ボロ負けの3連敗。9連敗時のチマチマした負け方じゃないので、まあ、良しとせなあかん。
昨日、負けた後、夢野久作の「犬神博士」、何十年ぶり(オレもこういう時系列を語ることができるのであーる)に、読む。まさに、愉快・痛快、奇々怪々。スカッとする。
まさに、主人公の犬神博士の幼少時代のチイちゃんと一体化して、心の中で、はしゃぎまわって、読んだ。読んだあと、スポーツをした後に感じるのに似た爽快感にひたる。本を読んだ後の感じではない。未完なのであるが、この読後の爽快さは、すばらしい。角川文庫の場合、解説先読んだら、ぜったいオモロイ小説とか思えないので、最初からは読まない方がエエ。のっけから犬神博士のこてこての九州弁による名調子を楽しむうちにドッとひきこまれていく。
「ドグラ・マグラ」とは真逆の世界と云えるかも知れん。
7才あたりの女装のチイちゃんが当時のオトナの世界、それも博打打ちやら芸者さんやヤクザや知事や右翼の大物たちを持ち前の深い観察力と小さなからだで、引っかき回すわけだから、ツマランわけはない。
最初読んだ時は、レゲエも聴いていなかったし、今のように歌謡曲の知識なんぞ殆どなかったから、読み飛ばしていた部分、今回、読み返してみて、明治初期頃の、「芸能人」というものがいかなる存在だったかというのを再認識できた。この前、「日本の下層社会」ちゅうのを読んでただけに、当時の「芸能人」の生活ぶりがわかって、興味深かった。女親が三味線、男親が鼓とヴォーカル(といってもこの夫婦はチイのホンマの両親ではない)、でチイちゃんは女装したダンサーちゅうわけだ。天才的な踊りのチイちゃんとかなりの名手である男親の間には、いわば音楽的な共感があるのであるが、このあたりの描写の巧さは、さすがに夢野久作ちゅうもんや。
ということで、今回読んでいて、一番、ノリノリになったのは、知事をはじめとする福岡の名士たちが一同勢揃いした座敷での、酔っ払った7歳児のチイちゃんが、ノリノリで踊りまくり、ほぼ全員がそのノリに巻きこまれ、やがて、お座敷のみんなが音楽的な狂気のまま、踊りまくっていくとこであった。ただ悔しいのは、「かっぽれ」あたりはオレも知っているのだが、この小説でほぼテーマミュージックと云って良い「アネサンマチマチ」がどんな曲かわからんのが、悔しかった。歯がゆかった。
な、な、こうまで書かれたら、「アネサンマチマチ」聴いてみたくなるちゅうもんや、で。イヤ、踊りひっくるめて観てみたい。何故かと言うとこの「アネサンマチマチ」は巡査が絶対に来ない村でしか遣らない一曲であった。つまりこのアネサンマチマチの一曲までは頗る平凡な振り付けに過ぎないので、普通の女の身ぶりで文句の通りのアテ振りをして、おしまいに蚊を追いながら、お尻をピシャリとたたく処で成る程とうなずかせるというシンキ臭い段取りになっていたのであるが、しかし是はその次に来る「アナタを待ち待ち蚊帳の外」の一曲のエロ気分を最高潮に引っ立てる前提としてのシンキ臭さに外ならなかったのだ。だから、お次の「アナタ待ち待ち」の文句に入ったら最後、ドウニモこうにも胡麻化しの絶対に利かない言語道断のアテ振りを次から次に遣らねばならない。そうしてそのドン詰めの「サチャエエ。コチャエエ」の処でドット笑わせて興業を終る趣向になっているので大方男親の手製の名振付だろうと思うが、タッタこの一句だけの要心のために吾輩が、いつも俥屋の穿くような小さな猿股を穿かされているのを見てもその内容を推して知るべしであろう。恐らく吾輩が好かない踊りの中でも、これ位不愉快を感ずる一曲はなかったのである。
[From 夢野久作 犬神博士]
しかし吾輩が如何に芸術的良心を高潮させてみた処が、一円銀貨の権威ばかりはドウする事も出来なかった。今更に最初の約束が違うと言っても追付く沙汰ではなくなっていたので、泣く泣く男親の歌に合わせて「アネサンマチマチ」を踊ってしまって、ビクビクもので茣蓙の上にペッタリと横坐りしながら「アナタを待ち待ち」に取りかかっていると、まだ蚊に喰われないうちに、果せる哉、群集のうしろで、
「コラッ」
という厳
いか
めしい声が聞こえた。同時にガチャガチャと言うサアベルの音が聞こえたので、吾輩はすぐに踊りを止めて立ち上った。群集と一緒に声のする方向を振り返った。