2017年4月28日金曜日

なんと!恋のサイケデリック 鈴木いづみ

 ブログで育った男やさかい、ブログをよう捨てん、ブログで育った男やさかい、ツイッターへはようついていかん。
 いくでぇ。

 51C2wkNJ09L SX347 BO1 204 203 200本の自炊、やってて、お!これこれこれよこれこれと思うヤツがやっぱあるわけで、思わず読みふけってしまう。
 
 鈴木いづみの「恋のサイケデリック」(恋のサイケデリック! (1982年) (ハヤカワ文庫―JA)
 今はこっちで読めます鈴木いづみコレクション〈3〉 SF集(1) 恋のサイケデリック!
)である。
 1982年(文庫本出版時)なのである。
 しょっぱなの短編「なんと!恋のサイケデリック」は、おそろしいことに、ザ・デイビーズの「恋のサイケデリック」の歌詞の世界にインスパイアされたと思われる「SF」なのだ。

 まあ、当時、オレ、読んで、どう思ったのだろう? アホだったんで、覚えていない。もちろん、SFとして読んだので、多分、ここに出てくるグループサウンズの数々まで、鈴木いづみがでっちあげた架空のもんかと思ってたかもしれん。そう、1982年当時、グループサウンズは闇に葬り去られ、無かったことにされた、ジャンルであった。
 自炊して、読んで、狂喜乱舞した。

 出てくる出てくるグループサウンズ、それも、B級GS、いやもう、カルトGSとして後世、再評価されまくる名曲の数々が。
 そして、GSとは何か、というものに、ばっさり、次のように。
 「ひとくちでいえば、音楽性はわけがわからない。無内容の極地。・・・・・今現在のルースターズやモッズがGSよりおちるのは、ある程度の音楽性はあるからだ」

  GSは「無内容の極地」・・・いやあ、スカッとしますな。まさに、だから、好き。

 小説には、ちゃんと、1971年ゴールデンカップス末期というか解散状態に、ゴールデン・カップスのグルーピーを引き継ぐシーンとかあって興味深いが。
 あまり小説の感想を書きたいというより、鈴木いづみのグループサウンズの聽き方、というのが興味があって、一応、作中にでてくる、主にグループサウンズの曲名と、グループ、主人公れいこの感想を抜き出してみた。実は数カ月前からちょぼちょぼやってたんだが、抜けとかありまくるし、Youtubeで元歌リンクしたいのだが、それやると、いつになるかわからないから、とりあえず。  GSだけじゃなく、小説の書かれた頃の、YMOやらストレイ・キャッツとかも出てくる。

 以下、曲名、グループ名、作中での主人公の感想等。例によって、抜けとかあるけど、ごめん。()はBGMだったりする曲。

 恋のサイケデリック ザ・ディビーズ

   

 君に会いたい ザ・ジャガーズ

 恋はもうたくさん ザ・ダイナマイツ 
  ダイナマイツの「トンネル天国」のB面。A面よりはるかにすぐれている。(じつは、バックはスタジオ・ミュージシャン)リズム&ブルースで、しかもシャウトしていない。わざと。歌い出しは「キザなセリ   フで恋におぼれた」という。うわっ、と声をあげて、れいこはよろこんだ。そのつぎは、ずうずうしくも「おまえの好きなおれのくちびる」だって。いいわ、いいわ。このうねぬぼれさかげんが、まさにちやほやされている男の子という感じで。グルーピーが寄ってくるのを「うるせえな!」とけとばしている。泣くのは女の子なのに、本人がつらいみたいに、うまく、ごまかしている。女の子は最後に「おれのからだ」にすがりついてくる。 

 君だけに愛を ザ・タイガース あなたが欲しい ザ・ハプニングス・フォー 
  上品ぶった少女趣味が全盛だった。

 愛のリメンバー ザ・バニーズ
  「「恋はもうたくさん」 ザ・ダイナマイツ、『愛のリメンバー』 ザ・バニーズうわーッ、すごーい!ほしかったのよ、こういうの。どうしたの?持ってなかったでしょ、こんなレコード」

 エミー・マイ・エミー ザ・ボルテージ
  このヴォーカルの声質がよかったのよね。ショーケンのまねして。

 (午前三時のハプニング ザ・ゴールデン・カップス)
 (モージョワーキン、スプーンフル、ショットガン、59番橋の唄、ブラック・イズ・ブラック )

 哀愁でいと 田原俊彦
 君に贈る言葉 田原俊彦(+近藤真彦+野村義男) 土下座するしかない。負けました。かないません。かんべんしてください。

 (オレは武田鉄矢の贈る言葉のカヴァーか、と思ったらちゃいましたわ・・・。動画観て、オレも同じこと思いました。かんべんしてください!)



(狂った果実、エスピオエナージ アリス) れいこはわらいころげた。のたうちまわった。画面を指さして「最高、最高」と叫びながら。

 マイ・ラブ、マイ・ラブ ザ・ヤンガース
  息を詰めて歌ってるような、密度の高い引き締まった声質、非常にきれいなヴォイスだ。テクニックもすぐれている。「わたしGSには抵抗できないのね」

 恋よ、恋よ、恋よ ザ・タックスマン 
  どうしようもなく強力だったアリスのイメージは、ここでぬぐいさられた。

 ダンシング・ロンリー・ナイト ザ・ジャガーズ 
  ジャガーズのリード・ギターの沖津ひさゆきは、日本でファズを使った。曲は「ダンシング・ロンリー・ナイト」・とたんにミキサーがとびだしてきて、「アンプがこわれてる!」と叫んだ。

 (出船、とおりゃんせ、母の歌、子守歌 ジ・オックス)  (もう一度人生を ザ・ゴールデン・カップス)

 (あなただけを ジェファーソン・エアプレイン)
 (ふたりのシーズン ゾンビーズ)
 (絶望の人生 ポール・バターフィールド・ブルース・バンド)
 (シーズ・ノット・ゼア ザ・ゾンビーズ)
 (ラブ・ポーション・ナンバー・ナイン ザ・サーチャーズ)

 涙のランナウェイボーイ ストレイ・キャッツ  夕日(陽)と共に ザ・ワイルドワンズ

 ライディーン YMO 
  吐き気がする。

 東風 YMO
 これなんですか スネークマン・ショー
 ケメ子の歌 ザ・ダーツ
 帰って来たヨッパライ ザ・フォーク・クルセダーズ
  「わたしはちっともよくないわ」「どうして?おもしろいじゃない!」「だってコミック・ソングだから。ひとをわらわせるためにつくってるからよ。まじめにやってて、それこそいっしょうけんめいに本人たちはやっているけどわらえる、ってのが一番おもしろいわ」

  
 鈴木いづみの1970年あたりの動画。この1年後、ゴールデン・カップスのグルーピーになるんか・・・。長編「ハートに火をつけて(誰が消す)」の方がそこいらは詳しい。

 

2017年4月24日月曜日

4月24日

 春、なのに、寒いぞ。
 ガンガンに自炊(本の自炊)、する。
 歌謡曲番外地やらの、Hotwax系の昭和歌謡やら映画関連のムックというか雑誌というか、も、エイヤッとやってしまう。
   鯛を喰いたくなり、なぜか、兵庫の和田岬あたりの、店(https://www.ekimae-group.co.jp)に行って、桜鯛の丼喰う。780円+消費税。今、調べたら、チェーン店だったのね。実は先週の日曜日、見つけて、海鮮丼食ったのだ。
 桜鯛の丼、ごまだれで半分喰ったら、お湯かけて食えというので、そのとおりする。明石海峡の鯛じゃなくて、なぜか英虞湾産。まあ、旨かったが、柔らかかった。明石海峡は海流が早くて急なので、筋肉質だが、英虞湾で甘やかされてるんだろう。ふにゃっとしてた。まあ、旨かったから、いい。でも、やっぱ、噛むと反動が返ってくる明石海峡の鯛、喰いたい。今は旬。
 ひょいと見ると、サザエの造りが380円(税別)だったので、つい頼んでしまう。こっちは、レモンかけたら、ぐにゅ、と動いた。

 そいで、ハーバーでこの前喰った、長田本庄軒というとこの焼きそば、ゲソトッピングしたやつ、旨かったんで、長田のどこにあるのか、調べたら長田区には無かった。謎。

 なんか、オレの知らないところで、神戸の食文化が大きく変わろうとしている感じがする。

2017年4月18日火曜日

4月18日

 昨日の嵐で、ほぼ、桜が散ってしまいまいした。
 実は、その散った後の桜の花びら掃除するのが結構大変で、家の前の道路が桜並木の宿命なんだけど、数年前、老木のデカい桜が樹木医が来てどうたらこうたらで、切り倒され、代わりに、オレの背丈ほどの桜になったんで、楽になりました。大木の時なんか、クルマのエアフィルター(エアコンのフィルターじゃなくエンジンへの空気取り込み口のフィルター)まで、桜の花びらでびっしり、だったし、家の前の雨水用溝も、桜だらけ、散った後の葉っぱになぜか、毛虫が大量に発生したりして、油断していると背中へポトリと落ちてくることがあります
 須磨は、しょぼいけど、一応、桜の名所だけど、こういう苦労があるのです。


 某所で窪園千枝子が話題になり、無性に「しおふき小唄」が聴きたくなり、Amazonで調べたら、入っているのは下のアルバムだけらしい。
 カバー聴いたところ、歌詞はともかく、けっこう、小唄小唄していて、いい感じ。
  
(禁断)エロチカ!歌謡SHOW



 思わず発作的にクリックしようとしたが、テイチク音源のオムニバスで他の曲、けっこう、重複するので、考慮中。

 かつて、通販限定で「魅惑のムード秘宝館」6枚組が出ていて、これは、日本コロムビア、日本クラウン、キング・徳間ジャパン、テイチク、東芝EMIBMGフォーライフとほぼすべてのレコード会社網羅したスゴいもので、テイチク音源に限ってだけでも、渚まゆみ「アイ・ラヴ・ユー」、小宮あけみ「オン・ザ・ロック」、三条魔子「シルバーフィズの夢」とかは、エロいというより、洒落ていて、ほんのりした色気が漂ってきて、いい感じ。今も、クルマで愛聴しまくっている。(YouTube、ニコ動ともにありませんでした)。
 

2017年4月15日土曜日

4月15日

 桜、満開。さすがに、葉桜になりつつあるが、まだ。今年は、寒かったりしたんで、けっこう、花保ちが良いというか。仲良くさせていただいている方が風邪をお引きあそばされ、ちょっと落ち着かなかった。

 本の自炊、順調に進んでおり、もう少しで1,000冊の大台にのる。
 でも、まだ、それですら、3分の一いや五分の一、いや十分の一かも・・・、と思うと気が遠くなってくる。

   本を捨てられない性格の人間、というのは、かなり多いと思う。

 面白かったら、また読もうと思うし、つまらなかったら、つまらないのは自分が至らぬせいで、きっといつの日か面白く読める日がくる、とか思ったり、しょうもない本でも、しょうもないなりに、これまた不思議な愛着がわいてくる。かくして、部屋のスペースは本に占拠され、いらぬ、家族間の摩擦の原因となったりする。

   ブックオフなんかで、バイトの本とは縁の無さそうな方に、バーコードでピッピッと流れ作業で買い取り価格が決められ、それも、ホンマ、10円20円とかバカにしたような値段でお引き取りくださるので、大キライである。それなら、いっそのこと、別れを惜しんだ後、燃えるゴミに捨てた方がマシと考えてしまうタイプである。
 
 本を自炊すれば、ま、こういうことから解放されると思ったが、膨大な時間がかかった。
 ま、一応、こういう感じで作業進めている(あんな変な帽子かぶってません)


 ただ、上の作業が終わり、PDFにしたあとも、表紙をつけたり、してる。
 Scannerのモードで「グレイ」でやっているが、表紙とかはたいていカラーなので、あえて。
 昔は、アドビのAcrobat、一丁前に使っていたが、Macの「プレビュー」だけでできることを発見し、以来、ずーっと、「プレビュー」。
 軽い早い。

ざっとこんな感じ。
 こっからは、動画、オレが作ったんでわかりにくいと思うけど、まあ、こんなもんだと、ざっくりと。

 RURIKOという本の本文はグレイモードでScannerし、カラーモードでスキャナーした表紙を加え一つのファイルにする。なんでこんなややこしいことするかというと、カラーモードでやると、本文の方の黄ばみやらもカラーで写ってしまうので、それがイヤだから。

 
 その後、MacのPDFをiPadのi文庫HDの方で読めるように、ファイル転送。



iPadでのi文庫HDでの調整。表紙を決めたり、右開き(日本の本は全部右開き)、左開き(外国の本)の選択とか。

2017年4月5日水曜日

4月5日

 女性の和服が最近気になってます。全然、わからんかったけど、あるお方のおかげで、徐々に、わかるようになってきた。ありがたいことです。襷とか使うとけっこう機能的みたいだし。オレも街で和服の女性に注目していきたいと思いますが、心ならずも、目つきがやらしくなってしまうので、長い時間かけて。最初は、映画とかで、意識して和服の女性を見とくことにしましょう。成人式の日わかっちゃたような野郎とは、口をきいてやんない!

 このところ、ネットで、「凄い方」に出会うのが多く、うれしいことです。Showroom(最近ご無沙汰気味)でも、ソシャゲでも、凄い方、がおられます。ソシャゲやShowroomのイベントでは、そうした方たちと一緒に、雑魚なオレも同じ目標に向かって一体感感じながら、は快感です。凄い方々は、ともすれば、課金の量とかテクニック、と思いがちですが、ちがいます。かける情熱の量がハンパないのです。

 ツイッターでも、個人で自分の時間を使ってやってる方には、思わず敬意を払ってしまいます。考えぬいたTweetを毎日のように連投なされたりします。そうした方たちの中で、オレと感性のあうTweetなされている方、めちゃくちゃカッコいいオシャレなTweetなされている方、せいぜい、いいねというかファボ押して、こちらの感動みたいなものを伝えたいのですが、たくさんついた「いいね」の一人に過ぎません。ネット的にコミュ障なので、レスも恥ずかしいのでようつけない。
 そうした方と個人的なメールのやりとり、とかできたら、どれだけしあわせなことでしょうか。一生ないとあきらめていますが。もしあれば・・

 今日は、ジャズを聴いちゃったんで、なんとなく、ほんわかして、DJ Algoriddimのミックス感想文はやんぴして、スワローズも負けたみたいだし、このブログについて書いてみようと思います。

 このブログはもともと、飲みに行くのやめたんで、かなり暇ができたので(飲みに行くのやめたんだから、お金もできるはずだが、なぜかできない)、やりはじめました。
 アルコールめちゃくちゃ弱いのに、仕事終わってからの中ジョッキ一気飲みが大好きというアホでした。
 特に、東京時代、酒飲みの会社におり、同期2名がその会社でも1,2位に挙げられるほど強く、また、心底アルコールが好きでした。なーんもしないで、えんえん、何時間も、ひたすら酒飲んでいるだけで、満足してしまう人間は、生まれて初めてみました。

 そいつらと、中ジョッキ一杯でぐでんぐでん、以降6時間は、寝たり起きたりの、男が一緒に朝までハシゴ、とか、アホです。もちろん、寝落ちしつつ、ですが。
 その後、一晩中ジョッキ一杯が限度のクセに、いろんな会社での誘いがあればホイホイついていき・・、何軒もハシゴをし、終電車、乗り遅れば、タクシーとか、せっかく終電車に乗ったのに、瞬間寝てしまい、終着駅まで寝過ごして、そっから、タクシーで帰るとかカプセルとかサウナとか。そいで、その日飲んだアルコールが中ジョッキ一杯。書いているうちに、イヤになってきましたがそうした日々を送っとったわけですわ。しかも、誘いがなかったら、一人で飲み歩くようにもなりました。

 さすがに、自営業始めたので、アルコールはやめました。クルマに乗って行くと、アルコール飲まなくても済むということで、飲み会があれば、クルマで行くようにもしました。ノンアルコールビールがクソ高いし、身体が暖まらない、のに、腹が立ちますが、しょうがないですわ。

 やめた途端、膨大な暇な時間ができました。

 で、その時間、本読んだり、音楽聴いたりして、そのこと書くようになった、ちゅうわけですわ。
       

2017年4月3日月曜日

4月3日

 あっちゅーまに4月。云うか、もう春。なんか、数日前まで極寒みたいな感じだったんで、ほわ~としてますわ。

 今日は何やら、ばたばたしてて、もう、早く家に帰りたくて帰りたくて、しょうがなかったです。
 

 1985年の12月、クリスマス付近の、まあ、いわゆるトップシーズン、航空運賃からホテル代まで何から何までクソ高いシーズン、オレはジャマイカに行った。
 就職して、2年にもならないのに行けたのは、ひとえに残業代が信じられないぐらい貰えてたからである。当時、先端業種と呼ばれておったが、何から何まで古くさいのでなんで?どこが先端?と思ってたが、最近ようやっと、わかってきた。昨今のいわゆる「ブラック企業」の走りであったんだろう。21世紀を先取りしてたわけだ。超先端!
 月440時間だったこともある。年間平均月300時間超えてたんではないか?毎月がボーナス、いや、それ以上もらえるけど、使う暇なかったの。

 当時、ジャマイカの音楽界は、スレンテンというリディムトラックが生まれ、文字通り、大変換期であった。
 ただ、こっちには、何かとんでもないことが起きているのではないか?という雰囲気は伝わってくるものの、当時の日本では誰もそれを説明できなかった。わかっていたのかどうかも怪しい。
 ジャマイカ、行くしかなかった。


 モンテゴベイの、リゾートホテル付属のディスコ、それも、12時を過ぎてジャマイカの音楽かけていい時間(12時まではフツーのディスコサウンドで観光客が踊っていて、12時以降は現地の人も入れるシステム)で、初めて、耳にしたときの衝撃、たらなかった。なんじゃこれー?である。
 すぐさま、憑かれたように、DJブース(ここはフロア上にあった)に飛び込み、ぐるぐる廻る、アナログディスクのレーベルを確認しにいった。
 次の日、そのDJ連れて、街のレコード屋に行って、買い漁った。以降、そのDJ(ディスコのDJの意味ですよ)は、オレの観光ガイドみたいになって、仲良くなり、自宅に泊めてもらったり、アキアンドソルトフィッシュ作ってもらったりした。奥さんが美人でビビった。

 以降、帰国まで、毎日深夜0時には、そのディスコに通いつめ、スレンテン、及びコンピューター・ルールベースのレコードで、踊りまくった。スタラグはあったかどうか覚えていない。このリディムを、からだに叩き込んでおきたかった。
 どうして?この曲がかかった瞬間、からだごと、ハマりたかったから。
 
 このあたりを思い出すと、今でも胸が熱くなる。

 なんで、日本のディスコで、たかが、モベイの観光ディスコで出せる気持ちいい、ど低音、出せないの、と帰国してから、思ったりした。
 まあ、いい。
 オレはうまれてはじめて、音楽の「革命」に遭遇したのである。

 ロックなんか聴いていると、60年代のビートルズ出現から、ウッドストックやらなんやらの熱気なんかを、音楽評論家なんか、盛って自慢するもんだから、すごく憧れてたもんであるが、すっぱり決別することができた。このスレンテンは、それに匹敵する、あるいはそれ以上の大きな変化を、ジャマイカの音楽、世界中の音楽にもたらすものだった。「わたしは、今、生きているぅ」って。
 
 
 スレンテン以降、怒涛のごとく、「新しい」ものは生まれ続けた。オレは、単にその「新しいもの」を聴いているだけでよかった。そして感じ取るだけでよかった。そして、本当に気に入ったものをみつければ、いい。なんと、楽なことであろう。

 1985年、27才、ようやっとようやっと、「音楽」がわかった。

 もちろん、なにごとにも終わりがる。新しいジャマイカの音楽に「新しいもの」を見つけることができなくなったら?
 過去のジャマイカの音楽の「新しいもの」を見つけにいけば、良い。そこにも、無くなったら?日本の音楽に「新しいもの」を見つけに行けばいいのである。そうして、探しに行くとこを広げていけばいいだけ。

 

リズム特集:Sleng Teng(スレンテン) - レゲエレコードコム: "ダンスホールにおけるデジタル革命の先陣を切ったモンスター・リズム。たった一台のカシオ・キーボードから生まれた強烈なグルーブはジャマイカ中を熱狂の渦へと巻き込んだ。このリズムはウェイン・スミス(Wayne Smith)とノエル・デイヴィー(Noel Davey)なる2人の若者によって生み出され、ロカビリー界のスーパー・スター、エディー・コクラン(Eddie Cochran)の代表曲、'Something Else'のフレーズをカシオ・キーボードで弾いていた際に偶然発見されたと言われている。その後ジャミーズ(Jammys)のスタジオに持ち込まれ、トニー・アッシャー(Tony Asher)によってペースが落とされたリズムは、完全なるダンスホール・トラックとして確立されるのである。これによりダンスホールにはデジタル化の波が押し寄せ、コンピュータライズドと呼ばれる打ち込みのトラックが主流となった。コスト削減の面においても制作面で大きな転換期となった。オリジナル・ソングである、ウェイン・スミスの'Under Mi Sleng Teng'はモンスター・ヒットとなり、その後もジャミーズ(を中心に様々なレーベルから多数のヒット曲がリリースされた。ジャミーズ(Jammys)の'Sleng Teng'を基盤としたリメイクから、ストライカー・リー(Striker Lee)やハリーJ(Harry J)による高速の'Sleng Teng'等様々なヴァージョンがクリエイトされ、リリースされた。"

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