2007年9月28日金曜日

三島由紀夫はパンクだった

阪神タイガース、突然の七連敗にはこうしたオチが用意されてたのね。ハロー、なべつね。バイバイ、ふくし君・・・。

 野球ネタはこれまでにしといて、実を云うと、60年代後半から2007年の今まで、ウチの国ちゅうんは、あんまし進歩していないんではないか、と思っている。むしろ或る面では退化しまくっている。

 ややこしい国に思えるが、それはハッタリ、この30年ほど、景気が良けりゃ、明るくなり、景気が悪くなれば、暗くなる、の繰り返し、のいたってシンプルな国です。多分、これからも、このノリで行く気なんだろう、あーあ、やれやれ。

 「平凡パンチの三島由紀夫」読んで以来、「三島由紀夫」に対してのオレのイメージはガラッと変わった。

 実際、小説は、まだ若かった頃、いくつか読んでみたが、オレみたいにアホが読んでもあんましオモシロくない、というより、もうひとつワケがわからんかったんである。昨年だったか、オレが大好きな映画、フェリーニの「甘い生活」と同じテーマだ、ちゅうんで、「鏡子の家」読んだが、最後まで読むのが苦痛なくらい、登場人物の誰にも感情移入できんかった。

 「平凡パンチの三島由紀夫」という本で、小説を書いていた三島由紀夫とは、別の面を教えて貰い、そうやって、本屋行くと、小説以外にエッセイやら討論集やら、案外いろいろ出ていて、その手のを最近読んでいる。正直、オモロイ。

 ご存知のとおり、このところ60年代の昭和歌謡曲ばっか聴いているんであるが、いつも不思議に思うのは、なんで、時代時代というより、一年毎でごそっと全く変わったもんになるんか、不思議でしょうがない。だから、この当時の雰囲気を田舎の汲み取り便所並みに発散させている、三島由紀夫のエッセイやら討論集やら、アホで中年なオレでもオモシロく読めるのかも知れんが。

 「文化防衛論」中の当時、大学生とのやったティーチインの模様がわりとオモシロかったんで、今度は東大が全共闘に乗っ取られた69年(東大安田講堂陥落以前ということだ)に、三島由紀夫が単身のりこんで、議論した、ちゅう、下の「三島 由紀夫vs東大全共闘」というの読んでみた。

 ウヨクの三島由紀夫がサヨクの東大全共闘の巣窟へ殴り込みに行ったワケである。まあ、今の単なるフツーの国なら保守層なだけの「ウヨク」、憲法九条を敬虔に信仰する「サヨク」とは比べもんにならん双方ホンマもんのパワーがみなぎっているわけで、つまらんわけないだろうと期待して読んだが、数ページ読んだ時点で、全共闘側のあまりにもワケのわからん用語の羅列、ワケのわからん論理の展開ばっかで腹が立ってきた。


"美と共同体と東大闘争 (角川文庫)" (三島 由紀夫, 東大全共闘)


 さて、ほんま、全共闘が難解な用語をぐちゃぐちゃに使いまくっているんは、ワシら世代の暴走族やらがマッポだのシカトなどの符牒を使っているのとなんら変わりない一つのファッションであるとは理解できるが、ワケがわからんにはどうしようもない。
 
 そしたら、YouTubeにこのバトルの動画がのっていた。こっちの方が雰囲気がわかって、というか、なんやねん、ガキ連れて来た変なヤツは。



 まあ、これを観てから読みなおしてみたら、わからなさが、ちょっとはマシになった。まあ、わかってたまるか、やけどね。

 三島由紀夫が東大全共闘に対しての最後の捨てゼリフ、はカッコええ。

「諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。他のもの一切は信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい」

 うーむ、マンダム!カッコ良すぎる。

 まあ、オレとしてはうまい具合に、ややこしいことやむつかしいこと要らんから、その「熱情」だけ、抽出して味わいたいんだが、甘すぎるか?




平凡パンチの三島由紀夫 平凡パンチの三島由紀夫
椎根 和

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文化防衛論 (ちくま文庫) 文化防衛論 (ちくま文庫)
三島 由紀夫

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若きサムライのために (文春文庫) 若きサムライのために (文春文庫)
三島 由紀夫

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三島由紀夫vs東大全共闘―1969-2000 三島由紀夫vs東大全共闘―1969-2000
三島 由紀夫

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