2018年11月26日月曜日

11月26日

 丸亀製麺の「おろし醤油うどん」が実質休止(注、うちの近所の店だけかもしれん)になったんで、まあ、ぶっかけうどん(出汁抜きにしてもらって、テーブルのだし醤油かけて喰う)+大根おろしトッピングという組み合わせもあるんだが、やっぱ、すだち、きゅーっっっと絞りたいやん、ぱーっと広がる香り楽しみたいやん、酸っぱさでサパーっとしたいやん、正直、丸亀製麺のすだち、香りあんましせんし、すだち半個分だと味すらも微妙だけど、そいでも、こう、なんちゅうか、気持ちが違うやん。大根おろしだけやと、なぁ・・と、ちょっと淋しい思いで、日曜日、中央市場前のイオンモール行ったら、なんと、1Fの刺し身やらの売り場隣のイートイン、「シラス食べ比べ丼」が復活していた。捨てる神あれば、拾う神あり、とはこのことじゃ、とばかり、生シラス半分茹でシラス(要するにちりめんじゃこ)に温玉乗った丼を、久々に堪能した。生シラス、透き通ってるけど、なにせ塊になっとって、しかも、ちょっと塩っぱいが、旨い。あかん、腹減ってきた・・・。喰いっぷりが良かったのだろう。店のおばさんが「あたし、淡路なんですけど、生シラスなんて食べたことないですぅ」と云うので、町おこしか村おこしか島おこしか知らんが、数年前、「生シラス丼」だけ出す店が淡路島の岩屋(と思う)あたり、にできて、喰ったら、思いのほか、旨かった旨を神戸弁で説明した。まあ、観光客向けなので、地元の方は、案外、知らないことが多い。お店の人にそのお店のメニューを説明する、地元の人に地元の食材を説明する、という、暴挙につい出てしまった。

 えーっと今日は何を書こうとしたんだっけ。

 スピーカーエッジ交換中、ずーっと聴いていた「Heathen Mega Mix」と「Buck Wild Inna Dance Hall」の感想文書こう思てたんやったけ、腹減って来たんで、テンション上がらへんので、また、今度にするわ。

 YouTuber、かつては、「札束でひっぱたたき系」観て、ぎゃはぎゃは云うていたのだが、大量に観てると、やがて悲しき鵜飼かな状態になったところ、「コジコジのオタク文化 情報局」(https://www.youtube.com/user/kojikojibroadcast/videos)というチャンネル見つけ、アンプかCDデッキの修理やってる動画観たら、それが、オレの中の何かに火をついて・・・あかんあかん、カッコ良く云うと、オレのハートに火がついてしまいよった。

ハードオフで買った動かないCDプレーヤーや音にノイズが混じるアンプやらを、ちょいちょいと直す動画見てると、うずうずしてきたのだ。

 今回は、アンプ、清掃と接点復活剤使って、見事、アンプの修理してしまいよった。すばらしい! オレも、コンデンサの交換とかはできないが、ちょっと問題がある、古いアンプ(victor ax-z911)の清掃と接点復活剤はやってみようかという気になっている。


 スピーカーエッジ交換の動画は無かったものの、JBL4401のエッジ交換やろうと思ったのも、「古いオーディオ直す」ことがめちゃくちゃオモロく、直ったらめちゃくちゃ気持ちエエ、ということを教えてくれた「コジコジのオタク文化 情報局」のおかげである。

2018年11月23日金曜日

11月23日

丸亀製麺の「おろし醤油うどん」のシーズンが終わってしまった。「おろし醤油うどん」にネギてんこ盛りして、だし醤油ふりかけ、スダチをぎゅっと絞り、喰うのが好きだったのだが。まあ、スダチのシーズンが終わっただから、仕方ない。

名称未設定2  JBL4401というスピーカー、処分しそこねて、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと持っていたが、ついに捨てようかと思ったら、スピーカーエッジがボロボロになっただけみたいで、Youtubeやら見てたら、簡単そうに直してる動画がいくつかあり、しかも、Amazonでみたら、JBL4401ぴったしのウレタンエッジが1000円(1個)で売ってる。
 幸い、元住んでた家に空きスペースあるし、こりゃ、一発直してみたろかい、と思ったら、2週間かかった。フツーの人なら接着剤乾く時間入れても、2,3日で終わるみたいなのだが、オレは2週間かかった。これからは、オレを労ってほしい。

 そいで、音のチェックしているが、はまった、はまった。

 どジャマイカの音楽のど低音を大音量でかけると、修理したウーファーから、ある部分に変なノイズが混じるのだ。
 接着剤追加したりしたのだが、やっぱ、おかしい。念のため、今使ってるスピーカーで試してみたら、なんともない。
 はてな?うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、と2週間熟考というか、ガチで悩んだ。

 そいで、はっと気がついたのだが、「どジャマイカの音楽」、すなわち、オレの好きな低音、といか、オレがドはまりするベースライン、つまり「どぅゆどぅゆどぅゆぼぼぼぼ」、ちゅうのが延々と続く部分のある音楽を聴くからアカンのだ、フツーの昭和歌謡かけてみよう、と西田佐知子やら緑魔子、もちろん、弘田三枝子や伊東ゆかり青山ミチなど、聴いてたら、なんともない。先日亡くなった渚ようこの音なんぞ、むしろ、ドはまりである。今のオレのシステムのB&W685より、解像度が高いような感じすらする。

 
 ほいで、あと、気がついたのは、音出ししているところは、かなり大音量出しても、大丈夫なので、ウーファーのテストじゃ、と調子に乗って、ヴォリューム上げてるけど、いつも聴く音量ではない。

 ま、エエか、ということで。ウレタンエッジ交換に関わるあれやこれやあれやこれやは、このぐらいにしとこっと。キリが無いわ。だいたい、どぅゆどぅゆどぅゆぼぼぼぼ、大音量で聴きたかったら、今までどおり、ヘッドフォンで聴いたらよろし。さて、JBL4401、どこに置いたろかな。
 ちなみに、ノイズが混じったという、どぅゆどぅゆどぅゆぼぼぼぼ、は下の動画から、聴くことができますが。どうせ、聴かへんやろ。

2018年11月14日水曜日

ディスるくらいなら、パクれ

 例の30年落ちのJBL4401のスピーカーエッジ交換したものの、左スピーカーにちょっと問題が出てきた。ジャマイカ音楽のオレが一番おいしいと思ってる「ど低音」。音量上げていくと、左ウーファーにちびっとノイズが入る。びびり音なのかどうなのか。ほんま、こういうの、つきつめていくと、オーディオの深い深い沼にハマるのわかっているが・・Buck Wild Inna Dance Hall、大音量で聴きたいやんか、やぱ・・・・と、また、誰もわからない領域を延々と書き連ねそうなので、やんぴする。

 週初め、百田尚樹「日本国紀」  室町幕府全将軍・管領列伝
」読んでいるので、母親に取られた。くそ。
 
 Twitter上では、例によって例の如し、百田尚樹氏の本が売れることがなぜか非常に不愉快な方々によって、例によって例の如し、本が手に入る前から、ボロクソ貶していたが、まあ、朝日新聞の書評欄で褒められることを目指している方々にとっては、百田尚樹氏の「何か」が刺激するのであろう。いい気味。

 で、イデオロギーに囚われてる方々はもう、しょうがないんで、どーだっていいが、オレが「ちょっと・・・。」読点付きで思ったのは、歴史学者、それも、今オレがはまっている室町時代のあれやこれやを書いた方々がそれに混じっていたことである。
 オレは、嘆息をひゅーいひゅっと、漏らした。「ディスるくらいなら、パクれ」。
 正直書く、この前、褒めた「応仁の乱」「観応の擾乱」を含めた室町研究本。

 ・ 読みにくい
 ・ わかりにくい
 ・ 読むのに馬鹿みたいに時間がかかる

 もちろん、今の研究の最前線を手軽に読めるようになっているし、オレのように、南朝びいき、それも後南朝寄りの人間にとっては、もう魂が震えるほどの興奮をもたらしたのは事実である。

   ・ つまり、文章が下手すぎる
 ・ わかりやすく書こうという意図が弱いか、わかりやすく書くテクニックがまだまだ未熟
 ・ 図による説明が下手、少ない・・必要な系図を一発載せたらエエところ、なんと文章で長々と説明している箇所があったりする(例えば、「室町幕府全将軍・管領列伝」p.134~6)。拷問。細川頼之んとこ。

 あと、前も書いたけど、「乱」の規模がわからん、人名地名だけでもいいから、最初に一回ふりがなふってあと省略じゃなく、毎回「ふりがな」をふって欲しい、「足利義教」はあの程度の認識でエエのか?・・とかなると、ちょっと違ってくるが。
 
  研究成果に酔い、あの程度の文章で満足してほしくないのである。知的刺激に溢れた内容なので、そっちに集中したいのだ。人名地名の読みとかで、ページさかのぼりたくないのである。


 コアな歴史ヲタク層受けばかり狙って、少数のヲタクや同業者の称賛に甘えてる。それに気が付かず、予約殺到している百田尚樹氏の著作を読む前からディスるのは、より多くの人に読んでもらおうという野望を失っている証拠ではないか。地下アイドルさんたちは、みんな、自分たちがどうやったら良くなるか、みんなを楽しませるにはどうやればいいのか、に必死で、売れてるアイドルの方の悪口とか甘ったれたことはしない。

 むしろ、百田尚樹の本を「ディスるくらいなら、パクれ」と。もちろん、万引きするのではない、「わかりやすく説明するにはどうすれば、効果的か」等、テクニックである。一冊の本を創るためのテクニックである。1回読んだだけで、す~っと理解できる「文章」である。大学に出す論文レベルの文章、お金を払って読まされる身にもなって欲しい。
 この前ここで紹介した本、全部読んで、つくづく、思う。「史実」で今の研究の最先端かもしれん。めちゃくちゃオモロい。けど、文章・構成下手すぎるわ。

 なぜ、多くの人が百田尚樹の本、何を期待し購入しているのか、歴史研究者歴史学者はそっちの方を、まず、考えてほしい。あ、これも、Amazon1位じゃん、ただ「カテゴリー」が鎌倉時代・・・。

 正直、今、室町研究本読みまくって、「史実」の連続で心カサカサ状態、これで、百田尚樹読んだら、沁みるやろなあ・・。 Ah こんな気持. Ah うまく言えたことがないあいあい。
 
  室町幕府全将軍・管領列伝

2018年11月11日日曜日

鳥になった少年 キイハンターバージョン25時発国際線逃亡ルート

 1970年、4月26日、神戸西部の某小学校の間で、熱狂に包まれていた。

 前の日に放映されたキイハンター108回「25時発国際線逃亡ルート」の中で、高見エミリーが唄った、ちょっと悲しくなって、胸がキュンキュンしまくった歌、好きになってしまったからだ。好きなことを話しはじめると、熱狂する、それだけだ。

 みんな、うろ覚えで覚えた歌詞をうろ覚えのメロディで唄ってみるが、やっぱ、どこか違う・・ああぁ・・・。ドラマの方もこの曲の歌詞にあつらえて作ったような、脱走米兵を扱った刹那いストーリーで、ワシらちびっ子たちは、みんな各々、うろ覚えの歌詞で、歌ってみては、「歌詞合わせ」をし、「メロディ合わせ」をしたものの、どっか、あやふやで、やっぱ、昨日キイハンターで高見エミリーが唄ってたのを聴きたい・・・と、胸がキュンキュンし、ついには、胸をかきむしらんばかりのレベルまで到達したほどである。

 まあ、歌そのものの謎は、やがて(とは、云っても大学生になって、「懐かしの名盤」シリーズで、だが)、新谷のり子の「鳥になった少年」ということがわかり、もちろん、すぐに手に入れ、繰り返し何度も聴いた。でも・・・、でも、やっぱ、違うのではないか、あのキイハンターで高見エミリーが歌っていたのとは・・という疑問は払拭できなかった。

 ネットで調べたら、

 「この歌知りませんか。昔、高見エミリーがドラマの中で歌っていました」とか、ワシらの小学校だけじゃなかったみたい。
 
 そして、ついに、ここに、キイハンター108回「25時発国際線逃亡ルート」での高見エミリーのバージョンの動画をお見せする。
 例によって例の如し、ほんと、このブログ見てくれる人だけの限定公開であるから、そのつもりで、なおこのブログは厄介なことに巻き込まれたら、自動的に消滅する。

 ドラマでは2ヶ所。なんの脈絡なく「鳥になった少年」唄いながら登場する高見エミリーのカワイさは、これは、もう、この世のものと思われず・・・(てなこと延々と書き連ねそうなのでここでやんぴ)。オリジナルの新谷のり子のバージョンと聴き比べ、とかの野暮なことはやめておく。高見エミリーが唄ってる。そして、高見エミリーの「鳥になった少年」にワシら小学生は熱狂した。それだけである。

 突然唄いながら現れてくるシーン。すばらしい!!! 思いクソぶりっ子しているように見えるが、天使がフツーにこの世に現れただけの平凡なシーンである。





悲劇的なラストのあと、もう一度唄う。 ああ、この余韻・・・味わう間もなく、丹波哲郎の決めゼリフ、そして、キイハンターのエンディングテーマで、「現実」に引き戻される。



 

2018年11月10日土曜日

平成30年11月10日

 藪で新蕎麦、たらふく、喰う。税込みで4000円弱。今日が初日。

 蕎麦、大ザルで出てくる。おかわり自由で、そばがき、天ぷら、あと、卵、大根おろし、やまかけの器もついてきて、出石そば風にも喰える。蕎麦、2回おかわりしたから、おそらく、食後の胃の感覚から推計するに、せいろう蕎麦換算で6ざるほど喰ったのでは。もう、11月に収穫したという新蕎麦喰ったんで、至高。

 関東は昆布だし文化じゃないので、塩と砂糖と申し訳程度の鰹だしで、舌がバカになっているんだろう、和食のみならず、中華洋食フツーに不味いもんばっかで、驚くが、蕎麦天ぷら鰻寿司は、価格を度外視すれば、やっぱ、旨い。云うなれば、江戸の400年(260年)の平和が生み出したのは、これらの食いもんと、らんちゅうやらの金魚と朝顔ぐらい。鳩時計は生み出せなかった。浮世絵とかあるけど、明治に入ったら、ほかして燃やすわ、外人に売りとばすわ、価値は、当時の日本人には、わかんなかった。つい最近になって、それも、外人がスゴいいうもんだから、その気になってるだけ。ほんとにスゴいものなら、明治維新ぐらい乗り越えているはず。時代のせいにしたらアカン。単に感性が鈍かったのは否定できない。

   しかし、国道沿いに住んでわかったことは、実は「ヤンキー」は滅んでいなかったという恐るべき事実である。まだ、バリバリやんけ!
 爆音というか轟音というか、うち、木造家屋なんで、家の前通ると、エンジン音と一緒に家全体が共鳴するから、困る。
 しかし、ヤンキー、下手すれば50年以上も、その「ヤンキー的なカッコ良さ」を継続させて来たわけで、根性はある。渋谷のハロウィンも早晩、今の成人式がそうであるように、ヤンキーによるヤンキーのためのイベントになるだろう。
 
   まあ、隣の高校が、ヤンキー、それもかなり強力なヤンキー校(おおおお!!!うまい表現を思いついた!)であったし、その高校のライバル校(注 高校ではない)も存在してあれやこれややっていたみたいなので、以来、いかに「ヤンキー」及び「ヤンキー的なもの」を遠ざけるかが、オレの人生のテーマとなったことは、みなさんご存知のとおり。そう、ヤンキー全盛時代、「非ヤンキー的な不良」をやる、というのは、苦労するものなのだ。

 しかし、その後の人生でヤンキーがいない筈の場所(例えば、大学、会社、その他いろんな集団)にいると、いつの間にか、そこが「ヤンキー的なもの」、つまり、ヤンキー的な価値観、に支配されていることがある。
 そういうときは、気が付かれないように、そっと、去ることにしている。
 メリットもあって、ニューヨークでもジャマイカでも、バリでも台湾でも、「あ、ここヤンキーっぽいな」と思ったところは、近づかないか、早々に立ち去ることにしてたので、かなりヤバいと云われる地域に踏み込んでも、安全に、おいしいとこだけ、味わうことができたりした。そうなのである。実は、ヤンキーは世界中におる。ヤンキーがアメリカにもおるのは驚きだった(ちょっとベタすぎる洒落)。


 ・・・いつものオレなら、ここから、日本歴史や世界歴史を遡り、「ヤンキー的なもの」で再構築し、その「ヤンキー的なもの」を徹底的に罵倒し悪口いい、勢いづいたところで、そのパワーを今度は、自らに注ぎ込み、「わが内なるヤンキー的なもの」をえぐり出し、「ま、しゃあないな」という結論に持っていくとこだが、しんどいので、それだけのパワーあらへん、ま、しゃあない。

 ・・・果たして、素盞嗚命が、ヤンキーの始まりなのだろうか? われわれ日本人は、まず、そこから、もう一度歴史を考えてみるべきなのだ。   

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