うちの家は長田神社の氏子ということになってるそうで、当然、毎年行っとかなアカン筈なのであるが、なにせ、遠い。しかも、小学校時代、通学路に、綱敷天満宮はあるわ諏訪神社はあるわ、初詣はもちろん、毎朝、前を通るたんびに頭下げていたので、まさに天神さんのご霊験あらたか、ご覧のとおりオレはカシコになることができました。
諏訪神社は小学一年の時、賽銭パクったことあるんで、まあ、ちょっと天罰受けてますけど。
アホな事云うてると雷に打たれるんで、長田神社に戻ると、本殿の奥に、奥社というのか、お稲荷さんがあるのだが、ご神体がクスノキの木、大きなクスノキがある。しかも、由縁を読むと、ある日、巨大な赤鱏(アカエイ)が苅藻川を遡って来て、その場所でクスノキの木に変じたということで、赤鱏断ち(つまり、エイのヒレとか喰わないことだと思う)してお参りすれば、願いが叶うらしい。絵馬にもエイの絵が書いてあった。しかし、長田の海というか、駒ケ林の海にエイとかいたのだろうか(あ、大阪湾にはいるみたい)。
長田神社、由来を読むと、西暦200年あたり神功皇后の云々があるが、長田神社の「元宮」というのは、オレの家から歩いていける距離、旧国道の昔須磨警察署あたりにある。だから、もともと、神功皇后云々というのは、須磨での出来事となるのだが、そうなると、「須磨」そのものが昔、「長田」だったということになる。まあ、明治以前は須磨も長田も人口少なく、なーんも無かったそうであるから、あの元宮あたりから長田が始まっていたのかもしれん。
(もう、おわかりかもしれませんが、司馬遼太郎の「街道をゆく」を気取ろうとしてますけど、ちょっと失敗してるみたいです)
かつては境内には数百の鶏が飼われており、外国人からは「チキンテンプル」と呼ばれていた。その由来から祈願の際には、境内に鶏を奉納したり、鶏の絵馬を捧げる風習があった。そしてかつては氏子は鶏肉や卵を一切食さない、また、婦女の歯を鶏の羽根を用いて染める風習があった。
・・・しもた、今日、鶏の唐揚げ喰うてしもうたがな。