2012年8月28日火曜日

「高校紛争-1969-1970」読書感想文


高校紛争-1969-1970-「闘争」の歴史と証言-小林哲夫

 スワローズ、ボロ負けの様相を呈してきたので、読書。読み終えたので、もう、すぐに読書感想文にしとく。すぐ書かな、アホやから、何日か経ったら、殆ど忘れてるもんな。例によって文章、ところどころ乱れるだろうが、しゃあない。

 大学紛争中の「高校」での紛争を事細かく記した本。まあ、この手の本はオレは大好きなのである。


 最初に著者の経歴チェックし、「あとがき」で確認。なんか、今の反原発運動に、高校生の「政治活動禁止」をからめてる・・・・あ、年下なのに、あっちがわの方ね。選挙前になったら、ミニスカ制服の女子高校生から、誰それに入れてね、とか云われたら、「入れる」ってつい云うてしまうと思う。オレは、やっぱ、高校生の政治活動は禁止した方がいいと思います。

 まあ、オレは高校時代から、ナショナリストでウヨクウヨクした、どうしようもない人間なので、あっちがわの方の本を読むコツは心得ている。まあ、あっちがわの方の本なら、こっちがわのツッコミを入れつつ読む。こちとら、阪神タイガースというイデオロギーで支配されたスポーツ紙から、ヤクルトスワローズを読み取る、という、資本論から、新自由主義を学ぶより難しいこと、日常的にやっているもんで、へーっちゃらである。


 オモロい。当時、全国のたくさんの高校でおきた「高校紛争」をできるだけ、事実に基こうとして、かなり詳しく書いてある。著者の主観がところどころ混じるが、そんな「悪質」なものではない。無ければ、もっとオモロカッたと思う。
 
 オモロい。まあ、思想的なややこしいこと全部度外視すると、実際、ワシらの世代はそれをしてもエエと思うから100%度外視すると、そっから見えてくるのは、「どうやって、高校をフルで遊べるか」というマニュアルとしてだ。マルクスか毛沢東かトロツキーの思想くっつけ日本そのものが悪いということにしたら、なんでも、オーケーというのは、今も、あっちら方面の方々そのもの。

 オモロい。読んでいると、時折、あの時代を総括するにはまだ時間がかかる、とか寝ぼけたことを云うてはる。こういう、あからさまに、しらばっくれる、から、オレなんか、イヤになる、あの世代って人は。


 簡単なことと思う。
 大学紛争でも同じなのだが、その「遊んだ」何年かに、何人、殺傷した?、なんぼ損害出した?、どんだけ、税金使った?、のべ何時間かけた?(オレは優しいから、なんぼの人の人生狂わせたまでは云わない)で、結局のところ、どんだけ、楽しめたの?、それだけだろう。答え一発、カシオミニ。5秒でできる。


 器物損壊はお手の物、校長や教師を吊るし上げる、高校の一室、もしくは高校まるごと、占拠して夜通し好き勝手する、封鎖だ封鎖。機動隊と思い切りケンカ、それに飽きたら、外へ出て、みんなでデモしていい汗かこうじゃないか。オレ、ワタシを縛り付ける校則や教師やテスト、いや日本の教育システム自体、いや、日本そのものが「悪」、「悪」は破壊してもいいし、ぶっ殺してもオーケー、だって、「悪」さえ無くせれば、革命成功、すべてあらゆるものが「善」の世界が待っている。その世界をめざして「悪」と闘うオレってカッコいい、「悪」に屈しないワタシって美しい・・・。究極の遊びである。もう少し安上がりに遊べた気がするが、「今、革命に参加しているという快感」は見当もつかんので、チャラなのかもしれん。まあ、なんとか、数値に置き換えて、答え一発、カシオミニ。5秒でできる。

 まあ、青春の思い出はプライスレス、それをごっちゃにするもんだから。
 この一番肝心なところ、この本も書いていない。

 こういう視点で書かれた学園紛争モノが皆無なのは、おかしいと思う。必ず、当時暴れた誰それが、その後の人生のあれやこれや、時にウェットに書かれている。高校時代、遊びきったんだから、つまりイソップでいうとキリギリス状態になるのは、しゃあない。小池真理子の本、絶対読まない、と思った。

 なぜか、高校の紛争、それも、校則を改定しろ、やらの紛争なのに、なぜか、既存のセクトが介入してたりして、不気味過ぎるわ。まあ、そもそも、戦後というか、共産党の方針転換によって、うじゃうじゃできた、サヨクのセクトなどややこしさはいろんな本で説明してあるが、アホなので、わからん。「信長の野望」のコーエーに是非とも、「サヨクの野望」という、どのセクトが無事革命成就できるかのシミュレーションゲームを作って欲しい。各セクトの規模や動員力、機動性、強さ、他セクトの相性とか。

 アマゾンレビューに投稿したら、多分、あの「参考になったと投票しています」ちゅうとこ、「X人中0人」確実な感想文になった。夏休みの宿題の「読書感想文」なら、不可まちがいなし。まあ、そいでいいのだ。


 著者並びに当時の関係者諸氏には不快な文章になったかもしれん。お詫びはしないよ。

  オレの母校では無いが、すぐ近所の高校、1970年、よど号ハイジャック事件の高校生メンバーを出し、その半年後には、その高校の正門前で紛争のあれやこれやで焼身自殺者を出した。当時、ハレンチな万博小学生だったオレは、近所のことゆえ、モロにズキーン! 極端な光(当時、よど号ハイジャック事件は小学生にとりカッコ良かった)と影。だから、こうした本読んでも、上に書いたような風にしか読めない身体なの。


  「おおきなもの」と戦おうとしてたのは、わかる。わかるが、アンタたちもまた別の何か「おおきなもの」に操られていたのではなかったのか?
 そして、なんで、「サヨク」だったの?

過去記事Archive