゆかりが一生懸命「愛するあした」を唄っている間、そんなことおかまいなしに、楽屋で和田浩治といい感じになるが、そこへ左とん平が小切手持って現れる。ブラジルへ帰った中山仁が左とん平に預けていたのだ。孤児院へ寄付するための「巨額」の小切手だ。
・中山仁となーんも無かったのである。ハグされたり抱き上げられたりしたが、そのたんびに「おかあさーん」と悲鳴をあげて、それ止まりのデートを一回しただけ。それなのに、大金渡す中山仁も中山仁だが、せびった松原智恵子が悪い。
思い立ったらすぐに行動に移すのだが、いざ行動に移すと計画も何も考えていないから、すぐに不安になってしまうパターン、それで周りを巻きこんで迷惑かけまくるわけだ・・・オレもいいかげん腹が立った。 そしたら、そうしたオレのような観客を見透かしたように、こんなしおらしい顔するわけだ。
ここまで、松原智恵子のあんまりなあんまりさに正直腹が立っていたのだ(伊東ゆかりがかわいそう・・)、でも、こんな顔されたら・・・すべてを許せてしまう。
しかも、ラストぎりぎりに、この映画でついぞ見せなかった次の笑顔でしめてみせるのであーる。
この映画の松原智恵子には、まさにオレが「60年代」に対して求めるアナーキーさ、ラジカルさのすべてがあったのである。非常に小心でありながら大胆、その振幅がたまらない!
まあ、TKというオレと同年齢の本日逮捕された人は、獄中で是非ともこの松原智恵子を観て、もっとパワーアップして出獄して欲しいものであーる。
われわれは、木村拓哉が15年もトップを走ることのできる時代に棲んでいる。