ほんま、首相というのは因果な職業やな、と思うわけである。
日本人の一部の方々は、戦後、「安保」という言葉に絶対的な嫌悪、それも強烈な嫌悪を抱くらしく、まあ、理屈で反対しているのではないから、困る。
ほとんど、勝手に、「戦争法案」と名前を変えて、その「戦争法案」を元にいろんな妄想くっつけて、その妄想に反対しているデモなので、こっちに響いてこないのである。
オレは自分の人生振り返って、その幸運の度合からいうて、戦争になったら、一番最初に死ぬのは、オレだという確信があるので、もちろん、戦争は反対だ。何度、友人の生まれて初めての役満に振り込んだと思っている!!!
一部の新聞テレビ局がその妄想を膨らますのに、悪ノリした挙句、野党がそれにノっかり、とうとう、「徴兵制」、「ミサイル」「核兵器」まで、くっつけるんだから、「誇大妄想」の域に達して、さすがについてけない。彼らの脳内では、今の政府は自由な言論を弾圧する全体主義の独裁政権であり、首相なんか、もう、ヒトラー通り越して、人類の敵である。
これはこれで、オモロイ。青年期筒井康隆の著作によって育まれた(コレハナンナノダロウ?)感が尽きない。
いつか、デモに参加している方々にも、(アレハナンデアッタノダロウカ)と冷静になる時がくれば良いが、来なかったら来なかったで、いい。知ったこっちゃねー。
ただ、「情緒」に訴えた以上、何らかの要素で、たやすく180度転換し、同じテンションで「戦争賛成」になる危険性を持っていることを忘れたらアカン。
で、思うのである。
まあ、この法案は通るであろう。
しかし、安倍首相以降の首相、もう、新聞テレビ学者連中文化人俳優監督にあれほどボロクソ云われ、支持率低下を呼び、政治家としては損なだけの安全保障政策には、これに懲りて、もう、手をつけないのではないだろうか。
このところ、暑い。思考力が低下している。
だからだろうか、誰ももう日本の安全保障には手をつけない。それで、いいのかもしれない、と思い始めている。
もちろん、日本はヤバイ状況に置かれ、そいで、やっぱし、最悪の状況を生んでしまうかもしれん。
戦後70年経って、日本人は「安全保障」という概念が遂にわからんかった。「憲法9条」のスーパーナチュラルなパワーの方を信じた。けど、目の前の現実からだと、さすがに、理解できるだろう。
僥倖に恵まれれば、残った日本人は山の中に隠れて、落とし穴作ってゲリラ活動しているかもしれん(オレは上記の理由でいない)。
・・まあ、その時は、「安全保障」よりも、「国家とは何か」か。
もう、そっから、始めることになってもいいと思っている。
(上記の文章を書く際、もっとも、参考となったのは、ニューズウィーク日本版の
日本ではなぜ安全保障政策論議が不在なのか
という文章でした。戦争もイヤですが、「大量虐殺」がもっとイヤです。また、見過ごしたり見なかったふりにするのがもっとイヤです。)