2018年7月29日日曜日

追悼 東海林修先生

 今日はさすがに、台風の影響か、浜にはおねえちゃん、500人ぐらいか。

 ここ再開し、さっそくプレッシャーに襲われている。だいたい、ここ再開したきっかけのひとつは、4月30日東海林修先生の逝去である。

 亡くなった、東海林修先生(https://ja.wikipedia.org/wiki/東海林修)について、何か書いてみたくしょうがなくなったのである。
 
 そうなんである。
 東海林修先生に関しては、かなり前、東海林修ファンクラブ初代会長さんとやりとりがあり、当時は、歌謡曲における「編曲」の重要性、いや、編曲がどういう作業かも知らなかったオレに、手とり足とりするようにいろんなことを教えていただき、そのたんびに、びっくり仰天していた。

 のみならず、1969年日活映画「愛するあした」(音楽東海林修監督斎藤耕一主演伊東ゆかり松原智恵子)を観せていただいたりした。ファンクラブのHPはすばらしく、氏の業績がきちんとまとめられていた。
 単にオレが、このブログに、例によって例の如く、多分、伊東ゆかりの「愛する瞳」聴いて感動しまくり、それを書きなぐったヤツがきっかけだ。
 メールをすぐにいただき、嬉しかった。

 

 あと、当時は歌謡曲ばっか聴いてた時期で、「ソフトロックドライヴィン」シリーズ、通して聴いていると、ひっかかるというか、「あ、も、いっぺん聴きたいなあ」と思う曲のほとんどが、「編曲東海林修」であったりした。

 「伊東ゆかり「愛するあした」、伊東ゆかりとグリーン・ジンジャー「Green Ginger Flying」、岡田恭子「どんなふうに」、坂本九「雨あがり」、トワ・エ・モワ「特別な望みなどないけれど」などの作品は『ソフトロック・ドライヴィン』シリーズ(1996年 - )に多数収録され、時代を越えて高く評価され、昭和ブームの火付役のひとつとなった。のちに作曲家・村井邦彦により「クリーンで緻密」(DVD HIT SONG MAKERS〜栄光のJ-POP伝説 村井邦彦編)と語られた東海林修の音楽は、アイドルからベテランまで多くのアーティストを育み、日本のポップス草創期を先導した。」(Wikipediaより)

 グループ・サウンズ中心に聴いてた頃なので、もし、あのメールで東海林修先生、「編曲」について教えてもらわなかったら、と思うと、ゾッとする。グループ・サウンズにひと通り聴いた後、歌謡曲を過小評価したまま、ジャマイカの音楽に溺れてたことであろう。ぱっと世界が広がったのを覚えている。

 ただ、あまりにも、東海林修先生は「巨人」過ぎる。アホに何かができるとは思っていない。ただ、一つできるとしたら、歌謡曲だけでも、遺された膨大な量の先生が作曲ないしは編曲された曲を、ひとつひとつ、ちゃんと聴き、その感想文をここに書いていくことかな、と思う。

 伊東ゆかり「愛するあした」。めちゃくちゃエエ曲やろ。

 

 心より追悼の意を表します。合掌。

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