都賀川というから、ピンと来なかったが、なんのことはない、大学時代慣れ親しんだ「大石川」なのである。
オレも須磨の川の近所に住んでたことあるが、今回ほどではないが、はーるの小川がそよそよ行くよ状態からあっというまに濁流状態になり氾濫したりするのを何度もみてきた。自然、ちゅうのは、怖いのである。水と親しむ、とかキレイ事も大事だが。合掌。
浦沢直樹「PLUTO」読む。第6巻が最新で昨日出たんで。第一巻から一挙に。
読むなり、涙腺がゆるゆるになってしもぅた。まあ、ワシら世代にとっては、鉄腕アトムというのは特別なのだ。
もちろん、「鉄腕アトム 地上最大のロボットより」とあるが、リメイクというか、そもそも、パンツ一丁で暴れ回り飛び回りおまけにケツから機関銃が出てくるのがトレードマークのアトムなのに、フツーに服きたまんま飛んでしまう。もうここまで変えてしまうと、基本設定だけを借りたまったく別の作品としかいいようがない。それでも、だ。やっぱ、胸がわくわくしてしまう。物心つく前から、絵本代わりに雑誌「少年」を読んでたオレ だからしゃあない。
読んでて気がついたことは、擬人法ならず、「擬現実法」とういか「擬現在法」、実際に起きたことをフィクションに見立てて、どんどん進めていくので、その術中にまんまとはまると、途中で読むのをやんぴできなくぐらい面白さを堪能できる。ただ、逆に現実のイメージがせっかく構築したフィクションを台無しにしてしまうこともあるのである。
たとえば、「憎しみの連鎖」とか、イラク派兵の時、筑紫哲也がしきりに云うとったセリフやんけとシラケたり、とか、お茶の水博士が気配りのおっさん(鈴木健二)に似とるとか、イラクのフセイン前大統領なんか、そっくりというより、そのまんま、登場したりして、興ざめたりするが、いや、まあ、そういうところに差しかかったら、肘を伸ばして、遠ざけて読めばエエのだろうが。
どうせ、一夜漬けみたいにして読んだのだから、感想文はこのくらいにしとく。いかなる形態であろうが、今の今、アトムのあたらしいのが読めること以上のしあわせなことはない。
ただ、単行本の場合後ろに解説がのっているのだが、
1951年生まれの村上知彦のヤツは殺意を覚えるほどの違和感さを感じたし、夏目房之助(1950年生まれ)はさすがと思う一方、致命的なずれを感じ、逆に、オレと同じ1958年生まれの山田五郎のは、読んでて、なんども腕を組みうんうんと頷いたもんである。 西原理恵子のは、まったくそのとおりと思う。確かにロボット書くの下手・・・いやいやいや。
このオレが感じた解説書いた人とのあれやこれやは、幼少時、アトムがええもんのままで大人になってアトムから離れた人と幼少時正義の味方の象徴だったアトムがいきなり狂って暴れまくりメチャクチャしてしまうのに遭遇してかなりのショックを受けてアトムに一度は幻滅してしまった人との差かもしれん。
オレより後の世代になると、どっかの時点で、プリウスのCMに出てくるようなアトムのイメージオンリーになってしまう。
1960年生まれの浦沢直樹はどうなのだろう?
最後に元に戻って浦沢直樹「Pluto」への注文、「今からでも遅くない、ウランちゃんをパンツ一丁にさせてくれぃ」
"PLUTO (1)" (浦沢 直樹, 手塚 治虫, 手塚 真)
"PLUTO (2) ビッグコミックス" (浦沢 直樹, 手塚 治虫)
"PLUTO (3) ビッグコミック" (浦沢 直樹, 手塚 治虫, 手塚 真)
"PLUTO 4 ―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (4)" (浦沢 直樹, 手塚 治虫, 手塚 真)
"PLUTO 5―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (5) (ビッグコミックス)" (浦沢 直樹, 手塚 治虫)
"PLUTO 6―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (6) (ビッグコミックス)" (浦沢 直樹)