この前、小中高大学まで一緒但し予備校は除く、の友人と話していて思い出した。
そうなんである。オレは問題を抱えているんであった。しいて、名前をつけるとしたら、「中井英夫『虚無への供物』問題」であろうか。
根は深い。うん十うん年前、オレは大学に入った。そして、某サークルに入った。サークルというより研究会だ。なぜか、その最初の集まりは4月も終わりになって、そう、ちょうど今頃、連休前のことであった。
待たされたわけで、もう、うれしいて、うれしいて、オレはテンションマックス、勇んで行った。
1979年のこと、であった。
そのサークルというか研究会、女子は一人もおらんかった。まあ、それでも、テンションマックスである。
自己紹介の時、好きな作家のことを熱弁した。何せ、テンションマックス、ハッタリ、大風呂敷、そして好きな作家の好きな作品を喋れるもんだから、マシンガントーク、この状態知っているヤツは知っているだろうけど、今でも酔った時、20回に一度ぐらいそうなることがあるが、そうか、もう酒やめているんだった。
最初、こういうノリを見せておけば、あと、ふわぁっとしてても、ぽけーっとしてても、なんとでも、なるのである(実際、教養のクラスでは最初、いっぱつ、こういうのかまして、オレが大学でやりたいこと、周知徹底させておいたんで、ろくすっぽ授業受け無くても、テストになると、みんなが手とり足取り面倒見てくれた)。
雑談モードに入り、やはり、同じもんが好きな人たちのあつまりだ、まったりとした心地よい時間が流れていった。
(たいしたことないじゃん)ナメてしまったかもしれん。
遅れて、その人は現れた。三回生か四回生か、覚えていない。いい男っぽかったが、ちょっと童顔で背が低かったと思う。新入生が名前だけ名乗った後、その人はおもむろに、自分の鞄の中から、読んだばっかりだったのだろう、ぶあついぶあつい講談社文庫版「虚無への供物」を取り出した。
「ねぇ、これ読んだ人いる?」
新入生を見渡した。その時のいたずらっぽい目。嗚呼・・・・。
中井英夫「虚無への供物」。日本推理小説三大奇書の一つである。
「ドグラ・マグラ」は高校か浪人の時、一回読んだあとそのまま二回目読み始めるというぐらい、文体のノリだけに惹かれ大好きになり夢野久作全集買い込んだぐらいだが、黒死館殺人事件は、まあ、外国語の原書を読むノリで、わかんないとこ、とばしとばし読んだら読み終わってもナンノコッチャい状態、読破していたものの、「虚無への供物」はまだだった。
そして、新入生誰も読んでいないということがわかってから、「虚無への供物」の面白さを語り始めた、
(この人、「虚無への供物」、推理小説として読んだんじゃなく、SFとして読んでる・・・)
それはすぐにわかった。
その先輩はスゴかった。
そして、「虚無への供物」をネタに他の先輩もヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター(プログレっぽい音を出すロックグループ)なんかを持ちだして加わる、翻訳志望の方は、原書しか出てない作品出したりして、加わる。おそらく、本来のそのサークルというか研究会の通常のノリを魅せつけてくれた。
これが単なる雑談なのだ。
他の先輩も、それぞれ、カッコ良かった。自分のテリトリーを持ってて、そこに引きずり込むわけでもなく、そのテリトリーがずっぽり出てしまうわけではなく、足し算、自分のテリトリーを絡めていき、広げていこうとしている。
内容はわからんが、楽しさだけが、ビンビン伝わってくる。
「アカデミックやのぉ」
これぞ、大学。まさに、大学。うーん、マンダム。
ひと通り終わった後、その先輩は再びカバンに「虚無への供物」を入れながら、オレのしょうもない質問に答えてくれた。何を訊いたか覚えていない。
「・・・うーん、最近、SF読まなくなったから、分かんない」
そして、デートの待ち合わせがあるというので、そのまま、笑顔一発残して、去っていった。
SF研で「SF読まない」だぜ、カッチョええ、良すぎるやんけ。
オレは、打ちのめされた。
いや、敗北感というより、罪悪感である。
(SF千冊読んでいないのに、SF研はいってもた・・・)
1979年当時、SFファンは1000冊SF読まなアカン、という不思議な、暗黙の了解みたいなものがあった。
(やっぱり、千冊ルールというのは、ホンマやったんだ)
家帰って読んだSF調べたら600冊弱であった。
あと400冊読まなアカン・・・でないと、カッコつけられない。
そして、以降、授業はサボりまくり、ストイックにパチンコ行って設けたお金を持って、古本屋めぐりをして、SFを買いまくり徹夜で読みまくり、原書に手を出したくなかったんで、「虚無への供物」もSFとして読めるなら、片岡義男も村上春樹も村上春樹もSFじゃい理論と、雑誌も一冊に数えるというズルして、どうにかこうにか、ついに、400冊読破し、1000冊になった。
読破した途端、なんちゅうかほんちゅうか、SFに飽きてしまった。
そういうもんであろう。
まあ、読んでいた600冊は純粋に楽しみで読み、400冊は義務にかられて、知識を得るため、読んだという見栄のため、読んだだけだ。オレの読書歴には、400冊は入れられない(もちろん、400冊の半分以上はオモロい本だったけど)。
また、飽きても飽きても、好き、そっから、突き進む、という状態にはなれなかった。
挫折というより、この大学時代のほぼ費やして読んだ400冊こそ、まさに、虚無への供物、というヤツじゃないだろうか。400冊分の「虚無」。
人生ムリしたらアカン。これでいいのだ。
やがて、学部に入り、SFに挫折したオレは、SFにグレてしまい、SFには見向きもしないで、クルマ乗り回して、女の尻を触りそこないながら、遊びまくりました。
学部のクラスも、GさんとF君が超存在感があって、ある意味、カルチャーショックあったけど、それは無視して、遊びまくりました。
中井英夫の「虚無への供物」、読んだる、と言う勇気は当時も今もない。・・・勇気じゃないな、あの先輩みたいに「虚無への供物」を面白がって読める「力」が、まだ、無いだけなのだ。