2018年10月14日日曜日

平成30年10月14日 「応仁の乱」からの室町

 菅野智之選手ノーヒットノーラン達成、おめでとうございます!(東京ヤクルトスワローズファンやっていると、人間修行になりますわ、いや、ほんま)

 
 あかん。「室町」にハマってしもうたがな。
 「応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書」)(呉座勇一著)で、畠山義就の存在のデカさに驚いた。負けても負けても、歯向かっていく。かっちょいい!日野富子なんか、脇役の脇役じゃないか。

 最新の研究を元にした「応仁の乱」で味をしめたんで、観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い (中公新書)(亀田俊和著)で、先祖代々「南朝びいき」にもかかわらず、ついに、「朝敵」足利尊氏の苦労についホロリとしてしまい、これじゃアカンと南朝研究の最前線 (歴史新書y)読み始めたが、これは、今の研究がどのくらい進んでいるか、という研究者たちが書いたヤツで、かなり、オモロい。だが、当たり前だが、知らん人名ばっか。これじゃアカンというので、この本に紹介されている闇の歴史、後南朝 後醍醐流の抵抗と終焉 (角川ソフィア文庫)を読んだ。後醍醐天皇のあれやこれやから、義満の一応の南北朝合一まで、60年。そっから、「後南朝」と呼ばれる時代がほぼ90年。かなり頑張って(?)一時は三種の神器奪還に成功したりしとる。

 谷崎潤一郎「吉野葛」や小松左京本邦東西朝縁起覚書 (ハヤカワ文庫JA)で有名な自天王の悲劇のあたりは、胸がきゅんきゅんしてしゃあない。中学の頃読んだ「本邦東西朝縁起覚書」の感動、今も続いているのだ。

   まあ、いい。なにか、一朝「事」があれば、菊水の旗の元、家の子郎党ひきつれて(湊川神社あたりで、エエんかな?)に参ずることは深くオレの心に刻まれてるし、今のオレの興味は「室町時代」だ。
 ここまで、読んだところで、そもそも、室町幕府の事、オレはなんも知らんということに気がついた。

 戦国時代になると、それぞれの戦国大名の規模がわかるし、信長や秀吉家康、北条氏康や佐竹義重、斎藤道三等、キャラ立ちすらしているのだが、足利基氏や上杉禅秀となると、皆目わからん。いや、そもそも、「関東公方」「関東管領」すら、実のところ、わからん。徳川幕府の頃の感覚で、つまり、「石高」でその大名のだいたいの実力がわかるという時代では、まだない。何千人何万人単位の「乱」なのか、百人未満の「乱」なのかも、わからん。

 ちゅうことで、読むばかりじゃしんどいので、図説 室町幕府で、理解を深めた・・・つもりになった。

 そいで、調子に乗り、関東戦国全史~関東から始まった戦国150年戦争 (歴史新書y)読んだら、同族同士のまさに血で血を洗う争いの連続、性が同じで似たような名前の同族同士が争うのだから、読んでて、どっちがどっちかわからなくなり、もう、拷問に近い。武田氏も千葉の武田氏がでてきたりして。
 だいたい、関東公方足利政氏はなぜか、息子高基と戦い始めるし、関東公方ですら、そのうち、鎌倉におられないようになって、古河公方になり、小弓公方や京都から堀越公方やら。関東管領も複数存在するし。もう、めちゃくちゃ。北条早雲(伊勢)や北条氏綱、佐竹義重とか、が出てきて、ほっとした感じ。上杉政虎の管領就任あたり、ちゃんとした戦国時代はエエもんだなあと思ったほど。

 そいで、ちょっと大きく、征夷大将軍研究の最前線 (歴史新書y)読み、再び、初期室町幕府研究の最前線 ここまでわかった南北朝期の幕府体制 (歴史新書y)で、読んだ。

 で、ここまで、今の最先端の室町研究本いろいろ読んで、オレの中の網野善彦史観というか、異形の王権 (平凡社ライブラリー)、でイメージされた後醍醐天皇像ががらがらと音を立てて崩れていきました。網野善彦の後醍醐天皇はカッコよかったのに・・・。
 また、室町の王権―足利義満の王権簒奪計画 (中公新書)での足利義満像も変わった。話が逆、つまり、北朝側が、お金目当てに、義満利用した感じ?だったのか。
 実は贔屓の「南朝」、特に「後南朝」もちょっと・・・。

 でも、今、「室町」の研究は、どんどん、進んでいるようで、つまり、どんどん、新しい事実が見つかっていたり、史料の検討が進んでいるようで、わくわくする。また、今までの通説がひっくりかえされていくのも、痛快である。
 

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