2016年4月3日日曜日

4月3日

 近所の桜も満開。スワローズ、今日は負け。でも、原樹理が成長していっているのでよしとする。


 Amazonで、ザ・テンプターズのボックスセット、買おうかどうしようか、迷っているうちに、ついに、入荷待ち、つまり売り切れてしもうた。持っているアルバムと重複がかなりあっての、2万弱は、しんどい。あきらめがつき、すっきりした。中古で安くなったら、手に入れよ、プレミアムつくようなら、あきらめようっと。

 たしかに、春になっているんだろう。また、「音壁Japan」に入っている曲ばかり、聴いてしまう。ほんま、なんで、音楽聴くだけでこれだけ、罪悪感に似たもの感じないとアカンのか、と思う。本当に。何度か、もう、このアルバムについてはここで触れている。けど、今日も触れる。


 




音壁JAPAN

 このコンピレーション聴いていると、ほんとう、日本人の歴史以来、一番、アホでバカな世代は、実はゆとり世代じゃなくて、ワシら世代じゃないかという、思いを強くする。カモ世代というか、カモネギ世代というか、ちょっとしたコツさえ覚えれば、ナンボでも入れ食い状態で釣れる。
 その「ちょっとしたコツ」の音楽編は、きっと、このコンピレーションには、つまっているんじゃないか。

 じゃないと、このコンピレーション、17曲が入っているが、17曲ことごとく、涙ぐまんばかりに「いいなぁ」と思うわけがないのである。しかも、聴くうちに、悲しいあるいは、哀しい、恋愛体験の多かったオレですら、「ああ、あの頃はもう二度と戻ってこないんだなあ」と遠いウソのノスタルジーにかられながら、パステルカラーで、灰色に近い過去を塗りつぶし、美化した青春を懐かしもうと、する。バカである。

 フィル・スペクターという人がおって、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」とか、こうした音の出し方(モノーラルだった)で、胸きゅんの名曲をたくさん、作った。50年代終わりから60年代半ば頃まで。

 その音の出し方、どういう感じかというと、全部の楽器がほぼ同音量でドバーッと来る、それを「音の壁ウォール・オブ・サウンズ」と呼んだ。

 日本でも、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」は、ほぼ、リアルタイムでは、弘田三枝子(私のベイビー1963)麻生京子(あたしのベイビー1962)伊東ゆかり(ビー・マイ・ベイビー1964)とかが、漣健児の訳詞でカヴァーされている。

 他にもGSでは、ザ・スウィング・ウェスト、アウトキャストがカヴァーしているし、70年代には、辺見マリ、そして、大好きな、安西マリアのビー・マイ・ベイビーもある。



 

 こうした、いわば、カバーの系統とは、別に、ど真面目にフィル・スペクターサウンズに影響を受けつつも、あらたな、要素を加味して、和製ウォール・オブ・サウンズを作ったのが、大滝詠一(と、言い切ってしまう)。

 どうしようもなく「懐かしい」音なんだけど、けっして、古臭くない。
 胸きゅん、するけど、それは、かなりインチキってわかるんだけど、胸きゅんの深さに負けてしまう。ワシら世代は、その誘惑に抗することはできないのである。ウソでもいい、インチキでもいい、そして、音にハマるついでの駄賃に、歌詞の世界の価値観で、自分の記憶すら、書き換えてしまう。アホな世代。

 大滝詠一の「新しいウォール・オブ・サウンズ」で、あざとい作詞家松本隆に世界を作らせ、歌謡曲史上一番あざとい歌手松田聖子に
「頬をつねってよ 夢じゃないのさって」
と唄わせる。
だいたい、松田聖子が
「黙りこくってたら退屈な女の子だって言われそう」
っていうんだろ?
 ダマサれんぞ、と抵抗を試みるも、聴いているうちに、ええ、ダマサれてあげます、いやダマサさせてください、状態になる。おみごと!「錆びついた線路を歩いたの あなたの上着にくるまって」で、とどめ。稲垣足穂ちょいと入れてるとこが、クサくてたまらんのだが、それすらも、吹き飛ぶ。


 1981年松田聖子「一千一秒物語」。下の動画は、別のバージョン。



 さて、さて、須藤薫の「つのる想い」に及んでは、その、あざとさ、の、鮮やかさに、「参った、参った、こりゃ一本取らましたなあ」感に陥ってしまう。作曲小西康陽。

 1989年という、かなり遅れたウォール・オブ・サウンズ。

 松本隆の情景描写で世界をオシャレなものにしていくんじゃなく、単に、一途に、「あなたに」想いをつのらせていく。

 それだけの歌詞なので、松本隆+松田聖子という、あざとさの権化のあとには、清涼感すら覚える。これ、50回以上も聴いているぞ。


 さて、あざとさでは、荒井由実(松任谷由実)も忘れてたらアカン。作詞作曲荒井由実「二人は片想い」。1976年。「夢で逢えたら」が1977だから、それより、早い。

 ポニーテールという売れないフォークグループ。鈴木慶一率いるムーンライダーズの妹分とかになってる。

 まあ、女性グループで、どうせ、ルックスたいしたことないグループだろう(と推測する)に、モテない女性唄わせたら世界一の荒井由実が曲をつける。
「仲が良すぎて私達 一人の彼を愛してた わかった時は口惜しくて 口もきかずに帰ったの」
 ・・ああ、女の友情ってせつないなあ、で、振った男に腹が立ってくる、だいたい、おんなのこのオーデコロンの銘柄指定するような野郎じゃあるめぇ・・・。最後ハッピイエンドでホッとしているオレがいる。恥ずかしい。

   1992年の、もう、オレなんかとおおおおおっくに、青春期をぬけて、清々したところ、ず~~~っと年上の杉真理は性懲りもなく「夏休みの宿題」みたいな、あざとい、あざとい曲作るもんだから、つい・・。

 「こっそり海に潜って 泣きべそかいてたなんて 世界一の寂しがり屋さん」「麦わら帽子かぶって ホット・ドッグかじっていると まるでふたりは幼なじみ」だぜ。ええ年したオッサン(杉真理)の分際で、ようこんな恥も外聞もなく、書けるわ・・・と思いつつも、「君をこんなに愛しているよ そうさ認めるよ本当さ 今まで会った誰よりもずっと」 のサビに至る頃には、涙ぐみながら、そうさ、認めるよ、本当さ、今まで聴いた曲より、ずっと、好きになってる・・・こんなん、反則やないか(ニコ動のリンクしかなかった)!!!

 
   上の世代の草刈り場というか。上の世代から、いいように搾取されまくっておるなあ。ワシら、アホの世代、「感性」のある部分、ちょっとでも責められると、イチコロやで。ウソで胸きゅん。

 少年時代は、講談社と円谷プロに貢げるだけ貢ぎ、思春期を迎えたら、ブルース・リーが流行ればカンフー、アイビーが流行ればアイビー、サーファーが流行ればサーファー、パンクが流行れば、パンク、テクノが流行ればテクノ、ツートンが流行ればツートン。青春期だけでもこいだけ、変移しているのである。それも、なんかの精神的なもんがあってじゃなく、周りを見て、ないしは、ポパイかホットドッグプレスを見て、である。もちろん、ヤンキーやモッズや50’sのオプションも用意されている。あと、なーんもせんでも、オタク(ヲタクじゃなく)の称号がデフォルトでついてくる、マ。マ。マイジェッ。ジェッ、ジェネレーション。


 ここまで、『音壁Japan」聴きながら書いたもんで、耳がさすがに疲れた。まだ、曲残っているけど、また次の春。

 ザ・フーの「マイ・ジェネレーション」聴きながら、寝ることにする。まあ、ホンマにアホなのは、オレだけかもしれんが、つい、オレの世代全部巻き込んだけど、それくらい、いいでしょ? 
  

2016年3月31日木曜日

3月31日

 東京ヤクルトスワローズ、引き分け。終わった瞬間、電話代払ってなかったことに気が付き、コンビニに駆け込む。


 まあ、フツー、延長に入って押出しとかしたら、負けてあたりまえ、引き分けでも良しとせなあかん。うん、そうだそうだ、きっと、そうだ。阪神タイガースさんの新人高山某に花を持たせて、それも、持ちきれないぐらい花を持たしたる、ちゅう、「こころの野球」もできたし。あーよかったよかった。
 でも、疲れ果てていることは誰にもかくせはしないだろう ところがオイラは 何のために こんなに疲れて しまったのか?


 あーこの気だるさはなんだ?(もちろん、モップスの「たどりついたらいつも雨ふり」作詞作曲吉田拓郎)ま、気分は、じっさい、今日の試合みていると、「今日という日がそんなにも 大きな一日とは思わないが それでもやっぱり考えてしまう」で今季のスワローズ。


オレんとこは10末だから関係ないが、世の中のほとんどは、年度末、ツイッターつらーーーーーーーーーーっと見ていると、元アイドリングの三宅ひいちゃんが、31日付で事務所卒業、芸能界からも、卒業すると(ブログもう閉鎖されているみたい。で、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160331-00000527-sanspo-ent)。
 一期生元2号とは同じ事務所であり、2号卒業後は、2号の持っていた、一番しんどくて、損するばっかりの、でも、アイドルグループに必要なある「機能」をたったひとり引き受け、いろんな誤解とか受けまくっておった。「推す」ほどではないが、応援しとったんだ。「5年後の再会」で、元2号と会った時の、いい笑顔は忘れられない。で、元2号は今何しているかと思えば、昨年の夏頃のブログで座禅に凝っているとか、きっと、座禅して、何か、悟りを開かれたのか、今年に入ってからは、なんの音沙汰もない。うぅん。  ・・・てな、にわかの、リンガーですらない人間がある種の感慨に耽っておると、PASSPO☆がらみのツイッター、思わず、吹き出してしまう。

 母PASSPO☆。
“母PASSPO☆”電撃結成!「娘たちを有名にするために、母が有名になる」M-ON! Press (@mon_press)

 なんやねん(笑)。エイプリルフールだから?でも、発表は昨日だった。もちろん、メンバーの母親引きずり出しは、アイドリング!!!がもうやっているけど、今度はほぼメンバー全員の母(なちゅ母はNG)だそうだ。
 PASSPO☆は、なんか、わけのわからん領域に、ワシらを連れて行こうとしているんじゃないか?まあ、武道館にみなさんを連れて行ってあげます、とかよりは、ええ。

2016年3月30日水曜日

3月30日

 ようやっと、東京ヤクルトスワローズ、今季初勝利。山田哲人の3連続ホームラン以来である。よかったよかった。  風邪は治っていないが、まあ。

2016年3月26日土曜日

3月26日

 東京ヤクルトスワローズ、負ける。まあ、負けるべくして負けたとしか言いようが無い。

 昨季から、投手不足、それもかなり深刻なのが、キャンプオープン戦で、ルーキーの原樹里ぐらいしか出てこなかった。これから、持っている戦力、やりくりして、なんとか、勝ちパターンを創っていくとこから始めなきゃアカン。ちょっと、(時間が)かかるかもしれん。ただ、勝ちパターン作ってしもたら、どうせ、なーんも考えないで、勢いだけで、飼っているチームには負けるわけがない。

 で、中継そっちのけで(こういうとこ、今年のオレは冷淡で行こうと思う)、アマゾンプライムにあった(くれぐれも、Amazonの回しモンじゃありませんよ)「夜のヤッターマン」、12話全部、観た。
 おもしろかった。Amazonレビュー見たら、最終話までは不評だが、こういう設定はオレが一番好きな設定、つまり、正義=実は悪だったというのは、大好きなんである。魔王ルシフェルがかつては大天使であったような感じ?こういう設定、魂が震えるほど、好きである。
 正義が悪に勝った瞬間、超強力な悪に変貌する、というのは、歴史にはザラにあるし(ヒトラーだって毛沢東だってポル・ポトだって、みんな正義だったんだ)。
 それで突き通してしまうのかな、と思いきや、最終話で、どんでんがある。みんながよかったよかった、という最終話が逆に納得いかんわけです。オリジナル観ていた時も、ドロンジョ一味にいっぺんぐらい勝たせたれよ、と思ってたから、ようやっと、本懐遂げるのかな、がちょっと肩透かし。堕落した旧ヤッターマンを新ヤッターマンがやっつける、でもよかった。で、また、いつの日か、その新ヤッターマンも・・・。
 

 何度もう言うように、オレがアニメに苦手なのは、アニメの女性に発情できん、という致命的な欠陥があるためである。
 でも、9歳の女児がドロンジョというのは、ちょっと、がっかりした。でも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、好きになった。
 新田たつおの「怪人アッカーマン」、読んで寝よっと。  

2016年3月25日金曜日

3月25日

 スワローズ負け。まあ、しゃあない。

 風邪をひいたんで、昨日今日と、おとなしくしてた。うーん。一シーズン2回も風邪ひいたらアカン。風邪こそが、人類の敵、そして、人生の無駄である。我々人類はいかなることがあろうとも、風邪との戦いを放棄してはならないのであーる。あーエエこというた。
 風邪で寝込みながら、アマゾンプライムで、ダニエル・クレイグの007シリーズ(今、「慰めの報酬」観ているとこ)を観る。もちろん、おもしろい。アクションだってストーリーだって、そりゃスゴい。ただ、あまりにも、設定をリアリティに持っていてるため、別に007シリーズじゃなくても、いいじゃん、と思ってしまう。うーん。やっぱ、007ぐらいに登場する悪役は、世界征服を企んでないと困る。月に秘密基地作ってたり、日本の一つの島丸ごと要塞とかしてくれんとなあ。それに、あまりにも、シリアスなので、007に憧れ、スパイになりたいと夢を持つちびっ子が減ってしまわないか、心配である。

 あと、「カジノ・ロワイヤル」も、なんかわけのわからんようになっているけど、黒幕は、ウッディ・アレンに決まっとるだろう。「慰めの報酬」で出てくるんかなあ。
 おそ松さんのへそくりウォーズ、ステージ50クリアしてしまう。十四松とカラ松のマカロン手に入れたのが、大きかった・・・てなこと云うててはあかんのであるが。

2016年3月22日火曜日

3月22日

 また、風邪気味。2月にもらった、風邪薬のあまりを飲む。手を洗ってうがいしよっと。

 iPadProの画面ちいさいヤツ出たか、iPhoneの安いヤツ出たか、と。
 で、OS X El Capitan 10.11.4 アップデート、iOS 9.3 アップデートはすんなりいったものの、バージョンアップ後のiTunes(12.3.3)が「iCloudにミュージックライブラリーにアップロード中」とかやり始めて、これが、すんなり、いけばいいのだが、何を考えてるのか、2時間経っても、こういう状態だ。
 Cursor と iTunes
 2時間で、500曲。別に、iPhoneとかiPadで聴くこと無いし、でも、AppleMusicの曲、マイミュージックにできないし。うーん。なんだかなあ~。

 Twitter、つらーーーーーーーーーーっと見てたら、アンドレア・キャロルの「IT HURTS TO BE SIXTEEN」(1963)のYoutubeへのリンク貼ってくれてた方がおり、聴きまくる。そいで、Apple Musicで探すとちゃんとあり、今度はそっちを聴きまくる。胸きゅん。
 ググッて見ると、バックのコーラス、シフォンズだとか。あと、なぜか、竹内まりやの「なみだの16歳」がひっかかり、あっあっあっと、思い出す。けど・・やっぱ、オリジナルが一番。


シフォンズのカバーも見つける(但し、AppleMusicにはないみたい)。
 

 あーエエ音楽聴いた。

2016年3月20日日曜日

3月20日

 リー・ペリー御大、今日、80歳の誕生日。おめでとうございます。

 昨年末あたりの、自宅全焼事件のニュース、つい、笑ってしまってすみませんでした。だって、2度めでしょ。まさに、1回めは悲劇として、2回めは喜劇として。
 今年に入ってからは、またもコンサートにお忙しそうで何よりです。23日からドイツツアーがんばってください。
 御大とほぼ同年代の小池一夫がTwitterでもっともらしいことツイートしては、若い子たぶらかしてるけど、オレはジジイになったら、リー・ペリーみたいになりたい。ボケたら、もう、朝から晩まで、そして死ぬまで、「Dreadlocks In Moonlight」(https://www.youtube.com/watch?v=kjPL2oCrddM)くりかえしてくりかえして聴いてやるんだ。
 


   最新=最高、最新=大好き、と思えなくったら、おしまい。こういう感じね。大昔の話だ。もちろん、「大阪で生まれた女」の節でみんな唄ってやってくれ。

 踊り疲れたダンスの中、これで青春も終わりかなとつぶやいて
 18インチウファー ながめながら
 低音やせたなと思ったら泣けてきた
 ジャミーズで育ったオレやさかい、ジャミーズの音を、よう捨てん。
 スタラグで育った男やさかい、エクスターミネーターには、ようついていかん。
 踊り疲れたダンスの帰り
 BujuのRing The Alarmがしみついた夜(注 その夜は、このブジュとテナー・ソーのヤツ以外、オレがハマれる音がなかった)


 たどり着いたら、スタラグの音 
 Ring The Alarm回して、また消して(この時聴いたのは、テナー・ソー、オリジナルの方)
 テナー・ソー思い出しながら
 終わりかなと思ったら、泣けてきた


   ジャミーズで育ったオレやけど、ジャミーズの音に飽きよう。
 ジャミーズで育った男やけど、
 ダブにはついて行こうと決めた
 たどり着いたら、どルーツの世界
 ど低音でヘッドフォン震わせた夜。


 ジャミーズで育った男が きょう
 どルーツ聴いちゃうけど、
 ダンスは今日も活気にあふれ
 また、どこかで、DJが生まれる
 ふりかえると、そこは、赤黃緑の世界
 青春のかけらすら、燃え尽くしてくれた音
 青春のかけらすら、燃え尽くしてくれた音


   
・・・・美化したった。もともと、ジャミーズ全盛時代から、スカからダブからルーツから聴いてた。当時はみんな、そう。  これは某店の大晦日のオールナイトのパーティでの話。オーナー、MC連中、客のほとんどとは顔見知り。でも、人生で味わったこと無い孤独を感じた。だって、みんな盛り上がっているのに、オレだけ、覚めてるの。もちろん、ちょっと頼めば、オレの好きな音楽ばっかかけてくれる時間作ってくれただろうけど、それは、それで、もっともっと淋しい。最新=最高、最新=大好きと思えなくなったオレが一番悪いのだ。

2016年3月18日金曜日

3月18日

 ヘタリア、オレも読もうっと。

 雨。
 改築中の家が完成に近づいたのはいいが、打ち合わせが疲れる。
 打ち合わせと云っても、たくさんのカタログを見ながら、あれそれを決めていくだけ。・・だけなんだが、情報過多で、わけわかんなくなってくるわけで。しかも、なんか、このところ、金銭感覚がおかしくなり、実際、今回、選んでいて気がついたが、トイレの便器はMacPROの価格帯と同じ、LED照明は、iPad Air2の価格帯とほぼ一緒、台所やバスルームなんか行こうもんなら、もう、油断すれば、ベンツやBMWの世界である(もちろん、安い安いやつにしました)。おそろしいことである。エアコン関連もおそろしい。
 同世代のみんなは、オレがジャマイカの音楽や昭和歌謡やゴーゴー喫茶のミニスカにかまけている時、こういう修羅の場を経験していたんだろうなあ、と思う。

 この前、映画監督村川透の評伝読み、松田優作主演の遊戯三部作見なおそう、とか殊勝な優等生みたいなこと書いてた。でも、実際見ようと、アマゾンプライムでちょっと見始めて、あっと驚いたが、松田優作とかなると、古臭くて、とても見ちゃいられないのである。もっというと、懐かしすぎるのである。もちろん、映画そのもの、つまり、松田優作並びに出演者及び監督の村川透スタッフが「古くさい」のではない、あくまでも、オレの個人的なアレである。観てて、当時のオレはあーでこーであーなってこーなってが、ぼこぼこ湧いてくる。人間、過去を振り返るようになったら、おしまいだ。

 前の感想文で書き損ねたけど、ほんと、限られた予算、限られた期間で、最高のアウトプットを出し続けるということは、オレも全然ジャンルは違うがそういうことしてたので、本当に、困難で、ともすれば、「限られた予算、限られた期間で」だけで、汲々し、すべての力を出し尽くして、しかも最低のアウトプット(不良社員のオレだけかも知れんけど)が常で、そして、おそろしいことに、それだけで、満足し、感性的な部分完全に麻痺しちゃうのが、フツー(くれぐれも、オレの個人的な体験で、一緒にやってたヤツはみなさん優秀であられました)なのだが、村川透監督は、逆にその限られた状況の中で、むしろ「感性的な部分」を増幅させてしまう。やっぱ、スゴい監督だと思う。

 まあ、遊戯三部作、ちょっと保留、ちゅうことですわ。
 
 だって、だって、1959年の「石原裕次郎」を、観てしまったからからだ。
 ああ、なんちゅう、笑顔、だ。スクショ撮りそこねているけど、まあ、こういう感じね。

  Cursor と 男なら夢をみろ GYAO ストア
 チャンネルNECOオンデマンド 日活映画月額見放題の「男なら夢を見ろ」(日活1959年監督:牛原陽一)
 この映画での裕次郎は、よく笑う。ほんと、よく笑う。
 映画としてのうんぬんかんぬんよりも、当時の日本人がみんな夢中になった笑顔。カッコいい。
 この笑顔があるために、ケンカのシーンなんかでの凄みが増幅され、また、許されてしまう。(まだ、湘南のリアル不良から日活に入って、2,3年)。
 男も女も、そして映画も、笑顔が一番やで(と、唐突な結論)。

2016年3月16日水曜日

3月16日

おめでとうございます。


 影浦ゆんちゃん、Twitterフォロワー数、瞬く間に、1万超え。3/7の8,000からあっという間だった。やっぱ、スゴい。うれしい。あのポテンシャルの高さを、全開バリバリに活躍できる場が増えることにつながるかもしれないので、わくわくする。もちろん、1万人のライバルができたわけだが、それは、同時に、心強くもある。でも、ツイッターのフォロワー数増やすと決めたら、ちゃんと、やっちゃうもんなあ。

      

2016年3月14日月曜日

3月14日

 今日は映画の話題。オンリー。数日かかったんで、なんか、変なとこありまくりかもしれんが、ファーストインプレッションということで。だから、云うて、しんどいから、クレームついても書き直さへんでぇ。



映画監督 村川透 和製ハードボイルドを作った男


「映画監督 村川透(和製ハードボイルドを作った男)」読み終える。
ちゃんとした書評とか、わかりやすい感想文は、Amazonレビューや、その手の方のブログなりTwitter等探してくれ。オレはまともには書けない。

 おもしろかった。ちゅうか、日活(アクション)の香りというか匂いというか、味というか、テイストというこか、なんちゅうのか、そういうもんをよくぞ、ず~~~っと、今の今まで、残しておいてくれたものだ。「さらばあぶない刑事」の監督である。 
それに、かなり刺激的な本だった。

 ドラマ版の「あぶない刑事」が始まってまだ、試行錯誤状態での、くだり、「村川(透)さんは日活の王道舛田(利雄)組で、長谷部(安春)さんは、鈴木清順派らしいからね」(P226)というのを読んだ時、ハッと気づき、ため息をついた。読み方、間違えていた・・・。

 オレは、読み違えていた。
 山形出身の村川が日活に入ったものの営業で、いっぺん退社してから、制作に入り直し、苦労して、助監督になり、苦労して、舛田利雄の助監督になり苦労して「トラ・トラ・トラ」でも苦労する、あーえらいな、オレにはマネはでけんな、やっぱ、関西人とはちがうわ、じゃ、アカンかった。村川透、エラいエラい、銅像建ててもらえ・・・。

 浅はかだった。
 日活の映画そのものを自らに叩き込んでいたのだ。
 そうなんである。

 オレの認識では、日活アクションは「紅の流れ星」を最後に60年代後半からは「ニューアクション」と変えたものの、1971年の日活ロマンポルノの登場を持って、「死」を迎えたものとばかり思っていた。だって、矢作俊彦がそう書いてたもーん。

 いや、日活ロマンポルノ時代になっても、東映と寅さんが全盛になっても、スター・ウォーズが来ても、21世紀になっても、2015年になっても、連綿と、ず~~~っと、村川透監督作品に、日活アクションは生き続けていたのだ(と、考えてみることにする)。

修正。
(と、考えてみることにする)->かっこ取る
と、考えてみることにする ->みること、取る。
と、考える。
日活アクションは生き続けていたのだ、と考える。

「映画監督 村川透(和製ハードボイルドを作った男)」の、もう、感想文じゃない。

 日活アクションの衰退については、いろいろ云われているが、ズバリ、「赤木圭一郎」の早すぎた死である。彼の死以降、日活アクションの担い手として、渡哲也がどうにか、という感じで、とてもじゃないが、赤木圭一郎の代わりにはならなかった。だから、ダメになった。いい俳優はもちろん、出た。高橋英樹も、いい。でも、日活アクションのスタア向きではなかった。

 するてぇえと、だな、70年代に現れた「松田優作」に、「赤木圭一郎」を見た・・・というより、「赤木圭一郎」の死でぽっかり開いたポジションがようやく埋まった、と興奮した層はかなりあるのではないか。

 ここまでは、もちろん、推理・・・いや妄想である。

 するてぇえと、オレが、何をしないければならんかというと、遊戯三部作を、観直すこと、それも、70年代の「日活アクション」として、観直してみなければならないわけだ。

 めちゃくちゃ、しんどい。だって、小林旭も石原裕次郎も赤木圭一郎を知ったのは、松田優作より、ず~~~っと後なのだ。

 しかも、遊戯三部作なまじ、リアルタイム(もしくはヴィデオ化されてから)で見ているもんで、それを今更、「日活アクション」として観なければならない(と、しんどそうに書いているけど、実はへーっちゃら、好きな映画なんで、フツーに観直せばいいだけ、ちょっとだけ、日活アクション意識して、あ、あ、あ、あ)。あと角川の「蘇る金狼」と・・・あ、「野獣死すべし」は、面倒くさいから、観直さんとこ。リップバンウィンクル。

 と感想文書く、つもりが、わけのわからんもんになってもた。
 まあ、それだけ、この本がオレにとり刺激的だった、ということだ。
 それに心配するな、ちゃんと、榎木兵衛氏、この本に登場している。

 映画関係者にメッセージ、スカッとする映画、カッコいい映画、カッコいいアドリブが飛び交う映画、これからも、作ってくれ。そいだけでエエねん。

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