2018年10月11日木曜日

マーガレットの「逢えば好き好き」

 しかし、昨年96敗したチームが、今季貯金9もでき、しかも、2位になれるなんて、信じられるわけないだろう。そう、萬屋錦之介の「夢でござる。夢だ、夢だ、これは夢でござある」の世界である。阪神タイガースさんは最下位か・・。プロ野球はおそろしい。
   
 まあ、どういう感じなのか? うーん、たとえ、いろいろ考えたのだが、蕎麦屋に入って、せいろう蕎麦だけでエエのに、せいろう蕎麦単体と値段があまりにも変わらないんだから、というセコい動機で、つい、つい、つい、「せいろう蕎麦定食」頼んで、せいろう蕎麦、美味しくいただいて、残った、定食用の「かやくご飯」をどうしようか、思案しているという感じだろうか? そいで、その「かやくご飯」が案外旨かったというところだろうか。

 音楽の話である。

 なんか、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと思っていたが、日本の音楽は、いや、英米の音楽は、いやジャマイカの音楽もそうだから、つまり、「人類」は音楽の発展の方向を、蕎麦の充実に向けず、おまけの「かやくご飯」に竹の子入れたり豚肉入れたり入れて、凝りまくり、ついに他の店に負けないように、無理して無理して高価な「松茸」入れることを最終目標に、努力してきたのでは無いだろうか? そして、消費者でわれわれも、つい、蕎麦屋に来たことを忘れ、「かやくご飯」の具や味の優劣で、ジャッジしてきたのでは無いだろうか。
 そして、ある日、蕎麦だけ喰って、その旨さに、あわてふためく。
 
 前回、久々に聴いた、小畑ミキ「ジェーン・ジェーン」(1968 作詞小畑ミキ 作曲中村泰士)書いた。もちろん、昔一時期アホみたいにリピートして聴いたが、アホなので、しばらく聴かなかったら、聴き飽きたことすらすっかり忘れており、アホなので、その、どシンプルさ、に眠っていたオレの中の何かが目覚めたほどである。
 今からちょうど50年前1968年とかリアルタイムではもちろん知らん。ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと経って、ようやっと、後追いで聴いた時、「オレハナニヲシテイタノダロウ???」感にとらわれたものである。オレが音楽に求める「新しいもの」は、未来にも現在にもなく、「過去」にあったのである。
 
 そして、今、「ひとりGS」(女性歌手のバックをグループサウンズがつとめる)を聴きまくっているのだが、聴きまくってちゅうても、小畑ミキのちょっとぶりっ子アイドル路線、でも、どパンク、どガレージの「あなたが大好きよ」と、そして、やはり、マーガレット(+バニーズ)の「逢えば好き好き」(1968 作詞ささきひろと 作詞寺内タケシ)! この3曲繰り返して聴いてる。
 


 「逢えば好き」、じゃなく「逢えば好き好き」なのである。
 小畑ミキ「ジェーン・ジェーン」のように、「I LOVE YOU」と「ジェーン・ジェーン」と「はーい、愛してる」で、歌詞の8割以上占めるということは無く、いっちょ前に、ストーリーがあるものの、どう考えても肉食系の若い男女が、デートしながらも、ふたりとも下心びんびん、でも、あくまでも、相手が仕掛けてくるのを待っているという、ストレスのたまる状況。そのストレスを100%歌にぶち込んだマーガレットの唄い方である。「好き好き好き」と連呼し、「すがりつきいてみたいけど」と声を張り上げ、本音、叫ぶ。「すがりついたれよ」といういつものツッコミ忘れ、なぜか、オレの胸は、きゅん。でも、感傷にひたる間もなく、ギターが嵐のように吹き荒れる。このパターンが繰り返され、最後、「I LOVE YOU」連呼なのだが、らるーらるーらるーとしか聴こえない!
 2分23秒ほどの曲だが、完全集中、全力疾走。すばらしい!

 まあ、これほどすばらしい曲ですら「心的飽和」、つまり、「飽き」からは逃れられない。蕎麦だけ毎日喰ってたら飽きるのと一緒で、だから、かやくご飯つけたりするのである。
 最初、音楽はあくまでも、「蕎麦」だったが、あれやこれやあれやこれやあって、何十年も経ったら、「かやくご飯」の部分だけが重用視されるようになってしまったんも、無理はないかもしれん。でも、やっぱ、うまい蕎麦喰いたいやん? うまい蕎麦探すと、どうしても、50年も過去に遡らないとアカンというのは、困る。

 わけのわからん喩えすると、わけがわからなくなる。今日はここまで。
 そやから、最近は、蕎麦屋では、蕎麦しか食わないんですよ。


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