2008年3月6日木曜日

の・ようなもの

 春ですなあ・・・と云いつつ、今日は寒かった。こちらでは、いかなごの季節。  ちょっと最近、動画を観とるので、感想文書きにくい。今日は、「の・ようなもの」(1981年 森田芳光監督の・ようなもの - Wikipedia)を観た。なんか、ちょっと前までDVD化されておらず、そのつもりでいたが、なんのことはない、近所のレンタル屋のぞいたらあった。
の・ようなもの の・ようなもの
秋吉久美子 伊藤克信 尾藤イサオ

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 この映画、メッチャクチャオモロい、というわけじゃない。だけど、大好きである。  ひとつは、70年代のこの手の日本映画(十九才の地図やら青春の殺人者やら遠雷やら祭りの準備やら)、暗くて貧乏くさく理屈っぽく暴力っぽく、それなのにしっかり女優だけは脱がせているもんだから、タチが悪い。スケベ心で観る方が悪いが、それでも、「単なる犯罪者が何ウダウダ云うとるねん」ちゅうツッコミしたら、そいで終わってしまう、あまりにも当時のオレとはかけ離れた主人公ばっかで、しんどかった。  まあ、この映画は落語家の二つ目の話で、もちろん、そういう友人や知り合いがいるわけではないけど、まあ、フツーにそこいらにおりそうや、ちゅう感じが非常に新鮮だった。  ストーリーもだれ気味だと思うし、風呂屋の男湯の脱衣場で女性が着替えているとかいったおもわせぶりな小ネタシーンが多く、途中で鼻についてくる。こういうとこが、好きな人もおるんだろうが。オレはダメだ。  大好きなのは、主人公が深夜から早朝にかけて、東京の堀切駅から浅草雷門まで(42.195キロと映画では)ひたすら、歩くシーンが、もう、めちゃくちゃいいからだ。人はおろか、クルマも殆ど通っていない、夜明け前の街を「志ん魚(しんとと)」がしんととしんとととリズムとり歩きながら、二枚目の落語家らしく、目に映る光景を次々と訥々という感じで、描写していく。現在(1981年)の光景に、ほんのちょっぴり落語の世界の薫りが漂ってきて、エエ。一度同じコース歩いてみたいと思ったけど、そのまんま27年経ちました。
「怪物のような荒川鉄橋をこぼれないようにクルマが走るのが見えるぞ」しんととしんとと。 「トランペットのべんちが聞こえない不気味な静けさ 深夜料金のバッチが光るタクシーが北千住方向へダッシュする その反対方向42.195キロにオレのアパート」しんととしんとと。  「東武と京成を乗せた綾瀬川を渡り お化けが出そうな鐘ヶ淵へ向かう 延徳寺を左へ折れようとする 昔はここらへんでカネボウ美人が作られたという」しんととしんとと。  「祭り提灯に誘われ抜け道を入ると 神さまは4畳半のせまさの中で明日を待つ」しんととしんとと。 「花薬師の駅前通りを歩行者が約一名 やけに目立つのかビニールの花が歓迎する」しんととしんとと。 「○○街道に入ると昔ながらの商店が蚊取り線香の匂いを立ててディスプレイしている。地下足袋一ダース380円○○焼き60円さくさくした○○クリーム100円、ひといき入れたい」しんととしんとと。  「三十過ぎの芸者衆と40過ぎの浮気男が向島の屋根の下で寝ている。もうそろそろ夜が明ける。夏の朝は○○が云うように早い」しんととしんとと。  「カラスがかあかあ飛んでいる、吉原上空に向かうのか 明烏 聴いてますか志ん生師匠、吾妻橋のビール工場まであと息。リバーサイドのジョギングコースを何故か歩く」しんととしんとと。  「隅田川の風が吹いてきた 眠そうにブレーキかけた東武線が隅田川をわたる ○○のビール工場は世界の終わりのように静かだ」しんととしんとと。  「吾妻橋を渡ると仁丹塔が見えてきた 浅草雷門に入る 観音様、しんととが朝一番でやってきました」 「人形焼きの匂いのない仲見世は淋しい、思い出の花屋敷に足が向く、いまごろどうしているだろう 国際劇場の踊り子たちはどうしているだろう」しんととしんとと。 
(以上 例によって、聞き取りで書き出してみた。細かいとこ間違えとると思うが、まあ。)  で、ようやっと、たどりついたら、彼女が、原付で、ちゃんと待っててくれるのね。イイなあ!  あと、まあトルコ嬢役の秋吉久美子もカッコ良く、一説によれば以降のその業界の人たちがこぞって真似したという(未確認)。

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