2008年11月18日火曜日

吉野家のひみつ

 風が冷たくなってきた。

 久々に吉野家で昼。ちゅうのは、母校の中学校付近の二号線沿いに吉野家ができたのだ。もちろん、クルマじゃないと不便なところだ。なんか、どんどん、須磨も郊外化して、クルマなしだと不便なところになってしまった。まあ、クルマあれば、便利になったのだが。 吉野家といえば、思い出すことがある。もう、今となっては珍しくはないのだが、まだ、コンビニというものが無かった頃の話だ。

 当時オレは東京は調布、つつじヶ丘というとこに住んどった。ばりばりの関東ローム層の上にあることを除けば、ええとこだったが、帰りが夜10時過ぎになると、食いもの屋が閉まってしまい、スーパーも閉まってしまい、喰うものに途端に困ることになる。で、どうしても、甲州街道沿いにあった吉野家になるのだが、さすがに、ほぼ毎日だと飽きてしもていた。


 さて、配属された途端、高松やら北海道やらへ長期出張でしかも徹夜連続というモードが一年以上も続くということになってしまった。

 まあ、ここでも、早速、食いものに困ったというか、毎日、働いている場所に出前を頼むのだが、夕食と夜食が「ほか弁」ばっかという羽目になってしまった。

 ただ、食いもんについては、ガマンすることができんタイプだ。ちょうど、コンビを組むことになった一年上の先輩も、好き嫌いなく、豪快に喰うタイプだったので、良かった。なにせ、都内私立大学のバリバリの体育会出身だ。オレの体重の倍(1.8倍ぐらいか)だが、喰う量は同じという、食いもんに関しては最高のコンビだったと思う。



 1食につき、弁当を二個喰うパターンだ。二人して、競あうようにして、二つ頼むほか弁の、いろんなパターンを試したものだ。最初は、チキン南蛮と幕の内とか唐揚げ弁当とカレー弁当とかの、組み合わせだったが、ついに究極の組み合わせ、「ノリ弁をおかずにノリ弁を喰う」 という大技を完成させ、長期出張を見事乗り切ったものである(但し、食の部分だけ)。


 さて、そうした徹夜仕事も一段落して、渋谷に戻ってしばらくしてのこと。

 久々にその先輩と昼飯を食うことになった。
 どうして吉野家になったのか、わからん。
 オレは云うたように、もう飽きてたものの、先輩の顔たてる感じで。

 入って、まあ、どうせ、先輩のことだ、大二つとか特大とかかなあ、と期待してみていると、フツーに「並」を頼んだ。並の牛丼だけだ。食欲無いんか、とちょっと気にしたが、所詮他人だ、オレは大にして、玉子やら漬けもんとか味噌汁も頼んだ。

 並の牛丼が来る。

 そっからは、オレは、今もありありと映像で思い出すことができる・・・ちゅうても、今では全然珍しくない光景だが。ただ、オレは育ちが良い。小学校の頃は休日は不二家のお子様ランチの生活である。

 牛丼を取った先輩はすぐ喰うでもなく、ゆっくり、箸で牛丼のまんなかあたりを掘り始めたのだ。

 そして、おもむろに近くにあった紅ショウガをたぐり寄せると、トグルに紅ショウガをはさみ、どさっ、どさっ、どさっと・・・最初は掘った中央部、そこが埋まっても、何度も何度も、紅ショウガを牛丼に運び始め、ついには、牛丼の牛肉部分が見えなくなるほど盛始めたのであーる。なおも、むしろ、丁寧といっていいほど、その作業は続き、紅ショウガがこぼれんばかりになった時、ちょっと動作を止めた。そいで、体を伸ばし、隣の紅ショウガの壺をたぐりよせ、またも、同じ行為を始めた。最初の紅ショウガのケースは空になったのだ。

 そいで、まさに、こぼれないのが不思議なほど紅ショウガで山盛り状態になり、そっから彼は、ようやく、箸を取り、こんどは、またも盛った紅ショウガをこぼさないように、彼特有の細心さを持って、丼内をかき回し、紅ショウガと牛丼を「和えた」。

そっから、がーっといつもながらのほれぼれするような喰いっぷりで、あっというまに、ご飯一粒、紅ショウガ一切れも残らない状態になり、まあ、いつものように、満腹感で満足しきった顔になった。悔しいことに、この先輩は正直で、マズいもん喰ったあと、この顔はしない。

 このパターンは今は別にどーってことない光景だろうが(昼食時混んだ時、一人は必ずやっている)、オレには、ショックであった。


 敗北感、といってもいい。

 なーんの工夫もせず、出されたものを出されたまま喰って、そいで「飽きた、飽きた」とか云っていたオレがいかに 矮小な存在か、思い知らされた気分であった。

 早速、翌日から、オレも真似して、紅ショウガ牛丼にして喰うと、なるほど、旨かった。もちろん、紅ショウガの量は先輩の量に比べば、ごくごく少量だが。


 あと、吉野家で、ビールを瓶毎5本お持ち帰りする(今は禁止)友人とかはおったし、とか、牛丼頼まず、生玉子だけ、それも4つ頼み、それをあっという間に、一気飲みして、30秒ほどで出て行ったオッサンとか(これは今はエエのか悪いのかは知らん)おったが、その程度。この時の、喰うことの意義そのものを問われたショックにはかなわない。


 つゆだく、やらいろんなパターンで頼めるようになる昔々のお話でした。



2008年11月13日木曜日

印鑑登録証のひみつ

 晴れ。暑くもなく寒くもなく、ちょうどいい案配。  久々に垂水。駅前の増田屋、これまた久々に、ランチにぎりを喰う。旨い・・というより、満足か?   昼頃なのに、ハイキング帰りの十人弱の団体客が、個別に支払いをしていてちょっとした騒ぎに。年の頃は60代あたり、まごまごしながら一人一人払いながら、ガヤガヤわけのわからん冗談を飛ばしてた。そうしたとこみると、ちょうどリタイヤしたてあたりか。団塊の世代あたりか。オレの隣は、もっと年上のジジィがランチに一本つけて、穏やかに飲んどった。オレも年取ったらこうありたいものです。    垂水ちゅうのは、ケッタイな都市計画していて、東と西に再開発用のデカいビルぶっ建てておいて、肝心の中央部、人通りが一番多いとこが、昔ながらの商店街やら古い古い市場とかカスバ的(といっても、ぜんぜんヤバくない)カオスにあり、けっこう、オモロイ。オモロイといっても、数回行ったら飽きてしまう程度だが。  と、のんびりと「小春日和」(晩秋の今、この言葉でいいんやろか)の中ふらふらしながら、銀行に行き所用を済まそうとしたら、なんか、印鑑が違うちゅうことで、急いで駐車場に戻りクルマを飛ばし自宅へ、自宅をひっくりかえして印鑑登録証のカード探しまくって、ようやっと探しあて、印鑑証明取りに須磨の区役所まで行くと、その印鑑登録証のカード、なんか古い方のヤツを持ってきたみたいで、再び急いで自宅に戻り、もう探すの面倒なので印鑑もって、再度区役所に行き、再発行してもらうことにした。    あれやこれやで、銀行の営業時間、とおに過ぎ、で、結局また明日垂水行かなアカンねん。  しかし、印鑑登録証のカード、暗証番号を登録しとくと、無人の機械から、印鑑証明はもちろんのこと、住民票まで手に入るようになっていたとは。
取得できる証明書 印鑑登録証明書住民票の写し住民票記載事項証明書発行手数料 1通250円利用者カード 住民基本台帳カード(住基カード)もしくは 印鑑登録証(券面の印鑑登録番号が10桁の磁気カードのもの)*いずれか1枚のみ登録できます。利用時間 平日・土曜 8時〜20時日曜・祝日 9時〜17時休止日 12月29日〜翌年1月3日、毎月第1日曜日電気設備等の点検日設置場所 JR住吉・六甲道・神戸・垂水、阪神電鉄三宮、神戸電鉄湊川・鈴蘭台・岡場、山陽電鉄板宿、市営地下鉄新長田・名谷・西神中央の各駅周辺及び神姫バス西神戸サティ前バス停付近(詳しい案内地図はこちら)
神戸市くらしのガイド:届出・相談 これは便利になったもんじゃ。まあ、滅多と使わんが、垂水にも自動の発行所があるみたいで、今回みたい時には、もう須磨区役所行かんでもエエ。  しかし、住基カードいらんなぁ。
Blogged with the Flock Browser

2008年11月12日水曜日

12,000円欲しいぞ

 ガソリン、どんどん下がってきた。今日はガソリン代が143円(ハイオク エネオス)になり、神経使いまくって「省エネ運転」(ちゅうても、下り坂でエンジンブレーキ使うのと、アクセルそっと踏むぐらいだが)する必要がなくなり、ガソリンスタンド行くのに、万札入っているか確認しなくてもいいようになり、以前からしたら夢のような日々である。これというのも、セ・リーグで13ゲーム差ひっくり返されてからだとオレは思う。だって、他になーんもおこらんかったもん。     NHKの朝の蓮ドラ、しかし、なんとかならんもんか。観るたんび、誰かが誰かに説教されている感じで、朝向けとしてはどーなっとるのか。だいたい、まなかな使っとるんだから、もう、これは、「王子と乞食」パターンで、エエのに。舞妓の方が大学生のフリして恋に落ち、大学生が舞妓のフリして、祇園で遊ぶような大金持ちを手玉に取る。そいで、実は双子だったんですっ!みんなギャフン、のパターンでナンボでもエピソードできるのに。あと、「赤いスイートピー」二人で唄わせるのはもう、やめてほしい。  まあ、しゃあないか、何せ13ゲーム差をひっくり返される世の中だもんな。  定額給付金、文句の方が多いのに驚いた。ええカッコしいなのか、ジャーナリストやコメンテーター、余程金持ちが多く(そういやこの前亡くなった「ニュースキャスター」、麻生太郎もびっくりの大金持ちだったらしい)、はした金程度に思っているせいなのか。だいたい、国家国益とか一国民がエラそうにそこまで考えてやる必要などないんじゃ。お上がくれる、ちゅうもん、なんで、ちーたらこーたら細かいこと云うのか、その神経がわからん。これで国の財政が傾いたら、その時になって初めて、12,000円貰たことなど、すっとぼけて、文句たらたら、怒りまくって、ジグザグデモとか米屋打ち壊しとか、やればええのであーる。それが江戸時代から連綿と続くワシら庶民の意地ちゅうもんとちゃうか。     この時期、12,000円はデカいでぇ。だいたい、オレの場合、税金がこれで払える。もしくは、伊東ゆかりボックス買える。もしくは、日本海へ豪華、高速使いまくりのドライブができる。  ともかく、貰える前、文句言うのやめて欲しい、貰ってからボロクソ云うたったら、エエことやないか。ホンネで行こうや本音で。     まあ、しゃあないか、何せ13ゲーム差をひっくり返される世の中だもんな。
Blogged with the Flock Browser

2008年11月9日日曜日

岡林信康に挫折する

 くそぉ、西武が勝ってもたがな。  あかんなあ。怒り狂うナベツネ、戦力不足に責任転嫁する原、それを真に受け納得し、札束勘定しはじめるナベツネ、・・またも、讀賣お得意の金に飽かせてのFA狩り外人狩りが始まるかもしれん。もうスワローズから選手取ったらアカン、残ってないし・・いやガイエルなら、価格応談で考えても・・・アカンアカン。  岡林信康の1970年のアルバム「見るまえに跳べ」・・・・オレはジャックス大好きであったのだが、このアルバムが早川義夫プロデュース、しかも、ラブ・ゼネレーション、堕天使ロック、ロールオーバー庫之助等、ジャックスのカヴァーが入っとるとは、一ヶ月前になるまで知らんかった。    見るまえに跳べ    聴いてみて、確かにエエのだろうし、実際、聴いたことのある「私たちののぞむものは」とかは、歌詞が後半ネガポジ逆転していく名曲と思うが、かんじんのラブ・ゼネレーションやら堕天使ロック聴いていると、無性にジャックスの方を聴きたくなるありさま。灰汁も脂っ気もどろどろしたもんない、フツーのあっさりしたロックにきこえてしまうのだ。  この程度の聴き方しかできんかった。この程度で岡林信康というある意味ビッグネームに対してあれやこれや書く、と何故か怖いので、やめとく。岡林信康、80年代に入ってからのアルバムとかは良く聴いたものだが、フォークが大嫌いだったんで、岡林信康の全盛期のはちゃんと聴いたことがないし。  ちゅうことで、口直しというか、耳直しに、単に疾走疾走あるのみのミッチー・ライダーとデトロイト・ホイールズを聴いたりしてたら、   YouTube - Mitch Ryder & The Detroit Wheels - Jenny Take A Ride [I]   やっぱ、ええのぉ。この二曲、ぶっ続けに聴くと、めっちゃ気持ちええ。 何故か、ミッチーライダーのそばに、ラクウェル・ウェルチのがあった。  これは、ちょっと胸揺らし気味だが、まあフツーのポップスと云えるかも知れん。  でも、コレは!!!  いつしか、岡林信康がすっかり、取れてしまった一日の終わりでした。  
Blogged with the Flock Browser

2008年11月6日木曜日

オバマとマケイン、笑撃のダンス

 オモロイもんみつけてもた。  オモロイもんみつけてもた。 Obama/ McCain Dance Off

オバマ新大統領に捧ぐ

フツーのモードに戻そっと・・・。  休むとやっぱ、スゴく書きにくくなる。    西武が勝った。若い選手がちゃんとしとるので、うらやましいことである。  大統領選、オバマが勝った。黒人初の大統領で黒人黒人云うとるが、お母さんが白人やから、ハーフとちゃうんかい? アフリカ系アメリカ人の父親の系譜で黒人と云うなら、同時に母親のナントカ系アメリカ人で白人であるとも云えるのでないのか。人種差別や人種差別!・・・・と、白人としての誇りを持てよ誇りを!お母ちゃんが泣いとるぞ。おおぉ、ワケのわからんツッコミが。調子が戻ってきた。  お祝いにゴールデン・ハーフの・・と思ったが、ここはポピーズ・・・もとえ、BBS(ビューティ・ブラック・ストーンズ)、恋のチャンス やな。     最近、昼は、近所に(といってもクルマで10分ほど)讃岐うどんの店ができたので、そこばっか行っている。そこで、おろし醤油うどん大(430円)、ちゅうのばっか頼んでいる。  冷たい讃岐うどんに大根おろしがついているのだが、スダチがついており、あとネギとかショウガとか天かすとかは取り放題というシステム。  ネギを大量にぶっかけて、それに醤油をぶっかけて、スダチを絞って、ぐるぐるかき回して、どばーっと喰うと、 爽快である。  ただ、消化が良すぎるのか、2時間ほど経ったら腹が減ってくるのが、今のところ、最大の悩み。  
Blogged with the Flock Browser

2008年11月5日水曜日

松原智恵子が炸裂する「愛するあした」 ネタばれあり

 またも更新があいてしもた。長文になるとアホなので、後で読み返すとボロボロである。でも、直せるかといえば、よう考えてみたら、アホなので直せん、しゃあないから、まあ、アップしとく。


 オレと同年齢の詐欺師が5億円の詐欺でつかまったが、がっかりした。あまりにも手口が稚拙である。音楽的な詐欺の技はあれほど天才的であったのに。

 われわれは、木村拓哉が15年もトップを走ることのできる時代に棲んでいるのであーる、まあ、しゃあない。
 
愛するあした


  1969年の映画「愛するあした」は、製作は芸映社なのだが、それでもまた、ちゃんとオープニングにダイニチでもなく歴とした日活マークが出る日活映画でもあったのである。
 
 今回は、そっち方面から、映画「愛するあした」について書きたい。

 例によって例の如し、映画に関してはプアーな知識しか持っていないので、そのつもりで。


 松原智恵子の映画として、落ち着いて、観ると、これは、松原智恵子が炸裂しまくった映画というのに気がついた。
 役柄とはいえ、したい放題やりたい放題、その炸裂しまくった松原智恵子と互角に渡り合う伊東ゆかりもスゴい。まあ、この映画、この二人の掛け合いがオモシロい。

 松原智恵子・・・


 日活時代の松原智恵子は実はスゴいのではないか、と思いつつあったわけだ。


 そりゃ、初期は気軽に人質になったりして、下着姿でぶら下げられペンキ塗られたりするが(多分鈴木清順が監督してたヤツ)、日活が落ち目になりニューアクションとかになってくると、役柄とはいえ、どうも、な んか、自らトラブルを呼び込み周りをトンデモ無いところへ持っていくというか、一人で映画丸ごとノリを変えるぐらい、スゴい女優じゃないか、と薄々思って たわけだ。
 ただ、主演の渡哲也やらが何やら背負っているもんだから、どうしても、そっちに眼をとられてしまう。

 この映画、松原智恵子は、何やらを背負った渡哲也や石原裕次郎やらがいないんで、重しがとれ、しかも、彼女のフォローアップとしては最適な伊東ゆかりという逸材を得、まさにフルスロットルで「松原智恵子」しているのではないか。

  
 最初の10分で、恋人役で学生運動まだやっている社研の和田浩治とこういうケンカをおっぱじめる。

 「だいたい学園闘争はだな、日本帝国主義の大学の再編に対する闘いであると同時にだ、学園内にあらわれる矛盾に対する闘いであるんだよ・・それを賭してわれわれはいかに社会変革を」  

 とまあ、当時の全共闘お得意の言語で、和田浩治が松原智恵子に絶叫調で云うわけだ。

 そしたら、松原智恵子・・こんな怖い顔して、
 vlcsnap-00015.jpg    
まった! 君それ本気で云っているの!!


 和田浩治よりもっと大きな声だ。和田浩治、たじたじ、となる。
 オレも思わず、自分が云われてるような気がして、背中がびゅんとなった。怖い。怖かった。
 しかし、当時、のぼせたようになった


  やがてオレは、長年の疑問がすーーーーーっと氷塊していく爽快さを味わった。


 オレは納得した。60年代後半、日本、いや世界中の大学に吹き荒れた学園闘争は、松原智恵子のこの一言で終わったのだ!

 東大安田講堂落城とかじゃない。松原智恵子のこの一言が終わらせたのだ!

 矢作俊彦風オーバーに書いてしもたが、「日活映画」ちゅうのは、そういうもんであーる。

 さて、映画での松原智恵子の行動を次に列挙してみた。


 あらためて、もうあまりのスゴさにただただ驚嘆するばかりである。これが大映で若尾文子がやったら、愛想渦巻くドロドロのドラマになり、少なくとも三人は人死にが出て、イヤなイヤな後味で終わるんだろう。これで、あの爽やかなエンディングに持っていくのだから、スゴい。だいたい、加賀まりこ程度のワガママを「小悪魔」というなら、松原智恵子のは魔王ルシフェルに匹敵する。


 ・文通相手の、大富豪でプレイボーイという触れ込みの文通相手、日系ブラジル人の中山仁に会いに行くため、邪魔になるからというワケのわからん理由で、恋人和田浩治を親友伊東ゆかりに泊まりがけで預けてしまう

 ・なのに、中山仁と会った瞬間、ビビりまくるが、そのうち、どーでも良くなったのか、一緒にさんざんぱら遊び歩く。

 ・そのくせ、伊東ゆかりと預けた恋人和田浩治の仲がが気になるのか、突然、嫉妬の電話を伊東ゆかりにして困らせる


 ・さすがに鈍感ながらも、「預けられた」ことに気がついた和田浩治が怒ると、逆ギレ、たじたじとなった和田浩治が困って、何故か、いきなり、伊東ゆかりの孤児院松原智恵子+伊東ゆかりで学内コンサートを開くことを提案。まあ、はぐらかされているわけだが、何故か、快く了承する。


 ・快く了承した、その舌の根が乾かないうちに、伊東ゆかりに会い、学内コンサートに出るのが納得いかない、和田浩治に利用されているのではないか、とゴネはじめる。あまつさえ、和田浩治をボロクソ云うので、伊東ゆかりがたしなめると、またも逆ギレ、伊東ゆかりと和田浩治の関係を疑う


 ・コンサート直前になって、突然何を思ったか、タクシー飛ばして大富豪という日系ブラジル人中山仁に会いに行く。


 ・慌てた伊東ゆかりと和田浩治、追いかける。


 ・コンサート始まるも、当然松原智恵子と伊東ゆかり目当ての学生たちでもう会場は満員、孤児院のガキ共が「どじょっこだのふなっこだの」とか合唱したりして時間を持たすことになるが、やがてブーイングの嵐。


 ・ようやっと赤プリで中山仁に会った途端に、いきなり、寄付金寄こせ、とせびる、中山仁、驚いて、「実は貧乏な船員ですねん」とウソをつき、松原智恵子諦める


 ・赤プリの部屋に松原智恵子へ和田浩治と伊東ゆかりが加わり、ちょっとした騒ぎになるが、中山仁が松原智恵子が和田浩治をホンマは好きやということを云って、なんやらおかしな空気が漂う。 

  ・松原智恵子ようやっと学内コンサートに戻り、何を思ったか、「あたし正直に言うわ」と悲壮な決意。

 ・そして、マイク取って、何を云うかと思いきや、「お金を取ってあたしたちのコンサート開く価値が、あたしたちにあるのか?」と観客に問いかける、観客、もちろん、彼女と伊東ゆかり目当てで来ているもんだから、もちろん、一同同意。


 ・松原智恵子なにやら納得した模様。


 ・そこまで云うなら何か唄ったり芸をするのかと思いきや、彼女はそれだけで、引っ込み、後は伊東ゆかりに任せ、伊東ゆかりが一生懸命「愛するあした」を唄っている間、そんなことおかまいなしに、楽屋で和田浩治といい感じになるが、そこへ左とん平が小切手持って現れる。ブラジルへ帰った中山仁が左とん平に預けていたのだ。孤児院へ寄付するための「巨額」の小切手だ。

  ・中山仁となーんも無かったのである。ハグされたり抱き上げられたりしたが、そのたんびに「おかあさーん」と悲鳴をあげて、それ止まりのデートを一回しただけ。それなのに、大金渡す中山仁も中山仁だが、せびった松原智恵子が悪い。

 こうやって、孤児院救済チャリティコンサートは大成功、しかも、中山仁から、大金をせしめるわけだ。


   思い立ったらすぐに行動に移すのだが、いざ行動に移すと計画も何も考えていないから、すぐに不安になってしまうパターン、それで周りを巻きこんで迷惑かけまくるわけだ・・・オレもいいかげん腹が立った。  そしたら、そうしたオレのような観客を見透かしたように、こんなしおらしい顔するわけだ。


  vlcsnap-00016.jpg by you.

 ここまで、松原智恵子のあんまりなあんまりさに正直腹が立っていたのだ(伊東ゆかりがかわいそう・・)、でも、こんな顔されたら・・・すべてを許せてしまう。

 しかも、ラストぎりぎりに、この映画でついぞ見せなかった次の笑顔でしめてみせるのであーる。

   
   vlcsnap-00018.jpg  

 惚れてしまうがな・・・。



 この映画の松原智恵子には、まさにオレが「60年代」に対して求めるアナーキーさ、ラジカルさのすべてがあったのである。非常に小心でありながら大胆、その振幅がたまらない!



 まあ、TKというオレと同年齢の本日逮捕された人は、獄中で是非ともこの松原智恵子を観て、もっとパワーアップして出獄して欲しいものであーる。



 われわれは、木村拓哉が15年もトップを走ることのできる時代に棲んでいる。



2008年10月27日月曜日

1969年の日活映画「愛するあした」

はつよさんのご厚意により、念願の1969年の日活映画「愛するあした」(愛するあした(1969))を観ることができた。いやあ、ホンマ素晴らしい映画である。
 ブログ更新間が空いたが、この映画観たら、いろんなことを書きたくなって、書いたら、例によって収拾つかなくなって、まあ、ここはひとつ、じっくり書いてやろうと思たわけだ。まあ、税金の季節でもあるので、まあ、ゆっくりと。

 1969年の日活映画「愛するあした」、久々にハマってしもうたがな。
 基本的に、音楽めあてで観たのだが、どっこい、映画としてもオモシロかった。感謝感激雨あられですわ。

 おかげで、このところの「赤いスイートピー」症候群が直り、暇でぽーっとしている時など、「赤いスイートピー」じゃなく「愛するあした」を口ずさむようになり、気分よい。まあ、そばで聴いている人がいたら、どっちも、似たような「唸り」かもしれないが、それはそれ、あれはあれ、である。

 さて、映画「愛するあした」、伊東ゆかりの超名曲「愛するあした」(東海林修作曲安井かづみ作詞)をフューチャーした「歌謡映画」というジャンルに入る映画である。
 主演は、伊東ゆかり、松原智恵子。和田浩治、中山仁、ワイルドワンズ、あと内田裕也がターッとかトゥーとかしか云わない役、東宝の「久太郎」有島一郎、おばけのQ太郎の曽我町子、左とん平とか。日活ゆかりの脇役が出てないような気がするが、製作が芸映社だからか時代が時代だからか、そいでも、配給は日活映画でちゃんと日活のマークで始まる。

 舞台は1969年のどこぞの私立大学、学生運動もそろそろ下火になった頃である。伊東ゆかりと松原智恵子は学園のマドンナというかアイドルというか、彼女たちが出る授業は全員出席、立ち寄る飯屋はいっぱい、広末入学時の早大よりスゴいか。彼女たちをストーカーしている専門の盗み撮りグループ(これが、ザ・ワイルドワンズの面々というのであーる)さえ存在する・・・。

 松原智恵子にからむのが日活の生え抜き和田浩治、それにふりまわされるのが、伊東ゆかりと中山仁という図式。

 松原智恵子の文通相手ブラジルの大富豪中山仁(日系三世のブラジル人という設定)が彼女に会いに来ることになって、大騒動、恋人和田浩治を伊東ゆかりに預けて、大騒動、文通相手に会って大騒動、あれやこれや、で途中、伊東ゆかりの孤児院が経営不振で閉鎖するかもという状態がわかり、あれやこれや、というお話である。

 今回は、伊東ゆかりと、オレの大好きな曲「愛するあした」を中心にこの映画を感想を書く。 


 「愛するあした」以外では、伊東ゆかりでは「朝のくちづけ」(有馬三恵子作詞鈴木淳作曲森岡賢一郎編曲)、「汐風の二人」(安井かずみ作詞平尾昌晃作曲)「知らなかったの」(山口あかり作詞平尾昌晃作曲)、あとクレジットされていないが、童謡「あのこはだあれ」「浜千鳥」を歌うシーンがある。もう伊東ゆかりが歌手として全盛期の映画なので、童謡のシーンも新鮮で良かった。伊東ゆかりの「小指が痛い」も、和田浩治と子供達によって唄われてたりする。

 GSでは映画出演は珍しい、ザ・ワイルドワンズが出てて、「昨日に逢いたい」「バラの恋人」「マーシー・マイラブ」「すべてを捧げて」。まあ、扱いがなんか半端な感じがするが、それでも、伊東ゆかりと和田浩治の仲に悶々としながら唄う「すべてを捧げて」は、笑えた。
 
 でも、やはり、「愛するあした」(東海林修作曲安井かづみ作詞)である。オープニングと終わりの伊東ゆかりの歌が入ったパターン以外にも、映画中、インストでいろんなバージョンが入っとる。

 ・ギターアコースティックバージョン (松原智恵子がひとり部屋でいるシーン、行きしのタクシー内、松原智恵子・中山仁が競技場)
 ・サンババージョン (松原智恵子・中山仁ダンスシーン)
 ・ムードミュージック風バージョン (松原智恵子・中山仁ナイトクラブにて)
 ・マーチ風バージョン (ヨコハマ港外国客船)
 
 多分他にもあるんだろうけど、オレが見つけたのは以上。
 
 
 これらの曲がまた、程よくロマンチックだったり洒落てたりしてシーン(主に松原智恵子が出演しているシーンに多い)に溶け込んでいるわけである。「愛するあした」という曲が、いかに当時の歌謡曲としては異質か、よくわかる。まあ、例えば、映画中で伊東ゆかりが唄う「朝のくちづけ」「知らなかったの」、或いは、大ヒットした前年の「小指が痛い」でも、90分なりの映画のテーマミュージックとして、インストをボサノババージョンとかサンババージョンとかシーン毎に変形されての使用に耐えられたか、どうか? 
 
 ともかく、「愛するあした」以外がテーマミュージックなら、映画の印象全く違ったものになっただろう。団体行動が中心の学生運動終焉後、ようやっと個人に戻り、それぞれの学生生活に戻りつつあり、そして学生運動とはまったく別の次元でみんながまとまってみせる、というこの映画では、オレは他の曲じゃやっぱ無理だと思うのだ。

 ラスト近く、伊東ゆかりのソロによる熱唱、学生運動の闘士たち応援団のむさ苦しい連中あとフツーの学生とか孤児院のガキ共巻きこんで全員との合唱シーンであろう。ただただ感動する以外ない。


 
 上の映像で伊東ゆかり、メッチャクチャきれいに映っているが、映画でもそう。伊東ゆかりが「うふっ」を使いまくるがメッチャクチャカワイいぞ。
 まあ、一週間かけて、この程度・・・か。まあ、しゃあない。
 ちゅうことで、次回は、この「愛するあした」は同時に、松原智恵子と和田浩治の日活映画でもあるので、そっち側から、書いてみようと思う。

Blogged with the Flock Browser

2008年10月17日金曜日

こんなヘッドフォン買うてしまった。

maxell Vraison 高音質化技術「Bit-Revolution Tecnology」採用ヘッドホンシステム オーバーヘッドタイプ ブラック HP-U24.OH-BK
HP-U24.OH-WH/BK/SL
HP-U24.ON-BK
MP3なのにSACDに迫る高音質! マクセルの「Vraison」がPC音楽ライフを変える:レビュー - page2 - CNET Japan

 例によって例の如く、宣伝文句、スゴいが。
 一番の動機が音が良くなるとかどうのこうのより、アマゾンで3,500円ほど(変動あり・・・でも定価ベースでは2万円ほどする)であった、ちゅうことである。

 それに、上の写真の右の箱みたいなのが、パソコンとはUSB接続、ヘッドフォンジャックでヘッドフォンとつなげるため、どんなヘッドフォンでも使え、ちょっとしたUSBデジタルオーディオプロセッサーとして使えるわけであーる。それだけで、もう元取れるわ、ちゅう感じ。

 あと、下のようなソフトもついていて(但しMacの場合、ダウンロードしてくることになっている)、これを通したら、音が良くなるということである。
 VraisonBR.jpg by you.

 あと音の良し悪し、ちゅうのは、オレには、ようわからん。あんましそういった意味で耳は良くない。  オレの場合、最も簡単な判定方法があって、いつものように、同じ曲何回もリピートして、聴き疲れするようなら、なんぼ周波数がどうのこうの補間がどうのこうの云われても、使えない。でも、今のところ、そうしたことはないから、エエんではないか。
 まあ、二万円だったら、もっと、どうのこうの、云うのだろうが、なにせ、3,500円、文句言うたらアカン。
 ついてきたヘッドフォンつなげず、今までのヤツつなげて聴いてますわ。
 今のアマゾンでの価格はこんな感じ、オレが買った時より高くなってるみたい。


Blogged with the Flock Browser

YouTube - むらさきの夜明け

 畏れ多くもかしこくも、美空ひばりネタ。
 彼女の彼女たらしめている彼女独特の声がオレはあんまし好きじゃないので、そのつもりで。iTunesMusicStoreでも、美空ひばり買えるようになったのだが、どうしても、クリックできない。
 むらさきの夜明け{吉岡 治作詞 原 信夫作曲 森岡賢一郎編曲 昭和43年)。「真っ赤な太陽」(昭和42年)の路線、つまり数少ない美空ひばりの「ひとりGS」である。

 彼女最後のメガヒット「真っ赤な太陽」に隠れてしもてるが、ミニスカ期の彼女の曲の中では、オレはこっちの方が好きである。
YouTube - むらさきの夜明け  
   まあ、レコードバージョンの方は、典型的な「ひとりGS」。ギターがカッコ良い。こっちは、「真っ赤な太陽」のブルコメでなく、津々美洋とオール・スターズ・ワゴンである。
 声が波のようにうねり波状となって押し寄せてくる。何度も云うように、彼女の声が嫌いだが、こうやって、次から次へうねって襲いかかってくると、逆に快感になってくるから不思議だ。
 「真っ赤な太陽」で真っ赤かに燃えてしもた後の気怠さ、疲労感、その「終わった後」もがんばろうとした時のなんともいえない気持ちに同調できる。躁の年「1968年」臭さよりも、鬱の「1969年」っぽい。
 
Blogged with the Flock Browser

過去記事Archive