マーク・カーランスキー「1968 ―世界が揺れた年」(前後編二冊)をようやっと読み終える。ほぼ、一ヶ月はかかってしもた。
まあ、この年の昭和歌謡を中心に聴いているもんで、ちょいと一読みのつもりで読んでいつのまやら深入り、気がつきゃ朝まで読んで、これじゃ、カラダにいいわきゃないよ、わかっちゃいるけどやめられない。
1968 前編―世界が揺れた年 (1) (ヴィレッジブックス N カ 2-1)
来住 道子1968 後編―世界が揺れた年 (3) (ヴィレッジブックス N カ 2-2)
来住 道子
1968年世界中の若もんが突然集団で怒り狂いはじめ、放っておけばええのに、大人側もつい本気になって、大ゲンカした年である。
まあ、この手の本、後世代のオレとしては、非常に警戒心を持って、眉に唾をつけながら、読まざるえず、たいてい、読み終える頃には、眉毛が唾でびちょびちょになっとるわけである。何せ、単なる一つの大学の学費値上げ反対運動が二ヶ月後には全国的な政府転覆革命運動にまで変わったほどのテンションだ。まともに相手するわけにはいかん。
まあ、この世代の連中に、いかに騙されてきたか、ちゅうことですわ。
幸い、最後の最後、「ソビエトの崩壊の原因が1968年のプラハの春である」とかのあたり、眉にようやく唾をつけ始めた程度である。でも、そこで油断したのがアカンかった。監修者の越智道雄がファンタジーっぽい解説では、もう眉が禿げるほど、唾を眉に塗りたくったほどである(奇しくもヒラリー・クリントンが大統領選、断念したんで、ザマアミロである)。
それはさておき、本そのものは、ずばり、めちゃくちゃオモシロい。
フランス、アメリカ、西ドイツ、日本、東側でも、ポーランド、東ドイツ、そしてチェコスロバキア、オリンピックイヤーのメキシコ、当時の区分けによる自由主義圏社会主義圏どっちでも、若もんの反乱は起き、そいで、弾圧されまくったという話である。70年代に入ると陰惨なテロになるが、この当時はまだまだ、大規模なデモ程度で、まだまだ牧歌的でさえある。しかも、当時影響力を持ち始めたテレビの力を最大限利用して、やるわけだ。
まあ、チェコスロバキアなんぞは、せっかく自国の政府は理解を示してくれたのに(プラハの春)、ソ連が大人げなく戦車で軍事介入したり、或いはたまたまオリンピックイヤーだったメキシコでは、極めて単純でえげつない手で反対運動が無かったことにされてしもてる(トラテロルコ事件)。
まあ、この若者の反乱についてリアルタイムの世代が書いたにしては、根本的な欠陥もちゃんと指摘しているのがリッパ。どんな大規模なデモなり大学封鎖であっても、裕福な家庭の子息しか行けない大学生が主体だった、ちゅうことであろう。暇を持てあました金持ちでちぃっとばかし頭のエエ、ガキどもが理想と理論ばかりで、暴走してしもたもんだから、フツーの人たちの共感をあまり得なかったちゅうことだろう。
あと、第二次世界大戦中、勝ったもんだから、変に「エエもん」になっていた連合国の面々も、実は一皮剥けば、ナチスドイツやら旧日本帝国やらと根の部分は同質やったちゅうのが明らかになったのも確か。
さて、この世代の連中(の、ごく一部の人)が未だにこの頃のことにファンタジー(というか、センチメンタリズム)を持つのは勝手だし、美化したければ勝手にしたらヨロシ。思い出のまま封じ込めておいて欲しいところなのに、当時のその気分のまま、ずっと今まで、やってきたのがスゴく大きな問題だと思う。単なる殺人事件の裁判にもこの時代のノリでやれば、イデオロギッシュな死刑反対運動になってしまうし、犯罪被害者よりも容疑者の人権の方が大事なヘンテコなことになってしまう。国歌も、会社で社歌歌うノリでデタラメ歌えば全然平気なのに、憲法とか持ち出すから、ヘンテコなことになってまう。
それも当時の一番あかん部分、フツーの人に対しての説得やら理解やら一番ややこしく地味で時間のかかる部分端折って、自分たちの勝手な正しい「理屈」で自分たちの決めたところの「悪」を倒すという派手な部分ばかり強調するという1968年のノリでやるからアカンねん。学生運動で世の中変えたヤツいないよ、わかっちゃいるけどやめられない、すーだらだったすいすい。
まともにフツーに事務的に「問題解決」の手法を取り入れていたら、あっさり解決した問題が1968年以降、ぎょうさんあったようにしか、思えないのだ、イヤ、ホンマの話。
本の感想文にならんかったな。まあ、ひとつだけ、あれだけのパワーは、スゴいと思うし、心底うらやましい。